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自分自身をケアする
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自己肯定感が低く、自信が無い状態に対し、いっそのこと”自分は役立たずで、誰からも期待されない”という状態からスタートしてみる、ということを、先日の記事で提案してみました。
しかし、役立たずだからといって、自分のことをないがしろにしたり、貶めたりするのとは、全く違います。

時々、自分自身をケアすることに対して、抵抗感や罪悪感を持っている方がいます。
例えば、家族を自死で亡くされていたりすると、自分も死んでしまいたいという思いがよぎる。
でも、実際に病気になると、たちまちの苦痛を治してもらいたくて医療機関にかかってしまう。
そして、死にたいはずなのに、楽になれるようなケアを行ってしまう自分を、責めてしまうのです。

そうでなくても、親が不幸そうだったり、過去に誰かに言われた言葉が、自分をケアすることや幸せになろうとすることに対する強力なブレーキになっていることがあります。
正確に言えば、そのブレーキになっているものは実は原因ではなく、それを口実にしてその人が不幸であることを選んでいるのですけれど。

身体が不調の時に、楽になるように自分自身をケアをすることは、とても自然なことです。
これは個の意識を超えた、普遍的ないのちの流れが、そのように意を発し、人間の本能として備わったのでしょう。
この、自分自身をケアするというプログラムが備わっていなければ、人類はとうに絶滅しているはずです。
自分自身をいたわり、ケアをするというのは、いのちの営みなのですね。


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自我(エゴ)というと、苦しみを作り出す排除すべき悪者であるようなイメージがあるような気がしますが、実はこの自我が、個としての意識生命体を生かしめています。
ヨーガでいうと、自我は”ahamkara(アハンカーラ:我執)”という内的心理器官であると言われています。
ヨーゲシヴァラナンダ著『魂の科学』によると、この我執から、「私が…」とか「私の…」という意識(アハン・アスミ:aham asmi…)が生じてきます。

我執は、執着への苦しみの元凶となる一方で、解脱をするために最後の最後まで必要不可欠な働きをも持ち合わせています。
「これはなんだろう…?」という好奇心ともいえる意を発する役割を、実はこの我執が行うことにより、真我を識別する智慧に到達することができるのです。


自我は、いつも私たちを助け、いのちの大きな流れが発展するように、働いてもくれています。
要は、使いようによって多大なる苦悩の元ともなるし、いのちを大きく助け、調和に導く立役者でもある訳です。

自分のからだを愛おしみ、いたわる心を持っていたいものですね、お互いに。
あなたのからだは、あなたの私的な持ち物というよりは、個を超えたいのちのあらわれとして、今ここに存在しています。


愛と感謝をこめて




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by ramram-yoga | 2018-09-11 23:53 | 最近のいろんなこと | Comments(0)
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