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第24回内観ワークショップin京都*印象記
10月27・28日は、アピカルイン京都にて開催された第24回内観ワークショップに参加いたしました。
1泊2日行われた今回のワークショップは、さまざまな分野で内観を研究・実践されている先生方からのご講演に加え、約6時間の間は実際の内観を体験するというとても密度の濃いプログラム構成となっていました。
参加者は一般の方のほかに医療関係者や集中内観体験者、ヨーガ療法関係の方々も大勢いらっしゃり、定員の100人にせまる人数で大盛況の中行われました。

今回私はスタッフとして参加させていただいたのですが、内観実習の時間には面接官という非常に重い役割もさせていただきました。
内観者が奥深く眠っている記憶を呼び起こしていく作業に、面接者はいわばそれに同行していくという役割になると思うのですが、この役割をどのような心でさせていただいたらいいのかと思っていたときに、講演中に紹介された内観の創始者である吉本伊信先生の「内観者は菩薩様です」という言葉が印象にのこりました。

内観では、家族など身近な方に大して3つの「していただいたこと・してお返ししたこと・ご迷惑をおかけしたこと」をもとに自分の心のあり方や物事への対峙の仕方を調べ、自己存在に迫っていきます。
面接官は内観者の“鏡”となって、内観者の発言に対して評価やアドバイスなどはせず、ただひたすら傾聴するという姿勢で臨みます。
一見受動的ともいえるこの面接者の態度ですが、今回実は非常に能動的なのだということを感じました。
一人孤独に自分を調べている内観者のもとへ行ったとき、面接者の足音やふすまをあける音や速度、目線や雰囲気、そして少ないながらも発する言葉のトーンや早さまで、そのひとつひとつを内観者の方がどれほど敏感に感じ取っているか。
逆に言葉が少ない分、それらのノンバーバル(非言語的)な要素が浮き彫りになり、面接者の内観者への態度だけではなくひいては面接者の人間性まであらわにされてしまうような感覚にもなりました。


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今回は時間が限られていたこともあり、母に対する自分について調べる内観を行って終了しました。
内観者の方の真摯な態度に、面接者の私の心も浄化されていくような感じがしました。
また、普遍的な母の愛、母の偉大さというものを感じました。
内観では“母にはじまり母に終わる”という言葉もあるほど、母への調べを重要視しています。

ワークショップが終わって岐路につき、ほっとすると、猛烈に息子が恋しくなりました。
帰宅すると風邪気味の息子が鼻水を出しながら笑顔で迎えてくれました。
息子にとって母親の私とはどのような存在なのだろう。
きっと私が今思っている以上に、母親としての私は息子の人生に深く関わって影響し続けていくのだと思います。
そのような意味でも深い示唆を与えていただいた今回のワークショップでした。
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by ramram-yoga | 2012-10-29 11:38 | 内観 | Comments(0)
パセージ4章「共同の課題」
今日はアドラー心理学の育児学習コースに参加してきました。
今日は全8章あるうちの第4章「共同の課題」でした。

前回では子どもと親それぞれの課題を分けて考えることを学んだのですが、今回はそれらの課題を分けて考えた上で必要あらば両者の了解のもと「共同の課題」とすることができる、ということでした。

たとえば、子どもが勉強をするしないは“子どもの課題”ですが、子どもが親に「宿題がわからない。教えて」と頼めば、子どもの課題に対して親が協力するという形になり、宿題が親子にとっての“共同の課題”となるわけです。

ここでキーとなるのが、子どもに頼まれた場合にのみ、親はその宿題を“共同の課題”とすることができる、ということです。
「言葉で頼む」というのが、共同の課題にするための必須項目なのです。
たとえば子どもが「わかんない~!」とだけ言ってゴネていても、親は手伝わないのです。
かといって親は子どもが頼んでくるのまで放っておくわけでもなく、必要に応じて子どもに「何か手伝えることはありますか」とたずねたりもします。
要するにここで親は、子どもが「自分は能力がある。親は私の仲間だ。」と感じるような働きかけ(アドラーの子育ての目標)をしていきます。

