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世界はうつくしいと
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この6月で6歳になった息子。
最近、何を言っても、「なんで?」の嵐です。
説明しても、それに対して「なんで?」。
また説明しても、「なんで?」。

先日、食事中に、肘をつかないように注意をしたら…
出ました!
「なんで?」攻撃(笑)
お行儀が悪いからよ、とか、そういう決まりだから、と伝えても、「なんで?」と納得できません。
考えた末、「美しく食べよう。美しい姿勢ってどんな姿勢?」と言いました。
すると、「なんで?」がピタッと止まりました。
そして、「こうかな?」と言いながら、スッと肘を引き、背筋を伸ばしました。
おまけになんと、表情も引き締まった。

美しいという言葉、息子なりに何か感じることがあったのでしょうね^^


***************




「世界はうつくしいと」
長田弘

うつくしいものの話をしよう。
いつからだろう。ふと気がつくと、
うつくしいということばを、ためらわず
口にすることを、誰もしなくなった。
そうしてわたしたちの会話は貧しくなった。
うつくしいものをうつくしいと言おう。
風の匂いはうつくしいと。渓谷の
石を伝わってゆく流れはうつくしいと。
午後の草に落ちている雲の影はうつくしいと。
遠くの低い山並みの静けさはうつくしいと。
きらめく川辺の光はうつくしいと。
おおきな樹のある街の通りはうつくしいと。
行き交いの、なにげない挨拶はうつくしいと。
花々があって、奥行きのある路地はうつくしいと。
雨の日の、家々の屋根の色はうつくしいと。
太い枝を空いっぱいにひろげる
晩秋の古寺の、大銀杏はうつくしいと。
冬がくるまえの、曇りの日の、
南天の、小さな朱い実はうつくしいと。
コムラサキの、実のむらさきはうつくしいと。





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by ramram-yoga | 2017-07-27 20:03 | ことば・メッセージ | Comments(0)
意識の受動仮説
これは、面白いです。

意思決定や行動は、「私」がやっていると思い込んでしまっていますが、実はそれは違うのだというお話。

意思決定し、行動を起こす主体は、意識的な私ではなく、無意識領域である…。



*****

今日は1日、文献の山に埋もれながら論文を書いていました。

いつもなら途中から頭が重~くなるところですが…

この受動仮説のように、「私がやるんじゃなくて、頭の中の小人さんがやってくれる」という考えでやると、とても効率よくはかどりました^^






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by ramram-yoga | 2017-07-25 16:51 | 最近のいろんなこと | Comments(0)
TFTアルゴリズム

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この三連休のうち16・17日の2日間は、今月2回目となる東京へ。
代々木のオリンピックセンターで、日本TFT協会主催のTFTアルゴリズム(初級)の専門家向けトレーニング・コースを受講してきました。
TFTとは、「思考場療法」という、心理療法の一つで、”エネルギー心理学”という分野に入ります。
前々から、心理の師匠に是非受講するようにと勧められていたのですが、今回やっと受講することができました。

TFTの方法はとってもユニーク。
ネガティブな感情にフォーカスをしながら、東洋医学でいうところの”ツボ”をトントンするのです。
すると、あら不思議。
それまで感じていた不安等のネガティブな感情が、スーッと低減していくのです。
パニック障害やトラウマの治療にも有効であるとのこと。

講師の森川綾女先生もとっても素敵で、懇親会時にはちゃっかりお隣の席に座らせてもらい、いろいろとお話をお伺いしました。
すっかり、ファンになってしまいました。

さて。
これからしっかり臨床でも使用していきたいと思います。
目の前の方に少しでも役立つことがお伝えできるような、新たな道が開けてくることは、とってもありがたく嬉しいことです。


たちまち今、不安や疲れなど感じている方。
こちらの動画で、試してみてくださいね。
結構、効果がありますよ^^





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by ramram-yoga | 2017-07-17 20:09 | 心理学とヨーガ | Comments(0)
放射する光
わが道をぐんぐん突き進むような推進力の強い人や、周囲の注目を浴び人が集まってくる人というのは、外側に向かって放射するような光を放っているように感じられます。
以下、そんな方々のイメージ図。


前も記事に載せたこのお方。
放射する力が強い人は、同時に吸引力も持ち合わせています。
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白い閃光を放つ人。
まばゆい光でその時いた広い部屋全体が真っ白になり、その人の姿も見えなくなってしまったように感じられました。

