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カテゴリ:摂食障害( 5 )
心理的な重さと摂食障害
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先日の「スゥーっとした世界」という記事で述べたフェーズにいて、新たに見えてきたことがいくつかあります。
それは、このフェーズにいると、摂食障害の症状の出ようがないのではないか、ということ。
摂食障害だけでなく、他の様々な困難さも低減していくように感じています。

まず、このフェーズにいると、自他の区別があいまいになります。
”わたし”と”あなた”との間に確固としてあると思っていた境界線が、実はそんなにはっきりしていないということに気づくようになります。
ですから、「あの人にあんなこと言われた!」とか「周囲にこういう評価を得たい!」とか、「受け入れてほしい」「分かってほしい」など、つまり対人関係上であれこれ思い煩い、フラストレーションが溜まる、ということが生じなくなります。
がんばって気にしないのではなく、ごく自然に気にならなくなります。

それと同時に、気負う、気構え、プレッシャーといった心理的な”重さ”をあまり感じなくなります。
例えば「〇〇までに〜〜しなきゃ!」という風に気負うことがなくなります。
心理的な重さが減ると、出てくる考えが「しなきゃ」という受動的なものから「しよう」という能動的な言葉もしくは「する」というシンプルな動詞に変化し、実際にその行為に移るまでの時間も格段に短くなります。

そういう意識で振り返ってみると、私が過食嘔吐を繰り返していた時期はいつも、この心理的な重さがありました。
その重さから逃げるようにして、あるいは破壊しようとして、過食嘔吐をしていたように思います。
心理的な重さが無くなると、過食嘔吐する必要が無くなります。
よく、自分の症状は癖になっているだろうから治りにくいのではないかと感じている摂食障害患者さんがおられます。
ですが、私はそうは思いません。
癖だろうがなんだろうが、必要のない症状は出ません。
過食嘔吐という行為は本来苦しいのです、とっても。
自分が何の気負いもない時に、1回たりとも過食嘔吐をしたいなどと思わないし、そんな発想すらわかないはずです。
にもかかわらず、過食嘔吐という苦しいことわざわざするのです。
そこには理由が必ずあるのではないでしょうか。

物質中心の、いわゆる唯物的な世界に主眼を置いて生きていると、そこに心理的な重さが伴いやすく、人生が苦しみに満ちたものとなります。
あるいは、苦しみや苦労があるからこそ幸せが引き立つというような、二極的な価値観の中で生きることになります。
わたし自身も時々、「生きていくということはなんて大変なことなんだろう」と感じていました。

しかし、唯物的な世界から「スゥーっとした世界」に主眼をシフトしていくと、苦しむ必要が無いのです。
自分を苦しめる人は、実はいなかったことに気がつきます。
あなたをジャッジして価値づけをする人もいなければ、受け入れたり否定したりする人もいません。
感情が無くなるわけではないのですが、感情にいつまでも浸ったり振り回されたりすることが無くなります。

摂食障害の症状を持っている人を批判したり、苦しむことを否定している訳ではありません。
なぜそんな状態に陥ってしまうのか、どうしたらそこから抜け出すことができるのか、そのために私に何ができるのかを知りたいのです。
以前は摂食障害で苦しむ患者さんを目の前に、私ができることはひたすら一緒に考え、人生の伴走者となることだと思っていました。
でも、もっとできることがあるような気がしています。

まだまだ私も分からないことだらけです。
このフェーズについて、もう少し掘り下げてみたいと思います。
そして、さらに違うフェーズも、垣間見えています。
パラレルに存在しているこの世界の、いくつかのフェーズが少しずつ見えてきた。
そんな感覚でいます。



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写真は、昨日小1の息子と訪れた奈良にて。
この酷暑に、鹿も人間もバテ気味でした。
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愛と感謝をこめて




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by ramram-yoga | 2018-07-17 13:36 | 摂食障害 | Comments(0)
問題に愛されている
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昨日の記事で「問題に愛されている」ということを書きました。
一見、よく理解ができないかもしれません。

