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問われている
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カウンセリングをしていると、長らく抱えている問題が一向に良くならず、時には悪化してしまうという事態に直面する方と出会うことが、よくあります。
状態を良くしようと思って努力しているにも関わらず、状態は好転せず、むしろこじれてしまう。
まるで、アリ地獄に足を取られてしまっているかのようです。
真面目で、律儀で、がんばり屋さんである人ほど、そのような悪循環にはまってしまうような印象を受けます。

そのようなケースに共通しているのは、問題に焦点を当てていること。
つまり、問題以外の部分では普通にできていることがたくさんあるのに、問題に異様に注目し、どうにかして解決しようとするあまり、逆にその問題が大きくクローズアップされている状態です。
また、問題が生じているのは、今の自分や過去の出来事に原因があるという認識。
つまり、問題のとらえ方が原因論的(今の問題には原因があるという解釈の仕方)になっています。
そして、その問題を克服するために、猛烈な努力を始めます。
努力した結果、思うような問題の改善が見られない時、落胆して、絶望してしまいます。

私たちは、日々出会う現実を解釈するときに、それぞれ独自の方程式のようなものを無自覚的に使用しています。
ここでいう方程式というのは、「こうだからこうなる」という、物事の因果関係に関する解釈のことです。
上記のような問題が起こる場合は、その独自の方程式によって苦しんでいることが多いと感じます。
いつも、私たちを苦めているのは、現実そのものではなく、現実に対する解釈の仕方です。
現実が苦しいものであるなら、その現実をどのように解釈しているか、そしてその解釈によって導き出されている解決方法そのものを変更していく必要があるはずです。

以前、問題に対する強力な努力が実を結ばず、かえって悪化して悪循環にはまり込んでしまい、おまけに精神症状もひどくなって、もう生きているのがしんどい…という方にセラピーをしていた時のこと。
見るからに疲れ切り、精魂尽き果てそうなその方に、身体への手当てをしました。
すると、とても静かなのです。
焦燥感のある表向きの顔とは裏腹に、魂の部分と言えばいいのか、無意識的な部分では、寂静。
そして、今その方が有している問題も、それに翻弄されているその方もすべて包含して、静かにそれを観ているもう一つの意識のようなものを感じました。
その時、人には表層的な意識の奥に、深層的・本質的な意識があり、その深層的意識のレベルでは、全て分かっているのではないかと感じずにはいられませんでした。
今その問題が生じている理由も、そしてその問題に直面することがその人にどのような恩恵をもたらすのかについても。

もし、そうなら…
今、直面している問題が自分にとってどのような意味を持つのかを、そのような本質的な意識から解釈してみると、どのように捉えられることができるでしょうか。
この視点を持つと、ある種の逆転が起こります。
それは、今起こっている問題に「なぜ?」と問う立場から、逆に問題に問われている立場であると気づくことによってもたらされます。
つまり、私たちは、「どうしてこんなに苦しまなければならないのだろう」「なぜこんなことが起こるんだろう」と問う立場にいる限り、問題から抜け出すことができません。
逆に、私たちは問題の方から、「あなたは、今の問題をどのように捉え、それにどのように対峙していきますか?」と問われているのではないでしょうか。
そのように捉えることができた時、私たちは、問題に憔悴し辟易する無力な存在では無くなります。
運命に翻弄される立場から、運命を能動的に引き受ける立場への転換が起こるのだと思います。

そういうことでいえば、直面する苦しみや困難さというのは、私たちが真の意味で人生を生きることとはどういうことかに気づかせてくれる貴重な機会のように、思えてきます。


  感謝と愛をこめて



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by ramram-yoga | 2017-11-27 22:44 | 心理学とヨーガ | Comments(0)
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