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もうひとつの顔
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ある方の、幼い子どものような姿。
この人の中の、もう一面の顔ですね。
純真で、無垢。
影響を受けやすく、外側からの承認無しでは不安で仕方ない様子も伝わってきました。

一方で、何か言いたげ。
そう、この子はこの子なりにちゃんと感じていることがあり、「こうしたい」「ああしたい」といったはっきりした意見も持っています。
きっと、子どもの頃からずっと、はっきりとあったのです。

その、もうひとつの自分の顔に気づき、その声を聞いてあげられるかどうか。
それがひとつのポイントになりそうです。


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人には、普段全面に出ている表面的な私とは別に、もうひとつの顔があるように感じます。
まるで人格が分裂しているのかと思うかもしれませんが、そうではなくて、人間の意識とは一面的ではなく、重層的であることによるのだと思います。

ストレス性疾患にかかっている人、生きづらさを感じている人は、そのもうひとつの顔の存在を忘れてしまっているか、その顔と表面的な私との調和がうまくいっていないのではないかと感じることが多いです。
周囲の目に映る自分のことにばかり意識がいって、実際にどう感じ、何を思っているのかに、自分自身でほとんど気が付いていません。

そうすると、それに代わって身体が症状やしんどさという形をとって表現してくれます。
症状とは、もうひとつの顔からの無言のメッセージなのだと思います。

症状や生きづらさを今感じているなら、もっと自分と調和して幸せになるために変化しようとしている兆しなのだと捉えてみてはどうでしょうか。
そのような理由から、時々、症状をもっていらっしゃった方に、「おめでとうございます」と言いたくなることがあります。








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# by ramram-yoga | 2017-07-11 04:57 | drawing | Comments(0)
聴くということ
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相手の人に見えるイメージを題材にして相手の人とやりとりをすると、やりとりというものが普段の会話と質が違ってくる、というようなことを、最近鍼灸でお世話になっているくつろかの院長さんに話したら、「それって、本来の意味の会話なんちゃう?」と言われました。
「会話」はもともと「会和」という漢字だったらしく、ただ言葉でのやりとりというより、”和”のための交流のような意味合いが、会話にはあったのだということでした。

確かに、イメージというものは相手側に固定しているものではなく、必ず見る側の存在があって成立していて、相手だけでも私だけでも成り立たつことのない、まさに関係性の中で生じてくる現象であるわけです。
そして、そのイメージは驚くほど、その時のその人との間で、溶け込むようにマッチしているのですね。
もうちょっと、この自分と相手との間に立ち現れてくる光景(イメージ)と、じっくり付き合ってみたいと思っています。

昨日は釈撤宗著「死では終わらない物語について書こうと思う」という本を読んでいました。
そこには、過去に様々な信仰修行を行ってきた人がどのように死に、死の前にどのような言葉を口にしたか、ということについて、バラエティ豊かに記されていて、とても面白かったです。

その中で著者が最後に書いていてことが、印象に残りました。
死に対する問いや、恐怖に対して対応できるのは、物語(ナラティブ)なのである、と。
なぜなら、「なぜ生きているのか」「死んだらどうなるのか」という問い自体が事実そのものではなく、生きて死ぬという事実に意味づけを加えようとする物語の中で生まれてくるものなのですから。

そのようなことを前提として、人の苦しみとは何なのか、ということをもう一度考えてみると、これはもう、疑いようもなく、物語の中で生じてきているものなのだ、ということが分かります。
その意味では、肉体上の健康とか病気等と、苦しみとは、あまり関係していないのではないでしょうか。
たとえ病気でも、その人の苦悩を、究極的に受け入れ、寄り添ってくれる存在がいるとすれば、それはその人は、もう苦しみの中にいないのではないでしょうか。
反対に、健康であっても、孤独感にさいなまれ、絶望している状態は、苦しみそのものです。

それでは、苦しんでいる人の前で、私に何ができるのか。
それは、聴くことなのだと思います。
ただ、言葉を耳でとらえるのではなく、その人全身から発せられるものを、こちらも全身で聴く。
その人と私との間に、一回限りで立ち現れてくる言葉は、まさに一期一会です。

本当の意味で”聴く”ことができた時、セラピスト側にクライアントを治そうとする意識が生じなくなり、セラピストはクライアントの中に完全性を見ることができるようになるのではないかと思います。
そしてその時に初めて、クライアントはセラピストを鏡のようにして自分自身を見ることができ、本当の意味で自立していくことができるのではないか。
そんな風に感じている、今日このごろです。






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# by ramram-yoga | 2017-07-10 15:53 | 心理学とヨーガ | Comments(0)
いろいろなからだ
引き続き、色々な人を見て感じていることを、絵に描いています。

