Ram-Ramのホームページはこちらをクリックして下さい
マジョリティとマイノリティ
a0118928_10425628.jpg

大学院の、ある授業でのひとコマ。

「僕は、生き生きと充実した生活をしている人には興味はない。
 興味があるのは、失意の中にある人だ。」

と、その授業の最初に仰った先生は、“このクラスの中に1人か2人はいるだろう、現在失意の中にいる人へ”と前置きをして、新聞の切り抜きを朗読されました。
そこには、激励などではなく、上手くいかないときは上手くいかないなりに、失態をしてしまったときは失態したなりに、そんな自分から目を背けたり逃げたりするのではなく、そこに留まり、誠実に淡々と対処していく勇気をもらえるような、静かで力強いメッセージがこめられていました。

今の世間を流れる風潮には、失敗を一度したらそれでお終いで、失敗は許されないというようなニュアンスがあるように感じられます。
また、集団では特に、声を大にして発せられる意見や多数派に多く注目が向けられ、マジョリティがあたかもその集団そのものを代表するかのように錯覚されてしまうことは、少なくないと思います。
しかし、本当は“大多数=全う”とか“大多数=正常”では無いはずです。
声にならない声、弱い立場にある人、少数派は、決して軽んじられるものではないから。
少しハッとさせられた、今回のメッセージでした。

・・・・・

私が所属している臨床心理学コースには、12人の多様流派の先生がいらっしゃるのですが、まず驚いたのは、それぞれの先生の個性の強さです。
同じ心理臨床に携わっている人でも、こんなにも多様な立場に立ち、こんなにも違う意見になるのか、と。
しかし、高い専門性、研究者としてのプロ意識、クライアントの利益を最優先に考える姿勢などに大いに刺激を受け、臨床・研究に携わる者としての自分のあるべき姿について、示唆をいただいています。


(写真は、大学敷地内にて。)
[PR]
by ramram-yoga | 2014-05-03 12:05 | 大学院生活 | Comments(0)
名前
URL
画像認証
削除用パスワード
<< なぜわれわれは悪をみるのか 4月の読書本 >>