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苦しみの中にあるとき
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今、苦しみの中にある人は、実は光に最も近い人なのではないかと、思っています。

私は長い間、摂食障害という病気で苦しんできました。
摂食障害の中に過食嘔吐という症状がありますが、これには、とことん苦しめられました。
摂食障害の苦しさの中に、“自分でやっている行為なのにどうしてもやめることができない”というものがあります。
毎日毎日、わずかに残っている自尊心や前向きな気持ちを、根こそぎなぎ倒される、そんな日々でした。
これは、経験したことの無い人には想像もつかないかもしれません。
少なくとも私は、この病気になるまで、このような感覚を知りませんでした。

そして、自分の中に闇の存在を感じ、その闇にいつ襲われるかと、おびえていました。
この”闇”とか”魔物”という感覚、これは、摂食障害にかぎらず、苦しい時期に感じたことのある人も多いかもしれません。
ふと一人になった時に、この闇が突然うごめきだし、私を覆いつくそうと迫ってくるのです。

今、私の中に、闇の存在はありません。
また闇に襲われるのではないかという恐怖も、ありません。
反対に、今私を溢れんばかりに満たしているのは、愛・光・歓びといった感覚です。
それが私の本質だということに、気づいたからです。
もちろん、ネガティブな気分になることもあります。
でも、それは私の本質とは全く別者なのだ、ということを知っているので、どっぷりハマりこんでしまうことはありません。
すぐに笑って、切り替えることができます。
これは自制心の問題ではありません。
自分の本質が愛だと気づいているときに、ネガティブになりようがないのです。



もし、あなたが今苦しみの中にあっても、この記事を読んで何か感じることがあるとするなら、それはあなたが、自分の本質的な部分が気づいているからです。

あなたは、闇に苦しめられたり圧倒されたりするような、小さくて弱い存在ではありません。
その闇を明るく照らし、さんさんと輝く光です。



あなたの本質は、愛です。

あなたの本質は、輝く光です。




あなたは、愛そのものです。

あなたは、光です。




   愛と感謝をこめて






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# by ramram-yoga | 2017-10-30 07:12 | ことば・メッセージ
私たちの本質は、輝く光
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昨日から読み始めていた五井昌久著『霊性の開発』を、読み終えました。
内容もさることながら、最近感じていた自分の感覚と、本書で書かれている文章の語感が、驚くほどフィットするのです。

例えば、本文に「神仏と人間とが、光一筋のもの、一体のものである」とありますが、この ”光一筋” という表現、これは今私がまさに感じていた感覚でした。
今の自宅は近所に神社がたくさんあり、毎朝必ずどこかの神社に参るのですが、本堂の前であいさつをすると、天から一筋の光がまっすぐ降りてきて、頭頂から入ってくるのです。
それはそれは明るく、清らかで颯爽とした光です。

そして、その光を、ヨーガやカウンセリングにいらっしゃる方に、流すようにしています。
私がそのように考えてやっている訳ではなく、何かそのような意図が生じてくるのです。
こちらから何も言わなくても、気感の鋭い方は太陽のような明るさや、熱感を感じ取ってくださいます。
そういうことも、この本に書いてあったのですね。
「世界人類を平和にする、光明の波を、この世の中に放送」する、という表現で書かれていました。

また、「愛が満ち満ちる」という表現も、私が感じている愛の感覚とぴったりです。
この世界の本質は愛であり、愛がいたるところに遍満している。
愛が足りないと思うのは、その無条件の愛に対して、心を閉ざしているだけなのだと思うのです。

そして、霊性が開発されていくことによって、次のようなことが生じてくると書かれています。

・現れてくる悪や不幸にとらわれなくなってくる。
・怒りや妬みや、焦りの思いがへってくる。
・自分自身の存在価値を、いつの間にか、強く認識している。
・自分自身の生活が悪くなりっこない、という確信がついてくる。
・本心(自分の本性)と業想念(自我による移ろいゆく情感)の区別がはっきりついてくる。

これらはすべて、自分の変化として実感していたことでした。

まるで、”それでいいですよ、その道を進んでいきなさい”と、言ってもらっているようでした。
とても不思議ですが、私を導いてくれる人格のようなものをはっきり感じました。
面白いですね^^





さて、今日は本当は、鹿児島に行く予定だったのですが、あいにくの台風でキャンセル。
こんな光を放つ人のところへ、行く予定にしていたのですが・・・。
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この光の主は、ある医院の先生です。
とてもまぶしい閃光を放っていて、時々その光で先生の姿が見えなくなってしまうのです。
先日ご本人にこの絵をお渡ししたところとても喜んでくださり、院長室に飾って毎日見てくださっているそうで、なんとも光栄です。

このように、私には、精神の高みに達している人が、それぞれいろいろな様相の光を発しているように見えます。
ですが、一度だけ、自分の意識状態がとても精妙になった時に見えた光景は、圧巻でした。
周りにいる人たちがひとり残らず、清らかな光を発しているのが見えたのです。
驚いて目をこすり、何度も瞬きしたのですが、同じでした。

