「癸丑歳 偶作 (きちゅうのとし ぐうさく)」
十有三春秋 十有三春秋
逝者已如水 逝く者は已に水の如し
天地無始終 天地始終なく
人生有生死 人生生死あり
安得類古人 安んぞ古人に類して
千載列青史 千載青史に列するを得ん
(13歳となってこれまでを振り返ると、
月日は水の流れのように過ぎ去って二度と戻らない。
天地は永遠で始めも終わりも無い。
しかし人間には必ず生があり、死がある。
それならば何とかして歴史上の人物のように、
自分も日本の歴史上に名を連ねたいものだ)
月間致知3月号「頼山陽」より
***************
上の詩は、江戸時代の歴史家、頼山陽(らいさんよう)が13歳の時に作ったものなのだそうです。
最近、違う場面でこの詩に立て続けに出会い、印象に残りました。
13歳で二度とない人生にはっきりと目覚め、ゆるぎない志を既に立てていることは、私にとって衝撃でした。
私は今日で32歳。
この歳にしてようやく、心願を立てようと思うに至りました。
自分が二度とない人生を生きているのだと自覚した時から本当の人生が始まるのだとしたら、実はまだ私は生まれていなかったのかもしれません。
立ち止まっている場合ではない、言い訳している場合ではない。
被害者気取りをしている場合ではない、人目を気にして萎縮している場合ではない。
日常の雑事に取り込まれ、埋もれてしまっている場合ではない。
稚心を捨て去り、生まれ変わりたい。
もう人生は、始まっている。
しかももう、30年以上も前から。
あと、何年生きられるか。
きっともう、悠長に構えていられるほど長くはない。
この二度とない人生を、いかにして真に意義あるように生きるかを、常に心の奥底に置いて忘れないように。
そして、歳をとるごとに緊張感を増し、生を終える一呼吸までその緊張感を失わないような生き方を、していきたい。