Ram-Ramのホームページはこちらをクリックして下さい
カテゴリ:ことば・メッセージ( 78 )
なんと無知だったんだろう!
a0118928_21231269.jpg


昨日受けたフラクタル心理学の「思考は100%現実化する」という言葉に衝撃を受け、まだ興奮冷めやらぬ状態です。
なんといっても、”一切の例外もない”のです。
これはすごい。

昨日のテキストの中に「あなたは誰の意志で生まれたのですか?」という質問がありました。
親・神・自分の3択から答えを選びます。
あなたならどれを選びますか?
私は神と答えました。
どうしようもなく自分の意思を超えたところから生まれたとしか、思えなかったのです。
でも、思考は100%現実化する、という理論から言えば、自分の意思で生まれたのです。
こんなことって、あるのでしょうか。
昨日その場で「私は自分の意思で生まれました」と口にしました。

私は自分の意思で生まれました。
その言葉の響きが大きな地響きのようにうなりながら、今まで自分で作り上げ固めあげてきた”生きていることに関しての大前提”を、ガラガラとなし崩しにしていきます。

今日は、この心理学を創始した宮崎なぎささんの「人生乗り換えの法則」を読んでいました。
その中で「なんと無知だったんだろう!」という一節があります。


**************

…「なんと無知だったんだろう‼」?

ええ、そうですとも!
「なんと無知だったんだろう‼」とみんなここに来て叫ぶのです。
「なんと無知だったんだろう!」…と心からね。
「なんと無知だったんだろう!」
…そう叫ぶたしに、あなたは無知から抜け出します。
あなたを覆っていた無知という分厚い衣から、あなたはやっと抜け出すのです。
さぁ、もっと叫んでください‼

「なんと無知だったんだろう‼」

叫べば叫ぶほど、あなたの無知は過去になります。
「なんと無知だったんだろう‼」
…あなたはいままで、幻想と戦っていたのですよ。
悪い人がいるという幻想。
「すごい」人がいるという幻想。
理由のない幸運があるという幻想。
理由のない不幸があるという幻想。
自分ではどうにもならないことがあるという幻想。
それがいつの間にかあなたをイライラさせてきました。
そして、さらにネガティブなことを増幅させていったのです。
本当に、なんと無知だったのでしょう‼

不思議な感覚でしょう?
あなたが一度も味わったことのない感覚。
…そう、ホラー映画を観た後に、映画館の外に出て空を見た時のような感覚に似ているでしょう。
空の広さにハッとしたような。
肩の荷が下りたような。
自分で自分の首を絞めていたことに気づいたような。
深い夢から覚めたような…。

宮崎なぎさ著「人生乗り換えの法則」より

*****************

わたしは、今私が思っているものと、全く違うのかもしれません。
「なんと無知だったんだろう!」と、私もこれからたくさん叫ぶことになりそうです^^


愛と感謝をこめて







[PR]
by ramram-yoga | 2018-02-18 21:51 | ことば・メッセージ
雲ひとつない青空
a0118928_17445087.jpg
先週土曜日は、フリーアナウンサーえみさん のワークショップに参加していました。
えみさんこと松原恵美さんは、2018年春から開講するいのちアカデミー の連続講座にお招きすることになっている方で、私もスタッフとして是非一度講座えみさんのワークショップを受けたいと思っていたのでした。

ワークショップの内容は、美構造開脚システムによる開脚セッションに加え、錬金術(つまり、頭に描いたことを実現化する)に関するセッションでした。
身体と言葉(音)、その根底にあるいのちに対する洞察の深さ。
自分にとって、また新たな次元がパッと開いたような感覚がありました。

一番印象的だったのが、セッションを受けた後の自分の感覚です。
一言でいえば、「雲ひとつない真っ青な青空」。
今まであたまでごちゃごちゃ考えていたのはなんだったんだろう?という感じです。
このブログを読んでくださっている方はよくご存じの通り、私、結構理屈っぽくてたまにメンドクサイところがあるのですが(笑)、そういうところは多分に自分で作り出してしまっているところがあることに気づきました。
今この瞬間ですっかーんと抜けた快晴の意識状態にフェーズを合わせることができるんだ!と気づきました。
気づいたら、あとは自分で選ぶだけですね。


