人気ブログランキング | 話題のタグを見る
    Ram-Ramのホームページはこちらをクリックして下さい
反省させると犯罪者になります
今年最初のブログ更新となります。
皆様の年初めは、いかがでしたでしょうか。
私は、年末ぎりぎりまで修士論文の執筆や研修会への参加で忙しく、年始にやっと大掃除や年賀状書きをすることができ、今になって一息ついているところです。

さて、ここ2年ほどは、本を読んだらほとんど読みっぱなしにしていました。
しかし振り返ってみて、やはり読んだ本は読み終わった時点で自分なりに文章にまとめて振り返る作業をした方が、後々自分の身になりやすいと感じました。
ということで、今年は沢山の本を次々読むというよりは、1冊1冊丁寧に読むことを意識して、読書をしてみようと思います。

今年やっと読み終えた第1冊目は、なかなかインパクトのあるタイトルでした。

  『反省させると犯罪者になります』 岡本茂樹 著

今通っている大学院の教授であり、精神科医の先生お勧めの一冊です。

殺人などの重篤な犯罪を犯した服役者の更生に長年携わってきた著者によれば、刑務所において行われている“反省させる”という更生教育は再犯防止に効果的ではないばかりか、むしろ服役者の再犯率を高める危険性があるというのです。

その不思議なメカニズムは、次の通りです。
まず、重篤な犯罪に関わらず、違反行為や迷惑行為をして相手に謝罪しなければならない場合、謝罪する側のほとんどは、心から「相手に悪かった」と考えてはいないのだということです。
例えば、自分の車を誤って相手の車にぶつけてしまった場合、相手に平謝りしながら心の中には相手に対して申し訳ないという思いはほとんど無い。
その代わり、心の中に充満しているのは自分が払わなければならない金額等、事後処理に関する不安であったり、「何でこんなことをしてしまったんだ」という後悔の感情、また、相手の人がいい人でよかったという安堵感など、要は自分のことしか考えていないのだということ。
そして、相手に対して本当に悪かったな、という謝罪の気持ち、少し状況が落ち着いた後になって初めてわいてくるのだそうです。

殺人などの重篤な犯罪もしかり。
殺人を犯した人たちの心境とは、被害者や被害者家族に対する「悪かった」という罪の意識ではなく、むしろ被害者に対する怒りや恨みさえ抱いている場合も少なくないのだそうです。
そのような心理状態にある受刑者に対し、無理に反省文を書かせるなど「反省させる」ことの危険性を、筆者は繰り返します。
なぜならその行為は、犯罪を犯すまでに至った受刑者の内に鬱屈している怒りや悲しみ、苦しみの感情を押し込めてしまうからです。
それよりも、まず、受刑者の気持ちをよく聞き、渦巻いているネガティブな感情や思いを吐き出させることが先決であり、そのために“ロールレタリング”という手法が用いられています。

このようにして受刑者が次第に自己理解を深め、少しずつ自分自身を大切にする感情が育っていった時、被害者に対する謝罪の気持ちが初めてわいてくる。
幸せと同時に苦しみも大きくなり、誰が強いることなく犯人は重篤な犯罪を犯したという重い事実を背負っていくようになるのだそうです。

本の後半は、反省だけでなく、「しつけ」という価値観の押し付けから生じてくる生き辛さについても触れられています。

 「我慢できること」という価値観を強く刷り込まれたものは、
 「我慢できない者」を見ると、その人の我慢できない態度が許せなくなります。
 「1人で頑張ること」が大切だとたたきこまれた者は、
 「1人で頑張れる途中であきらめてしまう人」や「他者にすぐに助けを求める人」を目にするとイライラします。
 「弱音を吐いてはいけないこと」が当たり前と思っている人は、
 「人に迷惑をかけられる人(=人に甘えられる人)」を見ると、腹が立ってくるのです。


人は知らず知らずのうちに、「○○であらねばならない」といった価値観に縛り付けられていて、にもかかわらずそのことに無自覚であるとき、それを人の中に見てしまうのですよね。

私はといえば、昨年の秋あたりから、これまで目をそらしていた部分を突きつけられるということが立て続けに起こっています。
最近も、2日続けて違う人から、今まで言われたことはないけれど、うすうす自分ではごまかしていると分かっている部分をストレートに指摘されて、かなり落ち込みました。
でもやはり、気づいていることは大切です。

教師や警察官、私たちのような対人援助職に従事している人は、相応の人格が伴っていないにもかかわらず「先生」と呼ばれたり、模範的行動を暗に期待されているのを感じ、知らず知らずのうちにそのイメージにふさわしくない自分の側面をあたかも無いかのように葬ってしまうことがあります。
子育て中の親にも「親としてこうあらねば」という意識は少なからずありますから、当てはまると思います。
そうなると、本当は甘えたい自分や、だらしない自分、弱い自分を、許せていないことがあるのですよね。

しかし、自分のことを許せず、自分の弱さを認めることのできない人が、目の前の苦しんでいる人に心から共感し、その人が自分を許していくプロセスを後押しすることが、果たしてできるのか。
まずは、自分の弱さを知らなければいけない。
そんなことを感じさせられました。
by ramram-yoga | 2016-01-16 20:57 |
<< 感情に寄り添う音楽 10月の読書本 >>