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<   2017年 11月 ( 12 )   > この月の画像一覧
11月の読書本
115.『死者は生きている』町田宗鳳著
116.『天と地をつなぐ者』五井昌久著
117.『喜びから人生を生きる! 臨死体験が教えてくれたこと』アニータ・ムアジャーニ著
118.『自由からの逃走』エーリッヒ・フロム著
119.『愚者の知恵』町田宗鳳著
120.『山の霊力』町田宗鳳著
121.『リラクセーション反応』ハーバート・ベンソン著
122.『超越者と風土』鈴木秀夫著
123.『ガンが消えた』寺山心一翁著
124.『2018長谷川慶太郎 大局を読む』長谷川慶太郎著
125.『文明の原理を問う』安田喜憲編著
126.『低所得者に対する支援と生活保護制度』社会福祉士養成講座編集委員会編著
127.『老子 タオ』加島詳造著
128.『健康格差社会』近藤克則著
129.『ポスト資本主義』広井良典著


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明日から12月ですね。
少し早いですが、一年の振り返りもぼちぼちしていきたいと思います。
35歳になった今年は、もしかすると今までの人生で一番大きく変容した年かもしれません。
いろんな面で、認識がガラッと変わりました。

西宮から山崎に引っ越してから2か月、自然が近く、季節の移り変わりをよりはっきりと感じられる環境にいます。
先日窓越しに、風になびく枝葉を眺めていました。
風に逆らうことなく、かといって為されるがままになっている訳でなく、木は完全に周りと調和をしながら、生きています。
そこには受動性だけでも能動性だけでも成り立つことのない、生の本質があるように感じられます。
きっと私たちも、大いなるいのちの大海原に抱かれながら、かといってそれにただ為されるがままに受動的になっているのではなく、そこに何か能動性があることによって生きている、そんな感覚を持っています。
それを、波乗りのようにイメージしています。
ただ、波に翻弄され流されるのではなく、その波に乗る。
そこには”波”という人知を超えたものがありながら、そこに応答する能動的なこちらの姿勢があります。

さて。
ただいま、あるプロジェクトを水面下で進行中です。
来年1月には、こちらでもお知らせができると思います。
大きく動き出す年に、なりそうです。
ですが、いつも基本は一緒。
目の前の事や人に誠実に。


  感謝と愛をこめて








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by ramram-yoga | 2017-11-30 01:37 |
個を超えた記憶と向き合う

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何か自分の前に壁が立ちはだかっているとすれば、その壁は現実に存在しているのではなく、自分の心の中に存在しているのだ、ということを、最近特に強く感じるようになりました。
当たり前と思って疑いもしなかった常識や世間的な価値観も、それは果たして本当にそうなのだろうか?
前回の記事でも少し触れましたが、現実を解釈するために無自覚的に用いている認知的枠組みは、自分が思っているよりもっともっと根深いのではないか?
そんなことを、感じています。

先週の土曜日は、京都にて開催された「宗教と科学の対話研究会」と「いのちの医療哲学研究会」の合同研究会に参加しました。
講師は柴 正太郎先生(高エネルギー加速器研究機構 博士研究員、素粒子物理学)で、演題は「物理学は意識を表現できるか」。
素粒子物理学の見地から悟りや絶対者といった概念をも含んだ意識状態の変容についての解説があり、普段から関心を持っている事柄と通底するとても興味深い講義内容でした。
その中で時間に関しても触れられた部分が印象的でした。
私たち人間にとっては、時間というものがあたかも過去から未来へと流れるように感じられますが、それは人間がそう認識しているだけであって、実際そうではない。
柴先生の説明によると、それは一瞬一瞬の点のようなものなのだそうです。
しかし、私たちは時間をあたかも実在するもののように感じ、その抗えない流れの中で生きているように思っている訳です。

後のディスカッションで、「時間の流れの中で生きているという感覚から脱出するには、どうしたらいいですか?」という質問をしたところ、それに対していただいたお答えが、印象に残りました。
時間の感覚の認識というのは個人的な範疇で扱えるものではなく、集合的無意識にかかわっている、というものでした。

集合的無意識とは、ユングが提唱した概念ですが、個人を越えた、集団や民族、人類の心に普遍的に存在すると考えられる先天的な認知的枠組みのことを指します。
つまり、私たちが時間の流れというものを絶対的なもののように認識するのは、個人を超えた人類の普遍的な体験様式に基づくものであり、それだけにそこから抜け出すのは容易なことではないというのです。

