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1月の読書本
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1.『懐かしい未来 ラダックから学ぶ』ヘレナ・ノーバーグ=ホッジ著
2.『エンデの遺言 根源からお金を問うこと』河邑厚徳+グループ現代著
3.『この素晴らしき「気」の世界』清水義久<語り>、山崎佐弓<聞き書き>
4.『あなたは私 私はあなた』清水義久<語り>、山崎佐弓<聞き書き>
5.『テロメア・エフェクト』エリザベス・ブラックバーン、エリッサ・エペル著
6.『シッダルタ』ヘルマン・ヘッセ著
7.『シュタイナー哲学入門 もう一つの近代思想史』高橋巖著
8.『思考は現実化する〈上〉』ナポレオン・ヒル著
9.『思考は現実化する〈下〉』ナポレオン・ヒル著
10.『ヨーガ療法ダルシャナ』鎌田穣、木村慧心著
11.『虐待が脳を変える 脳科学者からのメッセージ』友田明美・藤澤玲子著
12.『インナー・トラヴェルズ〈上〉』マイケル・クライトン著
13.『インナー・トラヴェルズ〈下〉』マイケル・クライトン著
14.『エドワード・バッチ 心を癒す花の療法』ノラ・ウィークス著
15.『愛するということ』エーリッヒ・フロム著
16.『神秘学概論』ルドルフ・シュタイナー著
17.『奇跡の実現』正木和三著
18.『血流がすべて整う食べ方』堀江昭佳著
19.『発想法 創造性開発のために』川喜田二郎著
20.『オープンダイアローグとは何か』斎藤環著
21.『ハイコンセプト 「新しいこと」を考え出す人の時代』ダニエル・ピンク著
22.『腸は考える』藤田恒夫著
23.『SCSKのシゴト革命』日経BP総研イノベーションICT研究所著



**************

今までは、いつも私の前には憧れている誰かがいて、その人の後ろを追いかけていました。
その人がいいということは丸のみ。
だから、安心だし楽ちん。
どんどん成長できる。
でも、追いかけているかぎり、その人が持っている可能性の枠の外にはどうしても出ることができないということが分かってきました。
その人の限界イコール私の限界になってしまう。
それって、ちょっとつまらないなぁと思うようになってきました。

だから今年は、誰かの後ろについていくのではなく、自分で道を創り出していく年にしようと思っています。
そのための一つのワクワクする取り組みとして、本を読む。
本との付き合いは、ものすごく面白い。
本自体は固定しているけれど、でも本との付き合いは、まるで生き物とのやり取りのように、いつも生き生きとしています。
「今自分に必要なものは何だろう」とか「こんなことについて知りたい」等、なんらかの問いかけを頭の隅において本を読むとき、必ずと言っていいほどその問いかけに対する返答が本の中に出てきます。

だらだら読むということはせず、本を開く前に深く呼吸をして、スーッと集中して、本の中に没頭していきます。
今年も本と、真剣に付き合っていきたいと思います。

そして、楽しくね^^


  愛と感謝をこめて


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by ramram-yoga | 2018-01-31 07:43 | | Comments(0)
いのちアカデミーを開講します
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ついに、完成しました。
昨年より、これを生み出すことに、本当にたくさんのエネルギーを注いできました。


2018年4月より、社会人向けの講座を開催する「いのちアカデミー」を開講いたします。
講師陣の先生は選りすぐりの、そして既存の常識や価値観を超えて独自の道を探求し続け、突き抜けている方々です。

講座内容は、連続講座と単独講座の2種類に分かれます。
連続講座は通年で行い、一般向け連続講座にはフリーアナウンサーの松原恵美先生をお招きいたします。
専門家向けには藤原桂舟先生。
京大の心理学部ご出身でありながら、鍼灸師でもいらっしゃり、他にもたくさんの顔をお持ちの先生です。
私は個人的に、セラピストとして成長していきたいと思った時、藤原先生には是非学んでみたいと思う先生のお一人です。
お二人とも素晴らしい先生です。

単独講座には、京都・大阪で個人開業をされている4人の先生方。
こちらも、名実ともに素晴らしい先生です。

まずは、HPを観てみてください。
私は事務局として、ほとんどの講座で会場におります。


今年は、場の共有が、ひとつの大きなキーワードだと思っています。
ご興味ある方、是非ご一緒しましょう^^
お待ちしています。


 感謝と愛をこめて



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by ramram-yoga | 2018-01-26 21:36 | Infomation | Comments(0)
問題に愛されている
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昨日の記事で「問題に愛されている」ということを書きました。
一見、よく理解ができないかもしれません。