今回出された宿題は、相手からお願いされたことに徹底的に応える、ということ。
うちの1歳4ヶ月の息子はまだまだ会話はできず、何かして欲しいときには「んー!んー!」と訴えます。
今週一週間は、徹底的にこの子の欲求に応じてみようと思います。
家事のときも抱きついてきたら、家事の手をとめて抱っこする。
忙しいときなんかは難しいですが、とにかくやってみよう。

a0118928_23314095.jpg今日はいっぱいいっぱい私に抱きついてきた息子を、いっぱいいっぱい抱っこしました。






(写真は動物園にてお友達と。)
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by ramram-yoga | 2012-10-23 23:33 | 出産・子育て | Comments(0)
不断の努力と離欲によって
今日は、ヨーガの聖典学習の会に参加させていただきました。

今日のテーマはヴァイラーギャ(離欲・無執着)についてでした。
私たちが何かに集中しようとするとき、または心を落ち着かせようとするとき、それを妨害するのが執着・欲望・嫌悪であり、それらは過去の記憶にまつわる想念から形成されているということ。
心は常に、そこにとどまろうとしたとしても、その人が執着しているものに向かって“逃げ出す”回路を作ってしまっているということ。
そして、そのような心の暴走を制御していくのが、不断の努力(アビャーサ)と離欲(ヴァイラーギヤ)だということ。

これらの講話の後、自分は普段の生活の中で何を好意的に感じ、何に嫌悪を感じるかを調べていく瞑想を行いました。
要するに「好き」「嫌い」といった、自分の好みに関しての瞑想です。
なぜそれが「好き」と感じるのか、「嫌い」と感じるのか。
好き嫌いを突破口にして、自分の心が何に執着しているのかを探っていきました。

私はといえば、思い通りに物事が進まないときにストレスを感じる自分を再確認。
でも、考えてみれば、思い通りにいかないことの方が多いので、もうちょっと現実を受け入れないとなぁ・・と思い直しました。

心をコントロールすることはほとんど不可能である。
それは確かに非常に難しい。
しかし、不断の努力(アビャーサ)と離欲(ヴァイラーギャ)に確立することによって、それは可能となる。
              (スワミ・チダナンダ「至福への道より」)



と、これはバガヴァッドギーターでクリシュナ神が言うセリフですが、どんなに心がかき乱されても、いろんな感情に翻弄されたとしても、とにかく不断の努力をしつづけることが大切だというメッセージに勇気付けられます。
何度失敗しても、つまづいても、また立ち上がって進んでいこう。
そんな気持ちになりました。

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今日はうちの破壊の大魔王(息子)が、早くに就寝してくれたので、ゆったりパソコンに向かえています。
最近は家にいるとき聴くのはもっぱら放送大学の講義ばっかなのですが(なにしろ今期は10科目履修したので、聴きまくらないと間に合わないのです)、今夜は久しぶりに大好きなショパンのノクターン全集を。
演奏はアシュケナージです。


こちらは中でも大好きな8番(辻井伸行さん演奏)。



↑あっ今日やった瞑想のテーマの「好き」「嫌い」が、早速でました!
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by ramram-yoga | 2012-10-22 21:20 | 瞑想 | Comments(0)
相手を理解することと、課題の分離
今日は、アドラー心理学の親教育セミナー“パセージ”を受講してきました。
全8章のうち、今日学んだのは3章「課題の分離」。

課題の分離とは、以下のような作業です。
たとえば子どもが問題行動を起こしたとき、その結末が主に子ども本人にふりかかってくる場合、その問題を<子どもの課題>といいます。
また、その子どもの問題行動の結末が親だけにふりかかるとき、その問題を<親の課題>といいます。

子どもが宿題をしないと、先生に怒られたり成績が悪くなったりする、これは、子どもの課題です。
一方、子どもが何か問題行動を起こしたとき、そのことによって、親が誰かに謝らなければいけないとか、親戚関係が悪くなってしまう場合、親にも課題ができてくるわけです。

そして、親は原則的には、子どもの課題については子どもに自分の力で解決してもらい、自立を促していくことになります。

これを学んで、自分は結構他人の課題に首をつっこんでることあるなぁと、気付いた私でした。
そして、課題の分離ができてくるようになると、お互いに楽になれることも多いのではと。

さて今日も宿題のワークシートをいただいて帰りました。
学んだことを今度は実践です。
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by ramram-yoga | 2012-10-16 22:25 | 出産・子育て | Comments(2)
第16回日本摂食障害学会in東京
今日明日と、東京政策研究大学院大学にて日本摂食障害学会の第16回研究総会が開催されており、参加しています。