******************


たとえ他人がどのように思おうとも、一切気にかけるな。
それは君には何のかかわりもないことである。

自分を最大の善を所有する資格あるものと考え、もはや何事によらず非理性的に行動する(理性の分別を害する)のをやめることを、きみはいつまで延ばすのか。
きみはすでに、それに従って身を修むべき教理を聞いたーきみはそれを承認した。
ところで、きみはなおどのような教師を持つのか。
そして彼に出会うまで、自己の改善を延期しようとするのか。

きみは完全な人間として、また進歩する人として生活する資格を持つものと、自分を思うがよい。
きみが正しいと思うものは、きみにとって犯すことのできない法律であるというようにせよ。
困難や侮辱に会えば、今こそたたかいの時であり、すでにオリンピアの競技は始まって、もう一刻の猶予も許されぬと考えよ。

初めに真理として認識したわずかなものをすぐさま実行に移すこと、これがより大きな認識に到達する唯一の道である。
まず最初に一切を理解して、その後にそれに従って初めて実行しようという人は、結局、始めないことになる。

ヒルティ『幸福論』より

********************




スッキリ快晴を自分の中に見出したい方、そして運命を超えていきたい方、いのちアカデミーのえみさんの講座で是非ご一緒しましょう^^
心よりお待ちしております。

えみさんがどんな方か知りたいかたは、こちらをご覧ください。



愛と感謝をこめて


[PR]
by ramram-yoga | 2018-02-13 18:09 | ことば・メッセージ
人間関係
a0118928_20401171.jpg
先日、人間関係で大きなフラストレーションを感じた出来事がありました。
こんなに感情的になったのは久しぶりです。
最近あまり人間関係で悩むことがなかったのでなおさら、この体験は新鮮なものでした。
今まで数年間、深い信頼感を持って付き合ってきていた人との間でのことです。

内蔵の動きが急速に悪くなり、お腹が空かなくなりました。
そして、肩・首の凝り、頭痛。
心的ストレスが瞬く間に身体にあらわれ、あきらかに身体全体が交感神経優位になっています。
ネガティブな感情が即座に身体にあらわれてくる様子を、わが身を持って復習中です(笑)

この時に感情的になって自己表現をする、というのもひとつの手ですが、感情というのは暗に相手に対する要求が含まれているということが往々にしてあります。
例えば、怒りを相手に伝えると、相手はその怒った相手の機嫌をとるような態度をとりはじめます。
ここで何が起こっているのかというと、怒りの感情によって相手をコントロールするという現象であり、一度感情によって相手がコントロールできるということを学習してしまうと、その人はそれからもそれを繰り返してしまいます。
その方が、手っ取り早いことを学んでしまったからです。

感情でお互いをコントロールし合う。
大切な人との間で、それだけはしたくないなぁと思うのです。
いままでいっぱい、失敗してきましたからね~^^; (遠い目)


*********

さて。
これは、時々ふいに訪れる習熟度テストであると理解しました。
私が今どれだけのことができ、さらに成長するために何が必要かを知るための。

そして、自分と相手をより深く理解するいい機会です。
パパっと目についた本を読みながら、どのようにこの感情が形成されてきたのか、少しじっくり自分と向き合ってみることにします。

