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カテゴリ:最近のいろんなこと( 76 )
ありがとうございました
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このブログで記事を更新するのも、これで最後になりました。
ここまで読んでくださった皆様、どうもありがとうございました。
そして、このブログにも感謝をしたいと思います。

この10年間、繰り返し繰り返しこのブログに意識を向け、記事を上げ続けてきたことで、ブログ自体にいのちが吹き込まれ、ひとつの意識体になっているのを感じます。
さっきまで、このブログの意識と対話をしながら、感謝の思いを伝えていました。

10年間、かなり思いを注いできたブログなので、結構、重厚感のあるプラーナを想像していたのですが、意外や意外。
なんともいえず精妙で爽やかな雰囲気のレスポンスが返ってきました。

この10年間、どうもありがとう。

そして、新たなスタートに、今とてもワクワクしています。
近日中に、こちらに新しいブログとウェブサイトの案内を、させていただきますね。


愛と感謝をこめて



by ramram-yoga | 2019-02-01 23:04 | 最近のいろんなこと | Comments(0)
今ここ
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あけましておめでとうございます。

私の最近の関心事といえば、前々からちょくちょく記事にも書いていますが、もっぱら、存在の中心点について、です。
この、中心点を究めていくということが、こんなにも面白いとは。

では具体的に何をやっているのかというと、日々のごく普通にやっていることを極めていく、ということ。
例えば、さっき、飲み物を飲もうとしたときに、その飲み物を入れるコップを適当に選ばずに、「これで飲みたい!」と感じるコップを少し時間をかけて選びました。
そんなことです。
「これでいい」という感覚で選択するのをやめて、「これがいい!」を突き詰めていくのです。
それを、一つ一つの行動において、やっていきます。
朝、「今日はこれをしよう」と思っていたけれど、実際やる時になって、「今本当にこれをしたいのか?」ともう一度問いかけてみる。

こんなことを繰り返していると、惰性というものが無くなって、意識が今ここに集約されていきます。
なぜかと言うと、惰性からくる行為というのは、過去や未来にひきずられている意識状態によって生じるからです。
惰性から抜け出して、その瞬間瞬間を意識的に選択できるようになると、過去や未来がリアリティを持たなくなり、まさにリアリティとは今・ここでしかないという感覚が、充実した身体感覚とともに意識されるようになります。

すると、エネルギーが自分の中心にギューッと凝縮されて、中心点の密度が濃密になっていきます。
あくまで、これは私の感覚です。
この中心点というのは、3次元的なものではないのですが、でも確かにあると感じます。
そうすると、身体的には丹田が圧縮して、肚が決まる。

中心点が極まるとともに、他人との比較による劣等感や焦りもなくなっていきます。
ネガティブな感情が伴う比較とは、自分の中心点がブレた時に、ただ自分が映し出している幻影にすぎないからです。

自分が出会う人、触れる情報、出来事等は、実は自分が生み出していたのだなぁということを、しみじみ感じます。
例えていうなら、自分が選んだフィルムを映写機で映し出し、それを自分で観て体験している訳です。
受動的な要素がなく、主体的でしかあり得ません。

あなたが今日出会った人、印象に残った言葉や、感じたこと。
それは、まさにあなたが自分にそう体験させているということです。
そのようにして、関係性の中で、周囲に自己を映し出すことによってはじめて、あなたに「私とは誰か」という問いが起こり、自己を自覚しようとする働きがはじまるのです。

さて、今年はどんな一年になるでしょうか。
というより、私は、そしてあなたは、今年どんな世界を生み出していくのでしょうか。
今この記事を読んでくださっているあなたと、どこかでご一緒できれば嬉しいです^^


愛と感謝をこめて






by ramram-yoga | 2019-01-08 00:33 | 最近のいろんなこと | Comments(0)
存在の中心点を究める
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またまた、しばらく更新できていませんでした。
今、お腹の中には新しい命が宿っています。
10月中旬からしばらく、つわりでなかなかパソコンに向かうことができませんでしたが、無事安定期を迎え、ここ一週間で大分楽に生活できるようになりました。
出産予定日は来年の6月中旬で、経過は順調です。
これからまた少しずつ、ブログも更新していこうと思っています。


******************


最近、自分の方向性がかなりはっきりしてきたように感じています。
以前までは、真実を悟りたい、あるいは今自分にないものを得てもっともっと向上していきたいと、常にどこかへ向かって走っていましたが、そのあたりの感覚が、全く違ってきました。
自分の立ち位置を、自己存在の中心に定め、その中心点をどんどん極めていく、という感覚です。
方向性の、外向きから内向きへの変化。
やってみると、これがものすごく面白い。
中心が定まった状態が固定せず、常に動的なのです。
どういうことかというと、中心が定まると、さらに深い中心点が視えてくる。