過ぎて振り返ってみれば、あの問題が自分を成長させてくれたんだな。
もちろんそういう見方もあります。
でも、それよりももっと積極的な愛を、今目の前にある問題は、あなたに向けてくれているのではないでしょうか。
私には最近、そう思えて仕方がないのです。

私は自分が元摂食障害で、勤め先のクリニックでもそれをオープンにしているので、よく摂食障害患者さんのカウンセリングを受け持ちます。
中には20年、30年と、ずっと過食嘔吐を繰り返している方もいらっしゃいます。
時々、その方々を見て思います。
この方は摂食障害があることで、もっと大きな病気や問題から守られているのではないだろうか、と。
それは私の憶測にすぎないかもしれません。

また、食べて吐く、という行為がやめられないのは、とても辛いもので、時に絶望すら感じさせます。
そして、とても孤独です。
でも、ある時気づきました。
いくら孤独で辛い時も、食べ物がずっと、私のそばにいてくれたのです。
本来、食べ物は生きるための糧。
そして、「美味しいね」と喜んでもらって消化され、人の栄養になるのが、食べ物の本望でもあるでしょう。

にもかかわらず、味わわれることもなく詰め込まれ、その後吐き出され、トイレに流されていく。
摂食障害の人と共にいる食べ物は、そんな役割を甘んじて引き受け、ずっと苦しんでいる人のそばに、いてくれたのです。

私は、もう過食嘔吐をやめると思ったその日に、それまでずっと自分に寄り添ってくれていた食べ物たちのことを、走馬燈のように思い出しました。
そして、感謝の言葉が、口をついて出てきました。

これまでずっと私を助けてくれて、守ってくれて、ありがとう。
あなたたちがいたから、私はここまでくることができました。
今の私がいるのは、あなたたちのおかげです。
もう、あなたたちがいなくても、私はやっていけるようになりました。
今まで本当に、ありがとう。


そんな風に考えてみると、私たちは、自分が忌み嫌っているものからすらも、というよりそのようなものからこそ、深く愛されているのかもしれません。



  感謝と愛をこめて





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by ramram-yoga | 2018-01-23 19:40 | 摂食障害 | Comments(0)
常識のカベ
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一昨日は、京都駅すぐの明覺(めいかく)寺にて、「常識のカベ」というイベントがあり、ゲストスピーカーをさせていただきました。
常識のカベでお話をさせていただくのは、今回で2回目。

内容は、私たちの存在の本質について、そして、その本質である「いのち」を体現し輝く生き方について。
とにかく今自分の感じていることを率直に、自分の言葉でお話させていただきましたので、どこまで受け入れていただけるかな?と思っていたのですが、そんなことを案ずる必要は全くなかったようです。
集まった方々は、僧侶の方、臨床心理士の方、ヨーガ関係者の方など、かなりその道を深めている方ばかりでしたので、おのずと話題が広がりを持ちながらどんどん深まっていきました。


ヨーガでいうところの真我(アートマン)について、僧侶の方が仏教の立場から再解釈してくださり、これがとっても面白かった!
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ヨーガと仏教は、よく違いについてクローズアップされますが、本質的なところを共有する視点に立てば、真理は同じですね。
そういう意味でいえば、この世の中の数々の思想に何も間違いはないのでしょうね。
ただ、その人の認識の枠組みの違いによって、ひとつの真理が多様に理解されている。
その多様性こそが、この世界の面白みなのだと思います。


後半は面白い実践も行い「わー!」「へー!」「えーっ?!」の連続でした^^

そして、私たちの本質である愛を、日常でどう実践していくのかについての提案も、しました。

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すべてのものに愛の側面を見出し、そこと付き合ってみることの提案です。

自分が歓迎しない、忌み嫌っているものから、愛を受け取るにはどうすればいいか。
コンビニのおにぎりからどんな風に愛を見出すかについても(この話題は結構盛り上がりました笑)。

