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カテゴリ:ことば・メッセージ( 87 )
あなたはすでに与える人
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癒えた人でないと、人を癒せないのか。
苦しみの中にある人は、与えることができないのか。

セラピストになってから摂食障害の症状が再発した私にとって、これはいつも大きなテーマでした。
癒えていないと、問題を乗り越えてからでないと、人を癒す資格はないと、思っていました。
でも、「そうではない」と、今の私は言いたい。
実際はそんなこと、関係ない。

今年に入ってまたいろいろと感じることがあり、先日心理の師匠から受けた教育分析も相まって、考えが変わりました。
長年「救済しなければ」と思っていた患者さんは、実は救済する必要が無かったのだ、ということが分かりました。
なぜなら、患者さんが苦しんでいるとすれば、今苦しみを体験することを選択し、そこから学んでいるのだから。
救済しなければならなかったのは、外側に救済すべき人を見いだし、必死にどうにかしようとしていた自分自身だったのでした。

患者さんのことを安心して見守ることができるようになっていくと、次第に患者さんが頼もしく思えるようになってきました。
そして、現在もこれまでも患者さんからたくさんの活力をもらっていたことを、実感するようになりました。
与えなければと思っていたまさにその相手から、実は与えられていたのですね^^


**********


だから、自分で自分に禁止しなくていいのです。
あなたが、誰かに何かを与えるということを。
誰かが「そんなのダメ」と言ったって、事実可能な事なのだから。

病気が治ってからじゃないとできないと、どこかで思っているとしたら、それは間違い。
今のあなたがどんな状態であれ、あなたは誰かに何かを与えることができる。
勇気づけ、癒すことができるし、実はもうすでにそうしている。

ウーンデッドヒーラー:傷ついた治療者)というユングの言葉がありますが、それとも共通しているのかもしれません。



愛と感謝をこめて





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by ramram-yoga | 2018-10-09 23:35 | ことば・メッセージ | Comments(0)
富山へ
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今週はいろいろなところに足を運んでいます。
今日は、サンダーバードと北陸新幹線を乗り継いで、富山へ。

加賀温泉を過ぎたあたりから急に地平がどこまでも開けていき、雄々しさとおおらかさを感じます。

現地で数時間仕事をして帰るというとんぼ返りの旅程でしたが、それでもその土地の雰囲気を十分満喫できました。
北陸の土地と人の、奥ゆかしい華やかさに、魅了されつつあります。
そして、聡明な方が多い印象です。


***************


さて。
いろいろなことに一区切りがつき、今日は車中でゆっくりと読書できました。
自分が日々やっていることを「本当にやりたいか?」とひとつひとつ自分の心に訊いてみたのですが、読書はやっぱり好きなんだということは再確認できました。

じっくり腰を据えて読もうと思っていた、この本。
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心深くに響いた何節かを、ご紹介します。


*あなたたち、本当のあなたたちは、外側のもの、目に見える形ではなく、また、現象我が本当のあなたたちでもない。
 なぜならそれはあなたたちの真我の相とは遙かに隔たっているからである。

*見えるものと見えないものとの間に或る壁があってわたしたちを引き離しているように思われるが、それは事実ではない。
 自分の心の中以外には障壁などないのである。
 互をへだてる障壁は心の中のみにあるのである。
 ではこの障壁、この隔てを、理解と愛とによって除くがよい。

*時間というものは存在しない。
 わたしは過去に存在したように今も存在しており、今後も常に存在する。
 このことを悟得すれば、あなたたちは自分も又全能者の生ける表現であることを銘記しなければならない。

*認識がまず第一である。
 次に十分に把握をし、静寂の時間(複数)を置くようにすれば、わたしの力があなたたち自身の意識の中で発達して行く。
 しかし意識は実は只ひとつあるのみであって、それが全宇宙にわたって具象化しつつあるのである。
 それが大生命自身の中なる意識である。
 大生命がすべての形態あるものを創り給い、その形態の中に大生命がその栄光を意識的に顕現しうるようにし給うたのである。

*此の故にわたしは本性という最奥の面に現れる。
 此処には何ら死の如きものの存在しえないことをわたしは知っていた、それは人間の制約された心の中にしか存在しないからである。
 この驚くべき久遠生命の真理をあなたたちが把握しえた時、この生命自身はいわゆるの死に影響されることはない。


