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自分の価値を上げようとすること
エネルギーを浪費せず、使うべきところに出し惜しみをしない。
これを実践しようとするとき、何にエネルギーを浪費しがちなのかについても、考えてみる必要があると思います。
ひとつ、エネルギーを浪費しがちなものとして ”自分の価値を上げようとすること” があるように思います。

普段カウンセリングで、しんどい辛い思いをしている人の話を聴いていると、そこには例外なく”自分の価値”というキーワードが存在しているように思います。
要するに、自分にある条件を課して、その条件を満たすか満たさないかによって、自分自身の価値を決定づている訳です。
その条件とは、人によって色々です。

例えば
・ある特定の人(親や上司や配偶者)に認めてもらえるかどうか、気に入ってもらえるかどうか
・周りの人にとって歓迎されているか、役立っているか、一目置かれているか
・仕事や引き受けた役割を全うできているか、失敗したり迷惑をかけたりしていないか
・段取りよくスムーズに物事をこなしていくことができているかどうか
・自分の中で決めた ”これができればOK、できなければダメ” といったラインを満たしているかどうか
・世間的な風潮(恋人・配偶者・子どもがいる、勝ち組・負け組、学歴、職業)

これらがいろいろと絡み合って、その人はそれぞれの基準と照らし合わせ、自分がそれを満たしていればOKつまり価値があり、満たしていなければ価値がない、というような捉え方をする。
そして、それら自分が設定した”基準”を満たすため、もっともっと必死にがんばる。

何かを目指して頑張っている姿は、一見前向きで向上心があるように見えますが、よくよくその動機を観察していると、それが不安と恐怖からきているように思えることが、少なくありません。

何もしないのが怖い。
だらだらする自分が許せない。
頑張らない自分を想像できない。

もしそうだとすれば、一度、自分を条件付けで評価しているかどうかを、省みてみるといいかもしれません。
つまり、自分の価値がある・ないという、相対的な価値観の中で自分を評価していないかどうかということ。

そして、不安や恐怖から頑張る人というのは、基本的にそもそもの前提として”自分には価値が無い”と思っているのです。
自分がただそのまま在るだけでは価値が無いので、いろいろとプラスして評価を得たり業績を上げようとしている、ということです。

カウンセリングで、頑張りすぎる人に時々率直にそれを伝えることがあります。
本当は自分に価値がないと思っている、あるいは本当は自分に自信が全然ないから、がんばっているのでは?
満たされて安心している人が、今あなたがやっているやり方や考え方をすると思いますか?と。
すると、その方は”ウッ”と、図星のような顔をされます。

かくいう私も、ずっと、自分を条件付けで受け入れる・受け入れないをずっとやり、頑張り続けてきました。
でももう、少しずつ手放しつつあります。
それがいかに、無駄なことかということに、気づきつつあるからです。

だって、外側に自分の評価基準を求めている限り、どこまでいっても安心できませんからね。
本当は、手に入れたいのは”好かれている”とか、”評価される”とか、そういうこととはおよそ関係のないところにあるはずです。

そしてそれは、本当は手に入れるものではなく、気づくものだと思うのです。
すでに自分は安心の中にいて、大丈夫なのだということに、気づく。
すると、思考や行為が、恐怖や不安からではなく、安心から出てくるようになっていきます。

だんだんと苦しみから自分を解放し、安心していく人達に共通するのは、「ま、いっか」という言葉が増えていくということと、失敗や失態をおかしても深刻にならず笑い飛ばせるようになるということのように思います。
要するに、だんだんお気楽・お気軽に、”抜けた人”になっていくのですね。
そして、身軽で颯爽とし、本当に自分がやりたいことにドバッとエネルギーを投入し、そこで絶大な集中力を発揮していくのです。


自分には価値があることを周りに認めさせることにエネルギーを注ぐより、いっそのこと自分は誰からも期待されない役立たずと思ってしまうのはどうでしょう。

「クズがここにいるぜ~!」と、元気いっぱいの清志郎さんです^^




宮沢賢治の「アメニモマケズ」の中で”ミンナニデクノボウトヨバレ”という一節があり、小学時代からその意味がよく分からなかったのですが、最近やっと、少し分かり始めました。




愛と感謝をこめて


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# by ramram-yoga | 2018-09-09 18:51 | music | Comments(0)
妥協しない
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昨日の記事の続きです。
自分の意識が、受け身から能動的・主体的なものへと変化すると、それから少し時差はありながらも、実際の現象もいろいろと変化してきています。
今日は、普段の持ち物の変化について。

