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カテゴリ:music( 25 )
夜明け

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前回の記事でも書きましたが、教育分析(カウンセラー自身が自己理解を深めていくために指導者から受けるカウンセリング)を受けて、自分のこれまでの人生が一本の線でつながっていった体験をしてから、3週間が経ちました。
どのようにつながったかというと、今までずっと「母のように生きてきた」自分に気がついたのです。
このことは、私にとっては見当もつかなかったことで、教育分析の落とし所がこんなところにあったことが、心底意外でした。
でも、改めてそのような視点から今までの自分のやってきたことを振り返ると、まるでそれが方程式であるかのように、思い当たる全てのことに当てはまっていきました。

私にとって母親は、完璧な存在でした。
幼い頃からずっと、母親の価値基準で物事を判断し、進路や入部した部活、職業、仕事のスタイル等、母親の辿ってきたのと同じように自分の道を選択してきたことに気付きました。
そして、母親より劣ると感じた分野では、自分からそのステージを降りることで、その劣等性への直視を避けてきたことにも気づきました。
この中で特に母親に劣ると主観的に感じていたのは、女性性でした。
小さい頃から”女らしさ”になぜか嫌悪感を感じて、ボーイッシュな髪形や服装を好んでいた訳も、理解できました。
思春期から摂食障害になったのも、そのことと深く関連していたことに気付きました。
当時、摂食障害で急激に太っていったことが自分にとって最大の屈辱でしたが、その時奪われたと感じたのがまさに、女性らしさでした。
ですが本当は、それは奪われたのではなく、自分で剥ぎ取っていたのですね。

長い間ずっと苦しめられていた、周囲からネガティブな注目をされることへの怖れについても、その正体が分かりました。
なぜか、隠し事をしているわけでもないのに、ことあるごとに相手から疑われているのではないかと感じていたのです。
その怖れは、実は私には自分のアイデンティティというものが無く、全てが母の借り物であるということを見破られることに対して生じていたのだということが、分かりました。
母のようでないと周囲から歓迎されず、期待されないという信念を持っていた私にとって、偽りを暴かれ本当の自分があらわになることは、死活問題だったのですね。

「自分は母のように生きてきた」ということを突き付けられた時に初めて、自分の中にぽっかりと大きな空洞が空いているのを感じました。
自分というものがまるでなく、とても、空虚でした。
そして思いました。
私は、必死にこの空虚さから目を背けようとして、個性的になることに多大な労力を費やし、様々な外的活動にしがみついてきたのだと。
このことを突き付けられた時は一時期、抜け殻のようになりました。
実際に、これまで私を支えてきた芯のようなものがごそっと背中から抜けて、肩が軽くて軽くてしょうがないのです。
肩ってこんなに軽いものなのかと驚きました。
そして一方で、大きな虚しさが襲ってきました。
いったい私はこれまで、何をしてきたんだろうと。


でも。
アイデンティティとはそもそも個と個を区別するものであり、ヨーガで言うところの”非我”なのですよね。
アイデンティティの本質である ”私は~~” という感覚こそが、執着を強めていくのですから。
今回の気づきがあってから、そのヨーガの教えがスーッとしみ込んできました。
空虚な感じのしたぽっかり穴も、周りをアイデンティティという名の柵で囲っていたから空洞ができていたのであって、その柵をとっぱらってしまい、もっともっと大きな”いのちの根源”ともいうべき大いなるものに自分を重ね合わせていけばいいのだと、思いました。
本当の自分である真我は、これまでも誰からも気づ付けられたことは無く、低められたり高められたりすることは決してないのですから…。


ー禅の教えでもあるように、まるで水のように、四角い容器にはいったら四角くなり、丸い容器に入ったら丸くなるように、自分を固定化しないことー


これは、以上のようなことを、現在の主治医である齋藤クリニックの齋藤先生にお話ししたところ、いただいた言葉です。
教育分析をしてくださった私の心理の師匠もそうですし、このように全人的な変容をすっぽりと包み込んでくれる器の大きな医療者とご縁をいただけているのは本当にありがたいことです。
涙ながらに語る私にティッシュを取ってくださいながらも、
「アメーバのように、自在に形を変えていけるようになればいいんですわ。わぁっはっはっはー!」
と笑い飛ばされ、最後まで残っていた深刻さもスーッと抜けていきました。