具体的にどういうことをやっているかというと、すごくシンプルです。
妥協しないということ。
本音と建前があるとするなら、建前をスパッとやめていく。
人に対しても、世間体に対しても、自分自身に対しても。

例えば、何かをやってみたい!と思った時。
その後に「でも…」という思考が出てきて、やりたいことにブレーキをかけるなら、これは妥協です。
逆に、本当はやりたくない、やめたい、しんどくて嫌、と思っていることがある時。
その後に「でも、やっておいた方が無難だから」とか「やらないとあの人にああ思われそうだから」とか、「この人にすすめられたから」などと言い訳をしてそれにしがみついているなら、それが妥協です。

それをやってみることの、あるいはやめることに対する、恐れ。
その恐れから目をそらすのではなく、愛と関心を持って、観察してあげる。
そして、手放してみる。
つまり、思い切ってやってみる、勇気を出してやめてみる。

すると、誰も、何も、自分に対して影響力を持つなんてことは、実はできなかったのだという真実が、ありありとあらわれてきます。
私以外の何も、私を支配することはできない。
私以外の誰も、私を苦しめることはできない。
もし、外側の何かに支配されているとか、苦しめられているという感覚を持つなら、それはただ、あなたが自分でその対象に力を与えていただけです。
力を与えることを、やめさえすればいいのです。
あなたがあなた自身を解放し、幸せにしていく力は、あなたがすでに持っているのだから。

そういう私も、まだまだ粗い。
大きなことをする必要はなくて、日常の一つ一つの小さな行動を、妥協せず行っていく。
今その一口は、本当に自分が食べたいものなのか?
その服は、本当に自分が着たいものなのか?
その情報は、本当に自分が欲しているものなのか?
妥協しないことを繰り返す度に、自分がしがみついていたものが手を離れていきます。
最初は怖いけど、やってみる。
すると、これまで建前ばかりで塗り固めていたために鈍り切っていた、本来のいのちそのものの感性が、生き生きと躍動しはじめます。

すると、自分の中心点が極まる。
そして、それは身体感覚にあらわれます。
丹田が充実し、肚が決まる。

今日もまたひとつ、あるものを手放しました。
手放して初めて、意外とそれから影響を受けていたのだと気づきました。
手放すと、それにずっと与えていた力が自分に戻ってきて、その後からの丹田の感覚がすごかった。
ドーンと、今までになく肚が決まり、身体感覚も今までになくリアリティを伴っています。

さて、綴りたいことはたくさんあるのですが、またのタイミングで書いてみたいと思います。
皆様、よい新年をお迎えください。
来年もどこかでご一緒できるのを、楽しみにしています^^


愛と感謝をこめて

by ramram-yoga | 2018-12-31 03:11 | 最近のいろんなこと | Comments(0)
世界は私の在り方に即時即応している
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一昨日のブログが2か月ぶりの更新となってしまっていました。
なかなか更新できない状況でしたが、またまた新たな発見の連続で、楽しみながら生活していました。

最近、今まで出会ったことの無い情報と触れる機会が出てきました。
それに伴って、現在の世界観がある短い文章に集約され、ことあるごとにその文章が繰り返し浮かんでいます。
それが以下の言葉。

 「世界はわたしの在り方に即時即応している。
  世界はわたしそのもの。」

自分の意識状態が変わると、目に映る風景が変化し、そして新たな展開が始まる。

突き詰めていく対象があるとすれば、それは外側ではなく、自己の中にある。
自己の在り方、意識状態を、もっともっと極めていくことしか、結局私にできることはないのではないのだし、それをこそこれからしていきたい。

そんなことを思う、今日この頃です。

また、少しずつ更新していきますね^^


愛と感謝をこめて

by ramram-yoga | 2018-11-26 21:56 | 最近のいろんなこと | Comments(0)
演劇の舞台へ
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時々、患者さんやヨーガの生徒さん(以降、総称してクライアントさんと呼びます)から本や音楽、動画などを紹介してもらったりするのですが、それらにはできるだけ触れるようにしています。
その方の世界にそっと入らせてもらうような、私にとって貴重な機会でもあります。

私にとってクライアントさんの存在は、自分と切っても切り離せないくらい密接に関連しています。
これから進むべき道を照らし出して導いてくれる存在でもあり、また、共に切磋琢磨して気づきを深めていく同志のような存在でもあります。