最近、とある人に、私が仕事の時に持ち運んでいるリュックについて「一体中に何が入っているの?」と言われました。
いつもどうしてそんなに多くの荷物を持ち運んでいるのか?という率直な疑問をぶつけられた訳です。

言われた時は、あまりピンとこなかったのですが、よく考えるとその人の言う通り、自分はいつも多くの荷物を持って移動をしているということが分かってきました。
それも、ほとんど使わないものまで「あると安心だから」という理由で持ち歩いていたのです。

そこで、カバンの中のものを一度全部出して、その日その日で絶対に必要な物と、身に着けていてうきうきする物という基準で選んでみると、あら不思議。
びっくりするほど、荷物が軽くなりました(笑)

これがあった方が安心だから。
この人がいいと言ったから。こうした方が後々損しないから。
こういう想いが少しずつ少しずつ積み重なって、知らず知らずのうちに、心身ともにいろいろなものを抱え込み、ため込んでいたようです。

私の気質は、インドの伝承医学であるアーユルヴェーダによると、カパ(水)の性質が多いのですが、心理面でも物理面でも、ため込むのはこのカパの特徴でもあります。
自分自身がもっと身軽に、そしてこだわりを無くしていくためには、この”ため込む”ことによって生じてくるエネルギーの滞りや浪費をできるだけ減らしていくことにひとつのポイントがありそうだ、と感じました。

そのためのキーワードは、妥協しないこと。
最近これを、かなり意識するようになりました。

今、これは本当に必要か?
それを私は本当に気に入って使っているのか?
惰性でとか人からもらったからとか、もったいないからという理由で身に着けていないか?

以上の、普段身の回りにある物との付き合い方は、そのまま人間関係における自分の在り方にも影響しています。
愛想笑いをしたり無理に人と合わせたりせず、淡々と接する(親切・丁寧は忘れずに)。
人に好感を持ってもらえるように、または人から批判されないようにすることにエネルギーを浪費しない。
本音を隠したり、オブラートに包んで伝えたりせず、率直に伝える。付き合いたいと思っていない人とは、無理に付き合わない。

こういうことを意識しはじめて、自分が今までいかに、余分なことにエネルギーを浪費していたかということを、ひしひしと感じています。本当に、莫大なエネルギーを、使っていたのでした。

自分が何にエネルギーを注ぎたいのか。
妥協せずに選び取るセンサーを、鋭くしていきたいと思います。


*********


小学校1年生の息子と買い物に行くと、時々そこで、直感を磨く楽しい練習タイムがはじまります。

この日はスナック菓子売り場で、どれがいいかと迷っていた息子。
これは高いし、あれはお母さんがダメって言うだろうし・・・。

そこで、「今一番食べたい!って幸せな気持ちになるものを選んでおいで」というと、走って和菓子コーナーへ。
頭でいろいろ考えてた時と、妥協せず直感で選んだ時と、まったく違うものをチョイスしたのでした。
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ちなみに甘党なのは、母譲りです(笑)


(上の写真は、現在お気に入りの持ち歩きアイテム。
 Laura ashleyのペンケース、Desiner Guildのスケジュール帳、そして今日新しく仲間入りしたsybillaのポーチ。)

愛と感謝をこめて

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# by ramram-yoga | 2018-09-08 22:00 | 最近のいろんなこと | Comments(0)
揺さぶりがもたらした転換
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今年は明けてから間もなく、大きな揺さぶりをかけられました。
私にとっては青天の霹靂ともいえるような出来事で、大いに動揺し、大いに迷いました。
それにやっと区切りがついたので、今こうやって書くことができています。

簡潔に言うと、ある身近な目上の人との関係が、悪くなったのです。
それまで数年間にわたって尊敬し、本当にたくさんのことを教えていただき、そして一緒に仕事をしてきた人です。
これからもずっと、この人とはかかわりながら色々な仕事をしていくだろうと思っていました。

考えてみれば、私がその人の言うことを素直に聞き入れようとしているときは、うまくいっていました。
しかし、相手の提案に対する疑問や違和感を感じはじめ、それを相手に言い出した頃から、関係がギクシャクし始めました。

そして、それが度々の言い合いにまで発展してしまうにまでになってしまいました。
私が怒ったことに相手も驚いたと思いますが、なにより人に声を荒げて怒る自分に、私自身がびっくりしました。
怒っている自分を、妙に面白がって観察している自分もいたりして(笑)
でも、怒るということは、それだけ大きな期待を相手にしていたのですね、きっと。

