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2極の対立からの脱却
現在、いくつかのクラスでは毎月最終週のクラスで瞑想を行っています。
ヨーガの智慧のことばをもとに過去の経験を振り返り、自分の心の在り方を調べていきます。

a0118928_21135750.jpg今月は、次のような智慧の言葉をもとにして、瞑想を行いました。

「物心の富は 艱苦(かんく)の結晶なり」

少し難しい言葉ですが、これはつまり、物の豊かさや心の豊かさを得ようとしたとき、そこに困難や苦労があって初めてもたらされるという教えです。

この言葉をもとにして、瞑想の中で皆さんにそれぞれの過去を思い出していただき、今までの人生での困難や苦労によって得られたものについて、調べました。

私の場合ですと、瞑想の中で二度と戻りたくないような苦しかった頃を思い出しました。
しかし、実はその時期に一番成長できていたことに気づかされ、その経験があってこそ今の自分がいる、あれは自分の成長にとってありがたかったのだ、と思い直した時期がありました。

人生における打撃、それは困難であればあるほど、ハードルが高ければ高いほど、その後に得られるものは実は大きいのかもしれません。
と、未熟なりに考えさせられた今月の智慧のことばでした。

過去を振り返ると、できれば避けたい不幸に思える出来事も、後で振り返るとありがたい出来事だった、という認知の転換がときに起こる・・・。
このように、「善い」「悪い」とか、「好き」「嫌い」とか、自分が物事に対して加えている意味づけのことを、ヨーガでは“2極の対立感情”といいます。

その2極の対立感情から解放されて自由になる、それがヨーガが目指している境地なのだ、ということです。
今後も皆さんと一緒に、少しずつ少しずつ、瞑想を深めていきたいと思います。


最後に、インドの偉大な叙事詩「マハー・バーラタ」の中でクリシュナという神様がアルジュナという男に、行為の仕方について説いた言葉をご紹介いたします。

アルジュナよ。
   執着を捨て成功と不成功とを平等のものと見て、
           ヨーガに立脚して諸々の行為を為せ。
                 ヨーガは平等の境地といわれているのだ。 

                       (「バガヴァッド・ギーター」Ⅱ-48より)



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by ramram-yoga | 2010-02-28 21:26 | YOGA | Comments(4)
経験からの解放
先日、インドの聖典であるヨーガ・スートラの勉強会がありました。
今回勉強した第Ⅱ章-20節には、下記のように記されています。

被観照者の本質は、観照者のための性質に他ならない。

a0118928_2216241.jpgこれはつまり、普段目に見えている世界(=被観照者)は、本当の自分(=観照者)を見出すためにあるのだ、ということ。

普段私たちがどんなものを見聞きしているのか、それによって自分の心のあり方に気づき、本当の自分を見出す手がかりとします。


この教えを題材として、今日は「自分は何に対して存在感を大きくしているか」について瞑想をほどこしました。

・・・・・・・・・・・・・・・


例えば、テーブルの上にケーキが置いてあるとすると、甘党の人はそのケーキが気になって仕方がありません。
その人にとって、ケーキの存在はすごく大きい、ということになります。
しかし、甘いものに全く興味の無い人にとっては、目の前にケーキがあってとしても、ケーキの存在を大きく感じることはありません。

また、自分の体型が気になる人は、他の人の体型についてもとても気になります。
その人にとって、“体型”の存在感が大きい、ということになります。

他にも、学歴やルックス、収入、その他のステータスもそうです。

存在を大きく感じるものが多ければ多いほど、時には苦しみの原因ともなり得る「捉われ」が多い、ということになります。


そしてその存在感の大きなものとは、自分のコンプレックスや劣等感、執着と密接につながっているといことに、気づかされるのです。


私は瞑想の中で、小さい頃自分の鼻の形にコンプレックスを持っていたことを思い出しました。
すっかり忘れていましたが、その頃は人の鼻ばかり見ては、自分と比べていたと思います。
何かの劣等感を持っていたのでしょうか、不思議ですが、その頃の私にとっては、「鼻」の存在感がとても大きかった。
しかし、いつ頃からか人の鼻も自分の鼻も、全く気にならなくなりました。
自分にとって鼻の存在感が、小さくなって今は無いに等しいと言っていいと思います。


ヨーガでは、このように何かに対する存在感が小さくなる時、「経験からの解放」という表現が使われます。
このように過去の捉われから少しずつ解放され、全ての経験から解放されたとき、真の自分に到達する、という教えです。


      ヨーガを行ずると 見えなかったものが 見えてくる

                 聴こえなかったものが 聴こえてくる



対象に投影されている自分の心を見つける、という自己探求の方法が、すでに2000年前に確立されていたということに、感動と驚きを覚えます。



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by ramram-yoga | 2010-02-16 22:46 | YOGA | Comments(6)
ヨーガ療法の勉強会
2月12日、神戸市須磨区にある総合病院・新須磨病院にてヨーガ療法の院内勉強会を行いました。

