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9月の読書本
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86.『この世とあの世の風通し』加藤清著
87.『性差医学・医療の進歩と臨床展開』天野惠子編集
88.『血流がすべて整う食べ方』堀江昭佳著(再読)
89.『「ひとりぼっち」こそが生存戦略である』名越康文著
90.『よくわかる最新医学 新版前立腺肥大症・前立腺がん』澤村良勝著
91.『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』戸部良一他著
92.『連続性の哲学』パース著
93.『意識科学 意識が現象を創る』米田晃、前田豊著
94.『高次元ミロクのメタ文明』米田晃著
95.『ブッダの真理のことば 感興のことば』中村元訳
96.『Lシフト スペース・ピープルの前真相』秋山眞人、布施泰和著
97.『はじめての気功』天野泰司著
98.『心身の神癒』M・マクドナルド・ベイン著



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10月になりました。
西宮から山崎に引っ越してきて、ちょうど1年です。

上の写真はRam-Ram's Roomの窓越しのグリーン。
引っ越しする前、初めてこの家を訪れた時にこの風景にすっかり魅了され、引っ越すまで毎日恋焦がれるような気持ちで過ごしたのを覚えています。
そして今も、やはりこの部屋が好きです。

実は、こちらに引っ越すことを決めた直接のきっかけになったのは、ある仕事をするためだったのですが、なんとその仕事とのご縁は無くなってしまいました。
つまり、別にこっちに引っ越してこなくてもよかったのです^^
にもかかわらず、ここに引っ越してきたのがまるで必然であったように、すべてがしっくりおさまっている感覚でいます。


最近は、自分の感覚を研ぎ澄ませていくのが面白くて、日々実験です。
すると、それらの感覚とは、「~~するべき」「〇〇しなければ」という固定観念や、世間体や常識から導き出されるものとは全然ちがうところにあることが分かってきます。

簡単に言うと、理由がない。
理由は思考が作りだした産物であり、本当の答えはからだが知っている。

どんな感覚かというと、私の場合は胸(アナハタ・チャクラ)のあたりが奥から躍動するように湧き立ちます。
その感覚を感じながら、胸が躍動するものに接触する時間を増やしていく。
言い換えると、見聞きし触れるものをひとつひとつ吟味して、それらと意識的に接するようにするのです。
すると、自分の発する波長が変化し始め、それに同調する出来事や人と出会うようになります。
もしくは、同じ状況や人と遭遇しても、また違った一面に遭遇することになります。

でもそれはよく考えると当然のこと。
だって、自分が周りに見ているのは、自分自身の心の映し鏡に他ならないのですから・・・。

こんな風にして自分の感覚に従っていくと、自分に精神的な軸が一本、スーッと中心にできていきます。
これが肚が決まっているということであり、実際に腰骨が立って丹田にプラーナ(エネルギー)が集約されている状態です。
一点に集約することで存在のプラーナの密度が高くなり、かつ意識化できる範囲も細部にわたるので、きめ細やかなプラーナになっていきます。

すると次第に、「自分が世界の中にいる」という感覚が一転し、「自分を中心として世界が展開している」という感覚に変わっていきます。
この、自分が世界の中心点であるという感覚は、独裁的であるのとは全く違います。
独裁は、周囲を支配して初めて成り立つので、実は周囲のあり様に依存している訳です。

自分が中心というのは、独裁ではなく独尊位(カイヴァルヤ)の状態。



さて、最近また、出会ったことの無いタイプの人に出会ったり、聴いたこともないような話を聴いたり、いろいろなことが展開し出しています。
わたし自身も、以前の自分からは想像もつかないことを始めたり。

そのひとつが、英語の勉強です。
自分の専門性をさらに深めていく時に、英語論文を読んだり書いたりが必要不可欠だということがだんだんとはっきりしてきて、英文読解を中心に個人の先生に教えてもらうことにしました。
勉強を始めることについても、どの先生を選ぶかについても、頭ではなくからだで選ぶととてもスムーズ。

それにしても、あんなに苦手意識のあった英語に、自分から手を出すなんて・・・。、
人生、どんなことがあるか、本当に想像がつかないものですね。
どんどん自分についているレッテルを取り去って、限界をとっぱらってみたいと思います。
というよりそれは、最初からそんなものは無く、ただ自分が勝手に作っていただけだと、気づいていく過程なのですね^^


