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物も目的を持っている
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まだ、こま付き自転車に乗っていた頃。
誤って、道路脇の田んぼに自転車ごと落ち、私も自転車も泥だらけになりました。
母に泥だらけの身体を洗ってもらいながら「自転車さんがかわいそう」と泣いた記憶があります。
あの頃は、身の回りのいろんな物にも魂が宿っているような世界観の中で生きていました。

それから成長し、大学で受けた発達心理学の講義で、”アミニズム”という概念を学びました。
アミニズム(aminism)とは、全てのものの中に霊魂が宿っているという考え方で、その講義ではそれは幼児に特有であり、成長するにしたがってアミニズム的感覚は無くなっていくという風に学びました。
つまり、すべてのものに霊魂が宿っているという考え方は稚拙だというのです。
実際そのように習ったかは定かではありませんが、私自身はそのように感じ、ある種のインパクトを伴った記憶として残っています。
それ以降、自分の中に生じてくる、例えば植物や物に対し擬人化してしまう自分の傾向を、知らず知らずのうちに恥じ、否定してしまっていました。
確かに、近代科学の立場からすれば、このような世界観は非科学的なものの最たる類のものであり、批判の的でもあります。

でも、ヨーガや気功等に触れるようになり、”氣(プラーナ)”というものの威力を実感すればするほど、再びこのアミニズムの世界観が立ち戻ってくるのを、感じています。
そのような感性をひらいていくと、確かに物は、何かを発しています。
これは一方で素粒子物理学の見地からも事実でもあって、全ての物質は振動することによって何か発している訳です。
時には物から話しかけられているように感じます。
きっと、私が人間であることによって、本来人格でないものに対しても人格という枠組みを通して認識をしているのです。
人に働きかけると返事が返ってくるように、物に意識を開くと、物からの働きかけがどんどん増えていくのを感じています。
そして、その物とのやりとりが、始まります。

このようにして、物に耳を傾ける、ということをしていると、物にも目的のようなものがあるということが分かってきました。
人間に生きる目的があり、役割を果たすことで生きがいを感じるのと同じように、物にも持って生まれた目的があり、それを果たすと満足するようです。
というのも、物が発する波動を感じていると、ある状態になると波動が良くなる(ノイジーな感じや不穏さが無くなり、柔らかみのある細かい波動になる)、ということが感じられるからです。
それは、ひとつは使っている人の役に立つこと。
特に、自分を使ってもらうことでその人に喜んでもらえると、物はとても嬉しく満足するようです。
もうひとつは、あるべき場所にあるということ。
そして、美しく綺麗な状態を保っておくということ。

例えば、ドア。
ドアは、開けっ放しだと、少しだけ不穏な波動を発しています。
開けた後は閉めてあげると、ホッとしたように波動が落ち着きます。

ゴミは、道端に捨てられていると、悲しそう、または寂しそうに感じられます。
まだ、道半ばなのです。
拾って、「ありがとう」と言ってゴミ箱に捨ててあげると、安心した波動になります。

持ち主のところに戻れていない物。
知人が私のサロンにヨガマットを置きっぱなしにしていたら、なんだかずっとそのヨガマットが気になります。
しばらくそのヨガマットに意識を向けていると、あぁこのヨガマットは、持ち主のところに帰りたいんだ、ということが分かりました。
その方に、自宅に持って帰って使ってあげてくださいとお伝えしました。

家にある、あまり使っていない食器も、使ってもらうのを待っています。
時々は「今日はあなたを使わせてね」と、使ってあげると、食器棚に並ぶ食器たちがピチピチとした生気を帯び、光の粒子をまとって生き生きとしてくるように感じられます。


でも、これらは結局、掃除や整理整頓といった、日々の行いをきちんとやっておくことなのですよね。
それが、物から発する波動を良いものにするということであり、昔から大事にされている”整理整頓”は本当に大切なんだなぁと再確認しました。