その後。
ここ最近、自分というものが自分の肉体だけにとどまらず、広がっていくような感覚を感じています。
感じたことのない、不思議な感覚です。
ここからまた、新たな世界が開けてくるのかどうかは、私次第ですね。
そして、目の前にいる人に、いつも最善を尽くすことができますように。
自分の存在価値を確かめるためにではなく、純粋に人のために尽くすとはどういうことかを、これからもっと考えていきたいと思っています。


「新たな始まり」という感じがしているこの頃の心境に、フィットしてくれる一曲を、最後にご紹介。
人はいつでも、決意した時に、生まれ変わることができるのですね。

バッハ管弦楽組曲第4番ニ長調


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by ramram-yoga | 2017-03-14 01:25 | music | Comments(0)
感情に寄り添う音楽
昨日の続きです。
人からグサッと弱点を突かれた時のこと。
それ以降、気持ちがどんよりとはしていたのですが、自分が落ち込んでいたことを意識化できたのは、それから半日以上経ったその日の晩。
好きな音楽をかけ、ハーブティーを飲みながらほっと一息ついていた時でした。

感情というのは身体感覚と未分化であり、“もやもや”とか“どんより”、“いらいら”など、まずはそのような形容詞であらわされるような状態で存在しています。
それが“私は怒っている”、“悲しい”、“嬉しい”、“切ない”など、動詞として表されるような理性的な捉え方ができるまでにはラグがあるわけであり、もしかして大半の感情とは、このように認識されることなく過ぎ去っていくのかもしれません。

そのような、言葉という少々粗雑な手段で捉えきることのできない繊細な感情に寄り添い、包み込んでくれるのが、同じく非言語的な音楽なのだと思います。

テンションが高いときは楽しい曲を、フラストレーションがたまっている時はロック調の曲を大音量で。
憂鬱なときはトーンを落とした静かな曲、ショックを受けた時は絶望的な曲を。
誰でも、それぞれ、無意識的に選んでいるのだと思います。
またそのことは、非言語的に自分の感情と向き合い、癒していくプロセスなのだと思います。


今晩、私の心に寄り添ってくれたのは、この曲でした。

ショパンのノクターン8番、アシュケナージの演奏で。



今のあなたに寄り添ってくれる一曲は、どんな曲ですか?
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by ramram-yoga | 2016-01-17 21:50 | music | Comments(0)
bjork
音楽ネタが、続きます。

大学時代にものすごく好きだったbjork(ビョーク)を、2~3ヶ月前急に聴きたくなり、しばらく毎日聴いていたことがありました。
ちょうど自分の瞑想中におけるプロセスが新しい局面を迎え、過去記憶が印象と共に次々と沸き起こってきていた時でした。

bjorkの音楽を聴いているといつも、何故だか分かりませんが、生まれる前のことを思い出すような気がしてならないのです。
生まれる前のことなんて、もちろん意識上の記憶にはありません。
それなのに懐かしく、遠い記憶が呼び起こされるような感覚に陥ります。




最近のbjorkのPVを観ていると、音楽と映像がセットになってbjorkの世界観がより強烈に伝わってくるようになっていました。
たかが映像、たかが音、と思いますが、見ていてすごくドキドキします。
自分の奥深いところにまで侵入してくるような何かを感じてしまうのは、私だけではないはず。


以下、ドキドキトップ3(笑)
(人によっては閲覧注意かもしれません・・・。)




なんと、自分のおっぱいから出たコード(?)にがんじがらめになって、身動きが取れなくなってしまいます。



ただ奇抜なだけではなく、洗練され飛びぬけた音楽的センスと完成度の高さにより、グラミー賞に12回、アカデミー賞に1回ノミネートされるなど多数の賞を獲得しています。

音ひとつの入れ方、音色の選び方、どれも絶妙でため息をついてしまいます。



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by ramram-yoga | 2015-10-17 22:12 | music | Comments(0)
ショパンのワルツ
昨日に引き続き、最近バッハのパルティータと並んでよく聴いている音楽は、ショパンのワルツ。
ワルツの中でも優雅で華やかな曲が、最近のお気に入りです。