愛と感謝をこめて

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by ramram-yoga | 2018-09-26 22:41 | ことば・メッセージ | Comments(0)
命がけで相手と向き合う
facebookで、精神科医の稲福薫先生の記事を拝読しています。
いつもすごい記事ですが、今朝のは特に響きました。

命がけで相手と向き合う。
私が理想とする医療者の姿です。
それをどこまで極めていけるか。

さすがに、取っ組み合いの喧嘩まではしないと思いますが(笑)


以下、稲福先生の文章を、敬意をこめて転載させていただきます。
********


『ある青年と取っ組み合いの喧嘩をした。』

アルコール依存になっている青年が、
母親とやってきた。

わたしは、
「あなたは親に甘えている。それがすべての苦しみの原因だ。」
と言った。

すると、
青年は逆上して、
「なにをー!」
と、わたしに凄んで突っかかってきた。

わたしは売られた喧嘩は買う。
そして、必ず勝つ。
それがわたしの流儀。
なぜならば、
わたしは常に命がけで生きてきたから。
毎週の空手でもそれを稽古している。

相手が自分より体力が上でも、勝つ。
なぜなら、
わたしが命を賭けて相手に向かえばいいのだから。
それに対して、
ほとんどの人はただ外見だけ凄んで見せているだけだから。

青年と取っ組み合いをして、
首を絞めてやった。
なめんなよ。
このクソ野郎!
こちらは命を賭けて生きてんじゃ、こら!
このクソ野郎が!
と言いながら。

すると、
うちの職員の女性3、4人が
中に入って、
無理矢理に二人を引き離したが、
母親のほうは側で見ていて涙を流していた。

青年は
「チッ!」と
クリニックを飛び出して行った。

引き離されたわたしは息をゼーゼーさせながら、
(65歳の体ではさすがにきつい。)
「これも治療の一つです。」
とそばにいた母親に言った。

母親は
「わたしが口にできなかったことを言ってもらいました。」
と感謝していた。

親が命がけで子供に向かうことでしか、
子供の問題は解決しない。
親の代わりにわたしがやってあげただけである。

彼は二度とわたしの所にはやって来ないかもしれない。
でも、
一生忘れることができない「喝」が入ったはず。
それが彼を治すことになる。


**********


7月29日、沖縄在住の稲福先生が大阪で治療会をなさいます。
私も参加しますし、まだ若干空きがあるそうです。
先生によれば、私たちの正体とは「ぽっかり穴」という穴なのだそう(!)
もしそれが本当だとするなら、それを是非とも実体験しなければ。

先生のHPはこちら



愛と感謝をこめて


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by ramram-yoga | 2018-07-18 22:30 | ことば・メッセージ | Comments(0)
自分のスタンスが変化するとき
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今年に入ってから、意識的に仕事や予定を入れるのを減らしています。
すると、時々空白の時間が訪れるようになりました。
それは、過去の印象や条件付けされた行動パターンを一度客観視し、手放していく時間でもあります。

ずいぶん長い間、忙しいことがいいことだと、どこかで思っていました。
そして、ここ数年間は実際忙しかったし、その、時には猛烈とも言える忙しさが好きでもありました。

この傾向は、どこから来たのか…。
何気なく考えていると、ふとある著書との出会いを思い出しました。

『まず歩き出そう』米沢富美子著

子どもを出産した7年前の夏、当分は思うように動けなくなることを考え、これから子育てをしながら10年の間に何かひとつ自分のものにしよう、と思いました。
その時に母に紹介されたのが、この本です。
著者の米沢登美子さんは世界的に有名な物理学者。
3人の子育てをしながら猛烈に研究に打ち込んでいく様子と、人生論が綴られています。
女性も子育てをしながらここまでできるんだ!と、私の中で”カチっ”とスイッチが入りました。
当時の記事は こちら

それからというもの、頭の中から”不可能”という文字を消し、”子どもがいるから”という理由付けを消すことにしました。
下記の米沢富美子さんの5つのモットーを信条とし、とにかく勉強しました。