すべてのものに愛を見出すことができれば、私たちは本当に好意的な世界に生きていることが分かってきます。
求める必要は全然なくて、今この瞬間に、幸せになり、完全性を見出すことができるようになる。
今、この瞬間に、どこまで完全性を見出すことができるか。
それが、本当に奥深くて面白い挑戦ですね^^


参加してくださった方が翌日「昨日のおかげで今朝はとても清々しかったです」と、嬉しいメールをくださいました。
こんな風にして、愛と幸せの輪が広がっていくといいなぁと、思っています。
きっと、それが私たちの本質です。
本質に立ち戻っていけば、いいだけです。

その為にはまず、自分が幸せで満ちたりていること。
とにかく、自分の意識状態に対する自覚を深めて、責任を持てるようになっていこうと思っています。
今年は、自分の感性を信じて、突き進んでいきます^^



   愛と感謝をこめて 






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by ramram-yoga | 2018-01-22 23:29 | 活動記録 | Comments(0)
愛に生きる
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ヨーガのクラスの後、しましま食堂 へ。
愛がいっぱいのしましま定食750円。

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その後、こちらも大好きなヒロコーヒーで、次の仕事に行くまでつかの間のカフェタイム。
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エーリッヒ・フロム著「愛するということ」、良かったです。

愛は能動的な活動であり、受動的な感情ではない。
そのなかに「落ちる」ものではなく、「みずから踏み込む」ものである。

愛とは、特定の人間にたいする関係ではない。
愛の一つの「対象」にたいしてではなく、世界全体にたいして人がどう関わるかを決定する態度、性格の方向性のことである。

一人の人をほんとうに愛するとは、すべての人を愛することであり、世界を愛し、生命を愛することである。
誰かに「あなたを愛している」と言うことができるなら、「あなたを通して、すべての人を、世界を、私自身を愛している」と言えるはずだ。

**********


だんだんと、確信を持ちつつあります。
すべては、愛のあらわれであるということに。

どんなものの中にもきっと、愛の側面があります。
低められているものの中にも、粗悪と呼ばれているものの中にも。
忌み嫌っているもの、怨み続けているものの中にも。
自分が問題と思っているものに、実は愛されているとしたら…?
障害と思っているものに、守られ、助けられているとしたら…?

そして、私たちが向かっているのも、よくよく観察してみるとそこには愛しかない。
いろんなものに引き付けられているようで、その対象物の本質は愛。
愛以外に、本当の意味で私たちを惹きつけるものなんて、ないのではないでしょうか。

大切なことは、どれだけそこに愛を見出せるか。
すべてのものの中に愛を見る、そんな生き方をしていきたいです。


***********


最近はずっとバッハのカンタータです。
カンタータの曲数は、膨大。
今日はBWV37。




 感謝と愛をこめて

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by ramram-yoga | 2018-01-18 23:58 | ことば・メッセージ | Comments(0)
ラディカルとマージナル
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昨年春から通年で通わせていただいていた、京都大学の「現代社会論」のゼミも、今日で最終回でした。
このゼミには学生さんや院生さんだけではなく、社会の様々なフィールドで活躍されている方々が集まり、非常に多方面・多次元からの新たな視点がもらえました。

私にとって昨年は、自分の認識が大きく変容した年でしたが、その変化はいつもこのゼミでの内容とリンクしていました。
その意味でも、このゼミの時間は私にとってかけがえのないものでした。

授業の最後に、広井先生が、「卒業生にいつも伝える言葉です」と、2つの言葉をくださいました。

 ラディカル Radical
 …過激と訳されることもありますが、もう一方に「根源的」「根本的」という意味があります。
  ここで先生がおっしゃったのは、後者の方。

 マージナル Marginal
 …直訳すると「周辺」「環境」。
  ここでは、ひとつのパラダイムに閉じこもらず、それを超えていく横断的なさま。

そして、上の写真のような表彰状もいただきました。

私はこのゼミで学んだのは、問い続ける姿勢でした。
得たい答えがあるのなら、率直に問う。
妥協せず、誠実に。
自分が納得するまで、決してあきらめずに問い続ける。
そうすると、必ず何かが変わり始め、動き出すという確信を持ちました。

終了後、個人的に広井先生にお礼のご挨拶に行くと、まだ私も道の途中ですから、これからもよろしくお願いしますと、笑顔で言ってくださいました。
見識・人格ともに素晴らしい先生に巡り合えたことに、改めて感謝しました。

「これでいい」と思った瞬間から後退が始まる。
どこまでも生成発展していく、これこそが、いのちを生かし切って輝く生き方ですね。


さて。
最近あまりブログを更新できていないのは、あるプロジェクトが大詰めの段階に入ってきているからです。
実現に向けて、昨年からそちらにエネルギーを投入しています。
もうすぐ、生まれます^^

こちらでも、またお知らせいたしますね。
来週あたりかな?