話をしていると言葉ではとても不安そうだったり、大丈夫かな?とこちらが心配してしまうような人でも、からだの方をみると、「大丈夫っ!!」っていう言葉が飛び込んできたり、じわじわと安定感・安心感のようなものが伝わってくる人がいます。
そういう人のことは、ある程度安心して見守ることができます。

その反対の人もいます。
会話していても一見笑顔だったり、穏やかだったりする人の中に、とても痛々しいからだの人がいます。
まるで、少しでも触れると痛くて飛び上がってしまいそうなくらい、ヒリヒリとした生々しい傷口を、皮膚一枚の下に潜ませている。
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青い四角形の、小窓のようなものが、ありました。
このお方の外界とのつながり、もしくは突破口を示唆しているように、感じました。


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いろいろとミスをしてしまうとおっしゃっていたまた別のお方。
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頭の中で、灰色をしたマナス(意思・意識の流れ)が、混乱して錯綜しています。
よく見ると、アナハタ・チャクラ(胸)の方ではもっと混乱していました。
そして、胸のあたりで、とても悲しそうな顔をしているその方が見えるのです。
自分に自信が持てない、OKを出すことができない。
人間関係や仕事上のタスクについての混乱の元凶は、そこにあったようです。



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こちらは、最初何を観ているのか全く分かりませんでした。

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ただ、眺めていると、このような印象がどんどん強まっていくのです。
女の方なのですが、男性的な勇ましさを感じました。
だんだんと、これは人生で何かをやり遂げようとする、強靭な意志の表れのように感じられてきました。

後でご本人に確認してみると、大きく頷きながら「そうです」と即答されました。
ただ、しんどくなっていたのは、そこに義務感が加わっていたからのようです。
ずっとずっと、義務感に支配されてきたのだそうです。
それでは、なぜそんなに義務感を感じたのか?
そう問うと、過去にあった喪失体験のお話をされました。


みんな、いろいろな人生を、いろいろな”からだ”と共に、生きています。




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# by ramram-yoga | 2017-07-08 17:21 | drawing | Comments(0)
続・お絵かき

描き始めたら、止まらなくなってしまいました(笑)

こちらは、自分の内側の光景。
スシュムナー管ではないかと思います。
数年前にこれが見えてから、プラーナ(気)がムーラダーラ・チャクラ(第一チャクラ)まで下りる感覚がつかめました。
自分の内側を観ているのに、なぜスシュムナーの全体を客観的に見ることができたの?と言われましたが、こればかりは私も分かりません^^;
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こちらは、体内の細胞が一つ一つ覚醒した図。
始原東洋医学という鍼灸の手法で初めて鍼灸を受けた翌々日に起きた出来事です。
とても表現できる色ではありませんでしたが、敢えて表現すると、こんな感じ。
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こちらは、あるお方。
近くでお話をしているときには普通に見えるのですが、遠くから見るとこんな感じ。
とにかくすごいエネルティッシュで吸引力のあるお方です。

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こちらは、また別のお方。
頭頂と前頭葉にキラキラした粒子状のものが集中し、ものすごいスピードで行き交っていました。
その割に、首から下が空虚な感じで、首のあたりで詰まりを起こしてしまっているような感じでした。
「どうしたらいいでしょうか?」と、尋ねられたので、マナス(意思鞘・思考の状態)を少しスピードダウンした方がいいのでは?と思い、深呼吸してリラックスし、体を緩めてプラーナの状態を整えるといいのではないでしょうかと、お伝えしました。
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# by ramram-yoga | 2017-07-07 11:01 | drawing | Comments(0)
からだは嘘をつかない
あるお方の胸(アナハタ・チャクラ)のあたりで見えた光景。
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こちらは、また別のお方。
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こういった光景は、固定的に存在しているのではなく、あくまで私とそのお方の関係の中でこそ見えてくる、一期一会のものだと思っています。
ですが時々、外見からの印象とあまりにも違い、はっと息を飲んでしまうこともあります。


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一見、無表情でクールな人でも、からだの方をみると、とても情熱的だったりします。
そういう意味で、からだは嘘をつくことができません。

日常生活で、心を全開にしていると、とてもじゃないけどやってられないことが多いと感じます。
傷つかないようにガードしていることは、今の時代、ある意味で健全な選択だと思います。
しかし、そのうちに、だんだんとガードしていることすら忘れてしまい、自分の中にとても繊細で、豊かな感性があってそこでいろんなことを感じていることをも忘れてしまっていることがあります。

でも。
いつも、感じています。
自分だけは、それを分かっていたいものです。

いくら、「もういい」とか「別に問題はない」と頭で思っていても、からだの方をみれば、本当にそうなのかは一目瞭然です。
あなたに今、どこか身体や心の不調があるなら、からだに尋ねてみてください。
何かを必死で、あなたにアピールしているのかもしれません。

そして。
そんな自分を、愛おしいと思いませんか。





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# by ramram-yoga | 2017-07-06 19:35 | drawing | Comments(0)