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昨日は、もう長い付き合いになるクライアントさんが出演する演劇の舞台を見に行ってきました。
彼女の演劇を観に行くのは初めて。

強い生命力がほとばしり、それはそれは迫真の演技でした。
すっかり物語の中に入り込み、気が付けば2時間弱の公演時間があっという間に終わっていました。

目の前で役を演じ切る彼女の姿を目の当たりにし、不思議な感覚に見舞われました。
苦しんできた姿を知っているからです。

舞台の上の彼女は、自分の中心に軸を持ち、肚から声を出し、そして周りを引き込む魅力を放っていた。
完全に、与える側でした。
「無い、無い」と、嘆く側ではなく。
現に、一日経過した今、昨日の舞台でものすごいエネルギーをもらっていたことを感じています。

いちファンとして、これからの彼女の活動を楽しみに見守りたいと思います。



愛と感謝をこめて









by ramram-yoga | 2018-10-08 22:54 | 最近のいろんなこと | Comments(0)
人間存在としての可能性を発揮する
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最近「妥協しない」ということを突き詰めていくのがとても面白い。

スケジュール、持ち物、服装、食べ物…。
意識化が可能な範囲において、「なんとなく」という感覚で選ぶのをやめていっています。

損得勘定や、周囲からの目、常識からも離れていきます。
そして、過去の成功からも離れ、未来を予想しての守り体制からも離れ、たった今の自分はどう在るのか。

そこに意識を向けた時、ピタッと寸分の違いなく、「これだ」とわかる。
その感性を、もっともっと研ぎ澄ませていきたいと思います。

そして、気づきました。
今までいかに、多くのものを無自覚的に受け入れていたか。
引き受けなくてもいいものを、いかに引き受けていたか。
それらが自分の意識を粗くさせ、覚醒を鈍らせていた。

妥協しないということは、意識化がきめ細やかになり、より多くのものに気づいているということ。

妥協しないでいると、いつかと思っていることの多くが今ここで展開し始める。
いつかしたいなと思っていたことも、未来を待たずに今すればいい。
いずれこうなっていきたいと思っている自分に、今ここでなればいい。

すると、未来だと思っていた展望が、まさに今ここに実現し始める。
そして、人間存在の可能性が余すことなく発揮され始める。
ものすごいエネルギー、そしてものすごい圧縮です。


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先日から習い始めた英文読解。
スラッシュリーディングという手法を学んでいます。

まだ2回レッスンに行っただけですが、あんなにちんぷんかんぷんだった英語の羅列が構文として見られるようになり、驚くほど読みやすくなりました。
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11月17・18日に開催するライフ・ポートフォリオは、残席1名となりました。
ピン!と来た方、きっとご縁です。
「人生の意味を創る」2日間を、ご一緒しましょう^^


感謝をこめて


by ramram-yoga | 2018-10-06 23:01 | 最近のいろんなこと | Comments(0)
期待されなくても大丈夫
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心の反応の仕方の癖は、人それぞれあるものですが、本人は無自覚である場合が多い訳です。
なぜなら、その人にとって、それが当たり前だから。
苦しい時やしんどい時、必ずそこには、その人特有のこだわりが関係しています。

ですから、苦しみを手放そうとするときは、まずは自分の心の癖に気づき、自覚していく作業が必要となります。
自覚すると、手放すという次の段階に進むことができるのです。
でも、この自覚の作業は、案外ヘビーだったりします^^

私の場合も、自分の支配性を突き付けられ、自覚したあたりからいろんなことが変わり始めました。
前は、誰かに頼りにされたり求められたりされるように、いろんな役割を進んで引き受けていました。
でも、今はあまりそんなことはしません。
別に、誰かにとって頼りになる存在じゃなくても、よくなったのです。
「あなたのおかげで助かるわ!」と言われるのは嬉しいですけれど、それを過剰に求めて自分のよりどころにすることは、無くなりました。

「期待されない私はダメ」から、「期待されたら嬉しいけど、期待されなくても大丈夫」。
この変化が、不安感から、安心感へのシフトをもたらします。
ここのシフトができた時の、率直な感想は・・・
「あぁ、期待されなくてもいいって、なんてラク!」

こんな風に、実際の心の反応や行動の変化を実感すると、自分は変わったな、と思います。
以前は口が裂けても言いたくなかったことも、抵抗なく言えるようになってきていて、自分を苦しめていたこだわりを、少しずつ手放せていけているように感じます。