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こちらは、ある医療従事者の方。
強くはないのですが、一隅を照らすような、なんとも温かみのある光を感じました。
”愛”という言葉がぴったりでした。

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こちらは、ヨーガ療法士の先輩。
とても純粋で、何年も誠実な修行をしている方です。
ある時、その方が人前で話をしている姿を眺めていたのですが、胸のあたりから眩い光が噴き出し、あたり一面がキラキラと明るくなっていくように感じました。
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ヨーガを長年やっている人には、美しい光を発しているように感じられる人がたくさんいます。
私自身も、そんなヨーガの先輩方に憧れて、ヨーガに没頭していきました。

清らかな人の光は、それを見る人の心をも照らし出す。
純粋な人の心に触れると、それだけでこちらも浄化されるようです。






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by ramram-yoga | 2017-07-13 00:06 | drawing | Comments(0)
社会的視点から身体感覚を捉える
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今年4月から出席させてもらっている、京都大学の「現代社会論演習」の授業も、今日で前期最終回でした。
講義というよりはゼミといった方が近い感覚のこの授業で、今まで出会ったこともないような分野の方々と交流し、今まで持ったこともなかったような視点を得られたことは、私にとって大きな収穫となりました。

前回と今回の授業では、出席者の一人一人が自分の関心ごとや、これからの方向性をまとめて授業の中で発表するという内容でした。
皆さんおひとりおひとりの発表に、また新鮮な刺激をたくさんいただきました。

私も今回の機会に改めて、自分の一番の関心ごとは何かと考えてみましたが、出てきたのは意外にもとってもシンプルなことでした。
それは、身体感覚。
ということで、「身体感覚に気づくことの臨床的意義」と題し、今の自分の考えをまとめて発表しました。

すると、なんと、それを頷きながら聴いていた広井先生が、上記のような図を黒板に描きながら、私の発表を社会的視点からまとめてくださいました。
個人と社会と自然という、重層的構造がある(三角形の図)ように、個人そのものの中にも重層的構造がある。
それは、個人(自我としての私)と、社会的関係性の中の私、そして身体/生命としての私。
現代の日本社会に生きる私たちは、社会的関係性(つまり世間体や他人からの評価)を重視しすぎるあまり、自分自身の身体/生命といったものに気づきにくい事態となってしまっている。
それに対し、身体感覚に意識を向け、そこに気づいていくこととは、まさに身体/生命に気づき、人間の本質的部分に立ち戻るきっかけとなるのではないか。
そのようなお話をしてくださいました。

なるほど!と、納得。
自分の考えを第三者の言葉で聴くと、また違った印象を受けるのが面白い。
いつも、目の前の人や事象など、ミクロレベルで物事を捉え、考える傾向のある私ですが、このように他者の視点で改めて自分のやっていることを眺めるというプロセスは、とても新鮮でした。

最近は、だんだんとアウトプットの機会が増えてきています。
このブログも、私にとっては貴重なアウトプットの機会です。
自分の体験したこと、感じたことをこんな風にアウトプットすることで、それがどんどん展開していくのですね。
10月から始まる後期の授業も、楽しみです。







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by ramram-yoga | 2017-07-12 16:29 | 社会的視点 | Comments(0)
もうひとつの顔
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ある方の、幼い子どものような姿。
この人の中の、もう一面の顔ですね。
純真で、無垢。
影響を受けやすく、外側からの承認無しでは不安で仕方ない様子も伝わってきました。

一方で、何か言いたげ。
そう、この子はこの子なりにちゃんと感じていることがあり、「こうしたい」「ああしたい」といったはっきりした意見も持っています。
きっと、子どもの頃からずっと、はっきりとあったのです。

その、もうひとつの自分の顔に気づき、その声を聞いてあげられるかどうか。
それがひとつのポイントになりそうです。


********



人には、普段全面に出ている表面的な私とは別に、もうひとつの顔があるように感じます。
まるで人格が分裂しているのかと思うかもしれませんが、そうではなくて、人間の意識とは一面的ではなく、重層的であることによるのだと思います。

ストレス性疾患にかかっている人、生きづらさを感じている人は、そのもうひとつの顔の存在を忘れてしまっているか、その顔と表面的な私との調和がうまくいっていないのではないかと感じることが多いです。
周囲の目に映る自分のことにばかり意識がいって、実際にどう感じ、何を思っているのかに、自分自身でほとんど気が付いていません。

