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”権力”という力
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日常で、対人関係において働く”力”のようなものを感じることがあります。
誰かからのプレッシャーを感じるとか、圧力をかけられるとか、権力や支配力を行使されるとか、特定の人に圧倒されるとか。

その現象を、よくよく観察してみる。
すると、あたかも権力という力が実在し、支配力が働いているようでいて、実はそうではなかったのだということに気づきます。
権力という力には、実体はなかった。
ただ、自分が作り出していた錯覚だった訳です。

人の言動から感じ取ったことを”権力”あるいは“圧力”と解釈し、そこに反応した人だけが、その力関係の中に組み込まれ、縛られていきます。
そして、支配する側ー支配される側という二者関係ができあがることになります。
でも、支配する側も、支配される側が存在しないと自分たちが成り立たないという点で、絶えず支配される側に依存しています。
支配する側も、支配される側も、ともに二極対立的な価値観の中に取り込まれているという点では、不自由です。

では、実際に、どんな感覚の時に、私たちは人の権力に支配されているのか。

それは、「~させられている」と感じる時です。
他にも「~された」、「誰々のせいでこうせざるをえなかった」と感じる時です。

このような感じは、自分が相手に対して”受け身”の時に生じる認知的反応です。
もう少しいえば、被害者的になっている時です。
もっと率直に言えば、今の自分の状態の責任を、相手にとらせようとしている時に出てくる言葉なのです。

被害者でいるということは、ある意味楽なのです。
自分が今不幸なのは、自分ではない誰かのせいなのですから。
でも、本当はとても苦しいのです。
だって、自分を自分で無力な存在として認め、貶めてしまっているからです。

では、その被害者から抜け出すには、すなわち権力から解放されるには、どうしたらいいのか。
それは、言葉のレベルでは、すべて能動的な言葉に置き換えていくというプロセスを伴います。

つまり「~させられている」を「~している」に、変えていきます。
「~された」のではなく、あくまで相手はただそのような言動をした。
それに対して、「~されることを許した」あるいは「された感を感じた」のは自分です。
すべての行動は、させられたのではなく、自分の決断の上でしたのだ、と、ひとつひとつ確認していくのです。

これは、受け身的な態度が身についている人にとっては、かなりヘビーな作業です。
今の自分のあり様の責任はすべて自分にあるのだ、ということを、徹底して突きつけられるからです。

今、たちまちできなくてもいいから、できるところから、やっていけばいいと思うのです。

ちなみに、やらないという選択は、あまりお勧めしません^^;
なぜなら、あなたはそんな無力な存在ではないからです。


感謝と愛をこめて



by ramram-yoga | 2018-07-26 22:22 |
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