愛と感謝をこめて

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# by ramram-yoga | 2018-10-02 23:42 | | Comments(0)
富山へ
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今週はいろいろなところに足を運んでいます。
今日は、サンダーバードと北陸新幹線を乗り継いで、富山へ。

加賀温泉を過ぎたあたりから急に地平がどこまでも開けていき、雄々しさとおおらかさを感じます。

現地で数時間仕事をして帰るというとんぼ返りの旅程でしたが、それでもその土地の雰囲気を十分満喫できました。
北陸の土地と人の、奥ゆかしい華やかさに、魅了されつつあります。
そして、聡明な方が多い印象です。


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さて。
いろいろなことに一区切りがつき、今日は車中でゆっくりと読書できました。
自分が日々やっていることを「本当にやりたいか?」とひとつひとつ自分の心に訊いてみたのですが、読書はやっぱり好きなんだということは再確認できました。

じっくり腰を据えて読もうと思っていた、この本。
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心深くに響いた何節かを、ご紹介します。


*あなたたち、本当のあなたたちは、外側のもの、目に見える形ではなく、また、現象我が本当のあなたたちでもない。
 なぜならそれはあなたたちの真我の相とは遙かに隔たっているからである。

*見えるものと見えないものとの間に或る壁があってわたしたちを引き離しているように思われるが、それは事実ではない。
 自分の心の中以外には障壁などないのである。
 互をへだてる障壁は心の中のみにあるのである。
 ではこの障壁、この隔てを、理解と愛とによって除くがよい。

*時間というものは存在しない。
 わたしは過去に存在したように今も存在しており、今後も常に存在する。
 このことを悟得すれば、あなたたちは自分も又全能者の生ける表現であることを銘記しなければならない。

*認識がまず第一である。
 次に十分に把握をし、静寂の時間(複数)を置くようにすれば、わたしの力があなたたち自身の意識の中で発達して行く。
 しかし意識は実は只ひとつあるのみであって、それが全宇宙にわたって具象化しつつあるのである。
 それが大生命自身の中なる意識である。
 大生命がすべての形態あるものを創り給い、その形態の中に大生命がその栄光を意識的に顕現しうるようにし給うたのである。

*此の故にわたしは本性という最奥の面に現れる。
 此処には何ら死の如きものの存在しえないことをわたしは知っていた、それは人間の制約された心の中にしか存在しないからである。
 この驚くべき久遠生命の真理をあなたたちが把握しえた時、この生命自身はいわゆるの死に影響されることはない。


愛と感謝をこめて

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# by ramram-yoga | 2018-09-26 22:41 | ことば・メッセージ | Comments(0)
満月
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前回記事を書いていた土曜日の晩からなんだか調子が悪くなり始めたと思ったら、珍しく風邪で熱を出しました。

日曜日は東京に出向き、東邦大学医学部でCBT‐E(神経性過食症のための認知行動療法)の研修会に参加していましたが、朝からからだ中が痛いわ寒気がするわ‥。
昨日の月曜日(祝日)は奈良で仕事があり、からだを引きずるようにして出かけ、帰ってきてお風呂も入らず布団へ直行。
朝起きたら気持ちよく汗をかいていて、排便を済ませると意識もすっきりと澄み渡って視界も開け、気力と食欲が一気に出てきました。

私がダウンしている間、洗濯や食事作り、子どものお風呂から寝かしつけまで全部やってくれ、おまけに梅干しと甘酒とゼリーを買ってきてそっと置いておいてくれた夫に感謝です。

風邪は風邪なりの症状の進み方があって、その波にからだを委ね、ゆったりとした呼吸で痛みや寒気をふんわり抱きしめるようにしてみる。
すると、症状がからだをすぅーっと通り抜けていく。
そうすると、風邪がやってくる前よりからだの“通り”が良くなり、生命力がみなぎっている。
そんな感じです。

心理的に大きな区切りがひとつついたところだったので、今回の風邪はなんだか禊(みそぎ)のように感じました。
やはり、心理面の変化と肉体面の変化には、少し時差がある。
肉体面に変化が現れる場合は、その変化に先行してまず潜在的な部分が必ず変化しているように思います。
心が変わるとその人の発するものが質的に変化し、物理次元での変化として顕在化してくる。
つまり、すべての現象は必然、ということですね。


