Ram-Ramのホームページはこちらをクリックして下さい
中心軸
a0118928_22400392.jpg

人が悩んでいるとき、苦しんでいるとき、行き詰りを感じているとき。

そのような時、その方のプラーナ(エネルギー)をみてみると、どこかで詰まって流れが悪くなっていたり、外界との間に強力なカラを築いているためにこもって流れが滞っていたりしている状態なのだということが、今年に入ってかなりはっきりと分かるようになってきました。

では、その詰まりを起こしている正体とは何かというと、心理的なこだわりなのですね。
”鬱(うつ)”という漢字も、元々の意味は「塞がる」とか「こもる」という意味合いを持っていて、改めて、言い得て妙だと思うのです。

普段元気な人でも、「うーん」と悩み出したり、もやもやしたりしているのをみると、やはりエネルギーがうっ滞しています。
で、何が滞らせているのかというと、やっぱりそれもこだわりなのですね。
しかも本人は、こだわっていることに無自覚なので、解決への糸口もよく分からず、行き詰まる。
そのうっ滞を改善するには、気づくこと、手放すこと。


*****


それに加え、最近また違った感覚で相手の状態を捉えるようになってきました。
それは、その人にとっての中心軸の位置はどこにあるのか?ということ。
もっと言えば、その人は、世界の中心はどこだと思って生きているのか?ということ。

誰かの評価の中で生きていたり、「なんで」「どうして」と不平不満の中で生きていたり、自分の存在はとてつもなく広大な宇宙のとんでもなく微々たる一点だと認識している状態であれば、中心軸は自分の外にある。
そして、外側の中心軸に振り回され運命に翻弄されながら、ちっぽけな無力な存在として、受け身で生きる。

もう一つの生き方があります。
それは、中心軸を自分の中心に持つこと。
正確に言えば、中心軸がすでに自分の内側にあったことに気づき、そこを目覚めさせ、稼働させる生き方です。

軸を自分の中心に定めると、自分自身が人生の主体となり、能動的に人生を創っていく感覚が出てきます。
自分の立ち位置を定めることで、それに相応した世界が身の周りに現象化していきます。

そして、その軸を中心として、エネルギーの渦ができます。
求心力が強まるとともに、放射力も強まっていきます。
求心力とは、人をひきつける魅力でもあり、人以外にもいろんなものを引き寄せていく引力でもあります。
放射力とは、発信力をはじめとしたアウトプットや、芸術性豊かな表現として、現象化していきます。

一人一人に、世界の中心がある。
これが理解しにくいのは、四次元的に捉えようとするから。
”一即他、他即一”とは、こういうことを言うのだと思います。



ちなみにこの軸、気を抜いてると、結構すぐズレます(笑)
ただ今、ズレる瞬間をとらえられるよう意識していますが、心理的に受け身になるとズレるということは分かってきました。

そしてだんだんと、いかに軸を中心に定めるかというより、元々中心にある軸をなぜズラしてしまっているのかということの方がポイントなのではないかと思い始めています。
以前はほとんど意識化できていなかったこのプロセスを、もうちょっと精緻に観察してみたいと思っています。


愛と感謝をこめて






[PR]
# by ramram-yoga | 2018-10-10 22:43 | drawing | Comments(0)
あなたはすでに与える人
a0118928_22544348.jpg
癒えた人でないと、人を癒せないのか。
苦しみの中にある人は、与えることができないのか。

セラピストになってから摂食障害の症状が再発した私にとって、これはいつも大きなテーマでした。
癒えていないと、問題を乗り越えてからでないと、人を癒す資格はないと、思っていました。
でも、「そうではない」と、今の私は言いたい。
実際はそんなこと、関係ない。

今年に入ってまたいろいろと感じることがあり、先日心理の師匠から受けた教育分析も相まって、考えが変わりました。
長年「救済しなければ」と思っていた患者さんは、実は救済する必要が無かったのだ、ということが分かりました。
なぜなら、患者さんが苦しんでいるとすれば、今苦しみを体験することを選択し、そこから学んでいるのだから。
救済しなければならなかったのは、外側に救済すべき人を見いだし、必死にどうにかしようとしていた自分自身だったのでした。