まだ霧の中で、新たな境地が見いだせないでいますが(実際胃は重いし頭は痛いですが)、どうせなら、霧の中も楽しみましょう^^

愛と感謝をこめて








[PR]
by ramram-yoga | 2018-02-09 08:15 | ことば・メッセージ
自己超越とは
a0118928_20491805.jpg

自己超越とは、自らの存在の限界を超えようとすることだ。
システムが自己組織化を進め、自らのアイデンティティの限界を超えるとき、そのシステムは創造的になる。
自己組織化パラダイムにおいては、進化を全レベルでの自己超越の結果とみなす。
散逸構造や生命のミクロ構造から、地球や全宇宙に現れたさまざまなマクロ構造まで、あらゆるレベルで対称性の破れが時空を切開き、自己組織化システムのダイナミクスが展開していく。
しかし、ここに現れた時空構造は、安定したまま止まることはない。
それはさらに新たな構造へと進化を続け、おのおのの自己超越の臨界点において、未来を形づくるための新たな自由度が導入される。
複雑さは時間とともに展開し、過去を生きた経験と未来への創造的飛躍の双方を同時に映しだす。
そして構造同様、進化のメカニズムもまた進化を続けていく。
ここに見られるプロセスは、古くから言われるテオロジー(目標設定)的進化でもなければ、その現代版であるテレオノミー(可能なプロセスのシステム的ネットワークをたどった目標設定)的進化でもない。
自己組織化という新たなパラダイムに対応した進化なのである。
進化は基本的に<開いている>。それは自らのダイナミクスと自らが進むべき方向とを決定する。
進化のダイナミクスは、マクロ、ミクロシステムの相互進化が綾なすシステムの織物の中で展開する。
この動的相互連結をとおして、進化はまた自らの<意味>をも見出していく。

エリッヒ・ヤンツ著『自己組織化する宇宙』より



[PR]
by ramram-yoga | 2018-02-05 21:08 | ことば・メッセージ
進化における新規性と保守性
a0118928_215296.jpg

昨日の記事に引き続き、エリッヒ・ヤンツの「自己組織化する宇宙」について。

あの本を読むこと自体が、著者の言うところの”宇宙の心”、つまり全宇宙をならしめている根本的な原理に触れる体験だったのだと思います。
というより、その原理こそが、究極の”わたし”のアイデンティティなのですね。

*******

本書の中で非常に興味深かったいくつかのトピックスの中から、今日は進化における新規性と保守性について。

生命プロセスは常に動的であり、構造の永続的な安定を放棄しています。
この非平衡なシステムのことを、本書では「散逸構造のダイナミクス」と呼んでいます。
このダイナミクスには3つの基本条件があります。

 1.周囲の環境に対して開いており、エネルギーや物質を交換できること
 2.平衡とはほど遠い状態にあること
 3.自己触媒ステップが含まれていること

生命プロセスは以上の条件を有しながら、常に動的である。
逆に平衡となり、安定するならば、その瞬間に生命は死の方向へ向かう。
つまり、新規性を取り込むによる既存の構造の破壊によって、生命は進化していくというのです。

このような動的な状態でいることは、したがって、複雑さを大変な勢いで増大させることになる。
構造の永続的な安定を放棄することで、進化は開かれ、際限のないものとなる。

以上を日常生活において考えてみると、人は誰しも常に新しいものと出会うと驚き、それらを求める傾向にあるということが分かります。
しかし、出会ってしばらくすると、その新しいものの新鮮な感覚は消え失せ、また新たな刺激や出会いを求めるようになります。
一方で、私たちの中には変化から身を守り、常に安定を図ろうとする働きも存在しています。
生態学的に言うと”ホメオスタシス”の働きもそうですし、日常生活においても、新しいものを取り入れるより今までの馴染んだやり方を踏襲し続ける傾向も、確かにあります。
ですが、著者は、そのような既存構造の破壊への抵抗にさえも、進化において重大な意味を持っているといいます。

進化は構造の破壊をも意味するが、これに対して自己創出構造が抵抗することは、進化の総体的なダイナミクスにおいてひとつの本質的な側面をなすものである。
いかなる自己創出構造も永遠に自身を安定しておくことはできないが、しかしそれでも、全力を尽くして保身をはかり、ゆらぎを鎮静化せねばならない。
そうしなければ、進化からは何も生まれないのだ。
構造の変化に対する抵抗が強ければ強いほど、最終的に突破してくるゆらぎもそれだけ強力になり、自己組織化ダイナミクスの展開も、より豊かに、より変化に富んだものとなって、弾力ある構造の地平が開かれる。