そうすると、それに代わって身体が症状やしんどさという形をとって表現してくれます。
症状とは、もうひとつの顔からの無言のメッセージなのだと思います。

症状や生きづらさを今感じているなら、もっと自分と調和して幸せになるために変化しようとしている兆しなのだと捉えてみてはどうでしょうか。
そのような理由から、時々、症状をもっていらっしゃった方に、「おめでとうございます」と言いたくなることがあります。








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by ramram-yoga | 2017-07-11 04:57 | drawing | Comments(0)
聴くということ
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相手の人に見えるイメージを題材にして相手の人とやりとりをすると、やりとりというものが普段の会話と質が違ってくる、というようなことを、最近鍼灸でお世話になっているくつろかの院長さんに話したら、「それって、本来の意味の会話なんちゃう?」と言われました。
「会話」はもともと「会和」という漢字だったらしく、ただ言葉でのやりとりというより、”和”のための交流のような意味合いが、会話にはあったのだということでした。

確かに、イメージというものは相手側に固定しているものではなく、必ず見る側の存在があって成立していて、相手だけでも私だけでも成り立たつことのない、まさに関係性の中で生じてくる現象であるわけです。
そして、そのイメージは驚くほど、その時のその人との間で、溶け込むようにマッチしているのですね。
もうちょっと、この自分と相手との間に立ち現れてくる光景(イメージ)と、じっくり付き合ってみたいと思っています。

昨日は釈撤宗著「死では終わらない物語について書こうと思う」という本を読んでいました。
そこには、過去に様々な信仰修行を行ってきた人がどのように死に、死の前にどのような言葉を口にしたか、ということについて、バラエティ豊かに記されていて、とても面白かったです。

その中で著者が最後に書いていてことが、印象に残りました。
死に対する問いや、恐怖に対して対応できるのは、物語(ナラティブ)なのである、と。
なぜなら、「なぜ生きているのか」「死んだらどうなるのか」という問い自体が事実そのものではなく、生きて死ぬという事実に意味づけを加えようとする物語の中で生まれてくるものなのですから。

そのようなことを前提として、人の苦しみとは何なのか、ということをもう一度考えてみると、これはもう、疑いようもなく、物語の中で生じてきているものなのだ、ということが分かります。
その意味では、肉体上の健康とか病気等と、苦しみとは、あまり関係していないのではないでしょうか。
たとえ病気でも、その人の苦悩を、究極的に受け入れ、寄り添ってくれる存在がいるとすれば、それはその人は、もう苦しみの中にいないのではないでしょうか。
反対に、健康であっても、孤独感にさいなまれ、絶望している状態は、苦しみそのものです。

それでは、苦しんでいる人の前で、私に何ができるのか。
それは、聴くことなのだと思います。
ただ、言葉を耳でとらえるのではなく、その人全身から発せられるものを、こちらも全身で聴く。
その人と私との間に、一回限りで立ち現れてくる言葉は、まさに一期一会です。

本当の意味で”聴く”ことができた時、セラピスト側にクライアントを治そうとする意識が生じなくなり、セラピストはクライアントの中に完全性を見ることができるようになるのではないかと思います。
そしてその時に初めて、クライアントはセラピストを鏡のようにして自分自身を見ることができ、本当の意味で自立していくことができるのではないか。
そんな風に感じている、今日このごろです。






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by ramram-yoga | 2017-07-10 15:53 | 心理学とヨーガ | Comments(0)
いろいろなからだ
引き続き、色々な人を見て感じていることを、絵に描いています。

話をしていると言葉ではとても不安そうだったり、大丈夫かな?とこちらが心配してしまうような人でも、からだの方をみると、「大丈夫っ!!」っていう言葉が飛び込んできたり、じわじわと安定感・安心感のようなものが伝わってくる人がいます。
そういう人のことは、ある程度安心して見守ることができます。

その反対の人もいます。
会話していても一見笑顔だったり、穏やかだったりする人の中に、とても痛々しいからだの人がいます。
まるで、少しでも触れると痛くて飛び上がってしまいそうなくらい、ヒリヒリとした生々しい傷口を、皮膚一枚の下に潜ませている。
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青い四角形の、小窓のようなものが、ありました。
このお方の外界とのつながり、もしくは突破口を示唆しているように、感じました。