あぁ、これまで私が付き合っていたつもりでいたのは、私が勝手にその人に対して描いていたイメージであって、その人自体は私のイメージとは全然違う場所にいたんだなぁ‥!
ということに、気が付きました。

そして、その人から離れていく、ということに決めました。
そう決まれば、後はシンプルです。



********


何を隠そう、この決心に至るまでが正念場でした。
今まで思ってもいなかった、自分のある部分を突き付けられたからです。
その”ある部分”とは、人の価値観の中で生きている自分です。
自分がそんな、人の価値観の中で生きている人間だとは、思ってもいませんでした。
それほど、物心ついた頃から、誰かの、あるいは既存の価値観に合わせて行動することが、当たり前になっていたのだと思います。

「この人がこう言ったから」とか「世間的には」とか、そんな基準で、今の自分のやっていることを絶えず評価していたのです。
裏を返すと、既存の価値観において自分を評価していないと、不安だったということですね。

これまで既存の価値観や誰かからの評価によって自分のとる行動を決定してきた人にとって、”自分で決める”ことは怖いことです。
なぜなら、失敗した時に、人のせいにしたり、言い訳したりできないからです。
全責任を自分で負わなければならない。
でも、本当は、人のせいにしていても、自分の行為がもたらした結末は、いつでも自分が引き受けているのですよね。
この半年あまりの間、繰り返し繰り返し突きつけられたテーマでした。

人からの評価や既存の価値観の中で生きる人生から、自己決断と自己責任の中で生きる人生へ。
もう少し端的に言うと、受け身の人生から能動的・主体的な人生へ。
この転換が起こった時、「させられた」「された」と思っていたことが、全部「自分がした」に置き換わっていきました。

「縛られている」のではなく「自分で自分を縛っている」ことがわかりました。
「させられた」のではなく「相手がどうであれ、自己決断の上自分がした」のだということが分かりました。

この転換は、強烈なインパクトを伴いました。
まるで、世界が360度ひっくり返ってしまったような気分でいます。

この変化の過程で、実は今年の春から夏にかけて、3日断食を計6回しました。
すると、あら不思議。
持ち物や人間関係までもが、色々とすっきりしていくではないですか。
今まで必要と思っていたものが意外となくても大丈夫だということに気が付いたり。
どうやらいろいろと抱え込んでいたものがあったようです。
まだまだ、その変化の途上ですが、いろんなものが、シンプルに見えつつあります。


感謝をこめて





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# by ramram-yoga | 2018-09-07 23:32 | 最近のいろんなこと | Comments(0)
7・8月の読書本
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71.『戦略的心理療法』J.ヘイリー著
72.『音楽療法の手引』松井紀和編著(再読)
73.『音楽療法の実際』松井紀和編著(再読)
74.『あなたの心配ごとを話しましょう ー響きあう対話の世界へー』トム・エーリク・アーンキル、エサ・エーリクソン著
75.『いのちの最後の授業』カンポン・トーンブンヌム著
76.『3歳からのアドラー式子育て術「パセージ」』清野雅子、岡山恵実著
77.『人間関係にあらわれる未知なるもの ー身体・夢・地球をつなぐ心理療法ー』アーノルド・ミンデル著
78.『ことばと身体』尼ヶ崎彬著
79.『言葉と無意識』丸山圭三郎著
80.『よくわかる最新医学 乳がん』山内英子著
81.『いのちの食卓』辰巳芳子著
82.『考えることの科学 推論の認知心理学への招待』市川伸一著
83.『霊性の時代 これからの精神のかたち』加藤清、鎌田東二著
84.『気の人間学』矢山利彦著
85.『続 気の人間学』矢山利彦著

****************


久しぶりの更新です。
ゆっくりとPCに向かってブログを書き、掘り下げていきたいことはたくさんあるのですが、なかなか時間が取れずにいました。

7・8月も、本との出会いが面白かったです。
特に、丸山圭三郎『言葉と無意識』からの、市川伸一『考えることの科学』。
本を読んでいるといろいろなレベルの文章に触れますが、中でも言葉と文章表現を巧みに使い分けながら、精緻さの極みの中で結論へと昇り詰めていくものに出会うと、あまりに鮮やかで唸ってしまうことがあります。
巻末の著者の略歴を見ると、大抵それを著した人は、私が出会った中ではなぜか東大の文学部出身であることが多い。
色川大吉著『我が聖地放浪 カイラスに死なず』、中村雄二郎の『共通感覚論』『臨床の知とは何か』なども、とても良かった。