過ぎて振り返ってみれば、あの問題が自分を成長させてくれたんだな。
もちろんそういう見方もあります。
でも、それよりももっと積極的な愛を、今目の前にある問題は、あなたに向けてくれているのではないでしょうか。
私には最近、そう思えて仕方がないのです。

私は自分が元摂食障害で、勤め先のクリニックでもそれをオープンにしているので、よく摂食障害患者さんのカウンセリングを受け持ちます。
中には20年、30年と、ずっと過食嘔吐を繰り返している方もいらっしゃいます。
時々、その方々を見て思います。
この方は摂食障害があることで、もっと大きな病気や問題から守られているのではないだろうか、と。
それは私の憶測にすぎないかもしれません。

また、食べて吐く、という行為がやめられないのは、とても辛いもので、時に絶望すら感じさせます。
そして、とても孤独です。
でも、ある時気づきました。
いくら孤独で辛い時も、食べ物がずっと、私のそばにいてくれたのです。
本来、食べ物は生きるための糧。
そして、「美味しいね」と喜んでもらって消化され、人の栄養になるのが、食べ物の本望でもあるでしょう。

にもかかわらず、味わわれることもなく詰め込まれ、その後吐き出され、トイレに流されていく。
摂食障害の人と共にいる食べ物は、そんな役割を甘んじて引き受け、ずっと苦しんでいる人のそばに、いてくれたのです。

私は、もう過食嘔吐をやめると思ったその日に、それまでずっと自分に寄り添ってくれていた食べ物たちのことを、走馬燈のように思い出しました。
そして、感謝の言葉が、口をついて出てきました。

これまでずっと私を助けてくれて、守ってくれて、ありがとう。
あなたたちがいたから、私はここまでくることができました。
今の私がいるのは、あなたたちのおかげです。
もう、あなたたちがいなくても、私はやっていけるようになりました。
今まで本当に、ありがとう。


そんな風に考えてみると、私たちは、自分が忌み嫌っているものからすらも、というよりそのようなものからこそ、深く愛されているのかもしれません。



  感謝と愛をこめて





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by ramram-yoga | 2018-01-23 19:40 | 摂食障害 | Comments(0)
苦しみのメカニズム
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國分功一郎著「中動態の世界」を読みながら、今までにない新たな理解が拓けていくような感覚があります。

”中動態”とは、かつてのインド=ヨーロッパ語にあまねく存在していた態であるといいいます。
受動態でも能動態でもない、もうひとつの態、中動態。

著者はまず、「私が何ごとかをなす」とはどういうことか、という問題提起から書き出しています。
例えば、歩くという行為は自分の意志でしているようであって、身体の中の何百もの骨や関節、骨格筋が自律的に連動しなければ実現し得ないことを挙げながら、私たち人間の普段の行動とは、顕在的意識のもとに行われる意思決定によるものであるという解釈に疑問を呈します。
そして、意志とは何か、果たして自由意志とは存在するのか等、いくつかの問題提起をしながら、中動態の本質について迫っていきます。

様々なトピックスの中で、印象に残ったのが、依存症者の受動・能動についての部分でした。
依存症者の依存状態とは、受動なのか能動なのか。
わたしは自分自身が摂食障害の症状を抱えていましたし、今でも摂食障害の患者さん方と接していますので、このことについて考える機会がよくあります。
過食嘔吐(食べ物を大量に食べて吐く)行為をどうしてもやめられない方が大勢いらっしゃいます。
その方々は、やめたくてもやめることができない、といいます。
自分で食べ物に手を伸ばして口に入れているにもかかわらず、まるで自分を圧倒する何かに食べさせられている感覚が少なからずあるのです。
そして、もう二度とこんなことはしたくないと思いながら、その後すぐ、あるいは翌日後には同じ行為を繰り返してしまうのです。

この「させられている」という感覚、これはまさに受動です。
セラピーでは、これを能動に変えていくというプロセスを、どこかの時点で入れていきます。
実は、過食嘔吐はさせられているのではなく自分の意志で行っている。
過食嘔吐という行為をすることによって、無自覚的に何をしようとしているのか。
これを、カウンセリングで見つめていきます。
これは、そんなにやさしい作業ではありません。