   愛と感謝をこめて



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by ramram-yoga | 2018-01-17 21:21 | 社会的視点 | Comments(0)
物も目的を持っている
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まだ、こま付き自転車に乗っていた頃。
誤って、道路脇の田んぼに自転車ごと落ち、私も自転車も泥だらけになりました。
母に泥だらけの身体を洗ってもらいながら「自転車さんがかわいそう」と泣いた記憶があります。
あの頃は、身の回りのいろんな物にも魂が宿っているような世界観の中で生きていました。

それから成長し、大学で受けた発達心理学の講義で、”アミニズム”という概念を学びました。
アミニズム(aminism)とは、全てのものの中に霊魂が宿っているという考え方で、その講義ではそれは幼児に特有であり、成長するにしたがってアミニズム的感覚は無くなっていくという風に学びました。
つまり、すべてのものに霊魂が宿っているという考え方は稚拙だというのです。
実際そのように習ったかは定かではありませんが、私自身はそのように感じ、ある種のインパクトを伴った記憶として残っています。
それ以降、自分の中に生じてくる、例えば植物や物に対し擬人化してしまう自分の傾向を、知らず知らずのうちに恥じ、否定してしまっていました。
確かに、近代科学の立場からすれば、このような世界観は非科学的なものの最たる類のものであり、批判の的でもあります。

でも、ヨーガや気功等に触れるようになり、”氣(プラーナ)”というものの威力を実感すればするほど、再びこのアミニズムの世界観が立ち戻ってくるのを、感じています。
そのような感性をひらいていくと、確かに物は、何かを発しています。
これは一方で素粒子物理学の見地からも事実でもあって、全ての物質は振動することによって何か発している訳です。
時には物から話しかけられているように感じます。
きっと、私が人間であることによって、本来人格でないものに対しても人格という枠組みを通して認識をしているのです。
人に働きかけると返事が返ってくるように、物に意識を開くと、物からの働きかけがどんどん増えていくのを感じています。
そして、その物とのやりとりが、始まります。

このようにして、物に耳を傾ける、ということをしていると、物にも目的のようなものがあるということが分かってきました。
人間に生きる目的があり、役割を果たすことで生きがいを感じるのと同じように、物にも持って生まれた目的があり、それを果たすと満足するようです。
というのも、物が発する波動を感じていると、ある状態になると波動が良くなる(ノイジーな感じや不穏さが無くなり、柔らかみのある細かい波動になる)、ということが感じられるからです。
それは、ひとつは使っている人の役に立つこと。
特に、自分を使ってもらうことでその人に喜んでもらえると、物はとても嬉しく満足するようです。
もうひとつは、あるべき場所にあるということ。
そして、美しく綺麗な状態を保っておくということ。

例えば、ドア。
ドアは、開けっ放しだと、少しだけ不穏な波動を発しています。
開けた後は閉めてあげると、ホッとしたように波動が落ち着きます。

ゴミは、道端に捨てられていると、悲しそう、または寂しそうに感じられます。
まだ、道半ばなのです。
拾って、「ありがとう」と言ってゴミ箱に捨ててあげると、安心した波動になります。

持ち主のところに戻れていない物。
知人が私のサロンにヨガマットを置きっぱなしにしていたら、なんだかずっとそのヨガマットが気になります。
しばらくそのヨガマットに意識を向けていると、あぁこのヨガマットは、持ち主のところに帰りたいんだ、ということが分かりました。
その方に、自宅に持って帰って使ってあげてくださいとお伝えしました。

家にある、あまり使っていない食器も、使ってもらうのを待っています。
時々は「今日はあなたを使わせてね」と、使ってあげると、食器棚に並ぶ食器たちがピチピチとした生気を帯び、光の粒子をまとって生き生きとしてくるように感じられます。


でも、これらは結局、掃除や整理整頓といった、日々の行いをきちんとやっておくことなのですよね。
それが、物から発する波動を良いものにするということであり、昔から大事にされている”整理整頓”は本当に大切なんだなぁと再確認しました。