私たちの本質はきっと、輝く光そのものなのではないでしょうか。
誰の内にも聖なる神性が宿っているのですから、絶えずそこに意識を合わせ、光を見出す。
私はこれから、自分の通常の意識状態をそこまで高めていきたいと思っています。



愛と感謝をこめて


(写真は徒歩5分のところにある椎尾神社。
男性性を感じさせる、とてもエネルギッシュな光が降りてきます。)



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# by ramram-yoga | 2017-10-28 15:27 | ことば・メッセージ
すべては必然
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またまた、すごい本に、出合ってしまいました。
五井昌久著『霊性の開発』。
五井昌久とは、あの有名な”世界人類が平和でありますように”の方です。
よく知っているのに、この人の思想に触れるのは、はじめてです。



人間は一生のうち逢うべき人には必ず逢える
しかも一瞬早過ぎず、一瞬遅すぎない時に



これは、私の尊敬する哲学者森信三の言葉ですが、この言葉は真実ですね。
起こって来る出来事に偶然というのは、ありません。
すべての出会いが、必然でしかありえないのです。
なぜなら、世界とは自分の意識(こころ)なのですから。

まだ読み始めたばかりですが、内容の要点と采配にざっと目を通し、これを昭和36年に書いた人がいたのかと、少し不思議に思いました。
今自分が考えている内容と、ピタッと一致する感覚があるのです。

今月はバタバタと過ぎてしまいましたが、来月は少し落ち着いて本が読めそうです。
読書の秋、ですね^^


  感謝と愛をこめて








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# by ramram-yoga | 2017-10-27 23:20 | ことば・メッセージ
気づきはバッハの音楽とともに
昨日のブログ記事を書き終えた後、京大のゼミへ。
あの体験は、そのゼミに提出するレポートの内容を論考していた時に突然やってきました。

気づきというのは、最初は体験からやってくるものであるけれど、それを自分のものとして落とし込んでいく時に知的に理解する過程が必要となってくるのだと思います。
深い気づきの体験は身体感覚を伴います。
しかしそれは、理性的な働きによって考えを進めているときなのです、いつも。

昨日の気づきをもとに、今の私の真実を、簡潔に文章にしてみます。
それは…

*****

目に映る世界のすべてのものは、わたしの意識(こころ)に、即時即応的に応答している。
世界は、わたしの意識そのものである。

*****

この、世界と自分とに全く隔たりや距離の無い感じが、まさに ”わたしが世界” なのです。
だから、意識が変容すると、たちどころに目に映る世界が変化するのですね。
私は、世界を観ることで、実は私自身をみていたのです。


このことを何度も反芻するときに聴いていたのは、この音楽。
バッハのブランデンブルグ協奏曲第5番第1楽章ニ長調。
カラヤン指揮、ベルリンフィルの演奏で。


この音楽は、私が中学時代、生きていることにほとんど絶望していた時に、掃除の時間に毎日流れていました。
永久とも思える時間の流れの中で、瞬く間に消えていく自分の命のことを思うと、気が遠のいていったものです。
このことに気が付いてしまったことを後悔し、こんなことに考えが及んでしまう人間として生まれてしまったことを、憂いていました。
そんな自分の心境とは裏腹の、明るいこの曲の出だしが、そんな私の絶望感を余計に掻き立て、孤独感が増していきました。

でも。
この1楽章は、中盤から曲調が変わります。
チェンバロのソロの部分、この部分までは、確かあの掃除の時間には流れていなかったはず。
でも、そのソロの部分が、圧巻なのです。
躍動しながら迫ってくるように感じられる部分があります。
今回のこの気づきが、そのソロの部分にフィットしました。

チェンバロのソロの部分からはじまる動画も発見。



絶望感を感じていた頃から、こうしてある種の死生観ともいうべき見解に至るまでを、このバッハの1曲が包含してくれた、そんな不思議な音楽との関係です。



いつも思うのですが、バッハはなぜ、こんなすごい作曲ができたのでしょう。
それも、おびただしい曲数です。
その中に人間らしい感情に寄り添うメロディーは、ありません。
そうではなくて、常に天の高いところから降りてくるような、そして、本質的なものに気づく感性を呼び起こしてくれるような響きがあります。

振り返ってみると、私の形而上学的な気づきは、いつもバッハの音楽とともにあります。


溢れる愛と感謝をこめて




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# by ramram-yoga | 2017-10-26 20:48 | music
世界は”わたし”
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今朝、光の中を自転車で走っていました。

そして、目に映る風景が一気に ”バーン!” と、私に迫ってくるような体験をしました。

その瞬間、ハッと気づきました。

今目に映る世界はすべて、”わたし”に対する応答として在るのだということに。

意識が変わると世界が変わる。

まさに、即時・即応。

それは、世界が、”わたし”そのものだから。

・・・

これから出かけるので、また機会があればじっくり言葉に落とし込んでみたいと思います。



愛と感謝をこめて






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# by ramram-yoga | 2017-10-25 11:08 | 最近のいろんなこと