 1、自分の能力に限界を引かない
 2、まず歩きだす
 3、めげない
 4、優先順位をつける
 5、集中力で勝負する

目の色を変えて猛烈に走り出した私を見て、本を紹介した張本人である母親は、「しまった…」と思ったそうです(笑)
しかし、時すでに遅し・・・。


*******


それから放送大学に編入学して卒業し、大学院での学びを経て臨床心理士の資格を取得し、自分のフィールドも定着してきた今。
改めて、ニュートラルな意識状態で、自分のスタンスを再構築しています。

で、気が付きました。
目的が変化していたにもかかわらず、手段は以前と同じままでそこに固執していたことに。

米沢富美子さんはある時期、私の人生のモデルでした。
だから、富美子さんのように猛烈にやろうとしていた。

けれど今、よく考えると、富美子さんのような人を目指してはいないことに気づきました。
今はもっとゆったりとして地に足をつけ、誰も追いかけず、自分のスタイルを確立していく時なのだと思っています。
にもかかわらず、外側の情報にパッと飛びつき、動こうとする自分の傾向は変化していなかったのです。
しばらく、こういうことで、不調和を起こしていた部分があったようです。

この、猛烈に何かをしようとする自分の客観視が最近やっとでき、それに伴って活動を自制できるようになってきました。


******


このように、自分のスタンスが変化するときって、ありますね。
その時、以前とっていたスタンスを否定的に評価するのではなく、肯定して次のステップに行きたいものです。

「前のは、良くなかった。今のはいい。」ではなく、
「以前の自分にはあれが良かった。そして、今の自分にはこれがいい。」という風に。

スタンスだけでなく、人や環境、手段、価値観などもそう。
以前縁のあったものに、いかに多くの恩恵を受けてきて、それがいかに現在の自分の血肉となっているのか。
まずはその事実に心を開き、大いに認識し、大いに喜ぶ。
そしてもはや、それに対して退けようとか、接近しようとかという意図を生じさせず、ひたすら自分のあるべき立ち位置を決めることに専念する。
すると、立ち位置が決まった自分に相応する風景が、自分の前に立ちあらわれてくる。
ご縁のあるものとは必然的につながり、ないものとは離れていく。



最後に、著書より一言ご紹介。

「自分の能力に限界を引かない」
何かの事態に直面して、こんなハイレベルのことは自分には絶対できない、と自分で自分の可能性を限ってしまうのは、自分自身に対する侮辱である。
何事もやってみなければ分からない。
無理だと思ったことが、意外とすんなりできてしまったりする。
人間のほんとうの底力なんて、じつは本人にも把握できていないのだ。
だから、自分の可能性に限界を引かないことが、すべての大前提である。
               『まず歩き出そう』米沢富美子著 より


米沢語録、やはりいいです。
富美子さん、今まで本当に、ありがとうございました。



愛と感謝をこめて





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by ramram-yoga | 2018-05-21 23:11 | ことば・メッセージ | Comments(0)
唯一無二のユニークなあなた
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個としての私たちは、ひとりひとり唯一無二で、それぞれがユニークなのだから、誰かと比較たり誰かの意向に沿おうとすると、おかしなことになってしまいます。


植物の世界には、比較が無い。
隣の草と自分とを比較して、隣の草のようになろうとする草は無い。

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ほら、見てください。
草むらから一本だけ、ずずずずーっと這って出てきて、存分に日光を浴びる位置を確保することができました。
この思い切った作戦には、思わず笑ってしまいました。
なんともユニークではありませんか。

しかし、これで日光は独り占め!…と思いきや。
昨日やってきた庭のお手入れをしてくれる人に、丁寧に刈り取られてしまいました。
でもいいのです。
草の命は根元でつながって、また違う作戦に出るのでしょう。

******

誰かの、またはある価値観の、またはある思想の言うとおりにして、その中で生きている状態は、確かに安心です。
ですが、それをやっている限り、それらの枠の中から出ることはできない。

仮に、相手に批判されないように、相手に受け入れてもらえるように一生懸命努力したとする。
でも、いくら努力しても、結局相手の思い通りには、なれません。
イメージを人と本当に共有するというのは、至難の業です。
「相手が望む私はこうであるはず」と、自分の思い込みの中で、相手の意向に沿おうとすると、それはそれはおかしなことになってしまいます。
それに、そんなことしてて、一体どこにあなたのユニークさが表れるの?