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さて、今宵は満月です。
また今日から、心新たにまいりましょう^^


愛と感謝をこめて






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# by ramram-yoga | 2018-09-25 23:23 | "わたし”との対話 | Comments(0)
みるということ
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セラピストという仕事をすればするほど、今目の前の人が直面している課題は、私とは無関係なものではないという認識が強くなっていきます。
そして、その人が私の目の前に現れていることに偶然はなくて、私を映す鏡として存在しているように感じています。

私は目の前のその人を通して、実は自分自身をみている。

セラピーの本質を突き詰めていく時、それは究極的には”みる”、”みられる”という行為のように思います。
”みる”というのは、意識の光を当てるということ。
例えば、カウンセリングで困りごとを話す時、話しているのをお聞きしているだけで、解決してしまうことがあります。
それまでは暗みの中にあった問題に意識の光が当てられたことで、その問題が質的に変化していくのです。

また、カウンセリングの経過の中で、相手が変容していこうとする時。
そこで大切なのは、その相手をみている、つまり意識の光を当てることです。
その人は、みられることによって変容していく。
それほど、みるという行為にはすごいものがある。

最近、相手をみているとき、みているのは実は私ではなかったという認識が強まりつつあります。
いわゆる、個としての私がみているのではない。
意識が、私という個人を通して、その人をみている。

ここでいう意識とは、個人の意思とか思考ではなく、根源的普遍的なものを指します。
ヨーガで、アートマンが純粋意識(chaitannya)と呼ばれているように、すべてを包括している普遍的な”それ”とは、まさしく意識なのだと思うようになりました。
だから、私がするべきは、その意識ができるだけ純粋な状態であらわれ出ることができるよう、自分を透明にしておくことだと思っています。

そして、私に起こっていたのは、みるだけではなかった。
同時にみられてもいたのです。
意識が、相手を通して私をみていた。

そうか、私はみられていた。
普遍的な意識から、静かにずっとみられていた。


愛と感謝をこめて



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# by ramram-yoga | 2018-09-23 00:25 | "わたし”との対話 | Comments(0)
期待されなくても大丈夫
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心の反応の仕方の癖は、人それぞれあるものですが、本人は無自覚である場合が多い訳です。
なぜなら、その人にとって、それが当たり前だから。
苦しい時やしんどい時、必ずそこには、その人特有のこだわりが関係しています。

ですから、苦しみを手放そうとするときは、まずは自分の心の癖に気づき、自覚していく作業が必要となります。
自覚すると、手放すという次の段階に進むことができるのです。
でも、この自覚の作業は、案外ヘビーだったりします^^

私の場合も、自分の支配性を突き付けられ、自覚したあたりからいろんなことが変わり始めました。
前は、誰かに頼りにされたり求められたりされるように、いろんな役割を進んで引き受けていました。
でも、今はあまりそんなことはしません。
別に、誰かにとって頼りになる存在じゃなくても、よくなったのです。
「あなたのおかげで助かるわ!」と言われるのは嬉しいですけれど、それを過剰に求めて自分のよりどころにすることは、無くなりました。

「期待されない私はダメ」から、「期待されたら嬉しいけど、期待されなくても大丈夫」。
この変化が、不安感から、安心感へのシフトをもたらします。
ここのシフトができた時の、率直な感想は・・・
「あぁ、期待されなくてもいいって、なんてラク!」

こんな風に、実際の心の反応や行動の変化を実感すると、自分は変わったな、と思います。
以前は口が裂けても言いたくなかったことも、抵抗なく言えるようになってきていて、自分を苦しめていたこだわりを、少しずつ手放せていけているように感じます。

本当は、誰も自分のことを苦しめていなかったのだなぁ、自分で自分をがんじがらめに縛り付けていたんだなぁと、改めて思います。
浮き輪と同じで、手放して放っておけばぷかぷか浮いているものを、わざわざ押さえつけて沈めておいて「浮上できない、苦しい!」ともがいているのですよね。
楽になるには、ただ、押さえつけている自分の手を放せばいいだけだったりする訳です^^



愛と感謝をこめて




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# by ramram-yoga | 2018-09-22 00:30 | 最近のいろんなこと | Comments(0)