受動から能動に意識を転換していくプロセス、これが非常にセラピューティックなのです。
なぜかというと、症状を持っていることに対して受動的態度でいるということは、「~~だから私は病気なのです」と、現在の自分以外のものに病気の原因を求めている状態だからです。
現在の自分以外に、苦しみの原因のありかを見出している時、どこまでいってもその人は過去の出来事や環境の被害者であり、自己治癒力を奪われた状態にあります。
一方で当事者が、「この病気は私が作り出しています」という能動的態度に転換すると、病気に対して主体的にかかわることができます。
つまり、病気に限らず困難さに直面した時、それを乗り越えていくには受動的態度でいるより能動的態度でいる方が、その困難さに対してより主体的にかかわることができるという点で、能動的態度への転換は重要です。
しかしこれは、どちらが正しいという種類のものではありません。
能動的・受動的どちらの解釈がより、その人の全人的健康度を高めるために有用であるか、という観点に基づいたものです。

中動態とは、それらの解釈から離れ、より中立的に現象を説明する言葉なのではないでしょうか。
苦しみというのは例外なく、現象に対する解釈から起こってきています。
例えば、ここでは食べて吐くという行為。
当事者も、それを目撃している人の目にも、悲惨に感じられるかもしれません。
しかし、過食嘔吐という現象自体は、苦しみではありません。
ただ、やっていて疲れはしますが。
苦しみの中核とは、過食嘔吐という行為に対するネガティブなイメージと、にも関わらずやってしまう自分に対する罪悪感や嫌悪感です。
つまり、過食嘔吐に限らず、私たちが苦しみを感じる時、現象そのものが苦しいのではありません。
それに対する解釈で苦しんでいるのです。


過食嘔吐をやめられないで苦しんでいる患者さんに対して、時々言うことがあります。
「しないでおこうと思っても、思わなくても、症状は無くなる時に無くなるから、あまりそこを努力しなくていいかもしれませんよ。」
「過食嘔吐は必要なくなったらいずれ無くなるんだから、今のうちしかできない‼と思って、しっかりやっておきましょう」とか(笑)
このコメント摂食障害皆さんに共通して適当というわけでは決してなく、信頼関係がしっかりでき、その方の今の状態を見たうえで言っていることではありますが。
こんなことを言うと、大抵の患者さんは、ちょっと拍子抜けた感じで、思いつめた表情が緩んで明るくなります。
ここに、苦しみのメカニズムが垣間見える気がします。
つまり、本当は、「~~があるから苦しい」のでは、ありません。
苦しみが最初にあって、もっと言えば、苦しむことを選択したその人に、苦しむに足る現象がもたらされ、その人は苦しむのです。

そうであるならば、苦しみを終わらせたいのであれば、現象に対処するのはナンセンスということになります。
目の前の病状や困難さを克服しようと努力すればするほど、克服への努力を助長させるように困難がますます立ちはだかります。

苦しみを終わらせたいのであれば、苦しみを終わらせると決意することが必要です。
決意すれば、苦しみを終わらせるために必要なことが、決意した人のもとに少しずつ訪れるようになります。
苦しみを終わらせるというのは、実は少し勇気のいることです。
なぜなら、苦しむことでカモフラージュしていること、見ないように誤魔化していることが、あるからです。
苦しみが無くなると、それまで見ないようにしていた本当の課題に直面することになります。

でも、もう、終わりにしませんか。
わたし個人としては、そういう思いでいます。
もう、人類は、これまでいっぱいいっぱい苦しんできました。
もう十分味わったのではないでしょうか。

今まで目をそらし続け、見ないようにしていた本当の課題。
直面するには勇気とエネルギーがいるかもしれません。
でも、その直面は、本来の自分に立ち戻るための扉を開くことでもあると、思っています。


 愛と感謝をこめて














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by ramram-yoga | 2017-12-22 22:48 | 摂食障害 | Comments(0)
摂食障害の方へのカウンセリング・ヨーガ療法
この春大学院を卒業し、少しずつ臨床活動を増やしていっているところです。