本当は、誰も自分のことを苦しめていなかったのだなぁ、自分で自分をがんじがらめに縛り付けていたんだなぁと、改めて思います。
浮き輪と同じで、手放して放っておけばぷかぷか浮いているものを、わざわざ押さえつけて沈めておいて「浮上できない、苦しい!」ともがいているのですよね。
楽になるには、ただ、押さえつけている自分の手を放せばいいだけだったりする訳です^^



愛と感謝をこめて




by ramram-yoga | 2018-09-22 00:30 | 最近のいろんなこと | Comments(0)
巧妙に働く支配性への気づき
もう10年ほど前のこと。
日本統合医療学会の研究総会が東京大学で開催され、ヨーガ療法学会がデモンストレーションをすることになりました。
そのメンバーになぜか私も選ばれ、安田講堂の舞台でヨーガの実演を行いました(真ん中の青い服が私、左がcocoroyogaの中島朋子さん、右がカルマヨーガスタジオ の生熊恵理さん、その後ろの白い服の男性はチャンドラ・スクール・オブ・ヨーガの古市先生と、大阪幹事長の澤先生)。

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ヨーガ療法士としてまだ駆け出しで、ヨーガを熱心に勉強していた頃です。
自分がメンバーに選ばれたと知った時、私の心の中の何かの波形が振りきれたかのように、過剰に反応したのを覚えています。
つまりは、嬉しかったのです。
心から尊敬し慕っていた師匠が、多数のヨーガ療法士の中から私を選んでくれたことが。
その嬉しさといったら、少し度を超えていて、自分自身でも少し驚いたほどです。
それから、どんどんヨーガ療法の世界にのめりこんでいきました。

それからの私は、いろんな場面で、そのコミュニティの中で良しとされることを熱心にやり、注目され、ほめられ、期待に応え、貢献することを繰り返していました。
それをすること自体、全く苦ではなく、喜びでもありました。
感謝され、頼りにされるポジションは、自分にとってとても心地の良いものでした。
でも、それらがどのようにして生じてくるのかについて、あまりはっきりと自覚できていませんでした。
自分にとっては、あまりに当たり前のやり方だったからです。

しかし、だんだんと見えてきました。
それらの行動は、自分の居場所を確保するためだったということに。
周りから評価されることで、好意的に感じてもらうことで、また頼りにされることで、私は自分の価値を確認しようとしていたのだ、と。
そして、教育分析(自分自身がカウンセリングを受ける)によって見えてきたのは、その動機に”主導権”というキーワードが入っていたということです。
つまり、支配的な魂胆もあったのだ、ということです。

これは、一見、見えにくい構造ですが、人間関係で生じるコントロールという力は本当に巧妙です。
例えば、人が誰かを頼る時、そこには支配性が生じることがあります。
頼られる人が、頼る人に対してコントロールという力が働き始めるからです。
頼りない人と、頼れる人のどちらの言うことに耳を傾かるか?というと、やはり頼れる人ということになりますから。

私は実は、支配的な人間だったんだ。
これは本当に認めがたいことでした。
認めるまで、時間がかかりました。
ですが、心理の師匠から、そのことを幾度となく直面化させられ、認めざるを得なくなりました。

ですが、認めてしまったら意外と楽でした^^


長くなったので、続きは次の記事で。



愛と感謝をこめて





by ramram-yoga | 2018-09-22 00:04 | 最近のいろんなこと | Comments(0)
からだに訊く
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最近のテーマは、「妥協しない」です。
これを、自分なりに突き詰めてみようと思っているのですが、何かを選択するときに妥協しないことを優先してみると、自分の選択や振る舞いが変わってきていて、面白いです。

言葉の感覚で言うと、選択や判断の基準が「これいい」から「これいい」へと、変わります。

今年の春ごろからかなり意識し始めたのが、自分のスケジュールの入れ方。
以前は、そのスケジュールを入れるのが可能かどうかで判断し、可能ならすぐに入れていたのですが、最近は新しくスケジュールを入れることに、慎重になりました。
結果、スケジュールにゆとりができ、バタバタすることが無くなりました。

今は、一つ一つのスケジュールを吟味して入れているので、日々の行事にとりかかる時に気が乗らないということもほとんどなくなりました。
また「これをやっておいた方が後々無難だから」とか「付き合いの手前」といった動機で行事に参加することも、減りました。
一度やろうと決めたスケジュールも、日が経って改めて「本当にやりたい?」と自分に訊き、あんまり気が進まなかったらやめます(迷惑にならない程度に^^)。

そして、結果的に、仕事を含めて”毎日好きなことしかやってない”という感覚が強くなってきています。
好きなことしかやっていないというと、少々我がままな感じもしますが、別の言い方をすると、自分がひとつひとつの作業を納得して能動的・主体的にやっている感覚が増してきている、という感覚です。