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いろいろとミスをしてしまうとおっしゃっていたまた別のお方。
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頭の中で、灰色をしたマナス(意思・意識の流れ)が、混乱して錯綜しています。
よく見ると、アナハタ・チャクラ(胸)の方ではもっと混乱していました。
そして、胸のあたりで、とても悲しそうな顔をしているその方が見えるのです。
自分に自信が持てない、OKを出すことができない。
人間関係や仕事上のタスクについての混乱の元凶は、そこにあったようです。



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こちらは、最初何を観ているのか全く分かりませんでした。

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ただ、眺めていると、このような印象がどんどん強まっていくのです。
女の方なのですが、男性的な勇ましさを感じました。
だんだんと、これは人生で何かをやり遂げようとする、強靭な意志の表れのように感じられてきました。

後でご本人に確認してみると、大きく頷きながら「そうです」と即答されました。
ただ、しんどくなっていたのは、そこに義務感が加わっていたからのようです。
ずっとずっと、義務感に支配されてきたのだそうです。
それでは、なぜそんなに義務感を感じたのか?
そう問うと、過去にあった喪失体験のお話をされました。


みんな、いろいろな人生を、いろいろな”からだ”と共に、生きています。




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by ramram-yoga | 2017-07-08 17:21 | drawing | Comments(0)
続・お絵かき

描き始めたら、止まらなくなってしまいました(笑)

こちらは、自分の内側の光景。
スシュムナー管ではないかと思います。
数年前にこれが見えてから、プラーナ(気)がムーラダーラ・チャクラ(第一チャクラ)まで下りる感覚がつかめました。
自分の内側を観ているのに、なぜスシュムナーの全体を客観的に見ることができたの?と言われましたが、こればかりは私も分かりません^^;
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こちらは、体内の細胞が一つ一つ覚醒した図。
始原東洋医学という鍼灸の手法で初めて鍼灸を受けた翌々日に起きた出来事です。
とても表現できる色ではありませんでしたが、敢えて表現すると、こんな感じ。
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こちらは、あるお方。
近くでお話をしているときには普通に見えるのですが、遠くから見るとこんな感じ。
とにかくすごいエネルティッシュで吸引力のあるお方です。

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こちらは、また別のお方。
頭頂と前頭葉にキラキラした粒子状のものが集中し、ものすごいスピードで行き交っていました。
その割に、首から下が空虚な感じで、首のあたりで詰まりを起こしてしまっているような感じでした。
「どうしたらいいでしょうか?」と、尋ねられたので、マナス(意思鞘・思考の状態)を少しスピードダウンした方がいいのでは?と思い、深呼吸してリラックスし、体を緩めてプラーナの状態を整えるといいのではないでしょうかと、お伝えしました。
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by ramram-yoga | 2017-07-07 11:01 | drawing | Comments(0)
からだは嘘をつかない
あるお方の胸(アナハタ・チャクラ)のあたりで見えた光景。
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こちらは、また別のお方。
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こういった光景は、固定的に存在しているのではなく、あくまで私とそのお方の関係の中でこそ見えてくる、一期一会のものだと思っています。
ですが時々、外見からの印象とあまりにも違い、はっと息を飲んでしまうこともあります。


*****


一見、無表情でクールな人でも、からだの方をみると、とても情熱的だったりします。
そういう意味で、からだは嘘をつくことができません。

日常生活で、心を全開にしていると、とてもじゃないけどやってられないことが多いと感じます。
傷つかないようにガードしていることは、今の時代、ある意味で健全な選択だと思います。
しかし、そのうちに、だんだんとガードしていることすら忘れてしまい、自分の中にとても繊細で、豊かな感性があってそこでいろんなことを感じていることをも忘れてしまっていることがあります。

でも。
いつも、感じています。
自分だけは、それを分かっていたいものです。

いくら、「もういい」とか「別に問題はない」と頭で思っていても、からだの方をみれば、本当にそうなのかは一目瞭然です。
あなたに今、どこか身体や心の不調があるなら、からだに尋ねてみてください。
何かを必死で、あなたにアピールしているのかもしれません。

そして。
そんな自分を、愛おしいと思いませんか。





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by ramram-yoga | 2017-07-06 19:35 | drawing | Comments(0)