私は、周りの評価や義務感にがんじがらめになっているあなたではなく、唯一無二のユニークな”わたし”を生きるあなたを、見てみたい。
いえ、本当はがんじがらめになっているのではない。
あなたがしがみついているその手を離せば、実はあなたを縛っているものは最初から何もなかったことに気づくのです。

もともとあなたは、そこに存在している、というだけで、もうすでに個性的です。
しがみついてもがいているあなたすら、唯一無二のユニークなあなたなのです。



愛と感謝をこめて










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by ramram-yoga | 2018-05-11 20:08 | ことば・メッセージ | Comments(0)
どうにかしようとしない
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先日、深刻なうつを体験したある方の体験談を聴いていました。
その方は、「自分なんか死んでしまえ」とか「苦しい苦しい苦しい」とずーっと思っていたのだそうです。
ですが、ある時、その、自分の頭の中で延々と続く思考を”放っておこう”と思ったのだそうです。
そして、その方は現在とってもイキイキとお仕事をされています。

私はそのお話を聴いた時、よく”放っておこう”なんて、そんな風な発想ができたな~!と、思いました。
というのも、苦しんでいるときは、そんな発想がまず出てこないのですね。
逆に、「何が何でも〇〇しなければ!」と、しがみつきが強くなっている状態の時に、非常に苦しいのです。

直面している”問題”自体は、何も解決していないにも関わらず、その人は苦しみから解放された。
その時何が変化したのか。
それは、問題や状況の方ではなく、その人の立ち位置です。
直面している情況を、「対処すべきもの」として扱わなくなってしまったのです。

問題を今までの延長線上で解決しようとするのではなく、捉える側の立ち位置を変える。
すべての問題の根本的解決とは、ここにあるのではないかと思います。
いえ、そもそも問題自体、私たちが作り出したものなので、そもそも問題の実態もなければ解決もないのですけれど。
つまり、フェーズが変わることによって、問題をもはや問題としてみなさなくなってしまうのです。

***

ヨーガでは起こってくることにたいして「観察する」とか「客観視する」ということを行いますが、これは、受け入れがたい出来事や感情であればあるほど、難しいことでもあります。
まず、前提としてこだわりがあるので、ありのままを観察する、ということができないのです。
その結果、拒否反応をしている意識状態のまま、起きてくることを観察する、ということが起きてしまう。
すると、心乱されるわけです。
ニュートラルであるはずの、観察する側の意識がすでに、好き嫌いや善悪の判断をしているのです。

その点、”放っておく”というのは、いいですね。
手放して、任せている感じが、なんとも^^



************


悪夢にうなされている人は、夢の中では走り、隠れ、闘い、叫び、崖を飛び降りる等多くのことができる。
しかし、この夢の中にある行動から他の行動へのどんな変化も、悪夢自体を止めることはできない。
したがって、我々はこの種の変化を「第一次変化」と呼ぼう。
この夢の外へ出る道の一つは、眠りから醒めるという変化を得ることである。
覚醒はもはや夢の一部ではない。
全く異なった状態への変化である。
従って今後はこの種の変化を「第二次変化」と呼ぶことにしよう。

我々自身を現実と呼ばれるルールに従うゲームのコマと考えるのか、我々自身がそれを作り、受け入れている限りの「現実的な」ルールに従ってゲームをやっているプレイヤーと考えるかの違いなのだ。
後者は従ってルールの改変はいつだって可能なのだ。

『変化の原理 問題の形成と解決』
P.ワッラウィック、J.ウィークランド、R.フィッシュ著



愛と感謝をこめて





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by ramram-yoga | 2018-05-04 13:03 | ことば・メッセージ | Comments(0)
気づいたら終わる。光に還る。
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意識的に仕事や予定を減らしていくと、だんだんと静かな意識がたちあらわれてくるような感覚があります。
静寂。
空白。

でも、ともすると、すぐに何かしよう、何かを為そうと動き出す心に気づきます。
この心の働きはどのようにうごめき、これまでの実際の活発な行動へと繋がっていっていたのか。

活動的に動くこと、何かを為すことはいいことなのだという、今まで疑いもしなかった部分を、改めて見直す。
私は、自分が周りに映し出していた人の中に、何を見ていたのだろうか。

母がとてもよく動く人で、小さいころから休んでいるところを見たことがなかったこと。
ここ数年、自分が師事していた、あるいは目指していた人がなぜかすべて男性で、猛烈に仕事していく人だったということ。