こんな風に、妥協せずにひとつひとつの選択をしていこうとするとき、頼りになるのはつくづく自分の身体感覚だなと思います。
からだが秘めている力には、心底敬服します。
まさに「からだは何でも知っている」。

ある事をするのかしないのか。何をするのか、どれを選ぶのか。
その時に、自分の身体感覚を静かに観察してみます。
すると、自分のからだが求めているときは、そのことを頭に思い浮かべると胸の奥がウキウキっとしたりします。
他にも、清々しくなったり、丹田が充実してくる感覚、地に足がつく感覚など、色々です。

からだこそが、頭でいろいろ考えることをよそに、私を予測もしなかった新しい世界に誘ってくれるのです。

「常識的にはこうした方がいい」、「誰々に言われたから」といった、既存の価値観や周囲からの評価からいかに離れ、からだの声を訊くことができるか。
難しいことではないのですが、結構勇気が要ったりします^^
そして、練習が必要です。
そういうことでいうと、ヨーガで長年身体感覚に繰り返し意識を向けてきた経験が、からだの声を訊くセンサーを鋭くさせることに役立ちました。

からだはすごい。
どんなすごい知識よりも、どんなに素晴らしい人の話よりも、私たちはこの自分のからだをこそ深く探求していくことで、そこに眠る計り知れない智慧の宝庫に出会うことができるのではないでしょうか。


愛と感謝をこめて



by ramram-yoga | 2018-09-19 20:15 | 最近のいろんなこと | Comments(0)
意識科学の時代へ
研究会三昧の3連休です。
昨日はRam-Ram's Roomにて、専門職向けの催眠ワークショップを開催し、みっちり実習をしました。

今日は京都にて「宗教と科学の対話研究会」に出席。
この研究会ではいつも、自分が見ている世界を広げてくれるような示唆に富んだ内容のお話を、時代の最先端を行く研究者の方々から直接聞くことができるので、今回も楽しみにしていました。

タイトルは ”物質と精神を統合する意識科学~宇宙は高次元意識場「意識が物質・現象を創る」~”。

今回話題提供してくださったのは、人間科学研究所所長の米田晃先生と、前田技術研究所所長の前田豊先生でした。
お二人とも科学者であり、『意識科学 意識が現象を創る』という著書の編著者でもいらっしゃいます。

私も、今回の研究会に参加するにあたり、その本を読みましたが、最近の量子力学や素粒子物理学の研究を極めていかれる先生方の世界観と、仏教やヨーガ、そして”気”という概念を含むいわゆる形而上学における世界観とは、驚くほど本質のところで一致している、と感じました。

著書の中で、元通産相電総研主任研究官で、日本意識工学会会長でいらっしゃった猪股修二博士の言葉が紹介されていますが、そこにそれが端的に顕れているように思いました。


”この宇宙の究極の要素は意識である。
 物質とエネルギーは意識から生ずる。”


お話の中で、特に印象に残ったキーワードが”ゼロポイント”でした。
潜象界、つまり物質になる前のエネルギーが現象の世界にポンとあらわれ出る時、それはゼロポイントを介してである、ということ。
実と虚とのちょうど境にあるゼロポイント、極みの1点。

目の前にあらわれている現象をより根源的本質的に理解しようとするとき、必然的に目に見えない、精妙な次元に意識を向けざるを得なくなっていきます。
例えば、目の前のクライアントさんを見るとき、表面的な言動や感情的反応にフォーカスするよりも、その奥にあるエネルギー状態や、向かっていこうとする方向性のようなものを感じ取る方がより本質的な理解になると思って、そうしています。
ですが、まだまだ自分の感じとっているエネルギー状態は粗雑で、もっと精妙な視点からクライアントさんを見ることができないかと思っていたところでした。
その究極的な視点が、きっとゼロポイントにあるのではないかと、思っています。
ゼロポイントから、クライアントさんを見ると、どんな風に見えるのだろうか?
そこは二極性を超えている場所であるはずです。


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講師の先生は、お二人とも、人格的に素晴らしい方でした。
ゆったりとくつろいでいて、参加者のどんな質問にも真摯に耳を傾けて答えてくださいました。

私は特に米田晃先生に親しみを感じ、研究会終了後にご挨拶しましたが、ちょうど先生が1冊だけご著書を持参なさっていて、運よく購入させていただきました。
丁寧にサインもしてくださいました^^

いただいた言葉は、
「いのち輝かせて生きる!」
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愛と感謝をこめて










by ramram-yoga | 2018-09-16 23:00 | 最近のいろんなこと | Comments(0)