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明々後日からのチベット行きに備えて、昨日・今日と東京にある低酸素施設ミウラドルフィンズへ、最後の高所訓練を受けに行ってきました。
夜は低酸素室へ宿泊して空気の薄い環境に身体を慣らし、トレーニングでは今回私たちの行く最高の高所・ドルマ峠と同じ標高5800mに設定された低酸素室で、自分の身体がどう反応するかを確認し、酸欠状態になった時の行動の仕方や呼吸法など対処法を学びました。 さてこの好機に、かねてから実験してみたかった、ヨーガの呼吸法による体内の血中酸素飽和度(SpO2)の変化を調べてみました。 その中のいくつかを記載しています(注:私の場合です)。 【標高4500m地点の血中酸素飽和度】 安静時:84~85% ★上昇した呼吸法 ・アヌロマ ヴィロマ 10回×2ラウンド 93% ・アグニ プラサーラナ 30回×3ラウンド → 93% ・ディールガ シュワーサ プラシュワーサ 10回 → 97% ・ドッグ ブリージング 30回 → 98% ・走った後のようなハァハァという呼吸 → 96% ★下降した呼吸法 ・ナーディー ショーダン 5分 → 75~85%を激しく行ったり来たり ・サヒタ クンバカ 5分 → 65~75% ・瞑想状態 (呼吸法ではありませんが) → 83~85% 以上、簡単にまとめると激しく圧がかかるような呼吸法は全て血中酸素飽和度は上昇、細く長く息をする呼吸法は一様に下降しました。 サヒタ クンバカ(止息を入れた呼吸法)では、ガクンと一気に60%台まで下降しました。 平地ですと、この数値は既に死亡している危険な数値です。 歴代のヨーガ行者は、わざわざヒマラヤという空気の薄い過酷な環境に身を置き、さらに呼吸法でわざと酸欠の状態を作り出すことで、いわば死と隣り合わせになるほどの大きな打撃を自ら自分に与えていた、ということになります。 それほどにまでしてでも求めるものが、きっとその先にあったのでしょう。 さて私自身はその地へ行き、いったいどんな反応をするのか、どんな自分が顔を出すのか、とても楽しみでありどきどきもします。 標高6000m 酸素量は地上の半分以下 動植物が生きられない世界 人も生活できない世界 どんな世界だろう この詩はトレーニング施設に貼ってあったポスターに書いてあったのですが、まさにそんな気持ちです。 sachie #
by ramram-yoga
| 2010-05-14 23:24
| チベット聖地巡礼2010
先日4月29日、西宮音楽療法研究会主催の音楽療法の講習会に参加してきました。
講習会では、武庫川女子大学の名誉教授である益子務先生が、“音楽療法における「音楽的要素」”と題して講演をしてくださいました。 今回も、音楽の意義や価値観など核心に迫り、とても興味深く面白い内容でした。 音楽療法では、対象者となる方に合わせて用いる音や音楽を変えていきます。 その時に大切なのは、音に対する美的感覚が育った国や時代によって大きく違い、それをどこまでこちら側が理解できているか、ということです。 例えば、西洋音楽が入ってくる以前の日本は、音の捉え方は全く違ったものだったと言われます。 大雑把に言うと、西洋と東洋の音に対する美的感覚の大きな違いとは、「あるもの」と「無いもの」どちらに目を向けるかなのだ、ということです。 西洋 → いかに美しい音やハーモニーを生み出すか 東洋 → 音があることによって際立つ静寂や間合いに美を見出す 明治維新後130年ほどたった現代に生きる私達日本人は、もうほとんど西洋的な音楽になじんでいますが、でもやはり日本的な美意識も持ち合わせていると思います。 私自身は以前、新婚旅行でヨーロッパに行ったとき、歴史があり洗練された建造物や音楽に本当に感動しました。 しかし、その時に思ったのはやはり西洋と東洋の方向性の違いでした。 西洋では、建造物はこれでもかというほど華やかで豪華、音楽も特にオペラは情熱的で本当に心を揺さぶられます。 言ってみれば、心の内にあるものをどれだけ美しくこの世界で表現しきれるか、ということに大きなエネルギーが注がれてきたのだと思います。 それに対し日本は、豪華といってもたかが知れています。 それよりもできるだけ余分なものを省いてシンプルにしていく、自分の熱情や苦悩も表には出さず内に秘める、そのようなことに美を見出す国民なんだと、国外に出て外側から自分の国を見ることで感じました。 また、東洋哲学として代表的なインドのヴェーダンタ哲学では「私とは何者か」と探求していくとき、“ネイティ・ネイティ(これではない、これではない)”と言って周りから否定をしていき、最後に答えにたどり着くという手法をとっています。 これも、西洋と東洋の根本的な世界観の違いなのではと、とても興味深く思いました。 「グレゴリオ聖歌」 西洋音楽も最初は、今のように和音ではなく単旋律で、そこからハーモニーが生まれ、長調・短調という概念が生まれていった → 美的感覚が変容していった 「バッハ・G線上のアリア」 癒しの音楽として、不協和音になる予測がつく、最後に必ず和音進行が解決して終わる、と聞き手が安心して聞くことができるのが条件 sachie #