このように生命というプロセスを俯瞰して見ていくと、私たちの体験するものには何一つ無駄がないということが分かってきます。
一見無意味と思える部分、もしくは”遊び”があるからこそ、生命は豊かな広がりを持ち続けながら展開し、ますます生命化し続けている訳ですね。


*******


さて、ここまで来たときに、より本質に迫るには何が必要か。
それを考えた時、そのポイントは”時間”にあるような気がしています。
私たち人間には、”時間は過去から未来に向かって連続していくものだ”という、連綿と受け継がれてきた抗いがたい認識がありますが、それは単にそのように知覚しているだけ、なのかもしれません。
その、いわば”相対的な時間”の認識を飛び越えたところに、”絶対時間”とも言える時間があり、そこからしか見えない景色があるような気がしています。
もしくは、”永遠の今”といった感覚。

時間の呪縛から解放され、時間を飛び越えた先には、何があるのでしょう。
是非とも、行ってみたいものです^^

 愛と感謝をこめて








[PR]
by ramram-yoga | 2018-02-03 22:27 | ことば・メッセージ
愛に生きる
a0118928_23364499.jpg



ヨーガのクラスの後、しましま食堂 へ。
愛がいっぱいのしましま定食750円。

a0118928_23364761.jpg



その後、こちらも大好きなヒロコーヒーで、次の仕事に行くまでつかの間のカフェタイム。
a0118928_23364928.jpg
エーリッヒ・フロム著「愛するということ」、良かったです。

愛は能動的な活動であり、受動的な感情ではない。
そのなかに「落ちる」ものではなく、「みずから踏み込む」ものである。

愛とは、特定の人間にたいする関係ではない。
愛の一つの「対象」にたいしてではなく、世界全体にたいして人がどう関わるかを決定する態度、性格の方向性のことである。

一人の人をほんとうに愛するとは、すべての人を愛することであり、世界を愛し、生命を愛することである。
誰かに「あなたを愛している」と言うことができるなら、「あなたを通して、すべての人を、世界を、私自身を愛している」と言えるはずだ。

**********


だんだんと、確信を持ちつつあります。
すべては、愛のあらわれであるということに。

どんなものの中にもきっと、愛の側面があります。
低められているものの中にも、粗悪と呼ばれているものの中にも。
忌み嫌っているもの、怨み続けているものの中にも。
自分が問題と思っているものに、実は愛されているとしたら…?
障害と思っているものに、守られ、助けられているとしたら…?

そして、私たちが向かっているのも、よくよく観察してみるとそこには愛しかない。
いろんなものに引き付けられているようで、その対象物の本質は愛。
愛以外に、本当の意味で私たちを惹きつけるものなんて、ないのではないでしょうか。

大切なことは、どれだけそこに愛を見出せるか。
すべてのものの中に愛を見る、そんな生き方をしていきたいです。


***********


最近はずっとバッハのカンタータです。
カンタータの曲数は、膨大。
今日はBWV37。




 感謝と愛をこめて

[PR]
by ramram-yoga | 2018-01-18 23:58 | ことば・メッセージ
わたしたちを惹きつけてやまない彼
a0118928_13144856.jpg
少し長い引用ではありますが、私たちを絶えず引き付けてやまないものの本質について、端的に文章に表しているヴィヴェーカナンダの文章を。


人が知性の段階よりさらに高く、単なる思考の段階よりも高くのぼるとき、彼が霊性の段階、神的霊感の段階に達するときには、彼はそこに至福の境地を見いだします。
それにくらべたらすべての感覚のたのしみは、いや知性のたのしみさえ、無にひとしいのです。
月が光りかがやくと星々のすがたはかすかになります。
そして太陽がかがやくと、月そのものがかすかになります。
ちょうと、もっとつよい光の前ではよわい光はつぎつぎにかすかになってゆき、ついには全部がきえてしまうようなものです。