時間に関してだけではありません。
最近、自分の感情や記憶の動きを観察していると、ネガティブな心の働きが”ポンっ、ポンっ”と浮き上がってくるのです。
外側では何もストレス刺激が無いにもかかわらず、自動的に浮かび上がってくるのを何とも不思議に思っていました。
これは何なのだろうと考えた時、個を超えた民族的な、または集団の集合的な記憶から生じているのではないかと思うことがあります。
人類がこれまで経験してきた苦しみや恐怖の記憶を、今に生きる私たちも、個人的経験に加えて引き受けているのではないかと思います。

それでは、私たちは、その人類のこれまでの苦しみや恐怖の記憶を甘んじて引き受けて生きていくしかないのでしょうか?
そうではないと思います。
私たちはいつも、選択していくことができるのだと思います。
そうしていくためには、無意識的に持っている常識や価値観に気づき、それを手放していくことに他ならないのではないでしょうか。
そして、そのような人が増えていった時、人類の集合的な記憶自体が、塗り替えられていくのだと思います。

個人的には、もう、人類は苦しみをもう充分味わってきたので、もうこのあたりで終わりにしてもいいのではないかな?と思っています。
目の前で苦しむ患者さんを見ていても、もう、その苦しみを終わらせていいのではないかな?と思います。
そして、そのために何ができるかを、考えています。
もちろん、苦しむか、幸せになるかを最終的に選択するのはご本人です。
でも、その選択をその人の顕在意識に迫るにはあまりにも、この問題は膨大です。
私たちは、ひとりひとり別個に存在しているように思えて、底辺では不可分につながっているわけですから、本当の意味では、一人だけで幸せになんて、きっとなれないのです。


   愛と感謝をこめて

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by ramram-yoga | 2017-11-29 23:36 | 最近のいろんなこと
問われている
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カウンセリングをしていると、長らく抱えている問題が一向に良くならず、時には悪化してしまうという事態に直面する方と出会うことが、よくあります。
状態を良くしようと思って努力しているにも関わらず、状態は好転せず、むしろこじれてしまう。
まるで、アリ地獄に足を取られてしまっているかのようです。
真面目で、律儀で、がんばり屋さんである人ほど、そのような悪循環にはまってしまうような印象を受けます。

そのようなケースに共通しているのは、問題に焦点を当てていること。
つまり、問題以外の部分では普通にできていることがたくさんあるのに、問題に異様に注目し、どうにかして解決しようとするあまり、逆にその問題が大きくクローズアップされている状態です。
また、問題が生じているのは、今の自分や過去の出来事に原因があるという認識。
つまり、問題のとらえ方が原因論的(今の問題には原因があるという解釈の仕方)になっています。
そして、その問題を克服するために、猛烈な努力を始めます。
努力した結果、思うような問題の改善が見られない時、落胆して、絶望してしまいます。

私たちは、日々出会う現実を解釈するときに、それぞれ独自の方程式のようなものを無自覚的に使用しています。
ここでいう方程式というのは、「こうだからこうなる」という、物事の因果関係に関する解釈のことです。
上記のような問題が起こる場合は、その独自の方程式によって苦しんでいることが多いと感じます。
いつも、私たちを苦めているのは、現実そのものではなく、現実に対する解釈の仕方です。
現実が苦しいものであるなら、その現実をどのように解釈しているか、そしてその解釈によって導き出されている解決方法そのものを変更していく必要があるはずです。

以前、問題に対する強力な努力が実を結ばず、かえって悪化して悪循環にはまり込んでしまい、おまけに精神症状もひどくなって、もう生きているのがしんどい…という方にセラピーをしていた時のこと。
見るからに疲れ切り、精魂尽き果てそうなその方に、身体への手当てをしました。
すると、とても静かなのです。
焦燥感のある表向きの顔とは裏腹に、魂の部分と言えばいいのか、無意識的な部分では、寂静。
そして、今その方が有している問題も、それに翻弄されているその方もすべて包含して、静かにそれを観ているもう一つの意識のようなものを感じました。
その時、人には表層的な意識の奥に、深層的・本質的な意識があり、その深層的意識のレベルでは、全て分かっているのではないかと感じずにはいられませんでした。
今その問題が生じている理由も、そしてその問題に直面することがその人にどのような恩恵をもたらすのかについても。