by ramram-yoga
| 2010-05-02 11:42
| 音楽療法
現在、兄弟子のアルナ師とラリタ師がインドから来日されています。
アルナ師とラリタ師は、私達の直接先生である木村慧心師と同様、ヒマラヤで「グル(導師)の中のグル」と称えられたスワミ・ヨーゲシヴァラナンダ大師の直弟子です。 そして両師の指導による瞑想会が西宮で24日、行われました。 瞑想会には100人余りが詰めかけ、アルナ師・ラリタ師の講話を聴き、その後瞑想へ。 2年前にインド・マナリで両師のもとで瞑想したときと同じく、清らかで愛に満ち溢れた雰囲気の中での瞑想となりました。 そして瞑想後の問答の中では、今はもう亡きスワミ・ヨーゲシヴァラナンダ大師と、智慧の歓びの中で出会うことができるのだ、というお話をしてくださいました。 ヨーガの世界では昔から、私達がより深い智慧を得ていくごとに、今は亡きヨーガ行者たちが、私達に直接智慧を与えてくださると言われているのだそうです。 肉体的にはお会いしていないわけですけれども、肉体的にお会いするかどうかよりも重要なのは、その御教えを得て精神の高みに達し、智慧の歓びの中で出逢うということ。 そのお話を聞いていて、私は1年余り前になくなった祖母のことを思い出していました。 私は大のおばあちゃん子で、大好きだった祖母が亡くなった当初はもう二度と祖母と会えないことが寂しくて悲しくてよく泣いていました。 しかし、最近はあまり寂しくありません。 誰かに親切にしてもらった時や優しくしてもらった時によく、祖母がそこに居る気がします。 それ以外にも今日みたいに素晴らしく天気のいい日や、自然の中にいる時。 祖母の顔や姿を思い出すというよりは、祖母が近くにいた時の空気感がふわっと私を包み込んでくれるのです。 それは心がほっと温かくなるような、やわらかい光に包まれるような。 祖母は無くなる一年ほど前に、私に 「おばあちゃんが死んでも、さっちゃんがおばあちゃんに会いたいと思ったら、いつでも会いに行くからね」 と言ってくれていたのがどういう意味だったのか、やっとわかったような気がしました。 そうか、 私の大好きだったおばあちゃんの本質は肉体のように限定されたものじゃなかったんだな。 決して無くなることのない、変わらない愛そのものだったんだ。 そして、おばあちゃんとはこれからも、愛の歓びの中で出会うことができるんだな。 と、すっと腑に落ちたような気がしました。 sachie #
by ramram-yoga
| 2010-04-29 00:24
| YOGA
今日は、全国健康むら21ネット第5回全国大会in大阪に参加してきました。
全国健康むら21ネットは「愛と慈悲の少食」を提唱した故・甲田光雄医師が創始し、食や生き方に関する啓蒙活動や地域づくりをしている団体です。 大会では、映画「不食の時代」の初上映があり、今回のお目当てでした。 また、最近免疫学の分野では有名な阿保徹先生のご講演などもありました。 「不食の時代」は、脊椎小脳変性症の主人公・森美智代さんが、甲田先生の指示による断食療法を繰り返した結果、見事難病を克服されたドキュメンタリー映画ですが、なんと驚かされるのは森さんの現在の食生活です。 なんと、1日におおよそ80kcalの青汁1杯、それだけ。 それだけで、15年以上も暮らしているのだそうです。 しかも、ご本人はがりがりに痩せているというのではなく肌には艶があり、むしろふくよかとさえ感じさせられるような健康体です。 なぜ、こんな極端に少ない食事で、暮らしていくことができるのでしょうか。 現代医学の視点からでは全く理解することはできませんが、そこに人間の不思議・いのちの不思議があるのだと思います。 「人間の存在はこの肉体ではなく霊的な存在なのだ」 とおっしゃる甲田先生は、食事療法のことを「癖なおし」だ、とご著書の中で何度もおっしゃっています。 病気になるなら、必ずその原因には病気になるような食べ方の癖、考え方の癖がある。 食事療法は厳しいが、何度失敗しても再挑戦を繰り返す過程で、癖がとれ人間が・魂が磨かれていくのだ、と。 私自身は、甲田先生が2008年に亡くなられた後に、先生の存在を知りましたので、直接お目にかかったことはありません。 