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しばらく不在にいたします
明日、チベットに旅立ちます。

旅程は以下のとおり。
 5/18~ カトマンズ(ネパール)入国
 5/20~ チベット自治区へ越境、ニェラム(3,750m)にて高地順応トレーニング
 5/23~ サガ(4,200m)にて高地順応トレーニング
 5/25~ パルヤン(4,550m)にて高地順応トレーニング
 5/26~ マナサロワール湖にて沐浴・ヨーガ修行
 5/29~ カイラス山巡拝、30日最高地ドルマ峠(5,650m)をパス
 6/1~ 聖地ティルタプリへ・ヨーガ修行
 6/5~ パルヤン・サガ経由でラサに向けて出発
 6/9~ ラサ着
 6/12~ ラサ発・カトマンズ・バンコク経由で日本へ
 6/14  帰国


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このたび、本当にたくさんの人の助けがあったおかげで安心して出発できることを、本当にありがたく思います。
私が不在の間、レッスンの代講をしてくださったりいろいろなアドバイスや励ましの言葉をくださったヨーガ療法士の先輩方や仲間たち、温かい言葉と共に送り出してくださった生徒さん方や友達、そして1ヶ月間留守にするにも関わらず快く送り出してくれた夫・家族に感謝の思いでいっぱいです。

思えば高校生の時にたまたま友人に誘われて、ブラッド・ピット主演の映画「Seven years in Tibet」を観にいきましたが、その時にすっかりチベットに魅了されました。
「チベットにいつか行きたい」と強く思ったその時の私は、まだ自分がヨーガの道に入るとは夢にも思っていませんでしたが、それがこんな形で実現することになるとはとても不思議な思いです。

1生に1度経験できるかどうか、というこの機会を、今できる精一杯で感じて体験して帰ってきたいと思います。

そして、得たものを少しでも皆様にお返しできるように、しっかりと修行に励んできたいと思います。
滞在中の写真なども帰国後このブログで紹介したいと思います。

それでは・・いってきま~す!


sachie
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by ramram-yoga | 2010-05-16 10:41 | チベット聖地巡礼2010
高所トレーニング2
明々後日からのチベット行きに備えて、昨日・今日と東京にある低酸素施設ミウラドルフィンズへ、最後の高所訓練を受けに行ってきました。

a0118928_22532228.jpg夜は低酸素室へ宿泊して空気の薄い環境に身体を慣らし、トレーニングでは今回私たちの行く最高の高所・ドルマ峠と同じ標高5800mに設定された低酸素室で、自分の身体がどう反応するかを確認し、酸欠状態になった時の行動の仕方や呼吸法など対処法を学びました。

さてこの好機に、かねてから実験してみたかった、ヨーガの呼吸法による体内の血中酸素飽和度(SpO2)の変化を調べてみました。
その中のいくつかを記載しています(注:私の場合です)。

 【標高4500m地点の血中酸素飽和度】
 安静時:84~85%

 ★上昇した呼吸法
  ・アヌロマ ヴィロマ 10回×2ラウンド 93%
  ・アグニ プラサーラナ 30回×3ラウンド → 93%
  ・ディールガ シュワーサ プラシュワーサ 10回 → 97%
  ・ドッグ ブリージング 30回 → 98%
  ・走った後のようなハァハァという呼吸 → 96%

 ★下降した呼吸法
  ・ナーディー ショーダン 5分 → 75~85%を激しく行ったり来たり
  ・サヒタ クンバカ 5分 → 65~75%
  ・瞑想状態 (呼吸法ではありませんが) → 83~85%



以上、簡単にまとめると激しく圧がかかるような呼吸法は全て血中酸素飽和度は上昇、細く長く息をする呼吸法は一様に下降しました。

サヒタ クンバカ(止息を入れた呼吸法)では、ガクンと一気に60%台まで下降しました。
平地ですと、この数値は既に死亡している危険な数値です。


歴代のヨーガ行者は、わざわざヒマラヤという空気の薄い過酷な環境に身を置き、さらに呼吸法でわざと酸欠の状態を作り出すことで、いわば死と隣り合わせになるほどの大きな打撃を自ら自分に与えていた、ということになります。

それほどにまでしてでも求めるものが、きっとその先にあったのでしょう。


さて私自身はその地へ行き、いったいどんな反応をするのか、どんな自分が顔を出すのか、とても楽しみでありどきどきもします。


     標高6000m
    酸素量は地上の半分以下
    動植物が生きられない世界
    人も生活できない世界
    どんな世界だろう



この詩はトレーニング施設に貼ってあったポスターに書いてあったのですが、まさにそんな気持ちです。



sachie
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by ramram-yoga | 2010-05-14 23:24 | チベット聖地巡礼2010
対極にある美を見出す
先日4月29日、西宮音楽療法研究会主催の音楽療法の講習会に参加してきました。
講習会では、武庫川女子大学の名誉教授である益子務先生が、“音楽療法における「音楽的要素」”と題して講演をしてくださいました。
今回も、音楽の意義や価値観など核心に迫り、とても興味深く面白い内容でした。


音楽療法では、対象者となる方に合わせて用いる音や音楽を変えていきます。
その時に大切なのは、音に対する美的感覚が育った国や時代によって大きく違い、それをどこまでこちら側が理解できているか、ということです。

例えば、西洋音楽が入ってくる以前の日本は、音の捉え方は全く違ったものだったと言われます。

大雑把に言うと、西洋と東洋の音に対する美的感覚の大きな違いとは、「あるもの」と「無いもの」どちらに目を向けるかなのだ、ということです。

 西洋 → いかに美しい音やハーモニーを生み出すか
 東洋 → 音があることによって際立つ静寂や間合いに美を見出す


明治維新後130年ほどたった現代に生きる私達日本人は、もうほとんど西洋的な音楽になじんでいますが、でもやはり日本的な美意識も持ち合わせていると思います。

私自身は以前、新婚旅行でヨーロッパに行ったとき、歴史があり洗練された建造物や音楽に本当に感動しました。
しかし、その時に思ったのはやはり西洋と東洋の方向性の違いでした。

西洋では、建造物はこれでもかというほど華やかで豪華、音楽も特にオペラは情熱的で本当に心を揺さぶられます。
言ってみれば、心の内にあるものをどれだけ美しくこの世界で表現しきれるか、ということに大きなエネルギーが注がれてきたのだと思います。

それに対し日本は、豪華といってもたかが知れています。
それよりもできるだけ余分なものを省いてシンプルにしていく、自分の熱情や苦悩も表には出さず内に秘める、そのようなことに美を見出す国民なんだと、国外に出て外側から自分の国を見ることで感じました。


また、東洋哲学として代表的なインドのヴェーダンタ哲学では「私とは何者か」と探求していくとき、“ネイティ・ネイティ(これではない、これではない)”と言って周りから否定をしていき、最後に答えにたどり着くという手法をとっています。
これも、西洋と東洋の根本的な世界観の違いなのではと、とても興味深く思いました。



「グレゴリオ聖歌」
西洋音楽も最初は、今のように和音ではなく単旋律で、そこからハーモニーが生まれ、長調・短調という概念が生まれていった → 美的感覚が変容していった



「バッハ・G線上のアリア」
癒しの音楽として、不協和音になる予測がつく、最後に必ず和音進行が解決して終わる、と聞き手が安心して聞くことができるのが条件




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by ramram-yoga | 2010-05-02 11:42 | 音楽療法