なぜそんなに、忙しく、休みなく働いて業績を上げていく人ばかりが私の周りにいたのか?
これは、たまたまそうだった訳ではなく、自分が積極的に、その人に注目し、自分もそのようになることを選んでいたということが、だんだんとわかってきました。
では、何のために?
これについては、もう少し考えてみようと思います。

どんなに受動的と思える時でも、「させられていた」のではなく「自分でやっていた」のだということが、分かってきました。
この「させられている」という感覚、あるいは「〇〇のせいで私は…」という被害者意識。
この感覚とは、その人の受動的な態度によるものだということを、今年に入ってから徹底的に突きつけられた時期がありました。

「自分にはどうしようもない」と受動的でいる限りは、なすすべがない。
だって、そんな行動パターンを持っている自分にすら、そして受動的であることにすら気づいていないのだから。
まずは今の自分が、何らかの記憶や心の働きによるパターンに影響を受けていることに気づいた時にはじめて、「自分の意志でそこから抜け出ることができる」と思うことができる。
今まで絶対的だったものが相対化され、自分が主体的に在り方を決定できる。
自由自在とは、この状態を指すのかもしれません。

つまり、気づくことで、脱することができるのです。
今までどうしようもなく自分を支配していた思考や行動のパターンから。

**********


気づいたら終わる。光に還る。
また気づく。終わる。光へ還る。
そしてまた気づく。終わる。光へ還る。
こうして一歩一歩確実に、着実に光還元していきます。

私たちは本来光り輝く存在です。
何かあるたびに、どんどん内から発光していくのです。

    『カルマからの卒業』はせくらみゆき著

**********

はせくらみゆきさんの『カルマからの卒業』、今読んでいるのですが、面白いです。
やさしい言葉で書かれていますが、なかなかに論理的かつ本質的。
今の私の感覚・感性にとてもフィットします。

愛と感謝をこめて





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by ramram-yoga | 2018-04-28 10:49 | ことば・メッセージ | Comments(0)
「することモード」から「あることモード」へ
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最近、予定や仕事を入れることを意識的に減らしています。
減らすたびに、「え、これでいいの?」と思う自分がいます。
そして、今まで、何かをしようしようとしていたことに、気づきます。

この“しよう”という思考の動きに気づき、その思考の生じてきている過程を観察してみると、その背後にうっすらとした不安の感情があることが、分かってきました。
これは、新鮮な発見。
でも、驚きではありませんでした。
無意識的な部分でそれをちゃんと知っていたからだと思います。

見ようとしていなかった感情のありのままを観ることができた時、そこから逃れようとする意図が生じなくなる。
そして、今まで見えなかった他のものが目に映るようになり、感じられはじめる。

この、ヨーガでいうところの、理智(ブッディ:buddih)と意思(マナス:manas)のあり様の奥深さを、感じずにはいられません。
私は、私が思っていた以上に、主観的な世界の中で生きているのでした。

****

”することモード”、”あることモード”というのは、マインドフルネスの世界でよく使われる言葉です。
私の理解では、”することモード”とは、自我が全面に出ているとき、”あることモード”は、大我すなわち普遍的な大いなるいのちが顕れ出る時の状態なのではないかと思っています。

そのことを教えてくれるのは、いつも木々や花々。
”あることモード”を完全に体現している、いわば先生ですね^^
植物を見ていると”あることモード”は決して受動的でもなければ静的でもないことが分かります。
その躍動感あふれる生命力に、圧倒されます。
芽吹くときに芽吹き、葉を広げ、花を咲かせる時には、花びら一枚一枚の先にまでピチピチとほとばしるような生気をいきわたらせる。
散る時期には、潔く散り、実を落として次の新たな芽吹きに託す。
完全な循環と調和の中にあって、その身をもって生命力を最大限に発現させている。

人間も、”することモード”から”あることモード”に本当の意味で切り替わった時、そこにあらわれるのは停止状態ではなく、躍動感あふれる動的な状態がおのずと生じてくるのではないかと思います。

*******

理想的な人は、最も深い沈黙と孤独のさなかに最も強烈な活動を見出し、最も強烈な活動のさなかに砂漠の沈黙と孤独を見いだす人です。
その人は、抑制の秘訣を学んだのです。
彼は彼自身を支配したのです。
彼は、従来頻繁な大都会の街中を歩きながら、しかもその心はまるで、もの音ひとつとどかぬ洞窟の中にいるかのように静かです。
そして彼は、常時最も活動的に働いています。
もしそれができたら、その人は本当に働きの秘訣を学んだのです。