われわれにほんとうに必要なのは、うつくしいものへの渇望を神に向ける、ということです。
人の顔の、空の、星の、月のうつくしさは何ですか。
それは真の、いっさいを抱擁する神の美の、部分的な理解にすぎないのです。
「彼がかがやいて、あらゆるものは輝く。
 すべてのものがかがやくのは、彼の光によってである」
あなたにあなた方の小さな個体性のすべてをただちに忘れさせる、バクティのこの高い境地をおとりなさい。
すべての、この世の小さな利己的なしがみつきから、自分をおはなしなさい。
ときどきは小さな摩擦もおこります。
しかしそれはただ、もっと高い真の愛を成就するための努力の過程です。
ときどきは小さなたたかいや小さな堕落もあります。
しかしそれはすべて、途中のものにすぎません。
わきに立って、これらの摩擦を自由におこさせておやりなさい。
あなたは摩擦を、自分がこの世のながれの中にいるときだけ、感じるのです。
単に目撃者として、またまなぶ者としてそれのそとがわにいるときには、そこに、神が愛としてみずからをあらわしておられる幾百万の通路を、見ることができるでしょう。

「すこしでもよろこびのあるところにはかならず、たとえもっとも官能的なものの中であっても、そこには主おんみずからであるところの、かの不滅の至福のひらめきがある」もっともひくいたぐいの魅力の中にも、神の愛の芽があります。
実は彼の魅力が、人間のハートをひきつける唯一の魅力なのです。
誰がたましいを、ほんとうにひきつけることができますか。
彼だけです!

われわれはたえず彼にひきつけられており、すべてが、彼に到達しようともがいているのです。
この世におけるわれわれのこの奮闘はすべて、決して利己的な目的のものとにおこなわれているのではありません。
彼らの生涯の仕事は結局、かの巨大な磁力に近づくことなのです。
人生の膨大な努力とたたかいのすべては、われわれをして彼に近づかせ、ついには彼と一体にならせるためのものであります。

スワミ・ヴィヴェーカナンダ「バクティ・ヨーガ」より



    愛と感謝をこめて

[PR]
by ramram-yoga | 2017-12-29 17:44 | ことば・メッセージ
信じること
a0118928_20264062.jpg

今回、あることについて、決断を迫られました。
あるお方がこれからやろうとしていることに、心から同意できなかったのです。
いつまでたっても胸がざわざわと不穏で落ち着かないでいました。
疑問に思うことがあり、それを本人に伝えようかどうか、迷っていました。

でも…。
その時の自分と、その時の自分がその方に対してどのようなまなざしを向けているかを、ふと客観的に観察した時、あることに気づきました。
それは、疑心暗鬼になっている自分でした。
そして、その人が私から疑心暗鬼を感じたとすると、出鼻をくじきこそすれ、その方が生き生きと輝く方向にはならないと思いました。

それでは、私はどうすればいいのか。
何日間か、ずっと考えていました。
そして、思いました。
あぁ私は、この方がどういう決断をしようと、その方の選択を尊重しよう、と。
この方のことだから、どうであれ、最終的に最善の道を選んでいくに違いない。
たとえそれで失敗したとしても、それを含めて私はその方のもたらした結末を一緒に引き受けていこうと、決めることができました。
数日後、結局その方は、ご自身の意思で、方向性を修正されたのでした。

とてもほっとして心が軽くなった自分に気づき、驚きました。
それくらい、違和感を自分でもはっきり意識化できていなかったのです。


***************

アドラー心理学では、信用と信頼とは、似て非なるものととらえます。
信用とは例えば「~~だからあなたを信じます」というように、信じるために先行する何らかの条件があります。
それに対して信頼は、他者を信じるにあたって一切の条件をつけないという態度を指します。

以前受けた、アドラー心理学の子育てプログラムpassageに、今でも一番印象に残っている部分があります。



「子どもの味方でいる」
どんなときでも子どもの味方でいる決心をしましょう。
特に、子どもが学校や世間から責められているときに、見方でいる決心をしてあげてください。
親まで敵に回ってしまっては、子どもにはこの世に居場所がなくなってしまいます。



