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2018年 01月 13日 ( 1 )
物も目的を持っている
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まだ、こま付き自転車に乗っていた頃。
誤って、道路脇の田んぼに自転車ごと落ち、私も自転車も泥だらけになりました。
母に泥だらけの身体を洗ってもらいながら「自転車さんがかわいそう」と泣いた記憶があります。
あの頃は、身の回りのいろんな物にも魂が宿っているような世界観の中で生きていました。

それから成長し、大学で受けた発達心理学の講義で、”アミニズム”という概念を学びました。
アミニズム(aminism)とは、全てのものの中に霊魂が宿っているという考え方で、その講義ではそれは幼児に特有であり、成長するにしたがってアミニズム的感覚は無くなっていくという風に学びました。
つまり、すべてのものに霊魂が宿っているという考え方は稚拙だというのです。
実際そのように習ったかは定かではありませんが、私自身はそのように感じ、ある種のインパクトを伴った記憶として残っています。
それ以降、自分の中に生じてくる、例えば植物や物に対し擬人化してしまう自分の傾向を、知らず知らずのうちに恥じ、否定してしまっていました。
確かに、近代科学の立場からすれば、このような世界観は非科学的なものの最たる類のものであり、批判の的でもあります。

でも、ヨーガや気功等に触れるようになり、”氣(プラーナ)”というものの威力を実感すればするほど、再びこのアミニズムの世界観が立ち戻ってくるのを、感じています。
そのような感性をひらいていくと、確かに物は、何かを発しています。
これは一方で素粒子物理学の見地からも事実でもあって、全ての物質は振動することによって何か発している訳です。
時には物から話しかけられているように感じます。
きっと、私が人間であることによって、本来人格でないものに対しても人格という枠組みを通して認識をしているのです。
人に働きかけると返事が返ってくるように、物に意識を開くと、物からの働きかけがどんどん増えていくのを感じています。
そして、その物とのやりとりが、始まります。

このようにして、物に耳を傾ける、ということをしていると、物にも目的のようなものがあるということが分かってきました。
人間に生きる目的があり、役割を果たすことで生きがいを感じるのと同じように、物にも持って生まれた目的があり、それを果たすと満足するようです。
というのも、物が発する波動を感じていると、ある状態になると波動が良くなる(ノイジーな感じや不穏さが無くなり、柔らかみのある細かい波動になる)、ということが感じられるからです。
それは、ひとつは使っている人の役に立つこと。
特に、自分を使ってもらうことでその人に喜んでもらえると、物はとても嬉しく満足するようです。
もうひとつは、あるべき場所にあるということ。
そして、美しく綺麗な状態を保っておくということ。

例えば、ドア。
ドアは、開けっ放しだと、少しだけ不穏な波動を発しています。
開けた後は閉めてあげると、ホッとしたように波動が落ち着きます。

ゴミは、道端に捨てられていると、悲しそう、または寂しそうに感じられます。
まだ、道半ばなのです。
拾って、「ありがとう」と言ってゴミ箱に捨ててあげると、安心した波動になります。

持ち主のところに戻れていない物。
知人が私のサロンにヨガマットを置きっぱなしにしていたら、なんだかずっとそのヨガマットが気になります。
しばらくそのヨガマットに意識を向けていると、あぁこのヨガマットは、持ち主のところに帰りたいんだ、ということが分かりました。
その方に、自宅に持って帰って使ってあげてくださいとお伝えしました。

家にある、あまり使っていない食器も、使ってもらうのを待っています。
時々は「今日はあなたを使わせてね」と、使ってあげると、食器棚に並ぶ食器たちがピチピチとした生気を帯び、光の粒子をまとって生き生きとしてくるように感じられます。


でも、これらは結局、掃除や整理整頓といった、日々の行いをきちんとやっておくことなのですよね。
それが、物から発する波動を良いものにするということであり、昔から大事にされている”整理整頓”は本当に大切なんだなぁと再確認しました。


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以上、物について最近感じていることでした。
それが本当なのか嘘なのか、という問題は置いておくとして、このアミニズムの世界観の中で生きることが、生活をとても豊に彩ってくれています。
物をただの物として時にぞんざいに扱うよりよっぽど、心が穏やかです。
そういうことでいえば、世界をどのように解釈するかという点で大切なのはきっと、それが正しいかどうかではなく、豊かさをもたらすかどうか、です。
最近は、一人でいても物と対話しているので、静かで好意的な友達に囲まれているような感じがします。
何かしようとすると協力してくれ、困った時は一生懸命助けようとしてくれるように感じます。
それは、やっぱり、私たちはどこかですべてつながっているからです。

そういう意味では、私たちは実は、とても好意的な世界の中で生きているのではないでしょうか。
苦しい時、しんどい時、辛い時というのは、自分を他者や自然と断絶してしまっている状態の時に起こってきます。
それはイコール、自分自身との断絶でもある訳です。

目に映るすべてのものが自分に好意的である世界に、一緒に心を開きませんか^^
たくさんのいのちのあらわれと触れ合いながら、存分に謳歌したいものです。
せっかくこんな美しい世界に、生きているのですから。



   愛と感謝をこめて

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by ramram-yoga | 2018-01-13 21:52 | 最近のいろんなこと | Comments(0)