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以上、物について最近感じていることでした。
それが本当なのか嘘なのか、という問題は置いておくとして、このアミニズムの世界観の中で生きることが、生活をとても豊に彩ってくれています。
物をただの物として時にぞんざいに扱うよりよっぽど、心が穏やかです。
そういうことでいえば、世界をどのように解釈するかという点で大切なのはきっと、それが正しいかどうかではなく、豊かさをもたらすかどうか、です。
最近は、一人でいても物と対話しているので、静かで好意的な友達に囲まれているような感じがします。
何かしようとすると協力してくれ、困った時は一生懸命助けようとしてくれるように感じます。
それは、やっぱり、私たちはどこかですべてつながっているからです。

そういう意味では、私たちは実は、とても好意的な世界の中で生きているのではないでしょうか。
苦しい時、しんどい時、辛い時というのは、自分を他者や自然と断絶してしまっている状態の時に起こってきます。
それはイコール、自分自身との断絶でもある訳です。

目に映るすべてのものが自分に好意的である世界に、一緒に心を開きませんか^^
たくさんのいのちのあらわれと触れ合いながら、存分に謳歌したいものです。
せっかくこんな美しい世界に、生きているのですから。



   愛と感謝をこめて

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# by ramram-yoga | 2018-01-13 21:52 | 最近のいろんなこと
私の原点
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この3連休はまだ年始ということもあり、ほとんど何も予定が入らず、主人と息子との3人で一緒に過ごしました。
時間がゆったり流れ、息子が一人で遊んでいる傍ら本を心ゆくまで読み、時々3人で近場にでかけたり。
そして、思いの他楽しかったのが食事作りでした。

元々食事作りは好きだったのに、特に去年引っ越してから一時食事作りが面倒に感じたことさえあり、自分でもびっくりしました。
それだけバタバタしていて余裕がなかったのですね。
時間的な余裕を持つことの大切さを感じました。

食材をゆっくり選び、ちゃんと出汁をとり、好きな音楽をかけて台所に向かい、丁寧に食材と向き合い、そして家族3人そろって食べる。
そんな何気ない普段のことが、こんなにも心を豊かにしてくれるなんて。

引っ越して新しい土地に移り住んで、早いもので3か月が経とうとしています。
新しい環境になり、それぞれ新しい生活を始めた3人ですが、驚きや喜びを一緒の立場で共有できる家族の存在のありがたさをしみじみと感じました。
私の原点はいつもここにあるということを、再確認。

去年はとにかく激動の年で動き回っていましたが、今年は腰を据え、出向く場所や仕入れる情報を取捨選択しながら、心にいつもスペースを持って過ごしたいと思います。

さて。
年末年始ですっかりエネルギーチャージができました。
しばらくゆっくりしていたら、動きたくてうずうずしてきました(笑)
明日から、本格始動です!



今日の料理のお供をしてくれた音楽は、バッハのカンタータでした。



  愛と感謝を込めて

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# by ramram-yoga | 2018-01-08 19:31
個人において大我があらわれ出る生き方とは
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12月31日の早朝、瞑想をしていた時のこと。
その前の晩から、何か起こりそうな予感はしていました。
瞑想に入ると、間もなく頭部で、大きな力が生じてきました。


アジュナ・チャクラ(眉間)に抗えないような力がかかり、ザザザザーと後ろに押されていきます。
眉間の何が押されているのかというと、主体となっている視点が、です。
その力はしばらく、有無を言わせず眉間にかかり続け、だんだんと視点が後ろへ後ろへと押されていきます。
思わず後ろにのけぞってしまうほどの、強い力です。
ひとしきり押された後、その力は、嵐が過ぎ去ったように止みました。
静けさが戻ってきた頭の内部を観察してみると、なんと、いつも眉間にあり、これまでいつも視点がそこから発現していた主体の位置が、後頭部に移動していました。

