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マタニティ・ヨーガを勉強して
11月5日(木)~8日(日)の間、名古屋で開催されたマタニティ・ヨーガ指導者養成ベーシックコースを受講してきました。
この講座は日本マタニティ・ヨーガ協会が主催し、主に助産師さんなど妊婦にかかわる専門職のため日本各地で定期的に開催されています。
実はこの講座、ものすごい人気で、私も去年から何回も申し込んでやっと今回晴れて受講できることになったのでした。

講師であり医師である森田先生をはじめ、人間的に尊敬できるような素晴らしい講師の方々に、大切なことをたくさん教わりました。

・・・

マタニティ・ヨーガの一番の目的は、妊婦さんが出産によって新しい気づきを得て、自己成長できるようにお手伝いをすること。

妊婦さんがゆったりとした心理状態の中で自分の心身に気づき、本能的な欲求を表現していくことができるようにヨーガで手助けをしていきます。

妊婦さんは元々、赤ちゃんがおなかの中にいることで、一体感や愛といったことを感じやすいと言われます。
そして、普通の人より時間がゆったりと流れるのだそうです。
そういった、妊婦さん本来のいい部分を、引き出していくのです。

講座中は毎日、マタニティ・ヨーガの実習がありました。
この実習がすごくゆったりと気持ちよくて、日一日と時間の流れがゆったりとしていくように感じ、最終日には「幸せだなぁ」という思いに満たされていました。

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ゆっくり=幸せ

こんな結びつきを、体感しました。

マタニティ・ヨーガを指導できるようにと思って受講しましたが、早く私も妊娠してお母さんになりたいな、と思ってしまうような、とっても素敵な時間でした^^



sachie
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# by ramram-yoga | 2009-11-09 10:05 | マタニティ・ヨーガ | Comments(0)
ヴェーダンタ哲学勉強会
今日はヨーガスクエアディーバでヴェーダンタ哲学の勉強会があり、参加してきました。

講師は昨年まで10年間インドで生活をされていた、村井由佳さん。
笑い(時に爆笑)を誘いながら、それでいて要点を抑えたとても分かりやすい講義でした。

ヴェーダンタ哲学とはインドの“6派哲学”と呼ばれる中のひとつであり、数ある哲学の中でも特に人間存在の根源に迫り、人間の本質とは何かを解き明かしていきます。

・・・と、解ったように書いていますが、私もまだ雲をつかむような感じを持ちながら学んでいます。
ですが、とっても興味深く探究心をそそられる分野でもあります。

a0118928_042251.jpg「私とは一体何者なのか?」

この究極的とも言える問い。
これに理知的な思索を通して、迫っていくのです。

例えば私たちが、「私とはこの体。この体が私である」と、思っているとします。
実際私たちは、無意識のうちに自分の体=私と思っていることが多いと思います。
しかし、この肉体は10年もすればすべて細胞が入れ替わり、今の体は10年前とは全く違う別物です。
そう考えてみると、「この変わりゆく肉体は、私の本質ではない」という答えが導き出されます。

また別の例で言えば、「私とはこの心、思いである。この心こそが私である」と、思うとします。
しかし、心というものは、日によって体調によってとどまることなく変化します。
そして、「変化していく心も、私の本質ではない」ということになります。

このようにして、「これは私の本質ではない」「これも私の本質ではない」と、識別をおこなっていきます。
私は肉体でもなければ感覚でもない、感情でもない。
名前も、仕事も、国籍も、地位も私自身ではない。

そして、すべてが「私でない」と否定された後、最後に残るもの、それは何なのか?

その答えは、また次回の勉強会で、ということでした^^
次回を楽しみに、またここでもお伝えしたいと思います。



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# by ramram-yoga | 2009-11-03 23:37 | ヴェーダンタ哲学 | Comments(2)
ダライ・ラマ法王来日法話2009 その2
前回の記事の続きです。

ダライ・ラマ法王の法話の中にあった「他人に対して自分のことのように愛情を持ち、大切にする」ことについて、最後に質問が出ていました。

何も悪いことをしていないのに、他人からひどい仕打ちを受けたときにも、その愛の実践は可能なのかという質問でした。
無謀な運転をしていた他人のせいで、交通事故で家族を亡くしたというケースでした。

それに対して法王は、次のようにお答えになられました。

・・・

人を苦しめる行為は悪徳を積むことになるので、その人は後で必ず苦しむことになります。
だから、自分を苦しめる人に対しては、憐れみを持たなければなりません。
そしてもし、悪事を働こうとしている人を見かけたならば、これ以上悪徳を積まないように、できるだけのことをする必要があります。

・・・

自分を苦しめる人に対して恨みや憎しみを持つのではなく、逆にそのような悪徳を積む人には憐れみを持つという、価値観の大きな転換とも言える立場を教えてくださいました。

法王自身も亡命の際、本当に耐え難い苦しみの中におられた時にも、弾圧してくる中国政府に対して非暴力を貫き、平和への最善の道を模索してこられたその元となるようなお考えに、触れることができたような気がしました。
ただおっしゃっているだけではなく、そこに実践が伴っているところに、言葉の重さが感じられました。

a0118928_151157100.jpgそして・・・
愛を実践するには心の訓練が必要だということ。
そこには菩提心(正しい見解・智慧)が必要不可欠だということ。