勉強会には、病院の院長先生をはじめ医師、理学療法士、検査技師、看護師、事務職など幅広い職種の方々が参加してくださいました。

今回の講義は「ストレスマネジメントに役立つヨーガ療法」について。
前半はスライドを使っての講義、後半は実際に参加者の方々にヨーガ療法を体験していただきました。

a0118928_1343590.jpg
実技は短い時間でしたが、皆様とても上手に実践されていました。

ヨーガ療法の様々な技法を実践していくうちにだんだんと、皆さんの心の矢印が内側に向いていき、雰囲気が穏やかになっていくのが分かりました。


最後には呼吸法と瞑想も行い、終了後には参加された方々から「リラックスできた」「とても心地よかった」などの感想が聞かれました。

いつも勤務で忙しい中、ほっと一息リフレッシュしていただけたのではないかと思います。

また、まだまだ聞き慣れない「ヨーガ療法」について、少しでも知っていただくいい機会となりました。

今回の勉強会をさせていただいたことは、私自身にとってもとても貴重な学びとなりました。


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by ramram-yoga | 2010-02-13 01:34 | YOGA | Comments(0)
“宗教的であること” と “実際の生活”
先日、NHK「こころの時代」に宋吉寺前住職の西川玄苔さんが出演され、お話しされていた内容がとても心に残りました。

a0118928_2211597.jpg西川さんは、エゴ(我)をどうしたら無くすことができるのか、若い頃とても悩まれたのだそうです。

例えば戦時中で飢えていた時、目の前に出されたお米に思わず我先にと手を伸ばした自分に気づいたとき。
教師の頃、表向きは平等に接していたが、心の中では選り好みをしていた自分に気づいたとき。

どれだけ座禅で無我の境地に達しても、世俗的な生活に戻るとエゴが頭を出してくることに、愕然としたそうです。

そのことに気づいたときから、“宗教的であること”と“実際の生活”とを、どのようにしたら調和させて生きていくことができるのかを、考えるようになられたのだそうです。

そこでたどり着いたのは「大事なことはエゴを無くすことではない。エゴを自覚することだ」ということ。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

自分の中にあるエゴを取り去って、心を浄化したい。
尊い存在や清らかさに強く焦がれて、そこに心を合わせようとした時に初めて、それまで見えていなかった自分の身勝手さや浅ましさが見えてくるもの、なのだと思います。

しかし、そこで落胆して立ち止まってしまわず、エゴの発見を第一歩として、世俗的な世界と調和しながら心を清めていく。
そんな生き方が出来るのだと思わせてくれたのは、西川さんの言葉だけではなく、86歳でありながら少年のように輝いている瞳や、神々しささえ感じさせるようなお姿だったのだと思います。

一丁前に悩んだり問いを抱えているつもりの私なんて、まだまだひよっこなんだな~という気がしてきました・・・^^


(写真は、昨日登った剣尾山の山道で出逢ったお地蔵様です。)


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by ramram-yoga | 2010-02-08 22:11 | ことば・メッセージ | Comments(0)
癒しのメカニズム
「癒しとは、無意識の中にある筋肉の緊張と弛緩である」

これは、先日参加した音楽療法の講習会の中で武庫川女子大学の名誉教授である益子務先生がおっしゃっていたことです。

なんと、人は音楽を聞いている時、意識の及ばないところで筋肉の緊張と弛緩を繰り返しているのだそうです。
少し専門的に言うと、楽曲の和声進行には「緊張」と「解決」がありますが、それに合わせるようにして筋肉が緊張したり緩んだりする。

そしてその、筋肉の緊張と弛緩の繰り返しが、私たちにとって「心地よさ」と感じられるものとなるようです。


こちらも先日のことですが、ストレス発散のためのいろいろな方法がTVで紹介されていました。
遊園地で絶叫マシーンに乗る、滝に打たれる(!)、バンジージャンプ…などなど。

気持ちいいのはその行為自体でもあるけれど、実は心地よさを感じるのはその後にやってくる「緩み」への切り替わりの時、なのだそうです。
緊張と緩みの落差が大きければ大きいほど、得られる快感も大きいのだとか。
なので、もっともっとと強い刺激を求めてしまう時は、自分が知らず知らずのうちに大きなストレスを抱えていないかどうか考えてみることが必要なのかもしれません。

日常的なストレス発散というと、やはり食べること、お風呂に入ること、人によってはお酒や煙草といったところでしょうか。
どれにも、緊張から開放されて「ほっ」とできる、緩みの要素があります。


ところで、ヨーガセラピーも同じ原理が用いられています。
ヨーガのアーサナ(ポーズ)をするときは、間に必ず弛緩のポーズを入れます。
つまり、緊張と弛緩を繰り返し行っているわけです。
しかしヨーガの場合は無意識にではなく、意識的に。
緊張と弛緩を繰り返して心を落ち着かせ、精神面のケアも行っていることになります。
また、ヨーガで感じる緩みには、穏やかな静寂が伴います。

ヨーガなら、お金も要らないし、依存性のあるものでもないので、いいですね。
個人的には、疲れたときに甘いものを食べて「ほっ」とする感覚も、捨てがたいですけれど・笑。


音楽療法講座の中で紹介されいた、従来の和声進行を全く無視した、斬新な曲。
ラヴェルの「ボレロ」 (途中までです。続きをお聴きになりたい方はこちら。)




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by ramram-yoga | 2010-02-02 20:51 | 音楽療法 | Comments(2)