それから数日たちますが、それまではいつも様々な物事を見ていた主体が、その機能は保ったまま客体化している状態が続いています。
つまり、それまでいつも主体の側だったものを観ているもうひとつの主体が浮かび上がってきて、その視点から物事を見ているという状態です。
いろいろなことがあると、それに対して直接感じてあれこれ思っている意識もあるのですが、それを少し離れて俯瞰しているもうひとつの意識の方が、今までになく強くなってきている、そんな感じです。

**************

私たち一人ひとりが当たり前のように「私」と感じている”個としての我(自我意識)”と、全てに遍在する”大きな我”。
”個としての我”から自らを解放して、そこに”大きな我”が顕れ出る時、実際にどんな風になるのでしょうか。
わたし自身はこれまでのイメージは、もうそこまで来ると肉体を持っていないだろうとか、もっていたとしても生前解脱のようにごく限られた人にしかもたらされない状態だというものでした。
そして、何か自分が自分でなくなってしまうような不安にも似た感情を覚えていました。

でも。
実際は、そんなに大そうなことでも、難しいことでもないのではないでしょうか。
なぜなら、すでに私たちは、もともと大いなる”いのち”のあらわれなのですから。
”私”という枠を緩めて、その枠から溶け出して、大いなる”いのち”の流れと合流する。
一滴の水が大海に落ちて、海と一滴とが不可分になるように。

大海と不可分になってしまうことで、その一滴が消滅してしまうわけではない。
その大海原と一体になって、ずっとあり続ける。
それと同じように、この意識が、大きな我と合一することでなくなってしまうわけではない。
むしろ、今私たちが普段”意識”と呼んでいる意識が、もっともっと範囲を広げ、すべてのものに明瞭に気づいている意識にまで拡大していくのではないか。

あぁ、そういうことか。
今、書きながら気づきました。
10年以上前からヨーガの師にずっと言われ続けてきた「意識化の範囲の拡大」とは、こういうことなのか。
ヨーガにおいて”個の意識を無くす”と言われることの意味。
それは、実際に無くなってしまうということではなかったんだ。
この限定的な意識の枠を取り外して、どんどん広げていく、ということなのですね。
だから、どんどん意識が清明になり、よりいろんなことに対して明瞭に気づくことができるようになるのですね。

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今日の”わたし”との対話です^^


   感謝と愛をこめて





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# by ramram-yoga | 2018-01-04 23:27 | 瞑想
京都のお寺でお話&ワークショップをします
新年が明けましたね。

今年は、たくさんの人の意識が大きく変革する年になると思います。

そのためのポイントとして、今感じていることが、3つほどあります。


 1.固定観念や今までの常識・価値観から根本的に脱却していくこと。

 2.自分が本当に何を求めて生きているのかを見極め、自覚すること。

 3.場を共有すること。


特に3を、今年は意識してやっていきたいと思います。

一人ではなく、同じ感性や方向性を持つ人たちと場を共有することの威力を、感じています。


今月、京都のお寺で、お話&ワークをさせていただくことになりました。


 テーマ:常識のカベ
     「いのちが輝く生き方 -心理学からみつめるこころとからだの関係-」

 日 時:2018年1月20日(土)14:00~17:00

 場 所:明覚寺京都府京都市下京区新町通正面下る平野町783
     京都駅から徒歩10分ほどの場所にあります。

 参加費:2000円



普段の何気ない心の状態が、いかに自分の身体や、見ている現実と密接に関連しているか、そのことをお話とワーク、そして皆さんとのディスカッションを通して深めていきたいと思います。

キーワードは、「わたしはあなた」と「愛」です^^

参加ご希望の方は、こちらのお問合せフォームよりお申し込みください。
※お問合せ内容に「1月20日常識のカベ参加希望」とご記入ください。


前回、同じイベントでお話をさせていただいたときの記事は こちら
素敵なお堂で、入るだけで落ち着きます。

じっくり深めていきたいと思います。


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数年前から事務局をさせていただいているプロジェクト「いのち」でも、今年はまた数々の素晴らしい講師陣の講演会&合宿を企画しています。
HPはこちらよりどうぞ。
私は3月の合宿は仕事が重なって参加できませんが、他の定例会はほぼ毎回参加する予定です。