そして、智慧というものは常に、個人個人が体験を伴った上で自分のものとしていくべきものなのだ、ということを、何度もおっしゃっていました。


法話が終わり、法王が舞台を降りられるとき、慈悲に溢れたそしてちょっと茶目っ気のある笑顔で、何度も何度も来場者に手を振って、名残惜しそうにされていました。

終わった後に、心にぽっと温かい灯りが点るような素敵な時間でした^^


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# by ramram-yoga | 2009-11-01 23:05 | 最近のいろんなこと | Comments(4)
ダライ・ラマ法王来日法話2009 その1
昨日は東京・両国国技館にて、来日されているダライ・ラマ法王の法話があったので、私も聴きに行ってきました(ダライ・ラマ日本代表部事務所HP)
私自身がダライ・ラマ法王にお会いするのは、2000年京都精華大学にいらした時以来9年ぶりのことです。
こんなに偉大な方と、この時代に生を同じくしていられることが、本当に幸せだと改めて思います。

今回は「さとりへ導く3つの心と発菩提心」という演題で、物事の捉え方や悟りへ至るための方法について、かなり深いところまで突き詰めてお話をされました。


本当に盛りだくさんだった内容の中から一番印象に残ったものを、記したいと思います。
それは、「苦しみ」についてのお話です。

・・・・

人生の中で起こってくる様々な問題や苦しみは、すべて自分が作り出している。
そしてその苦しみの根本的な原因とは、自分と他人とを分け隔てて考えてしまうことにある。
自分と他人とを隔てて考えることによって、恐怖や心配や傲慢さなどという煩悩が生まれてくる。

では、苦しみを克服するにはどうしたらいいのか?
それにはまず、自分と他人は同じだということ―他人を苦しめることは実は自分を苦しめることにもなるのだと気づくことが必要である。

a0118928_111170.jpgそしてそのように自分と他人とを同じに見るような愛を育んでいくには、心の訓練が必要である。


・・・・

その心の訓練として、法王は一つは宗教的な修行を挙げられていました。
しかし、宗教色の全くないところでも、そういった心の訓練は可能だ、と言われていました。
例えば日々愛や慈悲深さについて、考えること。
今のありのままを、注意深く観察すること。
一時的な感情や欲望に翻弄されないように、どんなときでも理性を伴った判断や行為ができるように、心を少しずつ少しずつ慣らしていくことが必要なのです、と。


このお話に対して、最後に来場者から質問が出ていました。
「知り合いが交通事故で家族を亡くしてしまいました。
 その家族はちっとも悪いことをしていないのに、どうしてこんな不幸な目に遭うのでしょうか。
 こんなときには、家族を殺した相手を愛することができるとは思えません」
こんな質問だったと思います。

これに対する法王の答えに、深く感動しました。
長くなったので、この続きは明日にでも書きます^^



sachie
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# by ramram-yoga | 2009-11-01 10:13 | 最近のいろんなこと | Comments(6)
自分の変化
最近、「ヨーガに出会って、何か変わったことはある?」と聞かれました。
そこで、ヨーガの智慧と出会ってから今までのことを、考えていました。

そして一番に思い当たったこと。
それは、周囲の人に対して親しみの思いがどんどん湧いてきたことです。

以前の私は今思えば、人と自分との"違い"にばかり目を向けていたような気がします。
「私はあの人とは違う、この人とは違う」
違う違うと、他人との境界線を作っては自分のアイデンティティを必死に守ろうとしていたのかもしれません。
そして、孤独感をよく感じていました。

しかし、今は、他の人と自分とをがんばって区別する必要を感じなくなりました。
周囲の人の中に自分と同じものをたくさん見ることができます。
みんな、自分と同じように悲しみ、苦しみ、喜ぶ存在なんだと思うと、よく感じていた孤独感や敵意も、減っていきました。
人前で自分をよく見せようと必死になって、後でくたくたになることも、少なくなりました。


a0118928_23492914.jpgそして、今まで自分が思っていたよりも、はるかに広くて素晴らしい世界を、少し垣間見ている気がします。
五感の他に、何かもう一つ知覚のセンサーが増えたのか、と思うくらいです。
音楽を聴いても、道端で花を見ていても、「この世界はこんなに美しかったのか」と感動させられる毎日です。

書いていて、大げさ?と思いますが、でも本当にそうなんです。
4年前、ヨーガの智慧に出会った頃の私には、想像もしない自分の変化です。


ヨーガではよく、"意識化の範囲の拡大"という言葉が使われ、それが大きな目標の一つとされています。
"意識化の範囲の拡大"とはその言葉のとおり、自分の意識し得る範囲を広げていくこと。
そして自分の狭い視野や限定された価値観から開放されること。
物事の持つ多くの面を見、善悪の判断から離れて、洞察していくこと。

物事や周囲の人に対する深い理解を得るということは、実は自分を深く知るということ。
すなわち自分自身を探求することは、そのまま周囲・世界に対する理解を深めることにつながります。

その理解が少し深まったとき、目に映る世界が確実にその色彩を変えていく。
そんな経験をしました。

まだまだこれからも、目に映る世界の色合いは変わっていくのだと思います。
今まで当たり前だと思っていたことが、どんどん不思議に思えてきます。
これからどんな未知の世界が広がっていくのか、楽しみに思う今日この頃です。


sachie
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# by ramram-yoga | 2009-10-29 00:07 | YOGA | Comments(0)