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ヤーマ・ニヤーマ論争
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4月5日の研究発表が、無事に(?)終わりました。
ヨーガの中でも、自分が一番関心を持ち、かつ大切にしてきた部分を、今自分ができる精一杯の形にまとめて発表させていただきました。

医学・哲学・宗教学・農学・鍼灸学・看護学・心理学と、幅広い分野の方々からご意見をいただき、思ってもいなかったような視点に気づかされたり、新たな課題が浮き彫りになったりして、本当に有難かったです。

アウトプットばかりに気をとられて、実践がなおざりになってしまってはいけませんが、アウトプットすることで確かに変わっていくことがあると思います。
なぜなら、アウトプットというのは、意識という光をそこに当てる、という作業だからです。
意識の光を当てると、その対象に生命力が吹き込まれ、息づき、発展していく・・・。
そんな感覚を、確かに感じています。

さて、研究会ではいろいろな議論が展開しましたが、中でも私にとっては意外なことが、結構な議論に発展しました。
それは、ラージャ・ヨーガの8段階の修行法(禁戒・歓戒・座法・調気法・制感・精神集中・静慮・三昧)の内の1,2段階です。

1段階目は「禁戒(Yāma)」…非暴力・正直・不盗・禁欲・不貪
2段階目は「歓戒 (Niyāma)」…清浄・満足・苦行・読誦・信仰心涵養

「これがなぜヨーガの修行法に含まれているのか?」
「世俗の生活の中で守りきれない(破らないと上手くやっていけないこともある)」

これらの戒律は、その人が暮す文化水準によって守ることが求められるレベルも当然変わってきます。
しかし、よく考えてみると、今世の中で犯罪とか不祥事が起こっているのは、これらの戒律が守られていないからだということが分かります。
つまり、非常に初歩的であり、それと同時にこの上なく重要な事柄でもある、ということなのだと思います。

自分の中ではもう、当たり前のようになっていて疑問に感じることも無くなっていましたが、改めてその必要性や意義を考えさせられる貴重なきっかけをいただきました。
そして、このような一般的にみて行動規範と捉えられるものも、ラージャ・ヨーガでは、全てただひとつの目的のために為されるのだということ。

すなわち、心の働きを鎮め、自己本来の性質を悟っていくために。
by ramram-yoga | 2015-04-10 23:19 | YOGA
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