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9・10月の読書本
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100.『いじめの構造 なぜ人が怪物になるのか』内藤朝雄著
101.『円通毉療の日常臨床』田中実著
102.『時間と空間を突破する叡智を授ける』Kan., ゲリー・ボーネル著
103.『時間と空間、物質を超える生き方』成瀬雅春著
104.『食べない人たち 「不食」が人を健康にする』秋山佳胤、森美智代、山田隆夫著
105.『なぜ≪塩と水≫だけであらゆる病気が癒え、若返るのか⁉』ユージェル・アイデミール著
106.『無意識との対話 身心を見つめなおす』町田宗鳳著
107.『無心ということ』鈴木大拙著
108.『人類は「宗教」に勝てるか 一神教文明の終焉』町田宗鳳著
109.『「ありがとうを言う」と超健康になる』町田宗鳳・森美智代著
110.『人の運は「少食」にあり』町田宗鳳著
111.『法然・愚に還る喜び -死を超えて生きる-』町田宗鳳著
112.『霊性の開発』五井昌久著
113.『神と人間』五井昌久著
114.『「食べない」生き方』森美智代著


***************


今日は、大学の非常勤講師のお仕事でした。
「代替療法看護論」という授業で、看護学部の学生さんに、ヨーガ療法と音楽療法についての講義と実技を行いました。
”ヨーガ療法”という言葉すら初めて耳にした学生さんたちですが、いろいろと感じるものがあったようです。
レポートには、興味深い感想をたくさん書いてくださっていました。

さて。
怒涛の10月が、終わりました。
インプット、アウトプット共に、盛りだくさんでした。


最近、毎日ときめいています。
素敵な男性に対してはもちろんのこと、女性に対しても。
患者さんや、生徒さんに対しても。
人間だけでなく、動物や植物、それに音楽等。
後は、神様。
神社に行くと、それはそれは生き生きとした、そして颯爽としたエネルギーを感じ、魅了されてしまいます。

生命エネルギーが様々な形態を通して、顕れ出ているわけです。
それに、惹かれているのだと思います。
生命エネルギーは、なんて魅力的なのでしょう。

自分の心を開けば開いただけ、ときめきが増えていきます。

11月も、たくさんときめきながら過ごしたいと思います^^


  愛と感謝をこめて





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by ramram-yoga | 2017-10-31 22:09 |
苦しみの中にあるとき
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今、苦しみの中にある人は、実は光に最も近い人なのではないかと、思っています。

私は長い間、摂食障害という病気で苦しんできました。
摂食障害の中に過食嘔吐という症状がありますが、これには、とことん苦しめられました。
摂食障害の苦しさの中に、“自分でやっている行為なのにどうしてもやめることができない”というものがあります。
毎日毎日、わずかに残っている自尊心や前向きな気持ちを、根こそぎなぎ倒される、そんな日々でした。
これは、経験したことの無い人には想像もつかないかもしれません。
少なくとも私は、この病気になるまで、このような感覚を知りませんでした。

そして、自分の中に闇の存在を感じ、その闇にいつ襲われるかと、おびえていました。
この”闇”とか”魔物”という感覚、これは、摂食障害にかぎらず、苦しい時期に感じたことのある人も多いかもしれません。
ふと一人になった時に、この闇が突然うごめきだし、私を覆いつくそうと迫ってくるのです。

今、私の中に、闇の存在はありません。
また闇に襲われるのではないかという恐怖も、ありません。
反対に、今私を溢れんばかりに満たしているのは、愛・光・歓びといった感覚です。
それが私の本質だということに、気づいたからです。
もちろん、ネガティブな気分になることもあります。
でも、それは私の本質とは全く別者なのだ、ということを知っているので、どっぷりハマりこんでしまうことはありません。
すぐに笑って、切り替えることができます。
これは自制心の問題ではありません。
自分の本質が愛だと気づいているときに、ネガティブになりようがないのです。



もし、あなたが今苦しみの中にあっても、この記事を読んで何か感じることがあるとするなら、それはあなたが、自分の本質的な部分が気づいているからです。

あなたは、闇に苦しめられたり圧倒されたりするような、小さくて弱い存在ではありません。
その闇を明るく照らし、さんさんと輝く光です。



あなたの本質は、愛です。

あなたの本質は、輝く光です。




あなたは、愛そのものです。

あなたは、光です。




   愛と感謝をこめて






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by ramram-yoga | 2017-10-30 07:12 | ことば・メッセージ
私たちの本質は、輝く光
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昨日から読み始めていた五井昌久著『霊性の開発』を、読み終えました。
内容もさることながら、最近感じていた自分の感覚と、本書で書かれている文章の語感が、驚くほどフィットするのです。