摂食障害学会の研究総会は初めての参加だったのですが、内容はかなり充実しており1日みっちり有意義な勉強ができました。
印象としては、参加されている専門家の方々がみなさんとても心のある、人間として温かみを感じるような方が多いなぁということでした。
摂食障害はその治療の難しさから、ともすれば医療関係者から敬遠されがちです。
しかし、本当に困って助けを求めている摂食障害の方たちに対して親身になり、なんとか回復に向かわせてあげられないだろうか。
そんな真剣な思いで治療に従事されている様子が、数々の事例検討やパネルディスカッションの場で伝わってきました。

摂食障害は年々、遷延化・高齢化が問題となっており、また再発も非常に多く気分障害や内科疾患の併発も多いことから多職種が連携したチーム医療が求められ、今回もディスカッションされていました。
その中で何人かの先生方がマインドフルネスの重要性を主張されていましたし、自己内省・スピリチュアリティの部分にもヨーガ療法が果たしうる役割が大いにあると感じました。
私も少しでもお役に立てるように、励んでいきたいと思いました。
明日も1日、しっかり学んで帰りたいと思います。

さて、息子はといえば現在夫と母に任せて私は今夜は一人で東京にて一泊。
考えてみれば、初めて息子と遠く離れてすごす夜です。
ちょっぴり開放感があるものの、こんなにもわが子を恋しく思うとは・・・。
なんだか、落ち着きません(笑)

会場の大学から、東京タワーがきれいにライトアップしているのが見えました。
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最初見たとき「スカイスリーだっ!!」と1人で興奮していたのですが、あとから聞くと東京タワーだったのでした(笑)
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by ramram-yoga | 2012-10-06 22:32 | 摂食障害 | Comments(0)
変化するものと、しないもの
昨日の段上公民館のヨーガレッスンでは、毎月おなじみのヨーガ療法の教本読み合わせを行いました。
毎月少しずつ読み合わせ、やっと第一部が今回終わりました。
第一部に書かれてあった内容は、古代の聖典の引用も多かったので難しくもありました。
しかし、一貫して言われていることがあります。


苦しみは、無知から生まれるのだということ。

無知とは、変化するものを不変なるものと見間違えること。


普段、どのような対象物に心を結び付けているかを調べる瞑想を、行いました。


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今日は、今年カイラスに行かれた素敵なヨーガのお友達からいただいた聖地ティルタプリの温泉の湯の花を、お風呂に入れて入りました。

しばらくの間、遠くチベットの地に思いを馳せていました。


a0118928_23463021.jpg


(写真はティルタプリの温泉にて。
 隣にいるのはガイドのカイラさん。
 お互い湯の花を塗りたくっておふざけ中)
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by ramram-yoga | 2012-10-05 22:24 | 瞑想 | Comments(0)
霊性の修行
一昨日、車を買い替えました。
学生時代から約10年ずっとお世話になっていたマーチの“マチ子ちゃん”と別れを惜しみました。
そして、思いました。
形あるものはすべて変化していくし、物事にはいつか必ず終わりが来るんだな、と。

ヨーガの言葉でいうと、この世界はすべてマーヤー(まぼろし)。
諸行無常であり、本質ではない。
でも、その真実はとても巧妙に隠されている。
あたかもリアルなものがリアルでなく、リアルでないものがあたかもリアルであるかのような錯覚に陥ってしまう。

その状態から、目覚めていたい。
と、強く思います。

先日ある人からもらったメッセージを。


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a0118928_2148786.jpg私たちは何のために生きているのか。
その問いを毎日自分に問いかけること。
人間はすぐに、本当にすぐに、忘れてしまうから。

この体も、家族も、与えられた仕事も、
人からの賞賛も、
何もかもすべておいて、
たった一人で、
この世から旅立っていかなければならない。

その時に持っていけるものは、
この魂だけ。

どんな風に磨いて、
どれほど高めて持っていけるか。

ただそれだけが日々問われているのではないか。

大きな私が、私の中にはっきりと存在している。
そこに向けて瞑想しよう。
繰り返し繰り返し。
そうしないと、すぐに足元をすくわれてしまう。
それほどに、目に映るこの世界の引力は強いから。

何度つまづいても、
どこまでも、やっていこう。

霊性の修行を。

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by ramram-yoga | 2012-10-01 22:03 | ことば・メッセージ | Comments(0)