もし、そうなら…
今、直面している問題が自分にとってどのような意味を持つのかを、そのような本質的な意識から解釈してみると、どのように捉えられることができるでしょうか。
この視点を持つと、ある種の逆転が起こります。
それは、今起こっている問題に「なぜ?」と問う立場から、逆に問題に問われている立場であると気づくことによってもたらされます。
つまり、私たちは、「どうしてこんなに苦しまなければならないのだろう」「なぜこんなことが起こるんだろう」と問う立場にいる限り、問題から抜け出すことができません。
逆に、私たちは問題の方から、「あなたは、今の問題をどのように捉え、それにどのように対峙していきますか?」と問われているのではないでしょうか。
そのように捉えることができた時、私たちは、問題に憔悴し辟易する無力な存在では無くなります。
運命に翻弄される立場から、運命を能動的に引き受ける立場への転換が起こるのだと思います。

そういうことでいえば、直面する苦しみや困難さというのは、私たちが真の意味で人生を生きることとはどういうことかに気づかせてくれる貴重な機会のように、思えてきます。


  感謝と愛をこめて



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by ramram-yoga | 2017-11-27 22:44 | 心理学とヨーガ
愛しています
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昨日の記事のテーマであった”祈り”とは少し違うかもしれませんが、最近よく呟いている言葉があります。

それは、

「愛しています」

という言霊です。

先日、寺山心一翁著『ガンが消えた』を読んでいました。
寺山さんは、ガンの闘病生活の中で意識の大転換を経験し、それまでわずらわしいと感じていたガンが実は自分が作りだしたもので、心から愛おしいと感じるようになったそうです。
そして、ガンに「愛しているよ」と涙ながらに繰り返し伝える場面がありますが、それがとても印象的でした。
すると、ガンの痛みが驚くほどやわらぎ、夜もぐっすり眠ることができるようになったのだそうです。
寺山さんはその後いろいろな療法や体験を経て、結果的にガンは無くなりました。
意識状態がどれほど身体に影響を及ぼすのかと、愛の力について考えさせられ、その他にもいろいろと触発された刺激的な本でした。

私も、最近は毎日呟いています。
特に何かを対象として意識していなくても、ただ「愛しています」とつぶやくだけで、胸がフワっと開いて緩み、身体があたたかくなっていきます。

また、摂食障害だった私は長い間自分の身体を受け入れることができませんでした。
自分の身体を否定し、卑下し、まるで奴隷のように扱っていました。
その身体に向かって、繰り返し「愛しています」と伝えています。
すると身体が喜んでいるのが分かります、はっきりと。
そして、自分の身体のことを、愛おしく感じます。

自分を愛することと、人を愛することは、きっと同じですね^^


  愛しています。
 
  愛しています。

  愛しています。


 感謝と愛をこめて



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by ramram-yoga | 2017-11-22 00:00 | ことば・メッセージ
祈りと言霊
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先日、家族と出かけていた時にはぐれてしまい、ひとりお店の一角に取り残されてしまいました。
携帯もお財布も持っていなかったので、下手に動くよりその場所でじっと待っていることにしました。
さて、待っている時間、何をしよう…?と目を閉じると聖音オームの響きが感じられたので、しばらく目を閉じて心の中でオームを唱えていました。
間もなく、人が行き交う中にもかかわらず心が静けさで満たされていきました。

そうしてしばらく聖音を唱えていると、急に意識状態が違うフェーズに入り、今度は怒涛のように祈りが押し寄せてきました。
それは言葉に翻訳すると、以下のような祈りでした。

「世界人類が平和でありますように」

一人の祈りではない、老若男女、低い声高い声、呟く声叫ぶ声…。
とにかく、限りなく大勢の人が、口々に祈っているのが感じられました。
あぁこれは、過去も現在もこれからも、万人共通の祈りなのだな、と、その時に感じました。
それと同時に、祈りとは教えられたり誘われてするのではなく、本来人間の内側から必然的に湧いてくるものなのだ、と思いました。
私もしばらく、その祈りに没頭していました。
気が付くと1時間が経ち、家族とも無事に再開できました。
何か、私にはこの1時間が、偶然ではなく必然的にいただけた特別な時間であったように感じました。