例えば、本文に「神仏と人間とが、光一筋のもの、一体のものである」とありますが、この ”光一筋” という表現、これは今私がまさに感じていた感覚でした。
今の自宅は近所に神社がたくさんあり、毎朝必ずどこかの神社に参るのですが、本堂の前であいさつをすると、天から一筋の光がまっすぐ降りてきて、頭頂から入ってくるのです。
それはそれは明るく、清らかで颯爽とした光です。

そして、その光を、ヨーガやカウンセリングにいらっしゃる方に、流すようにしています。
私がそのように考えてやっている訳ではなく、何かそのような意図が生じてくるのです。
こちらから何も言わなくても、気感の鋭い方は太陽のような明るさや、熱感を感じ取ってくださいます。
そういうことも、この本に書いてあったのですね。
「世界人類を平和にする、光明の波を、この世の中に放送」する、という表現で書かれていました。

また、「愛が満ち満ちる」という表現も、私が感じている愛の感覚とぴったりです。
この世界の本質は愛であり、愛がいたるところに遍満している。
愛が足りないと思うのは、その無条件の愛に対して、心を閉ざしているだけなのだと思うのです。

そして、霊性が開発されていくことによって、次のようなことが生じてくると書かれています。

・現れてくる悪や不幸にとらわれなくなってくる。
・怒りや妬みや、焦りの思いがへってくる。
・自分自身の存在価値を、いつの間にか、強く認識している。
・自分自身の生活が悪くなりっこない、という確信がついてくる。
・本心(自分の本性)と業想念(自我による移ろいゆく情感)の区別がはっきりついてくる。

これらはすべて、自分の変化として実感していたことでした。

まるで、”それでいいですよ、その道を進んでいきなさい”と、言ってもらっているようでした。
とても不思議ですが、私を導いてくれる人格のようなものをはっきり感じました。
面白いですね^^





さて、今日は本当は、鹿児島に行く予定だったのですが、あいにくの台風でキャンセル。
こんな光を放つ人のところへ、行く予定にしていたのですが・・・。
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この光の主は、ある医院の先生です。
とてもまぶしい閃光を放っていて、時々その光で先生の姿が見えなくなってしまうのです。
先日ご本人にこの絵をお渡ししたところとても喜んでくださり、院長室に飾って毎日見てくださっているそうで、なんとも光栄です。

このように、私には、精神の高みに達している人が、それぞれいろいろな様相の光を発しているように見えます。
ですが、一度だけ、自分の意識状態がとても精妙になった時に見えた光景は、圧巻でした。
周りにいる人たちがひとり残らず、清らかな光を発しているのが見えたのです。
驚いて目をこすり、何度も瞬きしたのですが、同じでした。

私たちの本質はきっと、輝く光そのものなのではないでしょうか。
誰の内にも聖なる神性が宿っているのですから、絶えずそこに意識を合わせ、光を見出す。
私はこれから、自分の通常の意識状態をそこまで高めていきたいと思っています。



愛と感謝をこめて


(写真は徒歩5分のところにある椎尾神社。
男性性を感じさせる、とてもエネルギッシュな光が降りてきます。)



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by ramram-yoga | 2017-10-28 15:27 | ことば・メッセージ
すべては必然
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またまた、すごい本に、出合ってしまいました。
五井昌久著『霊性の開発』。
五井昌久とは、あの有名な”世界人類が平和でありますように”の方です。
よく知っているのに、この人の思想に触れるのは、はじめてです。



人間は一生のうち逢うべき人には必ず逢える
しかも一瞬早過ぎず、一瞬遅すぎない時に



これは、私の尊敬する哲学者森信三の言葉ですが、この言葉は真実ですね。
起こって来る出来事に偶然というのは、ありません。
すべての出会いが、必然でしかありえないのです。
なぜなら、世界とは自分の意識(こころ)なのですから。

まだ読み始めたばかりですが、内容の要点と采配にざっと目を通し、これを昭和36年に書いた人がいたのかと、少し不思議に思いました。
今自分が考えている内容と、ピタッと一致する感覚があるのです。

今月はバタバタと過ぎてしまいましたが、来月は少し落ち着いて本が読めそうです。
読書の秋、ですね^^


  感謝と愛をこめて








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by ramram-yoga | 2017-10-27 23:20 | ことば・メッセージ
気づきはバッハの音楽とともに
昨日のブログ記事を書き終えた後、京大のゼミへ。
あの体験は、そのゼミに提出するレポートの内容を論考していた時に突然やってきました。