後は、4月から始まる新たなプロジェクトがあります。
今月中旬には、こちらでもご案内できると思います。


以上、色々とご案内でした。
もし、今のあなたにフィットするものがありましたら、是非ご一緒いたしましょう^^



※ サロン(ラムラム・ルーム)のHPは こちら です。

    感謝をこめて


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# by ramram-yoga | 2018-01-02 18:57 | Infomation
12月の読書本
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130.『京都ぎらい』井上章一著
131.『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」』渡邉格著
132.『人生を変える「声」の力』山崎広子著
133.『中動態の世界』國分功一郎著

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今年一年間、ブログを見ていただいて、ありがとうございました。
今年ほど、ブログを書く意義を感じた年は、ありませんでした。

私にとって文章を書くということは、瞑想にも似た作業です。
書くことで自己内省し、意識化の範囲が拡大していき、時にそれが飛躍します。
今年は特に、幾度となく飛躍が訪れました。
書くことって、すごいなぁと思いました。
理性的な作業であるにもかかわらず、書くことは理性を超えていく力をも持ち合わせています。

あまり大勢の方に見ていただきたいとか、共感してもらいたいとは思っていません。
誰かに向けて書いているというより、独り言のように、自分の所感を書きたいように書いています。
でも、誰かが見てくれているという意識を持って、書いています。
その証拠に、誰も見ないところには、ここで綴っているようなことは書きません。

何らかのご縁でこのブログを見つけ、読んでくださっている方の存在が、私にとってとてもありがたいのです。
この”見る”という行為には、特別な意味があると感じています。
見る、あるいは意識を向ける、ということは、その対象に光が当たるということです。
あなたがこのブログを読んでくださっているということは、そのことで私の文章、ひいては思考の過程や意識状態に、光が当てられているということなのです。
その光を受けることで、私の認識は深まり、拡大していきました。

今年は、ブログを見てくださっている方がちらほら、ラムラムルームを訪れてくださいました。
患者さんの中にも、ブログを読んでくださっている方がいます。
そういう方との交流が、私にとってこの上ない宝物です。
私が一番率直に考えていることを表現できるブログに、共感してくださっている方々だからです。
ですから、余分な言葉や社交辞令が要りません。
たちどころに深いところでつながることができる感覚があります。
今年交流させていただいた方も、まだお会いできていない方も、来年、どこかでご一緒できますように。

来年は、たくさんの人の意識が大きく変革する年になると思います。
まず、本当に欲しいものは何かを、自分の心に訊いてみてください。
妥協せずに。
あなたが「こうなりたいな」と憧れる人や状況があるとするなら、実はそれは外側にあるのではありません。
それはあなたがすでに有している可能性です。
あなたは、あなた自身の可能性を、外側に見ているのです。
そして、現実にその状況を手に入れることが、可能なのです。
心ゆくまで、享受してください。
そのためには、受け取ることをまず、自分に許可してください。
一度しかない人生です。
本当に欲しいものをしっかりと見定めて、全力でそれを求めてみてください。

手に入らないことへの言い訳をやめて、心の底から本当に欲しいものを全身全霊で求めた時、それまで見たことの無かった新たな世界が拓けていきます。
今まで自分で作っていた限界を超えて、新たな世界を見てみませんか。
来年は、みなさんと共有できるいろいろな場を展開していきます。
どこかで、ご一緒できればうれしいです。

それでは、よいお年を。




※写真は今月のラムラムルーム。
 木の葉がすっかり落ちて、冬仕様です。
 冬でも陽がよく入り、ポカポカとあったかいです^^


  心から愛と感謝をこめて








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# by ramram-yoga | 2017-12-31 04:13 |