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悲しみを悲しいと感じられるということ
この9月は、私生活でも仕事においても、いろいろなことがいっぺんに決まった月でした。
あまりにも急にバババっと決まっていったので、決まるときは決まるものなんだなと、少し驚きました。

その中のひとつ、息子が来月から保育所へ入所することになりました。
10ヶ月間入所を待機して、やっとの入所。
ほっとすると共に、それはこれまでずっとお世話になってきた一時保育の保育園や、ファミリーサポートという託児ボランティアの方とのお別れでもあります。
平日はほとんど1人で育児をしていた私にとって、息子のことを可愛がってくれ、一緒に成長を喜んでくれる人たちが他にいるということが、どれだけ救いになったでしょうか。
それだけに、その方々とのお別れを考えると胸がキュッと締め付けられるようで、涙が出てきます。
でも、出会いがあるということは、いつかはお別れもあるということ。
それに、息子の成長ゆえのお別れであり、それは喜ばしいことでもあること。

また、悲しさを“悲しい”と感じられることのありがたさも、同時に感じました。
なぜかというと、以前はそのようにできなかったからです。
ネガティブな感情を感じるということが、以前は大の苦手でした。
特に、お別れの悲しさというのは、中でも特に、感じるのを避けてきました。
でも、感情から目をそらして、感じるべきときに感じないでいると、その感情は不完全燃焼のまま心に留まってしまうのですね、きっと。


悲しさも、せつなさも、苦しさも・・・。

怒りも、嫉妬も、それらの奥にある恐れも・・・。

誰かの事を「やだな」と感じることも、反対に「好きだな」と感じることも・・・。

“こう感じちゃダメ”ってことは、何一つない。
だって、実際に感じているのだから。
だから、そのまま感じて、いい。
感じていることのありのままを、「私は今、こう感じている」と、認める。
私の“感じ”は私にしか感じることができないのだから、まずは私が私の事を、認める。

ありのままを感じるという感性を育てていくことができたのは、ヨーガのおかげでした。
繰り返し繰り返し、今自分の身体や心に起こっていることを、そのまま感じるという作業が、だんだんとネガティブな感情をそのまま受け入れる力となっていきました。

そして、一見ネガティブな感情も、実は私を助けてくれているのだと、思うようになりました。
悲しみをきちんと悲しむことが、次のステージに進むエネルギーに変わっていくのを、感じているからです。
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by ramram-yoga | 2013-09-28 01:25 | 最近のいろんなこと
神様がくれた夏休み
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この夏は、今年に懸けていた試験の勉強に、それこそ1分1秒を惜しんで没頭していました。
9月初めにその試験の結果が分かり、それから気が抜けてしまったのか、少し体調を崩していました。
体調が回復し、気持ちにも時間にも余裕が出来た状態になった頃にタイミングよく、普段は“超”がつくほど多忙な夫に奇跡の10連休がもらえました。

きっとこのお休みは、私たちに神様がプレゼントしてくれたのだと思い、普段は一緒に食事をするのもままならない夫と、親子3人の時間を存分に過ごしました。

a0118928_2330143.jpg水族館やお弁当を持ってピクニックなどいろんなところに出かけ、最近の激務で10kg近く痩せた夫に、彼の好きな料理を心ゆくまで作り、3人で一緒にごろごろ昼寝したり。

何気ない生活を家族で一緒に共有することが、こんなに楽しいなんて。
普段息子と2人きりでいると余裕が無くなって感情的になってしまうこともありますが、家の中にもう1人いるだけで、こんなにも気持ちに余裕ができるのかとも思いました。

夫と私のことを「とーしゃん」「かーしゃん」と言うようになった息子も、家族3人でいることがとっても嬉しかったようです。

a0118928_001615.jpgそれと、きっと私に余裕ができたからでしょうね、なんだか甘えたさんになりました。
最近は、私の膝の上でしか食事をしたがりません。

子どもは親の心情に、本当に敏感。
今子どもが出してくる要求にしっかりと応えていこうと、思います。


私は家族によって支えられているのだと、こんなに感じさせられたのは初めてかもしれません。



(写真は上から、万博公園散策の風景、息子の大好きな“にーにー(おにぎり)”のお弁当、六甲山牧場の羊さんを触りたくて追いかける息子)
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by ramram-yoga | 2013-09-26 23:26 | 出産・子育て
日中の暴風雨の後、夕方は雲の合間からキラキラと陽光が輝きました。

そしてそこに、素晴らしく大きな、くっきりとした虹が現れました。



虹の美しさも去ることながら、道端を行きかう人が皆、虹に見とれているその横顔。

自然の偉大さに、なぜここまで一様に、深く感動できるのでしょうね。

そこには理由はありません。



自然の不思議さ、生命の不思議さを感じる今日このごろです。

生きているということ、それは自分が望む望まざるに全く関わらず、どうしようもなく“在る”ということ。

生まれたばかりの小さな赤ちゃんでさえ、その存在のなんと大きなこと。

生命を宿し、意識を持つ存在は、周囲に影響を与えずにはいられない。

ただそこに“在る”だけで、唯一無二の個性を持つという、それはなんという奇跡。

生命という存在の、すさまじいまでの迫力に、ただただ、圧倒されます。

そして、“絶対的有” という根源的な真理に気づき、驚くのです。








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by ramram-yoga | 2013-09-05 00:08 | music