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自然に産んで自然に育てることの意味
昨日(4月7日)は、プロジェクト『いのち』という医療従事者の方々の研修会にお誘いいただき、参加してきました。

今回は「自然に産んで自然に育てることの意味」と題され、女性の大きなライフイベントである出産がテーマでした。
講師の先生は、寝屋川で大谷助産院にて45年間開業助産師として地域のお産に携わっていらっしゃる大谷タカコ先生、仏教大学看護学科教授で出産に関する世界情勢にも大変お詳しい日隈ふみ子先生、そして大谷タカコ先生の助産院で実際に2人のお子さんを出産されたお母さんの体験談などもありました。
非常に興味深く、一人の出産経験を持つ母親として、また今後また出産するかもしれない身として、とても貴重なお話を聞かせていただきました。

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私自身も、現在1歳10ヶ月になる息子を助産院ツルマタニティクリニックで出産しましたが、今思うと助産院だからこそ自然分娩ができたのだと思います。

なぜかというと、私の子どもは妊娠後期に逆子になりました。
逆子の状態では、普通病院では帝王切開となります。
それを、先生は私のお腹に手を当てて「こっち、こっちよ」とお腹の赤ちゃんに話しかけながら、頭が下向きになるように赤ちゃんを誘導してくださり、無事に頭が下になりました。

また、出産時は微弱陣痛が続きました。
微弱陣痛が続くと、普通病院では陣痛促進剤を使うことになると思います。
しかし先生は、エコーで赤ちゃんの頭が子宮口に対して少し首をかしげて傾いている状態になっていることに気づき、私のお腹の上から手で赤ちゃんの頭の位置をまっすぐに直してくださいました。
するとその途端に陣痛がどんどん強まり、赤ちゃんは間もなく生まれてきました。
まさに先生の熟練の手技は、私には神業のようにも思えました。

自然に産んで自然に育てることの意味_a0118928_12452653.jpg出産時は、畳のお部屋に敷かれたお布団の上で、夫に後ろから抱えられて産みました。
陣痛がどんどん強くなっていく間、部屋には夫と私だけで、夫は陣痛に耐える私の腰をずっとさすってくれ、私は自分の体が自然に動くのに任せていました。
そして、まさに赤ちゃんが生まれる時、明らかに自分のものではない力が身体の中で「下へ、下へ」と働き、ただただその強烈なエネルギーに圧倒されました。

生まれた赤ちゃんをすぐに胸に抱かせてもらった時。
感動というより、驚きました。
小さな命が、自分の体から出てきた不思議に。
初めておっぱいを吸わせた時、何の躊躇もなく当たり前のようにおっぱいを吸い始めた赤ちゃんを見て、なぜか涙が出てきました。

授乳指導をしっかりしていただいたおかげで、その後なんのおっぱいトラブルもなく、1年とちょっとで卒乳するまで完全母乳で育てることができました。
私にしっかりとしがみつき、私の顔をじっと見ながらおっぱいを飲む息子の姿、おっぱいを飲みながら眠りにおちていくなんとも言えない息子の安堵の表情。
その頃は、それが当たり前すぎて、あまりなんとも思っていなかったのですが、今思い返すとなんて幸せな日々だったのでしょう。
誰も入り込める余地のない、2人きりの時間。
日々の雑事で忘れていたそのころのことを思い出し、しばし幸福感に浸りました。

もうその日々は過去のものとなってしまいましたが、その日々があったということは、きっと私と息子を深く結び続けていると感じます。
もちろん叱ることもありますし、私の精神的な未熟さで感情的に接してしまうこともありますが、毎日「大好きよ」と抱きしめ、無条件に愛しいと感じられるのは、もしかしてその日々があったからなのかもしれないと、今回の講演を聞いて感じました。


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講演で、今のお産の現状がとても厳しいものであるという現実も知りました。
助産院でのお産は、全体のお産のたった1%なのだそうです。
自分がどのようなお産がしたいのか、それをしっかり吟味してお産のスタイルを選ぶのが理想ですが、そのような教育を受けていないために、私たちはあまりにも無知だと思います。
しかし、情報収集はしようと思えば、可能です。
受身ではなく主体的に、お産にかかわりたいと、強く思いました。

今回の研修会では、女性であることの幸運を感じました。
女性にだからこそ感じられる感覚、女性にだからこそ感じられる幸せというのが、きっとあるのでしょうね。
by ramram-yoga | 2013-04-08 12:16 | 心身医学・統合医療
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