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内側にすべてを有しているあなた
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今わたしが外側にみているものは、わたし自身の内側にあるものを映し出しているにすぎない。
日に日にそのような感覚が強まってきています。

すべてを有している”わたし”が、人間存在としての”個”を生き、他の誰かや何かと接することによって、そこに自分自身を映し出している。
ただ、それが起こっている。
あらゆる意識状態が、わたしの内側にある。
過去や未来も、実体として存在しているのではなく、すべて今ここに、わたしの内側にある。

もし、自分の内側にすべてがあるとは思えないのなら、それはきっと、物質世界を中心に物事を捉えているから。
確かに、実際今、手元にはありあまるほどのお金もなければ、豪邸も高級車も持っていないかもしれない。
でも、それらを手にした時に感じるだろう裕福な感じや満ちたりた感じ、そして外側にそれらを見いだすことができる感性は、今すでにわたしの内側にある。
そういうことです。


外側に見出しているものは、すでにわたしの内側にあるものなのだ。
そう実感するとき、恐れというものが無くなります。
なぜなら、何かを失うということは、実はないのだということが分かるから。
あなたはかつて、そしてこれからも、何も、失うことはない。

例えば、あなたが、誰かと一緒にいると満ちたりて、幸せな気分になることができるとします。
次第に、あなたはその人を求めるようになります。
その人に会いたい、一緒にいたいと。
そしてだんだんと、その人を失うことを恐れるようになります。

あるいは、あなたに新しい知識を与え、気づきと智慧を与え、導いてくれる人がいたとします。
次第に、あなたはその人を求めるようになります。
この人がいるから私がいる、もはやこの人なしではやっていけないと。
そしてだんだんと、その人から離れることを恐れるようになります。

でも、本当は、そうではないのです。
その人と接触することによってはじめて得られると錯覚しているものは、実はあなたの内側にすでにあったのだから。
他の誰でもないあなたが、その人と接することによって、自分自身の内側にあるものを映し出しているに過ぎないのです。
そのことに気づくと、恐れから行為することが無くなり、歓びから行為するようになっていきます。


外側に見出しているものは、すでにわたしの内側にあるとするなら、どんなに問っても、その問いに答えを与えてくれる人はいない。
自分の外側に、答えなどない。
人生の意味にも、何かの現象についての説明にも、正解はない。
それは、あなたが自分自身で回答を見いだしていくもの。
あなたは、答えを外側に求めるほど、非力な存在ではない。


外側に答えなどなかったのだということに脅威や落胆を感じるなら、それはあなたがこの宇宙の創造主を自分の外側に想定していて、自分をその被造物だと捉えているから。
でも、実はあなたは被造物ではない。
誰かに作ってもらい、最初から運命を勝手に決められているような、あなたはそんなちっぽけな存在などではない。

別に、この感覚がよく分からないからといって、あせる必要もない。
分かる分からないを別として、これが真実なのだと思うのです。
もうすでに、すべてを知っているあなたが、今この言葉に触れて、何かを感じているのだから。


愛と感謝をこめて





by ramram-yoga | 2019-01-19 21:38 | "わたし”との対話 | Comments(0)
久しぶりの診療
一昨日、久しぶりに齋藤クリニックにお伺いしました。
普段はほとんど毎週通っているのですが、つわりでしばらく伺うことができず、数か月ぶりの受診となりました。

今日ブログを書くにあたり、先生のところにどのくらいの期間通っているのかを改めて調べてみましたが、まだ2年と少し。
自分の感覚では、もう4~5年ほど通っているつもりでいました。
特にこの約3年間は自分にとって大きな変革が起こった期間で、その間に結構キツい経験が何度か訪れました。
それをその都度、先生に抱えていただきながら乗り越えて今ここにいるような感覚もあります。

時々、なぜ私はこんなに先生のところに通っているのだろう?と考えてみるのですが、これにはもはや理由がないのです。
ただ、ふと先生のところに行きたいと思い、まるで引力に吸い寄せられるように行ってしまうのです。