  感謝と愛をこめて 






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by ramram-yoga | 2017-11-21 23:28 | ことば・メッセージ
世界に対する応答者としてのわたし
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思いの持つ力がどれだけ大きいか、そしてヨーガでいうところのサムスカーラが、その思いにどれだけ大きく影響しているかを感じている今日この頃です。
サムスカーラとは、日本語では”行”とか、”残存印象”と言う風に訳されます。
それは何かを経験した時に、意識の深い部分(ヨーガでいうところの”チッタ”)に刻み込まれる心の印象であると、ヨーゲシヴァラナンダ著『魂の科学』には説明されています。
その人の持って生まれた天性、体質、遭遇する出来事、運命、その総てが結果とした場合、その因となるもの。
本当にそうなのだと、改めて実感しています。
この世界のあらゆる現象は、このサムスカーラによって生じている。

そういうことでいえば、この世界は、まさに自分の心が創り出しているのです。
誰にとっても共通の世界を生きているようでいて、実は一人一人、見えている風景や経験している事が、全く違うのですね。
これはとても面白いのですが、光や愛にフォーカスをすると、それまで意識していなかった自分のこの”残存印象”というものの根深さを感じています。
純粋さに意識を向けることで、自分が如何に多くのものを色眼鏡を通してみているのか、ということに、気づかされるのですね。


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土曜日は京都の明覚時にて、東洋医学治療院すばるα の藤原先生のワークショップがあったので参加させていただきました。
藤原先生とは、「いのちの医療哲学実践会」や「いのちを元気にする会」というプロジェクトでご一緒させていただいている先生です。
詳しくはHPを見ていただければお分かりいただけますが、心理畑ご出身ですが、気診や祈祷、整体、鍼灸など、幅広い治療を行っていらっしゃいます。
心理を専門とする私にとって、先行く先輩として、たくさんの可能性を見せてくださる先生です。

その先生のワークショップを繰り返し受ける中で、私がこれまで感じていた以上に大きな力を持っているものに気づきました。
それは、思いの持つ力と、同じ思いを持つ人が集まった”場”で働く力の威力です。
「○○には効果がある」「この手法で結果が出せる」と施術側が確信していること、そしてそのことで実際に功を奏した経験をしていること、これらの手法・治療法には非常に大きい治療効果が出てくる。
そして、施術者が相手に「この人は治る」という思いを持っていると、実際に治癒の方向に向かう。
怖いことに、逆もまた然り。
つまり施術者が「この人は無理だ」「治る見込みはない」と感じながら施術することは、クライアントにとっていい効果をもたらさないばかりか場合によっては不利益をもたらす可能性すらあります。

そして、もう一つ。
普段、主に五感を使って生活している現代では感じ取りにくい、五感以外の感覚。
例えば気感、目の前の相手のどこが悪い、なんかここが気になるといったような直感的感覚。
それらの感覚をしっかり持っている人と場を共有することで、はっきりと「ここだろうな」と、分かる。


昨日は、鹿児島で神経内科をやっていらっしゃる山野医院の山野先生に「チ楽」という次世代の医療・セルフケアの養成講座を受講していたのですが、そこでも同じことを感じました。
その場に集まった人たちと場を共有し、山野先生のファシリテートの元、思考を停止し、感覚をゼロにする。
その中で、数人が、自分に合った生薬(漢方薬)を飲んで、身体状態が良くなった時のことをイメージをする。
すると、その瞬間に、そばにいる私の身体状態がはっきりと変わったのです。
肩が驚くほど軽くなり、その鮮明な変化に驚きました。

人の思い、そして印象の持つ力が、こんなにもはっきりと、周りの人にまで大きな影響を及ぼすとは。
事実がどうであるかは、この際あまり重要ではありません。
重要なのは、その事実に対してどのような印象を持つのかということです。
どのような意識状態で日々を過ごすか。
それは最近の私の大きなテーマでもあります。
自分の意識状態によって、目に映る世界、出会う人、起きてくる事が、全く違ってくるからです。


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本当に、毎日が面白い。
挑戦する、そして新たな世界がパッと拓ける。
その拓けた世界で新たな課題が見えてきて、また挑戦。
まるで神様になぞなぞを出され、それに対する答案を書いているようです。
自分の持っているものをフル回転させながら、楽しみながら。
毎回、なんとも奥深いなぞなぞを、神様はくださるものです。

