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3月の読書本
25.「嫌われる勇気 自己啓発の源流『アドラー』の教え」 岸見一郎・古賀史健 著 (ダイヤモンド社)
26.「日本人へ 危機からの脱出篇」 塩野七生 著 (文春新書)
27.「心さえ負けなければ、大丈夫」 織田友理子 著 (鳳書院)
28.「人はなんで生きるか」 トルストイ 著 (岩波文庫)
29.「もの食う人々」 逸見庸 著 (角川文庫)
30.「代表的日本人」 内村鑑三 著 (岩波文庫)
31.「母という病」 岡田尊司 著 (ポプラ社)
32.「人生のシフト 本当のあなたが目覚めるセンタリング」 牧野内大史 著 (徳間書店)
33.「新緝 森信三全集 第二巻」 森信三 著  (致知出版社)
34.「新緝 森信三全集 第三巻」 森信三 著  (致知出版社)
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by ramram-yoga | 2014-03-31 20:43 | | Comments(0)
誕生日、そして満月の夜に
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「癸丑歳 偶作 (きちゅうのとし ぐうさく)」

十有三春秋   十有三春秋
逝者已如水   逝く者は已に水の如し
天地無始終   天地始終なく
人生有生死   人生生死あり
安得類古人   安んぞ古人に類して
千載列青史   千載青史に列するを得ん

(13歳となってこれまでを振り返ると、
 月日は水の流れのように過ぎ去って二度と戻らない。
 天地は永遠で始めも終わりも無い。
 しかし人間には必ず生があり、死がある。
 それならば何とかして歴史上の人物のように、
 自分も日本の歴史上に名を連ねたいものだ)


月間致知3月号「頼山陽」より




***************


上の詩は、江戸時代の歴史家、頼山陽(らいさんよう)が13歳の時に作ったものなのだそうです。
最近、違う場面でこの詩に立て続けに出会い、印象に残りました。
13歳で二度とない人生にはっきりと目覚め、ゆるぎない志を既に立てていることは、私にとって衝撃でした。

私は今日で32歳。
この歳にしてようやく、心願を立てようと思うに至りました。
自分が二度とない人生を生きているのだと自覚した時から本当の人生が始まるのだとしたら、実はまだ私は生まれていなかったのかもしれません。

立ち止まっている場合ではない、言い訳している場合ではない。
被害者気取りをしている場合ではない、人目を気にして萎縮している場合ではない。
日常の雑事に取り込まれ、埋もれてしまっている場合ではない。
稚心を捨て去り、生まれ変わりたい。
もう人生は、始まっている。
しかももう、30年以上も前から。
あと、何年生きられるか。
きっともう、悠長に構えていられるほど長くはない。



この二度とない人生を、いかにして真に意義あるように生きるかを、常に心の奥底に置いて忘れないように。
そして、歳をとるごとに緊張感を増し、生を終える一呼吸までその緊張感を失わないような生き方を、していきたい。
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by ramram-yoga | 2014-03-17 22:49 | ことば・メッセージ | Comments(0)
嫌われる勇気
このタイトルは書籍本の題名で、心理の師匠に紹介していただき読みました。
とても売れている本のようです。
しかし内容はタイトルから想像していたよりとても充実し、心理学の三大巨頭の一人と言われるアルフレッド・アドラーの創始したアドラー心理学の全体像が見渡せる一冊でした。

さて、まずはなんと言ってもタイトルからして惹かれてしまいます。
普段結構、人目を気にしてしまう性質の自分にとっては、特に・・・^^;
言ってみれば、誰からも嫌われたくないの、ですね。
しかし、そんな私と同じような思いを持ったこの著書の登場人物である青年は、同じく登場人物である哲人に次のような言葉でバッサリと切られてしまいます。

「誰からも嫌われたくないと思うことこそ、自己中心的な発想である」と。

なぜなら、“私”を好きか嫌いかというのは、相手が決めることであって、私がどうこうする問題なのではないから。
つまり、相手のことに首をつっこんでどうこうしようとしてまで、自分のイメージをまもろうとする行為は傲慢だということです。
そして、10人いれば、自分が何をやろうがしようが、自分のことを嫌う人は必ず1人はいるものなのだそうです。
このように考えれば、ちょっと楽になりますね。


以下、哲人の言葉を抜粋。

「嫌われる勇気」
自由とは、他者から嫌われることである。
他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを恐れず、承認されないかもしれないというコストを支払わないかぎり、自分の生き方を貫くことはできない。つまり、自由になれないのです。



また、アドラー心理学によると、われわれ人間は「優越性の追及」という普遍的な欲求を持っているのだそうです。
優越性の欲求とは、平たくいうと「向上したいと願うこと」や「理想の状態を追求すること」を指すのですが、それは時に、他者の注目を集め、「普通」の状態から脱し、「特別な存在」になろうとする目的に摩り替わってしまうことがあるのだそうです。
しかし、周囲からの注目を常に浴び、特別な存在であり続けることは、上に述べたような「誰からも嫌われたくない」という自己中心的発想へとつながってしまいます。
そのことに関して、哲人は次のようなことが大切だと青年に言います。

「普通であることの勇気」
なぜ「特別」になる必要があるのか?それは「普通の自分」が受け入れられないからでしょう。
普通を拒絶するあなたは、おそらく「普通であること」を「無能であること」と同義でとらえているのでしょう。
普通であることとは、無能なのではありません。
わざわざ自らの優越性を誇示する必要などないのです。


つまり、今の自分ではない「何者か」になろうとする必要はなく、あるがままの自分をまずは認めるということ。
その上で、よりよくあろうと一歩を踏み出すのが、健やかな「優越性の追及」であるというのです。
哲人の表現を借りれば、人は上下に位置しているのではなく、平面に点在するそれぞれの人が、それぞれの立場からよりよきを目指して前進していくようなイメージです。


「嫌われる勇気」そして「普通であることの勇気」。
肩の力が抜け、そして勇気が出てくる言葉です。
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by ramram-yoga | 2014-03-02 16:16 | ことば・メッセージ | Comments(3)