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わたしたちを惹きつけてやまない彼
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少し長い引用ではありますが、私たちを絶えず引き付けてやまないものの本質について、端的に文章に表しているヴィヴェーカナンダの文章を。


人が知性の段階よりさらに高く、単なる思考の段階よりも高くのぼるとき、彼が霊性の段階、神的霊感の段階に達するときには、彼はそこに至福の境地を見いだします。
それにくらべたらすべての感覚のたのしみは、いや知性のたのしみさえ、無にひとしいのです。
月が光りかがやくと星々のすがたはかすかになります。
そして太陽がかがやくと、月そのものがかすかになります。
ちょうと、もっとつよい光の前ではよわい光はつぎつぎにかすかになってゆき、ついには全部がきえてしまうようなものです。

われわれにほんとうに必要なのは、うつくしいものへの渇望を神に向ける、ということです。
人の顔の、空の、星の、月のうつくしさは何ですか。
それは真の、いっさいを抱擁する神の美の、部分的な理解にすぎないのです。
「彼がかがやいて、あらゆるものは輝く。
 すべてのものがかがやくのは、彼の光によってである」
あなたにあなた方の小さな個体性のすべてをただちに忘れさせる、バクティのこの高い境地をおとりなさい。
すべての、この世の小さな利己的なしがみつきから、自分をおはなしなさい。
ときどきは小さな摩擦もおこります。
しかしそれはただ、もっと高い真の愛を成就するための努力の過程です。
ときどきは小さなたたかいや小さな堕落もあります。
しかしそれはすべて、途中のものにすぎません。
わきに立って、これらの摩擦を自由におこさせておやりなさい。
あなたは摩擦を、自分がこの世のながれの中にいるときだけ、感じるのです。
単に目撃者として、またまなぶ者としてそれのそとがわにいるときには、そこに、神が愛としてみずからをあらわしておられる幾百万の通路を、見ることができるでしょう。

「すこしでもよろこびのあるところにはかならず、たとえもっとも官能的なものの中であっても、そこには主おんみずからであるところの、かの不滅の至福のひらめきがある」もっともひくいたぐいの魅力の中にも、神の愛の芽があります。
実は彼の魅力が、人間のハートをひきつける唯一の魅力なのです。
誰がたましいを、ほんとうにひきつけることができますか。
彼だけです!

われわれはたえず彼にひきつけられており、すべてが、彼に到達しようともがいているのです。
この世におけるわれわれのこの奮闘はすべて、決して利己的な目的のものとにおこなわれているのではありません。
彼らの生涯の仕事は結局、かの巨大な磁力に近づくことなのです。
人生の膨大な努力とたたかいのすべては、われわれをして彼に近づかせ、ついには彼と一体にならせるためのものであります。

スワミ・ヴィヴェーカナンダ「バクティ・ヨーガ」より



    愛と感謝をこめて

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by ramram-yoga | 2017-12-29 17:44 | ことば・メッセージ | Comments(0)
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