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夜明け

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前回の記事でも書きましたが、教育分析(カウンセラー自身が自己理解を深めていくために指導者から受けるカウンセリング)を受けて、自分のこれまでの人生が一本の線でつながっていった体験をしてから、3週間が経ちました。
どのようにつながったかというと、今までずっと「母のように生きてきた」自分に気がついたのです。
このことは、私にとっては見当もつかなかったことで、教育分析の落とし所がこんなところにあったことが、心底意外でした。
でも、改めてそのような視点から今までの自分のやってきたことを振り返ると、まるでそれが方程式であるかのように、思い当たる全てのことに当てはまっていきました。

私にとって母親は、完璧な存在でした。
幼い頃からずっと、母親の価値基準で物事を判断し、進路や入部した部活、職業、仕事のスタイル等、母親の辿ってきたのと同じように自分の道を選択してきたことに気付きました。
そして、母親より劣ると感じた分野では、自分からそのステージを降りることで、その劣等性への直視を避けてきたことにも気づきました。
この中で特に母親に劣ると主観的に感じていたのは、女性性でした。
小さい頃から”女らしさ”になぜか嫌悪感を感じて、ボーイッシュな髪形や服装を好んでいた訳も、理解できました。
思春期から摂食障害になったのも、そのことと深く関連していたことに気付きました。
当時、摂食障害で急激に太っていったことが自分にとって最大の屈辱でしたが、その時奪われたと感じたのがまさに、女性らしさでした。
ですが本当は、それは奪われたのではなく、自分で剥ぎ取っていたのですね。

長い間ずっと苦しめられていた、周囲からネガティブな注目をされることへの怖れについても、その正体が分かりました。
なぜか、隠し事をしているわけでもないのに、ことあるごとに相手から疑われているのではないかと感じていたのです。
その怖れは、実は私には自分のアイデンティティというものが無く、全てが母の借り物であるということを見破られることに対して生じていたのだということが、分かりました。
母のようでないと周囲から歓迎されず、期待されないという信念を持っていた私にとって、偽りを暴かれ本当の自分があらわになることは、死活問題だったのですね。

「自分は母のように生きてきた」ということを突き付けられた時に初めて、自分の中にぽっかりと大きな空洞が空いているのを感じました。
自分というものがまるでなく、とても、空虚でした。
そして思いました。
私は、必死にこの空虚さから目を背けようとして、個性的になることに多大な労力を費やし、様々な外的活動にしがみついてきたのだと。
このことを突き付けられた時は一時期、抜け殻のようになりました。
実際に、これまで私を支えてきた芯のようなものがごそっと背中から抜けて、肩が軽くて軽くてしょうがないのです。
肩ってこんなに軽いものなのかと驚きました。
そして一方で、大きな虚しさが襲ってきました。
いったい私はこれまで、何をしてきたんだろうと。


でも。
アイデンティティとはそもそも個と個を区別するものであり、ヨーガで言うところの”非我”なのですよね。
アイデンティティの本質である ”私は~~” という感覚こそが、執着を強めていくのですから。
今回の気づきがあってから、そのヨーガの教えがスーッとしみ込んできました。
空虚な感じのしたぽっかり穴も、周りをアイデンティティという名の柵で囲っていたから空洞ができていたのであって、その柵をとっぱらってしまい、もっともっと大きな”いのちの根源”ともいうべき大いなるものに自分を重ね合わせていけばいいのだと、思いました。
本当の自分である真我は、これまでも誰からも気づ付けられたことは無く、低められたり高められたりすることは決してないのですから…。


ー禅の教えでもあるように、まるで水のように、四角い容器にはいったら四角くなり、丸い容器に入ったら丸くなるように、自分を固定化しないことー


これは、以上のようなことを、現在の主治医である齋藤クリニックの齋藤先生にお話ししたところ、いただいた言葉です。
教育分析をしてくださった私の心理の師匠もそうですし、このように全人的な変容をすっぽりと包み込んでくれる器の大きな医療者とご縁をいただけているのは本当にありがたいことです。
涙ながらに語る私にティッシュを取ってくださいながらも、
「アメーバのように、自在に形を変えていけるようになればいいんですわ。わぁっはっはっはー!」
と笑い飛ばされ、最後まで残っていた深刻さもスーッと抜けていきました。


その後。
ここ最近、自分というものが自分の肉体だけにとどまらず、広がっていくような感覚を感じています。
感じたことのない、不思議な感覚です。
ここからまた、新たな世界が開けてくるのかどうかは、私次第ですね。
そして、目の前にいる人に、いつも最善を尽くすことができますように。
自分の存在価値を確かめるためにではなく、純粋に人のために尽くすとはどういうことかを、これからもっと考えていきたいと思っています。


「新たな始まり」という感じがしているこの頃の心境に、フィットしてくれる一曲を、最後にご紹介。
人はいつでも、決意した時に、生まれ変わることができるのですね。

バッハ管弦楽組曲第4番ニ長調


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by ramram-yoga | 2017-03-14 01:25 | music | Comments(0)