気づきというのは、最初は体験からやってくるものであるけれど、それを自分のものとして落とし込んでいく時に知的に理解する過程が必要となってくるのだと思います。
深い気づきの体験は身体感覚を伴います。
しかしそれは、理性的な働きによって考えを進めているときなのです、いつも。

昨日の気づきをもとに、今の私の真実を、簡潔に文章にしてみます。
それは…

*****

目に映る世界のすべてのものは、わたしの意識(こころ)に、即時即応的に応答している。
世界は、わたしの意識そのものである。

*****

この、世界と自分とに全く隔たりや距離の無い感じが、まさに ”わたしが世界” なのです。
だから、意識が変容すると、たちどころに目に映る世界が変化するのですね。
私は、世界を観ることで、実は私自身をみていたのです。


このことを何度も反芻するときに聴いていたのは、この音楽。
バッハのブランデンブルグ協奏曲第5番第1楽章ニ長調。
カラヤン指揮、ベルリンフィルの演奏で。


この音楽は、私が中学時代、生きていることにほとんど絶望していた時に、掃除の時間に毎日流れていました。
永久とも思える時間の流れの中で、瞬く間に消えていく自分の命のことを思うと、気が遠のいていったものです。
このことに気が付いてしまったことを後悔し、こんなことに考えが及んでしまう人間として生まれてしまったことを、憂いていました。
そんな自分の心境とは裏腹の、明るいこの曲の出だしが、そんな私の絶望感を余計に掻き立て、孤独感が増していきました。

でも。
この1楽章は、中盤から曲調が変わります。
チェンバロのソロの部分、この部分までは、確かあの掃除の時間には流れていなかったはず。
でも、そのソロの部分が、圧巻なのです。
躍動しながら迫ってくるように感じられる部分があります。
今回のこの気づきが、そのソロの部分にフィットしました。

チェンバロのソロの部分からはじまる動画も発見。



絶望感を感じていた頃から、こうしてある種の死生観ともいうべき見解に至るまでを、このバッハの1曲が包含してくれた、そんな不思議な音楽との関係です。



いつも思うのですが、バッハはなぜ、こんなすごい作曲ができたのでしょう。
それも、おびただしい曲数です。
その中に人間らしい感情に寄り添うメロディーは、ありません。
そうではなくて、常に天の高いところから降りてくるような、そして、本質的なものに気づく感性を呼び起こしてくれるような響きがあります。

振り返ってみると、私の形而上学的な気づきは、いつもバッハの音楽とともにあります。


溢れる愛と感謝をこめて




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by ramram-yoga | 2017-10-26 20:48 | music
世界は”わたし”
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今朝、光の中を自転車で走っていました。

そして、目に映る風景が一気に ”バーン!” と、私に迫ってくるような体験をしました。

その瞬間、ハッと気づきました。

今目に映る世界はすべて、”わたし”に対する応答として在るのだということに。

意識が変わると世界が変わる。

まさに、即時・即応。

それは、世界が、”わたし”そのものだから。

・・・

これから出かけるので、また機会があればじっくり言葉に落とし込んでみたいと思います。



愛と感謝をこめて






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by ramram-yoga | 2017-10-25 11:08 | 最近のいろんなこと
幸せな神様
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この土日は、上智大学で人体科学会第27回大会が行われ、参加・発表してきました。
この学会は尊敬する素敵な先生方がたくさん集まる大好きな学会で、今回も本当に収穫の大きな会でした。
台風が心配だったのでお昼すぎ早々に東京を出ましたが、京都まで帰ったちょうどその時に在来線が全線ストップ。
家族が駅に迎えに来てくれて、無事に帰宅することができました。


********

さて、今日は早く寝たいところですが、最近思っていることを言葉にしたくって、パソコンに向かっています。

この一週間余り、ほとんど動き回っていて息をつく間もなかったのですが、不思議としんどくなりません。
やる事が山積み、でもそれをする時間がない・・。
でも、憂鬱になったり、混乱したりはしないのです。
何が違うのかな…と考えましたが、思い当たるのはひとつ。
自分の心の状態です。

私は今、毎日が幸せで満ちたりています。
そして、1日1日と、その幸せ感が増していくのです。
人の思いやりに対する感度が、何十倍も上がったと思います。
それまで何気なく感じていた、例えばコンビニでスーパーで店員さんが丁寧に接客をしてくれた、エレベーターでドアを開けて待っていてくれた、等の人の親切を受ける度に、胸がいっぱいになります。
歩いているだけで、幸せがいっぱいになって、涙が出てくることもあります。