以前このブログに書いた、「問いを発すれば応答あり」という記事を書いた頃は、”問う側”としての自分をよく意識していましたが、今日ここに書いたことでいうと、私たちは世界に問いを発する存在であると同時に、世界に対する”応答者”でもあるわけです。

”私”という限定された個の意識が生まれた時、その”私”に対して世界(超越者)が対象化されます。
その時に、世界と私との間で、やり取りが生じます。
私からは、世界に投入する”問い”が発せられ、それは同時に応答でもあるわけです。
世界からも絶えず”問い”と”応答”が返ってくる。
すなわち、世界と私は、絶えず応答し合っている。
私たちが今ここに存在している秘密があるとすれば、そのあたりに隠れているような気がします。
もし私が存在しなくなれば、世界も存在しないのではないでしょうか。

そういうことでいうと、世界は私を必要しています。
お互いがお互いを必要としているのです。
私が死んでも世界は世界だけ残って存在していて、永久に流転するという考えは、時間と空間を前提として人間の脳や自我意識が創り出した幻想なのではないかと思うのです。
私とは、そんなちっぽけな存在ではないのではないでしょうか。

今日の結論。
私たちが今ここに存在している目的とは何か。
それは、世界に応答するため。
私たちが存在してはじめて、世界は世界として存在することができる。
十全にいのちを生き切るとは、その世界に全身全霊で応答していくこと。



愛と感謝を込めて











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by ramram-yoga | 2017-11-20 13:47 | 最近のいろんなこと
初級ダルシャナ自主研修会
今日は、特急サンダーバードに乗って、福井へ。
ヨーガ療法士主催のダルシャナ自主研修会のファシリテーターとして参加させていただきました。
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開催場所は、お寺^^
なんとも落ち着く雰囲気の中、富山や金沢からも駆けつけてくださった療法士さん方と、ひたすらダルシャナの実習を行いました。



(セラピーの基本である「課題の分離」について解説中。)
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普段何気なく発している言葉。
カウンセリングを学び始めると、自分の発する一言一言に、意識的になっていきます。
こちら側の発する事が、相手にどのように伝わるのか。
どうしたら相手の言いたいことを、共有することができるのか。
表情、姿勢、言葉の表現、言葉尻、質問の形態。
実は、ひとつひとつ、全てがメッセージ性を持ち、それを変えることで、相手に伝わる事も大きく変わっていきます。

カウンセリング・トークには、すべて、意図が伴っています。
「なんとなく」といった感覚を伴う発言は、ありません。
そのようなことでいえば、これらは、非常に理性的な作業です。
でも、共感できた感覚、すっきりした感覚、安らいだ感覚…これら、カウンセリングでクライアントが得たいと思っているであろう感覚、これは感性の領域です。
つまり、理性的な部分を繰り返し落とし込んでいくのですけれど、その先に求められているのは感性的な部分です。
感性と理性が分離なく統合された状態を、目指していきます。

そのためには、実践あるのみ。
繰り返し、お互いに検討しながら、腕を磨いていきます。
時々、気が遠くなってしまうような、地道な作業です。
難しくもありますが、奥深く本当に面白い世界だなと思います。



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企画をしてくださった福井のヨーガ療法士さんに、永平寺にも案内していただきました。
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参拝が終わるころには雨も上がり、光がさしてきました。
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愛と感謝をこめて







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by ramram-yoga | 2017-11-15 21:16 | 活動記録
パステルアート
今日は、素敵な友人がやっている、JR桂川駅近くのファーバル薬局に併設されている”ファーバルカフェ”へ。
パステルアートを教えていただきました。
先生の作品を何点か見させていただきましたが、私が感じている感覚ととても近く、初対面にもかかわらずご縁を感じたのでした。

今日は、ある方のことを描きたい!と決めてきていて、無心に描くこと1時間あまり。
こんな仕上がりになりました。
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私の中で浮かんでいる映像の半分も、表現できませんでした。
これは、またの機会にリベンジですね^^




こちらは、先日自宅で描いた、別のお方。
求心力・放射力ともにエネルギッシュ、そして、非常に颯爽としてさわやかです。
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こちらは、あるイベントの様子。
実はこのイベントには、先日の台風で参加できなかったのですが、離れていても感じるものがあり、それを表現してみました。
主催者の方にこの絵を送ると、「まさにこの通りでした!」と、喜んでくださいました。
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こちらは、今日のファーバルカフェでいただいたランチ「梅ちゃんごはん」。
やさしさのある、おいしいひと時でした。