そこで・・・

 鮮やかな文章の執筆者は、東大文学部出身である。
 この本の文章は鮮やかだ。
 従って、この本の著者は東大文学部出身である。

といった、少々短絡的な演繹的推論をするようになってしまいそうになっていた私ですが、そこに市川伸一著『考えることの科学』にグサっと釘をさされました。


 ・ある国を旅行して親切にされたので、「この国の人は皆親切だ」と思う。
 ・「趣味はゴルフです」というのを聞いて「裕福な人に違いない」と思う。
 ・前やった問題と似ているので、「同じ解き方で解けるのではないか」と思う。(本文より)


以上、これらはすべて推論です。
この3つの文章は、こうして改めて見ると、かなり極端な判断を元に成り立っています。
ですが、私たちは意外と、そのような極端な思考で日々出会う出来事を判断している可能性が、やはりあるのです。

日々の大量なインプット情報を、どのように処理していくかという問題に直面した時、人間の脳が、外有知識に関連付けながら、情報を構造化して蓄積する、という方法をとっています。
そしてそれには、”記憶の節約”でもあり、またつぎに同じような事態に直面した時に、結果を予測したりコントロールしたりすることができる、というメリットがあります。

一方で、この節約が、非常に偏りのあるものになってしまう場合も多々あることを、著者は指摘しています。
状況を、大きな考え違いを元に判断してしまうことにもつながってしまうからです。
実際に、社会心理学における研究でも、私たち人間が、基本的に自分の自尊感情を満たしたいと思っており、そこから推論も自分の正当性や自尊感情を守る方向に行きがちなのだそう。

例えば、災害心理学でよく言われている危険な心理に、以下のようなものがあります。
・「多数派同調バイアス」…他の人も逃げていないから、自分も逃げなくても安全だと思ってしまう
・「正常性バイアス」…危険な状況にも関わらず、落ち着いて、”自分だけは大丈夫”と思ってしまう
これは、災害が起こった時に、人々が陥りがちな推論であるというのです。

要するに、私たちはどこまで行っても、このニュートラルな世界を、自分の都合のいいように解釈しがちだ、ということです。
そして、それは、どこまでも意味づけの世界で生きているという事実をあらわしてもいる訳です。

苦しみもすべて、意味づけから生じます。
意味づけという迷妄に気づき、抜け出していく。
これは特に最近の、私のテマでもあります。

明日の台風、気を付けましょうね。


愛と感謝をこめて



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# by ramram-yoga | 2018-09-03 23:48 | | Comments(0)
夏休み
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息子が小学生になって初めての夏休みが、終わろうとしています。
来週月曜日が、始業式です。
この頃は夏休みが終わるのが、早いのですね。

この夏、いろいろとこなしたい事々があったのですが、夏休みに入ってそれらはほとんど実行されませんでした。
子どものいる夏休みというのはそういうものなのだ、ということに気づきました。
その代わり、プール、川遊び、そうめん流し、夏祭りなど、子どもと夏を満喫しました。

また、仕事でいろいろな場所に行くのですが、子どもにも同伴してもらっては各地の遊び場へも行きました。


こちらは、福井県立恐竜博物館。
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奈良公園では、鹿に餌やり。
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和歌山県の玉川峡へ(こちらはプライベートで)。
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今日は、亀岡運動公園にあるプール、通称”かめプー”へ。

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水に触れると、フッと緩みます。
この安心感は、母親の羊水の中でくつろいでいた頃の記憶、あるいは太古に海中で生きていた頃の名残でしょうか。
退行とも言えるのでしょう、周りの大人たちの顔を見るとみんな緩んで少し子供っぽく、無邪気な表情をしています。

特に、お父さんたち。
普段の通勤電車でみるような、あの硬くて無表情で、疲れ切った顔とは全然違います。
そんな、なんともいい表情を横目に、そしてキャッキャと遊ぶピッチピチのからだの子供たちをほほえましく眺めながら、私も浮き輪にのってぷかぷかと流れるプールで流されながら過ごしました。


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今日、プールサイドで合間に読んでいたこの本。
面白かったです。
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感謝と愛をこめて


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# by ramram-yoga | 2018-08-25 23:05 | 出産・子育て | Comments(0)