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4月の読書本
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13.「患者よ、がんと闘うな」 近藤誠著
14.「養生訓問答―本当の『すこやかさ』とは―」 中岡成文著
15.「日本の土着思想―独創的なリベラルとラディカル」 上山春平著
16.「微笑みを生きる <気づき>の瞑想と実践」 ティク・ナット・ハン著
17.「怒り ANGER 心の炎の静め方」 ティク・ナット・ハン著
18.「不死のしくみ」 阿部敏郎著


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今月初旬に、NHKの番組「こころの時代」で、2回にわたってベトナムの禅僧ティク・ナット・ハンについて放映されました。

ティク・ナット・ハンの存在は以前から書籍を読んだりして知っていましたが、実際に映像でその姿を見、表情、言葉を聞いているうちに、すっかり魅了されてしまいました。

その後何度も、録画を繰り返し見ています。
著書も立て続けに、読んでいます。

まるで乾いた土に水がしみこんでいくように、身体全体にその精神性が染み渡っていきます。

それは、外側から取り込んでいくというよりは、ティク・ナット・ハンの導きを介して、自分に立ち戻っていくといった方が、合っています。



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by ramram-yoga | 2015-04-30 22:13 | | Comments(0)
基礎の学び
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大学院修士課程2年の前期が、始まりました。
一年前は何も分からずにキョロキョロしていた自分が、もう先輩になってしましました。
なんとも頼りない先輩だなと思いながらも、“M2(修士課程2年の略称)さん”と呼ばれることが新鮮で嬉しくもあります。

さて、1年目はとにかく、忙しかった。
“息をつく間もないほど忙しい”とはこのことを言うのかと、思いました。
高速を使って週に4~5日、片道1時間かけて大学に通い、合間に仕事。
終わったと思えばすっ飛んで保育園へお迎え。
その後は家事や入浴を終わらせ、子どもを寝かしつけた後に、院の課題や学会発表の準備、論文を書く時間を半ば無理やりねじ込む。
充実していました。
しかしそれは外側からみた状態であって、ただ忙しく暇がないというのが充実の本質ではない。

私はといえば、この一年間、自主的な勉強がほとんどできていませんでした。
いくら高度なことを学んでも、素晴らしい講義を聴いて感動しても、そこからプラスアルファして自分の実になるよう発展させていくような勉強が、全くできていませんでした。

でも。
この春からは授業もぐっと減り、自分のペースでやっていけそうです。
前々から読もうと思っていた本を、今日やっと机の上で開くことができました。
1年の授業で、精神医学を学ぶなら是非この本を、と、精神科医でもある先生にご紹介いただきました。
読んでみるとなるほど、紹介していただいた意味が分かったような気がしました。
著者のお一人の中井久夫先生は著明な方ですが、分かりやすく、そして医学書にしては珍しく美しさを感じさせる文章表現の奥に、確固とした哲学が息づいているように感じました。
また、精神病理を理解していくにも、心理学とは一味もふた味も違った視点や感性が、あるように思います。
そして同時に、やはりこのような基礎の勉強が大切だなと、しみじみ思いました。

10年前、22歳で病院に就職した時、職場の図書館にある医学書を借りて帰っては、ノートに書き写しながら勉強をしていた頃のことを、懐かしく思い出していました。
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by ramram-yoga | 2015-04-11 22:03 | 大学院生活 | Comments(0)
ヤーマ・ニヤーマ論争
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4月5日の研究発表が、無事に(?)終わりました。
ヨーガの中でも、自分が一番関心を持ち、かつ大切にしてきた部分を、今自分ができる精一杯の形にまとめて発表させていただきました。

医学・哲学・宗教学・農学・鍼灸学・看護学・心理学と、幅広い分野の方々からご意見をいただき、思ってもいなかったような視点に気づかされたり、新たな課題が浮き彫りになったりして、本当に有難かったです。

アウトプットばかりに気をとられて、実践がなおざりになってしまってはいけませんが、アウトプットすることで確かに変わっていくことがあると思います。
なぜなら、アウトプットというのは、意識という光をそこに当てる、という作業だからです。
意識の光を当てると、その対象に生命力が吹き込まれ、息づき、発展していく・・・。
そんな感覚を、確かに感じています。

さて、研究会ではいろいろな議論が展開しましたが、中でも私にとっては意外なことが、結構な議論に発展しました。
それは、ラージャ・ヨーガの8段階の修行法(禁戒・歓戒・座法・調気法・制感・精神集中・静慮・三昧)の内の1,2段階です。

1段階目は「禁戒(Yāma)」…非暴力・正直・不盗・禁欲・不貪
2段階目は「歓戒 (Niyāma)」…清浄・満足・苦行・読誦・信仰心涵養

「これがなぜヨーガの修行法に含まれているのか?」
「世俗の生活の中で守りきれない(破らないと上手くやっていけないこともある)」

これらの戒律は、その人が暮す文化水準によって守ることが求められるレベルも当然変わってきます。
しかし、よく考えてみると、今世の中で犯罪とか不祥事が起こっているのは、これらの戒律が守られていないからだということが分かります。
つまり、非常に初歩的であり、それと同時にこの上なく重要な事柄でもある、ということなのだと思います。

自分の中ではもう、当たり前のようになっていて疑問に感じることも無くなっていましたが、改めてその必要性や意義を考えさせられる貴重なきっかけをいただきました。
そして、このような一般的にみて行動規範と捉えられるものも、ラージャ・ヨーガでは、全てただひとつの目的のために為されるのだということ。

すなわち、心の働きを鎮め、自己本来の性質を悟っていくために。
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by ramram-yoga | 2015-04-10 23:19 | YOGA | Comments(0)