患者さんのことを安心して見守ることができるようになっていくと、次第に患者さんが頼もしく思えるようになってきました。
そして、現在もこれまでも患者さんからたくさんの活力をもらっていたことを、実感するようになりました。
与えなければと思っていたまさにその相手から、実は与えられていたのですね^^


**********


だから、自分で自分に禁止しなくていいのです。
あなたが、誰かに何かを与えるということを。
誰かが「そんなのダメ」と言ったって、事実可能な事なのだから。

病気が治ってからじゃないとできないと、どこかで思っているとしたら、それは間違い。
今のあなたがどんな状態であれ、あなたは誰かに何かを与えることができる。
勇気づけ、癒すことができるし、実はもうすでにそうしている。

ウーンデッドヒーラー:傷ついた治療者)というユングの言葉がありますが、それとも共通しているのかもしれません。



愛と感謝をこめて





[PR]
# by ramram-yoga | 2018-10-09 23:35 | ことば・メッセージ | Comments(0)
演劇の舞台へ
a0118928_21470546.jpg
時々、患者さんやヨーガの生徒さん(以降、総称してクライアントさんと呼びます)から本や音楽、動画などを紹介してもらったりするのですが、それらにはできるだけ触れるようにしています。
その方の世界にそっと入らせてもらうような、私にとって貴重な機会でもあります。

私にとってクライアントさんの存在は、自分と切っても切り離せないくらい密接に関連しています。
これから進むべき道を照らし出して導いてくれる存在でもあり、また、共に切磋琢磨して気づきを深めていく同志のような存在でもあります。


************


昨日は、もう長い付き合いになるクライアントさんが出演する演劇の舞台を見に行ってきました。
彼女の演劇を観に行くのは初めて。

強い生命力がほとばしり、それはそれは迫真の演技でした。
すっかり物語の中に入り込み、気が付けば2時間弱の公演時間があっという間に終わっていました。

目の前で役を演じ切る彼女の姿を目の当たりにし、不思議な感覚に見舞われました。
苦しんできた姿を知っているからです。

舞台の上の彼女は、自分の中心に軸を持ち、肚から声を出し、そして周りを引き込む魅力を放っていた。
完全に、与える側でした。
「無い、無い」と、嘆く側ではなく。
現に、一日経過した今、昨日の舞台でものすごいエネルギーをもらっていたことを感じています。

いちファンとして、これからの彼女の活動を楽しみに見守りたいと思います。



愛と感謝をこめて









[PR]
# by ramram-yoga | 2018-10-08 22:54 | 最近のいろんなこと | Comments(0)
人間存在としての可能性を発揮する
a0118928_21582061.jpg
最近「妥協しない」ということを突き詰めていくのがとても面白い。

スケジュール、持ち物、服装、食べ物…。
意識化が可能な範囲において、「なんとなく」という感覚で選ぶのをやめていっています。

損得勘定や、周囲からの目、常識からも離れていきます。
そして、過去の成功からも離れ、未来を予想しての守り体制からも離れ、たった今の自分はどう在るのか。

そこに意識を向けた時、ピタッと寸分の違いなく、「これだ」とわかる。
その感性を、もっともっと研ぎ澄ませていきたいと思います。

そして、気づきました。
今までいかに、多くのものを無自覚的に受け入れていたか。
引き受けなくてもいいものを、いかに引き受けていたか。
それらが自分の意識を粗くさせ、覚醒を鈍らせていた。

妥協しないということは、意識化がきめ細やかになり、より多くのものに気づいているということ。

妥協しないでいると、いつかと思っていることの多くが今ここで展開し始める。
いつかしたいなと思っていたことも、未来を待たずに今すればいい。
いずれこうなっていきたいと思っている自分に、今ここでなればいい。

すると、未来だと思っていた展望が、まさに今ここに実現し始める。
そして、人間存在の可能性が余すことなく発揮され始める。
ものすごいエネルギー、そしてものすごい圧縮です。