以前、摂食障害の方へのヨーガ療法グループをヨーガスタジオで開催していましたが、現在は大阪府豊中市にある黒川内科で行っています。

黒川内科では、毎週月曜日の9:45~10:45に、摂食障害の方のためのヨーガ療法グループを行っています(私が担当しています)。
ポーズの完成度や「こうでなければ」という思い、自分へのジャッジ等から解放され、ただただ「今、ここ」に生じてくる身体感覚に意識を向けていきます。
身体感覚を通して自分に気付くこと。
私自身、なんどもなんども繰り返していますが、シンプルながら、やればやるほどその奥深さに驚かされます。
摂食障害からの回復とは、今まで自分の中の目を向けていなかった部分に優しく光を当てていく過程である、と思っています。

月曜日の11:30~17:00は、30分単位で個別に心理カウンセリングを行っています。
(心理カウンセリングは、摂食障害以外の方へも行っています。)
ヨーガが身体感覚を通して自己理解を深めていくものであるなら、言語によるカウンセリングはそれをもう少し理知的に行っていく作業になります。
過食や拒食を始めたきっかけ、どんな時に症状が激しくなるのか、なぜ何年も症状が続いているのか。
現在の生きづらさと症状が、どのように関連しているのか。
一緒に、探っていきます。
絡まってこんがらがってしまった糸を、少しずつ少しずつ解きほぐしていく、そんな感覚でしょうか。



どちらも予約制で、その前に医師の診察を受ける必要があります。
黒川内科の院長である黒川先生は、摂食障害がご専門でもあり、患者様のお話しをいつも丁寧に聴いてくださる優しい先生です。



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黒川内科 (心療内科・内科)

〒560-0023 大阪府豊中市岡上の町1-6-41
電話 : 06-6853-1100 
URL : http://www1.odn.ne.jp/kurokawa/index.htm

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これを見てくださっているあなたが、最適なタイミングで、最適なサポートを受けられることを祈っています。

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by ramram-yoga | 2016-07-26 17:21 | 摂食障害 | Comments(0)
第16回日本摂食障害学会in東京
今日明日と、東京政策研究大学院大学にて日本摂食障害学会の第16回研究総会が開催されており、参加しています。

摂食障害学会の研究総会は初めての参加だったのですが、内容はかなり充実しており1日みっちり有意義な勉強ができました。
印象としては、参加されている専門家の方々がみなさんとても心のある、人間として温かみを感じるような方が多いなぁということでした。
摂食障害はその治療の難しさから、ともすれば医療関係者から敬遠されがちです。
しかし、本当に困って助けを求めている摂食障害の方たちに対して親身になり、なんとか回復に向かわせてあげられないだろうか。
そんな真剣な思いで治療に従事されている様子が、数々の事例検討やパネルディスカッションの場で伝わってきました。

摂食障害は年々、遷延化・高齢化が問題となっており、また再発も非常に多く気分障害や内科疾患の併発も多いことから多職種が連携したチーム医療が求められ、今回もディスカッションされていました。
その中で何人かの先生方がマインドフルネスの重要性を主張されていましたし、自己内省・スピリチュアリティの部分にもヨーガ療法が果たしうる役割が大いにあると感じました。
私も少しでもお役に立てるように、励んでいきたいと思いました。
明日も1日、しっかり学んで帰りたいと思います。

さて、息子はといえば現在夫と母に任せて私は今夜は一人で東京にて一泊。
考えてみれば、初めて息子と遠く離れてすごす夜です。
ちょっぴり開放感があるものの、こんなにもわが子を恋しく思うとは・・・。
なんだか、落ち着きません(笑)

会場の大学から、東京タワーがきれいにライトアップしているのが見えました。
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最初見たとき「スカイスリーだっ!!」と1人で興奮していたのですが、あとから聞くと東京タワーだったのでした(笑)
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by ramram-yoga | 2012-10-06 22:32 | 摂食障害 | Comments(0)