私は今まで、人の心は放っておくと、自然とネガティブな方向にいってしまうのだと思っていました。
だから、繰り返し繰り返し自分の心を客観視して、ネガティブな思考回路の軌道修正をしていかなければならない、と。
確かにそれも、一理あるでしょう。
でも、本当はそうではない。
むしろ、正反対です。
きっと、人というのは放っておくと、幸せにしかなりようがないのです。
そして、満たされているのです、すでに。
並大抵の満たされ具合では、ありません。
充満して満ち満ちて、溢れて止まらなくなるくらいの、満ち足り方です。
今、幸せでないとしたら、満ち足りていないとしたら、それは自分が閉ざしているからです。

もう一つ。
生きているということは、何かを失っていくことではない、ということ。
生まれた時から死に向かっていると憂いたり、大切な人やものを無くしたと絶望したりする必要もないのだと思います。
なぜなら、それは、人間の限定された理性で現象を捉え、そして、固定化した視点で物事を捉えているからです。
私自身は小さい頃からずっと、諸行無常のこの世界に対する”憂い”のような感情を持っていました。
今はそのような情感はありません。
ある時を境に、無くなってしまいました。
情感というのは、変化します。
ある現象に対してその人が付け加えた意味づけの世界に生じてくるものですから。
そして情感は主体ではありません、客体です。

失っていくという気がしないのです。
特に、死ぬことに対しての憂いの感情というのには、強烈なものがありました。
でも、もうそれも、あまり感じることはありません。
自分が無くなる、という気がしないのです。
もちろん、個としての”私”は、いずれ死ぬでしょう。
でも、そんなこと言うのなら、”私”はたった35年前にはいなかったではないですか。
そんなちっぽけな限定された”私”が、私の本質なのでしょうか。
それは、違うはずです。
むしろ、どんどん得て満たされていく…というか、私はいつもすでに満たされていて、完全なのだということを、思い出していく過程にいることに気づくのです。


そんな実感が深まっていくと共に、夫がとても神々しく思えてくるということがありました。
これらは、同時でした。
夫は、私がこんなに休みの日に家を空けまくっても、嫌な顔をたったの一度もしたことがありません。
いつも「いいよ」と機嫌よく送り出してくれ、子どもの面倒を見てくれ、家事もすべてやってくれます。
出会った頃、「一途にひとりの人を思い続けることと、思いやりを絶やさないことには自信があります」と言っていて、その時にはそんなに気にも留めず、へぇそんな人がいるんだなと思っていたのですが、本当にその通りのことをしてくれています。
夫があまりに私に対していろいろなことをしてくれることに、以前は「悪いなぁ」負い目を感じていました。
でも、今はその好意を存分に受け取って、喜んで、幸せでいることにしています。
遠慮するよりそうした方が、お互いがとっても幸せなのです。
そしてつくづく、あぁ、夫って、私の神様だなぁと思いました。
そんなことをはっきりと意識した今日、6歳の息子が突然、私にびっくりするようなことを言いだしました。



 息子「ねぇねぇ、僕が神様だって、知ってる?」

 私「?!」


突然の発言に少し驚きながらも、本当にそうだなと思ったので同意しました。



 私「うん。知ってるよ。」

 息子「神様がもう一人いるって、知ってる?それはねお父さんなんだよ。」

 私「うん、そうだね。知ってるよ。」

 息子「この家にもう一人神様がいるよ。それはね、お母さんだよ。」

 私「そうだね。この家には、神様が3人いるね。」

 息子「うん、そうだよ。」



…そうか。
人の内に神性を見出すということは、そういうことなのか。
で、思いました。

ちょっと、まてよ。
神様って、本当は一体、何者⁈
”わたし”って一体、誰?

このような死生観やアイデンティティに関する問いには直接の回答はありません。
なぜなら、問いに答える術がないのです。
問いというのは、分離や限定を前提にした世界からしか、出てこないのですから。
でも、求めている人には、問いへの直接の答えがもたらされない代わりに、世界観の広がりがもたらされます。
視点が変わり、価値観が変わります。
そして、問いそのものが変容していきます。
終着点があるとするなら、そこにはきっと問いへの回答はありません。
問いそのものが生じないのです、きっと。
そこは完全に満ちたりているのですから。


***************


今晩は、京都駅まで雨の中迎えに来てくれた夫と息子と3人で、回転寿司へ。
写真は最後にチョコレートケーキを幸せそうにほおばる小さな神様です^^
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愛と感謝をこめて



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by ramram-yoga | 2017-10-23 00:41 | 最近のいろんなこと
初級ダルシャナ自主研修会@福井
今日は、特急サンダーバードに乗って、福井へ。