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愛と感謝をこめて



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by ramram-yoga | 2017-11-14 20:54 | drawing
お金も愛のあらわれ
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昨日は、いきなり常識が覆るような価格の講座をご紹介したので、びっくりした方も、いるかもしれません^^

今、私がお金に対して抱いている感覚で一番しっくりくるのは、お金とは、ひとつのエネルギーの流れのようなものだということです。
”ドドドド~!!!”と、大きな音を立てながら勢いよく流れ、この世界を循環しているように、感じられます。

そういうことでいうと、お金は本当の意味では、所有することはできないのではないでしょうか。
貯金やなんかで所有している感覚がありますが、それは、そういう感覚を持っているだけ。
実は、お金はただ、流れている。
問題は、その人において、勢いよく流れているか、小川のようにちょろちょろ流れているか、もしくは滞っているのか、等の違いなのではないかと、思っています。


そして、お金も、愛のあらわれです。
お金があまり全面に出てくると、あまりいい気がしなかったり、汚いと感じることも多いかもしれません。
でも、本来、お金はきれいも汚いもない。
ただ、私たちの心の内にあるイメージを、お金に投影しているだけなのではないかと思うのです。

お金にも、愛の側面があり、そこに目を向け付き合うようにしたら、もっともっと私たちは幸せになれるのではないかと思っています。
今世の中を見ていると、お金が人々の恐れや不安から動いていることがとても多いと感じています。
恐れや不安は、貪りの意識と行為を生じさせます。
貯金も、節約も、大切なことですけれど、それが大きな不安や恐れから出ている行為だとすれば、そのお金は出ていくときも苦しみに結びついてしまうように感じています。
私の過去の経験からも、周りを見ていても。

歓びから使う、愛を持って使う。
例えば、スーパーで買い物をする時、頭の中が家計簿の数字や支払いのことでいっぱいになっているか。
それとも、家族の笑顔や幸せが、浮かんでいるか。
別に構える必要は何もなく、日々の小さな行為や選択が、何を出発点としているか。
すべては、ここにかかっていると思います。

自分から愛や歓びをともなって出ていくお金は、きっと出ていった先でも歓びや幸せのために使われます。
そして、愛や歓びをともなって、また自分のところに入っていきます。
私たちは、そのお金という愛の流れの通り道です。
そして、私たちの本質である愛を体現していくことが、お金を受け取る、使うといった行為によっても可能だと、感じています。

すべては、どこを出発点として動くか。
どういった意識状態で、判断や行為を行うか。
私は、いつも、愛から出発したいと思っています。


  感謝と愛をこめて






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by ramram-yoga | 2017-11-13 09:44 | 最近のいろんなこと
美構造開脚システム指導者養成講座を開催します
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12月27日(水)10:00~16:00、Ram-Ram's Room にて、美構造開脚システム指導者養成講座を開催することになりました。
チーム瑛の渡邉先生と、私米澤紗智江のW講師での開催です。
渡邉先生は気に関しては達人級で、そして何より身体を本当に深く捉えている先生でいらっしゃいますから、開脚メソッドとあわせてそのあたりの世界も垣間見えるような講座になりそうです。
また、私からとしては、このメソッドで到達する意識状態が、要チェック!です。
私の場合は、瞑想中に味わうような、深い意識状態に到達します。
それに加え、肚(ハラ)が決まる、自分の足で立つ(心身ともに)、凛としてぶれない。
そして、内側に秘めていた生命力が表に顕れ出て、男性も女性もイキイキと魅力的になっていかれます^^
(↑上の写真は京都のYoko.Tさんの素敵なスタジオSTAND POINTにて。私もまだまだ開発の余地ありで、楽しみです。)

身体が変わると意識が変わる。
意識が変わると、見える世界が違ってくる。
世界に対する認識が変化すると、みるみる内に現実が変化していきます。
それはそれは、エキサイティングです。
どんなドラマよりも、今ここに生を受けて生きている毎日が、本当にドラマチックだな、と感じる、今日このごろです。
私の認識が最近大きく変わった大きな理由の一つに、この美構造メソッドを学んだということがあります。
私の受講体験談はこちら

詳細は、以下をご覧ください↓


感謝と愛をこめて




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by ramram-yoga | 2017-11-12 23:03 | 美構造メソッド