癒えた人でないと、人を癒せないのか。
苦しみの中にある人は、与えることができないのか。
セラピストになってから摂食障害の症状が再発した私にとって、これはいつも大きなテーマでした。
癒えていないと、問題を乗り越えてからでないと、人を癒す資格はないと、思っていました。
でも、「そうではない」と、今の私は言いたい。
実際はそんなこと、関係ない。
今年に入ってまたいろいろと感じることがあり、先日心理の師匠から受けた教育分析も相まって、考えが変わりました。
長年「救済しなければ」と思っていた患者さんは、実は救済する必要が無かったのだ、ということが分かりました。
なぜなら、患者さんが苦しんでいるとすれば、今苦しみを体験することを選択し、そこから学んでいるのだから。
救済しなければならなかったのは、外側に救済すべき人を見いだし、必死にどうにかしようとしていた自分自身だったのでした。
患者さんのことを安心して見守ることができるようになっていくと、次第に患者さんが頼もしく思えるようになってきました。
そして、現在もこれまでも患者さんからたくさんの活力をもらっていたことを、実感するようになりました。
与えなければと思っていたまさにその相手から、実は与えられていたのですね^^
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だから、自分で自分に禁止しなくていいのです。
あなたが、誰かに何かを与えるということを。
誰かが「そんなのダメ」と言ったって、事実可能な事なのだから。
病気が治ってからじゃないとできないと、どこかで思っているとしたら、それは間違い。
今のあなたがどんな状態であれ、あなたは誰かに何かを与えることができる。
勇気づけ、癒すことができるし、実はもうすでにそうしている。
ウーンデッドヒーラー:傷ついた治療者)というユングの言葉がありますが、それとも共通しているのかもしれません。
愛と感謝をこめて