しかしわれわれは、最初から始めなければなりません。
来るにしたがって仕事を引き受け、毎日少しずつ、自分を非利己的にして行かなければなりません。
仕事をしつつ、自分をうながしている動機を見いださなければなりません。
するとほとんど例外なしに、初めの数年間はいつも、動機は利己的であることを発見するでしょう。
しかし根気よくつづけるうちにこの利己心は少しずつ消え、ついには、ほんとうに無私の心で働くことができるようになるときが来るでしょう。
われわれはみな、人生の道を歩みつつ努力するうちにいつかは、自分が完全に非利己的になる日が来る、と期待してよろしい。
そしてそうなった瞬間、われわれの持つすべての力は集約され、わがものであるところの知識が、表に現れるでありましょう。

スワミ・ヴィヴェーカナンダ『カルマ・ヨーガ -働きのヨーガ-』より




愛と感謝をこめて

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by ramram-yoga | 2018-04-22 11:44 | ことば・メッセージ | Comments(0)
すべてを手放し、委ねる
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昨日は、個人セッションを受けに、あるお方のところへ。
自分の立ち位置、そしてこれから進むべき道を、見出しました。

このお方のセッションを受ける度、いつも不思議な感覚に見舞われます。
もたらされるものが、ただの改善ではないし、ただの癒しでもない。
フェーズが変わってしまうのです。
誤解を恐れずに言えば、神の視点から”わたし”が観られている。
神のまなざしから発せられる光によって、抱えている問題が包まれ、昇華されていく。
それが感覚的なもので終わらず、実生活に根差し、地に足のついたものでもある。

セッションにいただいた言葉。

”すべてを手放し、委ねる。”


セッション後、とてつもなく大きな何かが、私をひきつけようとしているのを感じました。
とても精妙な次元の力であるため、意識が粗雑だと気づかない類の力。
何かに絶えず呼ばれているようにも感じられます。
意識を精妙にすると、それはそれは強力な力が、私に向かって働いていることに気づきます。

そう、何かが私を呼んでいるのです。
私だけではありません。
誰もが、絶えず呼ばれ続けている。
では、何に?
それを知りたい。
想像ではなく、明確に分かりたい。

もっともっと、センサーを研ぎ澄ませ、感性を研ぎ澄ませ、正確に分かりたい。
今、私に必要なのは、キャッチするのに不必要なものを、捨て去ることのようです。

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Ram-Ram Room にエピクテトスの言葉を飾りました。
クリエイターの 小林真心 さんに、デザインを手掛けていただきました。
”R”のロゴは、Ram-Ram の頭文字です^^





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by ramram-yoga | 2018-04-15 21:06 | ことば・メッセージ | Comments(0)
春分の日に
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3月17日、36歳の誕生日でした。
大きな決断をしました。

その時に、分かったことがありました。
まず、何よりも前に、決めるのが先だ、ということ。
現実に自分が合わせるのではなく、私の在り方が決まった時に現実がそれについてくるということ。

自分がどう在るのか。
一瞬一瞬何を想い、選択するのか。
自分の在り方が、こんなにも問われている。
その事実に、今までずっと眠っていた私の中の何かが、目覚めたような気がしました。


そんなときに、ある人からいただいた言葉。


***************



この瞬間を大事にしなさい。

その細目に身を浸しなさい。

この人に対応し、この困りごとに対応し、この行為に対応する。

逃げ出すのはやめなさい。

しかし、自ら、無用な厄介ごとを抱えることはやめなさい。

今がほんとうに生きるとき;今置かれた状況にあますところなく住む時。

あなたは無関心な傍観者などではない…

部屋の戸が閉められ暗い時にもあなたは一人ではない。

自然の意思はあなたの中にあり、自然の守護神はあなたの中にある…。

どう生きるかという、その材料が人生。

偉大なことが突然創られることはない。

時間はかかる。

最善をつくしなさい、そしていつもやさしくありなさい。
  
                          エピクテトス




********************



愛と感謝をこめて





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by ramram-yoga | 2018-03-21 22:49 | ことば・メッセージ | Comments(0)