ヨーガ療法士向けの自主研修会のファシリテーターとして、お伺いしました。
富山や金沢からも、熱心なヨーガ療法士の方が、参加してくださいました。

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この研修会では、ひたすら練習を繰り返します。
相手が何を体験しているのか、そして何を伝えようとしているのか。
相手の関心に関心を向け、全身で聴くということはどういうことなのかを、実践を通して深めていきます。
3時間みっちり、練習しました。
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カウンセリングを学び始めた当初、私にはひとつの不安がありました。
ヘンに人の心を扱う術を知ってしまうと、相手のことを純粋に理解することから遠ざかってしまうのではないか、と。
でも、今、当時の心配は全く不要だったことが、分かります。
学べば学ぶほど、自分の価値観から離れ、相手の人をそのままみる、という感覚が強まってきています。

私の長らくのテーマは、「ひとつになる」ということです。
相手のことを、全く誤謬なく、純粋に”わかる”。
そして、自分と相手に全く隔たりが無くなる。
お互いに何の疑問も疑いも生じなくなり、完全に満ちたりる。
こういうことが、カウンセリングでできるようになれたら、この上なく幸せです。


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永平寺訪問と、
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美味しいお蕎麦という、感動的なおもてなしがセットになっていました。

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感謝と愛とこめて



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by ramram-yoga | 2017-10-18 20:24 | 活動記録
Ram-Ram's Room で初めてのヨーガクラス
今日は、ラムラム・ルームで初めてのヨーガクラスを行いました。

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昨日はダスキンさんに床のお掃除に来ていただき、サラサラのカーペットに生まれ変わりました。
ヨーガマットの色は、ラベンダーローズをチョイス。



窓からの眺め。
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ここからの眺めが好き。
とにかく、ここが大好き・・・!^^

そして、改めて、ヨーガを教えることが大好きなのだということを、感じました。
ヨーガを教え始めて10年が経とうとしていますが、とにかくヨーガを教えるのが好き。
教えていると、この上なく幸せなのです。
毎回毎回、全く色あせることなく、至福を感じます。

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気が向いたら、ふらっとお越しくださいね。
心より、お待ちしています。




感謝と愛をこめて



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by ramram-yoga | 2017-10-16 21:52 | YOGA
カレンダー作成秘話
先日自費出版した日めくりカレンダー。
今朝も、メールでご注文いただきました。
こうして愛のメッセージがみなさんのお手元に届くことを、心から嬉しく思っています。
ありがとうございます。


さて、今日はカレンダーの作成秘話を。
日めくりカレンダーにしては、文章は多めです。
にもかかわらず、実際の作成期間は1週間ほどでした。
元々形になるべくして、できたカレンダーなのだろうな、と思います。

カレンダーの各ページに入れた写真は、以前から撮りためていたとっておきのを使いました。
これらの写真も、文章に合わせてピタッピタッと当てはまっていったのですね。

それに加え、カレンダー用に新たに撮影した写真もいくつかあります。
その一つが、こちらのお花。
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「あなたのカレンダーに私を載せて!」と言わんばかりに、アピールをしてきてくれたのです。
カメラを向けると、花びらをいっぱいに開いてポージングまでしてくれました。
なんとも可愛らしいです。


もう一枚は、この表紙の写真。
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最初は、違うお花の画像を表紙にしようとしていたのですが、最後の最後に、「やっぱりこれだ」と思ってこちらの写真にしました。
この蝶々さんは、カメラをうんと近づけているにもかかわらず、撮り終わるまでじっと待っていてくれました。
撮影した瞬間、飛び立っていきました。
20日目のページにも登場してくれます。

そんなことがあり、いろんなものに協力してもらってできたカレンダーです。

出来上がったカレンダーには、祈りと愛を込めています。
"このカレンダーを受け取った人に、目覚めが訪れますように” と。
ちょうど、普段から親しくしていて、そして私の尊敬する、気の達人級のお二人がいらしていたので、3人で出来上がったばかりのカレンダーを囲み、カレンダーに光を送りました。
積み上げられたカレンダーが、それはそれは眩しく輝いているように、私にははっきりと感じられました。



気の達人お二人の、遠目ショット。
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200部作製したカレンダーのうち、すでに50部ほどが人の手に渡りました。
これからも、必要な人に、ベストなタイミングで届くのでしょう。
カレンダーご希望の方は、下記サイトにご注文方法をご案内しています。




   感謝と愛とこめて






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by ramram-yoga | 2017-10-15 14:39 | 日めくりカレンダー