ですが、何冊か著書を読んでいるうちに、まるで先生に励まされ勇気付けられているような気持ちになってくるのです。 読んでいて何度涙が出てきたことか・・・それほど先生の発する言葉は魂にまで響くような力があります。 それだけ影響力があるのは、先生のさまざまな活動の根本にあるのが、私たち人間・いのちに対する愛だったからなのでしょう。 「食事療法」といってもここまで来ると、生き方や哲学、精神修養の方法と言った方がしっくり来ます。 ヨーガで言うと、食や肉体に関する事々は、「食物鞘(しょくもつさや・アンナマヤコーシャ)」といい、人間の構造の中で最も粗雑な次元とされています。 しかし、より精妙な内的心理器官に働きかけていく入り口として、決してないがしろにしてはならない大切な分野です。 今、メタボリックシンドロームや生活習慣病、ダイエットなどの言葉がよく聞かれるということは、それだけ食欲のコントロールが難しいということ。 そのような時代にあって、今、甲田先生の提唱する「愛と慈悲の小食」の理念が一石を投じつつあるのでは。 そういう私も、よく食欲に振り回されていますが・・・特に甘いものに^^; 「不食の時代」は、今年秋よりロードショーされるそうです。 sachie #
by ramram-yoga
| 2010-04-24 23:48
| 最近のいろんなこと
レッスンで行う瞑想では、ヨーガに関する言葉を一つご紹介して、そのテーマにそって、自分の心の働かせ方の傾向を調べていきます。
今月の聖句は「人の為すべきは 働け もっと働け あくまで働け」という智慧の言葉です。 これは、人生の成功者と言われる人の場合は、決して労働や行動を、嫌わないということです。むしろ、働くこと、行動すること自体に喜びを感じるのだということです。 今月は、この言葉をテーマとして、日々自分がどのような動機で行為をしているか、ということについて調べました。 ヨーガというのは、ポーズ・アーサナや呼吸法だけのことを指すのではなく、むしろそれはほんの一部分であって、ヨーガというのは、元々は「モクシャ」と呼ばれる悟りの境地に達するための、全人的な精神修養の方法です。 そんなヨーガのさまざまな教えが、現在に伝えられてきているわけです。 なぜ、ヨーガのクラスでこんな瞑想をするかというと、そのヨーガの教えが現代の普段の生活をする上での役に立つ、日本で言えば格言とかことわざのようなものですので、少しずつご紹介しています。 ヨーガの修行方法で「カルマ・ヨーガ」というのがあります。 「カルマ」という言葉のもともとの意味は、「行い」という意味ですので、「カルマ・ヨーガ」は「行為のヨーガ」と言われたりします。 この「カルマ・ヨーガ」とは、行為の仕方についての教えになっています。 どういった教えかというと、「結果の良し悪しに関わらず、今自分に与えられている義務に対して最善を尽くす」ということです。 つまり、自分が善意で誰かに何かをしても見返りを求めないとか、結果はどうであれ、今自分の持ち場を淡々とこなしていく、ということです。 そしてそのことによって、ぶちあたっている困難が打開され道が開けていく、また行為そのものによって自分が成長し磨かれていく、ということです。 逆に、結果を求めてばかりいるとどのようになるかというと、例えば、オリンピックの選手が、競技中にメダルを意識したら集中力が途切れてミスをしてしまうといったことがあります。 逆に、ここまで練習をしてきたんだから、精一杯自分の持っている力を出し切ろうと競技に集中すると、つまり行為そのものにしっかりと集中すると、最善の競技ができてそれが結果としていい成績につながる、という例があります。 このように、結果を求めるより、行為そのものに集中することが大切だ、ということです。 私の場合で言いますと、私が最初にヨーガを教え始めた頃は、来てくださる方が1クラスに1人とか2人とか来られるのはまだいい方で、誰1人来られず一人でヨーガをして帰ることもありました。 そういった状況の中で、私にできることはやはり、そのときそのときのレッスンを丁寧にする、今目の前にいる生徒さんに対して誠意をもって接する、という積み重ねだけだと思ってやってきました。 現在は、クラスも生徒さんも増えましたが、それはあくまで結果ですので執着するのではなく、変わらずに目の前にあることに最善を尽くすことで、結局は自分が成長させてもらっているなぁとありがたく思っています。 sachie #
by ramram-yoga
| 2010-04-22 16:50
| 瞑想
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