久しぶりにお会いした先生は、まるで先週も同じようにお会いしたかのように、ごく自然体。
全く気負いのないひょうひょうとした様子で、診療がはじまります。
診療といっても、やっていただくことは外気功による手当てです。

診察室には氣が充満し、密度がとても高い。
五感ではそれは圧力や粒子の細かい光のように感じられ、しばし圧倒される中、手当てを受けます。
するとだんだんと圧迫感を感じるほどだった部屋の圧力が感じられなくなり、身体内部が明るくなっていきました。
つまり、私のからだもその場の氣のレベルに同調して微細になったのです。
しばらくすると、丹田から何かがスシュムナ―管を通って頭頂から抜け出ていき、からだ全体が通りの良い筒のように感じられました。
その感覚を感じた頃、先生から「どうです、今スッとしたでしょう」と言われる。
先生の治療は、そんな治療です。

久しぶりに治療を受け、改めてあぁやっぱりこの方はすごい人なのだと思いました。
誰かの真似をするとか何かの影響を受けるとか、そういう域をとうに超え、孤高にそびえ立ち、そして留まることなくものすごい勢いで進化をしている。

人間として、医療従事者として、大いに触発されながら、今年もまた通わせていただくことになりそうです。

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(写真は去年の夏、五山送り火をバックに先生と。)



愛と感謝をこめて



by ramram-yoga | 2019-01-13 20:45 | 心身医学・統合医療 | Comments(0)
今ここ
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あけましておめでとうございます。

私の最近の関心事といえば、前々からちょくちょく記事にも書いていますが、もっぱら、存在の中心点について、です。
この、中心点を究めていくということが、こんなにも面白いとは。

では具体的に何をやっているのかというと、日々のごく普通にやっていることを極めていく、ということ。
例えば、さっき、飲み物を飲もうとしたときに、その飲み物を入れるコップを適当に選ばずに、「これで飲みたい!」と感じるコップを少し時間をかけて選びました。
そんなことです。
「これでいい」という感覚で選択するのをやめて、「これがいい!」を突き詰めていくのです。
それを、一つ一つの行動において、やっていきます。
朝、「今日はこれをしよう」と思っていたけれど、実際やる時になって、「今本当にこれをしたいのか?」ともう一度問いかけてみる。

こんなことを繰り返していると、惰性というものが無くなって、意識が今ここに集約されていきます。
なぜかと言うと、惰性からくる行為というのは、過去や未来にひきずられている意識状態によって生じるからです。
惰性から抜け出して、その瞬間瞬間を意識的に選択できるようになると、過去や未来がリアリティを持たなくなり、まさにリアリティとは今・ここでしかないという感覚が、充実した身体感覚とともに意識されるようになります。

すると、エネルギーが自分の中心にギューッと凝縮されて、中心点の密度が濃密になっていきます。
あくまで、これは私の感覚です。
この中心点というのは、3次元的なものではないのですが、でも確かにあると感じます。
そうすると、身体的には丹田が圧縮して、肚が決まる。

中心点が極まるとともに、他人との比較による劣等感や焦りもなくなっていきます。
ネガティブな感情が伴う比較とは、自分の中心点がブレた時に、ただ自分が映し出している幻影にすぎないからです。

自分が出会う人、触れる情報、出来事等は、実は自分が生み出していたのだなぁということを、しみじみ感じます。
例えていうなら、自分が選んだフィルムを映写機で映し出し、それを自分で観て体験している訳です。
受動的な要素がなく、主体的でしかあり得ません。

あなたが今日出会った人、印象に残った言葉や、感じたこと。
それは、まさにあなたが自分にそう体験させているということです。
そのようにして、関係性の中で、周囲に自己を映し出すことによってはじめて、あなたに「私とは誰か」という問いが起こり、自己を自覚しようとする働きがはじまるのです。

さて、今年はどんな一年になるでしょうか。
というより、私は、そしてあなたは、今年どんな世界を生み出していくのでしょうか。
今この記事を読んでくださっているあなたと、どこかでご一緒できれば嬉しいです^^


愛と感謝をこめて






by ramram-yoga | 2019-01-08 00:33 | 最近のいろんなこと | Comments(0)