**************


以上、物について最近感じていることでした。
それが本当なのか嘘なのか、という問題は置いておくとして、このアミニズムの世界観の中で生きることが、生活をとても豊に彩ってくれています。
物をただの物として時にぞんざいに扱うよりよっぽど、心が穏やかです。
そういうことでいえば、世界をどのように解釈するかという点で大切なのはきっと、それが正しいかどうかではなく、豊かさをもたらすかどうか、です。
最近は、一人でいても物と対話しているので、静かで好意的な友達に囲まれているような感じがします。
何かしようとすると協力してくれ、困った時は一生懸命助けようとしてくれるように感じます。
それは、やっぱり、私たちはどこかですべてつながっているからです。

そういう意味では、私たちは実は、とても好意的な世界の中で生きているのではないでしょうか。
苦しい時、しんどい時、辛い時というのは、自分を他者や自然と断絶してしまっている状態の時に起こってきます。
それはイコール、自分自身との断絶でもある訳です。

目に映るすべてのものが自分に好意的である世界に、一緒に心を開きませんか^^
たくさんのいのちのあらわれと触れ合いながら、存分に謳歌したいものです。
せっかくこんな美しい世界に、生きているのですから。



   愛と感謝をこめて

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by ramram-yoga | 2018-01-13 21:52 | 最近のいろんなこと | Comments(0)
私の原点
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この3連休はまだ年始ということもあり、ほとんど何も予定が入らず、主人と息子との3人で一緒に過ごしました。
時間がゆったり流れ、息子が一人で遊んでいる傍ら本を心ゆくまで読み、時々3人で近場にでかけたり。
そして、思いの他楽しかったのが食事作りでした。

元々食事作りは好きだったのに、特に去年引っ越してから一時食事作りが面倒に感じたことさえあり、自分でもびっくりしました。
それだけバタバタしていて余裕がなかったのですね。
時間的な余裕を持つことの大切さを感じました。

食材をゆっくり選び、ちゃんと出汁をとり、好きな音楽をかけて台所に向かい、丁寧に食材と向き合い、そして家族3人そろって食べる。
そんな何気ない普段のことが、こんなにも心を豊かにしてくれるなんて。

引っ越して新しい土地に移り住んで、早いもので3か月が経とうとしています。
新しい環境になり、それぞれ新しい生活を始めた3人ですが、驚きや喜びを一緒の立場で共有できる家族の存在のありがたさをしみじみと感じました。
私の原点はいつもここにあるということを、再確認。

去年はとにかく激動の年で動き回っていましたが、今年は腰を据え、出向く場所や仕入れる情報を取捨選択しながら、心にいつもスペースを持って過ごしたいと思います。

さて。
年末年始ですっかりエネルギーチャージができました。
しばらくゆっくりしていたら、動きたくてうずうずしてきました(笑)
明日から、本格始動です!



今日の料理のお供をしてくれた音楽は、バッハのカンタータでした。



  愛と感謝を込めて

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by ramram-yoga | 2018-01-08 19:31 | Comments(0)
個人において大我があらわれ出る生き方とは
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12月31日の早朝、瞑想をしていた時のこと。
その前の晩から、何か起こりそうな予感はしていました。
瞑想に入ると、間もなく頭部で、大きな力が生じてきました。


アジュナ・チャクラ(眉間)に抗えないような力がかかり、ザザザザーと後ろに押されていきます。
眉間の何が押されているのかというと、主体となっている視点が、です。
その力はしばらく、有無を言わせず眉間にかかり続け、だんだんと視点が後ろへ後ろへと押されていきます。
思わず後ろにのけぞってしまうほどの、強い力です。
ひとしきり押された後、その力は、嵐が過ぎ去ったように止みました。
静けさが戻ってきた頭の内部を観察してみると、なんと、いつも眉間にあり、これまでいつも視点がそこから発現していた主体の位置が、後頭部に移動していました。

それから数日たちますが、それまではいつも様々な物事を見ていた主体が、その機能は保ったまま客体化している状態が続いています。
つまり、それまでいつも主体の側だったものを観ているもうひとつの主体が浮かび上がってきて、その視点から物事を見ているという状態です。
いろいろなことがあると、それに対して直接感じてあれこれ思っている意識もあるのですが、それを少し離れて俯瞰しているもうひとつの意識の方が、今までになく強くなってきている、そんな感じです。