「味方でいる」これこそが、信頼ですね。
自分の経験からしても、他者から信頼されていると感じると、なんと勇気づけられることか。
信頼されていると感じて初めて、前に一歩踏み出してみようという勇気がでてくる経験を、これまで何度もしてきました。

そして、今回発見したこと。
それは、人を信頼するということが、私を大きく勇気づけたということです。
人を信頼すること、それは他でもない自分自身を信頼することでも、あったのですね。


愛と感謝をこめて



[PR]
by ramram-yoga | 2017-12-20 20:55 | ことば・メッセージ
愛しています
a0118928_23310520.jpg

*****************


昨日の記事のテーマであった”祈り”とは少し違うかもしれませんが、最近よく呟いている言葉があります。

それは、

「愛しています」

という言霊です。

先日、寺山心一翁著『ガンが消えた』を読んでいました。
寺山さんは、ガンの闘病生活の中で意識の大転換を経験し、それまでわずらわしいと感じていたガンが実は自分が作りだしたもので、心から愛おしいと感じるようになったそうです。
そして、ガンに「愛しているよ」と涙ながらに繰り返し伝える場面がありますが、それがとても印象的でした。
すると、ガンの痛みが驚くほどやわらぎ、夜もぐっすり眠ることができるようになったのだそうです。
寺山さんはその後いろいろな療法や体験を経て、結果的にガンは無くなりました。
意識状態がどれほど身体に影響を及ぼすのかと、愛の力について考えさせられ、その他にもいろいろと触発された刺激的な本でした。

私も、最近は毎日呟いています。
特に何かを対象として意識していなくても、ただ「愛しています」とつぶやくだけで、胸がフワっと開いて緩み、身体があたたかくなっていきます。

また、摂食障害だった私は長い間自分の身体を受け入れることができませんでした。
自分の身体を否定し、卑下し、まるで奴隷のように扱っていました。
その身体に向かって、繰り返し「愛しています」と伝えています。
すると身体が喜んでいるのが分かります、はっきりと。
そして、自分の身体のことを、愛おしく感じます。

自分を愛することと、人を愛することは、きっと同じですね^^


  愛しています。
 
  愛しています。

  愛しています。


 感謝と愛をこめて



[PR]
by ramram-yoga | 2017-11-22 00:00 | ことば・メッセージ
祈りと言霊
a0118928_22074278.jpg

先日、家族と出かけていた時にはぐれてしまい、ひとりお店の一角に取り残されてしまいました。
携帯もお財布も持っていなかったので、下手に動くよりその場所でじっと待っていることにしました。
さて、待っている時間、何をしよう…?と目を閉じると聖音オームの響きが感じられたので、しばらく目を閉じて心の中でオームを唱えていました。
間もなく、人が行き交う中にもかかわらず心が静けさで満たされていきました。

そうしてしばらく聖音を唱えていると、急に意識状態が違うフェーズに入り、今度は怒涛のように祈りが押し寄せてきました。
それは言葉に翻訳すると、以下のような祈りでした。

「世界人類が平和でありますように」

一人の祈りではない、老若男女、低い声高い声、呟く声叫ぶ声…。
とにかく、限りなく大勢の人が、口々に祈っているのが感じられました。
あぁこれは、過去も現在もこれからも、万人共通の祈りなのだな、と、その時に感じました。
それと同時に、祈りとは教えられたり誘われてするのではなく、本来人間の内側から必然的に湧いてくるものなのだ、と思いました。
私もしばらく、その祈りに没頭していました。
気が付くと1時間が経ち、家族とも無事に再開できました。
何か、私にはこの1時間が、偶然ではなく必然的にいただけた特別な時間であったように感じました。




  感謝と愛をこめて 






[PR]
by ramram-yoga | 2017-11-21 23:28 | ことば・メッセージ