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セラピストとしての原点が覆される
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心理士の職に就いてからというもの、毎週”スーパーヴィジョン”といって、心理職としてのスキルアップのための指導を受けています。
そこで、言葉の一つ一つの出し方、また相手ごとの臨機応変な対応の仕方についても、細かく指導を受けます。
心理カウンセリングを学び始めた当初は、師匠の言葉遣いの精緻な棲み分けに、本当に驚きました。

それだけでも濃密な指導内容なのですが、指導中それを上回る強烈なインパクトをたびたび受けることになります。
何に関してかというと、それは他の誰でもない、自分自身の課題への直面化です。
セラピストが心理カウンセリングをしていると、同じようなシチュエーションのところでうまくいかない、という状態が浮き彫りになってくることがあります。

例えば、決まって患者さんのこんな言動に腹が立つ・動揺するなど感情的になってしまう。
同じようなシチュエーションの時に、いつも自分から話題をそらしてしまう、等。

そんなときは、セラピスト自身の課題(こだわり)がセラピーの進展を阻害してしまっている可能性があり、指導者より教育分析(セラピスト自身がカウンセリングを受ける)を受け、その課題と対峙していくことになります。
これが、なかなかヘビーな作業で、私は今回受けた教育分析で、大学時代からずっとずっと持ち続けていた、セラピストとしての活動の動機が、根幹からひっくり返されてしまいました。

その、自分のセラピストとしての活動の動機は何かというと、「目の前の苦しむ人をどうにかしてあげたい」という思いでした。
音楽療法士時代も、ヨーガ療法士になってからも、心理職についてからも、私のテーマはずっとこれでした。
目の前の苦しむ人を前にするたびに感じる無力感が、色々なことを学び吸収していく強力なモチベーションになっていました。

しかし。
最近、その「目の前で苦しんでいる人をどうにかしてあげたい」という強い想いが、セラピーにおいて裏目に出てしまっているということが、指導を受けていて分かったのです。
本来、苦しみというのは、その人が何かに気づき、学んでいくために訪れているものであるにも関わらず、私は相手がその場で安易に楽になるような言葉をかけてしまう傾向にある、ということが、見えてきました。
つまり、その人からむやみに苦しみを取り上げてしまっていたのですね。

私のこの傾向の裏には、「人の役に立ちたい」という強い欲求がありました。
今回の教育分析では、その思いは本当にはその人の為というよりは、自己満足であるということが、突きつけられました。

これは、衝撃でした・・・。
セラピストとして成長していく中で、いわば原点ともいえるような、セラピストになった動機までをも、捨てていかなければならないのか、と。
師匠から、苦しみがその人にもたらす恩恵について、よく考えるように、という宿題を出されました。
今年はいろんな方面からアイデンティティが崩されていき、その都度びっくりするやら動揺するやらしています。
その一方で、その経過を俯瞰して面白がっていたりもする、今日この頃。


愛と感謝をこめて



by ramram-yoga | 2018-09-10 23:07 | 心理学とヨーガ
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