*************


先日から習い始めた英文読解。
スラッシュリーディングという手法を学んでいます。

まだ2回レッスンに行っただけですが、あんなにちんぷんかんぷんだった英語の羅列が構文として見られるようになり、驚くほど読みやすくなりました。
a0118928_21582746.jpg




***************


11月17・18日に開催するライフ・ポートフォリオは、残席1名となりました。
ピン!と来た方、きっとご縁です。
「人生の意味を創る」2日間を、ご一緒しましょう^^


感謝をこめて


[PR]
# by ramram-yoga | 2018-10-06 23:01 | 最近のいろんなこと | Comments(0)
宗教的体験の諸相
a0118928_00010113.jpg
『宗教的経験の諸相(上・下)』ウィリアム・ジェイムズ著

主にキリスト教圏の人達の宗教的体験やそれに基づく生活のあり様について、膨大な資料やインタビュー内容が紹介され、考察されていきます。
中には驚くような体験も。
信仰生活に生涯をささげた人々の心的世界のあり様と相まって、読み進めるごとに意識の深い部分に印象を残すような著書でした。

内容は、ただ単に超常現象を紹介しているに決してとどまりません。
宗教の、そして人間の意識の本質的な部分に迫る洞察の鋭さが、今もなお読み継がれる名著であるゆえんなのでしょう。


********

私たちが合理的意識と呼んでいる意識、つまり私たちの正常な、目覚めているときの意識というものは、意識の一特殊型にすぎないのであって、この意識のまわりをぐるっととりまき、きわめて薄い膜でそれと隔たてられて、それとはまったく違った潜在的ないろいろな形態の意識がある、という結論である。
私たちはこのような形態の意識が存在することに気づかずに生涯を送ることもあろう。
しかし必要な刺激を与えると、一瞬にしてそういう形態の意識がまったく完全な姿で現れてくる。
それは恐らくどこかにその適用と適応の場をもつ明確な型の心的状態なのである。
この普通とは別の形の意識をまったく無視するような宇宙全体の説明は、終局的なものでありえない。
問題は、そのような意識形態をどうして観察するかである。

――というのは、それは正常意識とは全然つながりがないからである。
けれども、そのような意識は、はっきりした形を備えることはできなくても、人間の態度を決定することができるし、また、その位置を固定することはできなくても、ある領域を開拓することができる。

いずれにしても、そのような意識形態は私たちの実在観が性急に結論を出すことを禁ずるのである。
私自身の経験をふり返ってみても、それらの経験はすべてが相寄って、私が何か形而上学的な意義を認めずにはいられないような種類の洞察に集中するのである。
その基調はきまって和解である。
世界にはさまざまな対立があって、この対立するものの矛盾と葛藤から私たちのあらゆる困難や苦労が生まれてくるのであるが、その世界における対立物がまるで融け合って一体となってしまったかのような気がするのである。
それら対立物は、相対する種として、同一の類に属しているばかりでなく、それらの種のうちの一つ、つまり、より高くより良い種は、それ自身が類であって、かくして、その対立者を吸い取り込んでしまう。(下巻本文より)


************

一番衝撃を受けたのは、ウィリアム・ジェイムズが宗教的体験に関する研究にこんなにも手を広げていたということ。
ウィリアム・ジェイムズと言えばプラグマティズム(実用主義)という、その後さまざまな学問において科学的なもののとらえ方の基礎となる考え方を提唱した人であるというのに、この本はいわばその正反対のイメージの内容でした。

演繹的推論と帰納的推論とは別に飛躍的推論ともいえるアブダクションという推論概念を提唱した哲学者のパースと同じクラブに所属し、いろいろな研究や啓蒙を行っていたようですから、彼らは何かその時代を先導していくような天才的な思想家だったのでしょう。
本を通してその世界に触れられることは、ありがたくもあり、とてもエキサイティングです。

早速、ウィリアム・ジェイムズの『プラグマティズム』も注文しました。

愛と感謝をこめて

[PR]
# by ramram-yoga | 2018-10-06 01:08 | | Comments(0)