**************

私たち一人ひとりが当たり前のように「私」と感じている”個としての我(自我意識)”と、全てに遍在する”大きな我”。
”個としての我”から自らを解放して、そこに”大きな我”が顕れ出る時、実際にどんな風になるのでしょうか。
わたし自身はこれまでのイメージは、もうそこまで来ると肉体を持っていないだろうとか、もっていたとしても生前解脱のようにごく限られた人にしかもたらされない状態だというものでした。
そして、何か自分が自分でなくなってしまうような不安にも似た感情を覚えていました。

でも。
実際は、そんなに大そうなことでも、難しいことでもないのではないでしょうか。
なぜなら、すでに私たちは、もともと大いなる”いのち”のあらわれなのですから。
”私”という枠を緩めて、その枠から溶け出して、大いなる”いのち”の流れと合流する。
一滴の水が大海に落ちて、海と一滴とが不可分になるように。

大海と不可分になってしまうことで、その一滴が消滅してしまうわけではない。
その大海原と一体になって、ずっとあり続ける。
それと同じように、この意識が、大きな我と合一することでなくなってしまうわけではない。
むしろ、今私たちが普段”意識”と呼んでいる意識が、もっともっと範囲を広げ、すべてのものに明瞭に気づいている意識にまで拡大していくのではないか。

あぁ、そういうことか。
今、書きながら気づきました。
10年以上前からヨーガの師にずっと言われ続けてきた「意識化の範囲の拡大」とは、こういうことなのか。
ヨーガにおいて”個の意識を無くす”と言われることの意味。
それは、実際に無くなってしまうということではなかったんだ。
この限定的な意識の枠を取り外して、どんどん広げていく、ということなのですね。
だから、どんどん意識が清明になり、よりいろんなことに対して明瞭に気づくことができるようになるのですね。

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今日の”わたし”との対話です^^


   感謝と愛をこめて





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by ramram-yoga | 2018-01-04 23:27 | 瞑想 | Comments(0)
京都のお寺でお話&ワークショップをします
新年が明けましたね。

今年は、たくさんの人の意識が大きく変革する年になると思います。

そのためのポイントとして、今感じていることが、3つほどあります。


 1.固定観念や今までの常識・価値観から根本的に脱却していくこと。

 2.自分が本当に何を求めて生きているのかを見極め、自覚すること。

 3.場を共有すること。


特に3を、今年は意識してやっていきたいと思います。

一人ではなく、同じ感性や方向性を持つ人たちと場を共有することの威力を、感じています。


今月、京都のお寺で、お話&ワークをさせていただくことになりました。


 テーマ:常識のカベ
     「いのちが輝く生き方 -心理学からみつめるこころとからだの関係-」

 日 時:2018年1月20日(土)14:00~17:00

 場 所:明覚寺京都府京都市下京区新町通正面下る平野町783
     京都駅から徒歩10分ほどの場所にあります。

 参加費:2000円



普段の何気ない心の状態が、いかに自分の身体や、見ている現実と密接に関連しているか、そのことをお話とワーク、そして皆さんとのディスカッションを通して深めていきたいと思います。

キーワードは、「わたしはあなた」と「愛」です^^

参加ご希望の方は、こちらのお問合せフォームよりお申し込みください。
※お問合せ内容に「1月20日常識のカベ参加希望」とご記入ください。


前回、同じイベントでお話をさせていただいたときの記事は こちら
素敵なお堂で、入るだけで落ち着きます。

じっくり深めていきたいと思います。


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数年前から事務局をさせていただいているプロジェクト「いのち」でも、今年はまた数々の素晴らしい講師陣の講演会&合宿を企画しています。
HPはこちらよりどうぞ。
私は3月の合宿は仕事が重なって参加できませんが、他の定例会はほぼ毎回参加する予定です。


後は、4月から始まる新たなプロジェクトがあります。
今月中旬には、こちらでもご案内できると思います。


以上、色々とご案内でした。
もし、今のあなたにフィットするものがありましたら、是非ご一緒いたしましょう^^



※ サロン(ラムラム・ルーム)のHPは こちら です。

    感謝をこめて


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by ramram-yoga | 2018-01-02 18:57 | Infomation | Comments(0)