中学時代といえば、流行のポップミュージックのCDを借りてきてはテープに吹き込んで歌っていましたが、勉強中は何故かいつもショパンを聴いていました。
今でもショパンを聴くと、自分の勉強部屋で試験勉強していた頃のことを思い出します。


以下、全てアシュケナージの演奏で。




息子も大好きな「子犬のワルツ」







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by ramram-yoga | 2015-10-16 21:12 | music | Comments(0)
レオンハルト
音楽って、大好きな曲でも全く聴きたくなくなったり、普段全然聴かないような曲が絶妙のタイミングでスゥーっと身体に染み込むように入ってきたり、不思議です。
きっと、その時々に必要なものを、無意識的に選んでいるのでしょうね。

最近毎日聴いているのは、バッハのパルティータ。
大学時代に買って繰り返し聴いていますが、聴けば聴くほど味わいが深くなっていきます。

やっぱりバッハが、大好き。
そしてやはり大好きな、レオンハルトの演奏で。






レオンハルトといえば、息子が生まれる数日前に、大きなお腹を抱えてソロコンサートに行きました。
2011年5月、震災で多くのアーティストが来日をキャンセルする中、レオンハルトはスケジュールどおり来日し、そしてチェンバロに向き合って一曲一曲弾きあげていく真摯な姿に感動したのを覚えています。
静かで、バッハの音楽に対してどこまでも誠実。
でもその中に躍動感があり、いのちの歓びのようなものが噴きだしているようにも感じられました。


レオンハルトのチェンバロでの、ゴルドベルク変奏曲も本当に素敵。

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by ramram-yoga | 2015-10-15 20:58 | music | Comments(0)
平均律クラヴィーア曲集第2巻
去年のバレンタインデーに夫から貰ってからというもの、一番聴いているアルバムのひとつ。
バッハの平均律クラヴィーア曲集第2巻。

心静かにしたい時は、単旋律の楽曲がとてもフィットします。

私の持っているCDの演奏者は大好きなアンドレーシュ・シフ(Schiff András)のですが、こちらのEvgeni Koroliovも素敵。



一番好きなのは♯3。
シフの演奏に一番近かったこの方の演奏で。


ちなみに、上の方の動画では、♯3は10分20秒頃からはじまります。
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by ramram-yoga | 2014-06-19 10:48 | music | Comments(0)
満月
今日は満月。
昨日の、まさに満ちていこうとする月も、美しかった。


*************


今宵は電気を暗くして、窓越しに月を眺めながら、おなじみショパンのノクターンをフジ子ヘミング氏の演奏で聴いていましたが、この方といえばやはりリストの超絶技巧曲の数々を悠々と弾きこなす姿。

「ため息」


そして、中でもフジ子ヘミング氏といえば「ラ・カンパネラ」ということで、こちらも。



圧巻の演奏に、もはや言葉は不要です。

この方の演奏を高校時代にTVで観て衝撃を受けたのが、私が音楽学部に進学するきっかけの大きな一つとなったのですが、思い返せばもうそれは15年以上も前のことでした。
時の流れとは、早いですねぇ・・・。
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by ramram-yoga | 2014-01-16 20:56 | music | Comments(0)
クリスマスプレゼント
昨日は夫に子どもを預けて、楽しみにしていたベートーヴェンの第九を聞きに行ってきました。
夫からのクリスマスプレゼントです。
コンサートに行くのは、2011年5月の息子が生まれる直前にレオン・ハルト氏のチェンバロを聴きに行って以来、実に2年半ぶり。
2011年といえば震災があった年。
多くの有名アーティストが来日を見合わせ、演奏会の中止も相次いでいた中、レオン・ハルト氏は高齢にも関わらず、予定通り来日しました。
演奏中の姿からも、音楽に向き合う真摯な姿勢と誠実なお人がらが伝わってきて、感激したのを覚えています。

さて、今回の演奏会は久しぶりの生オーケストラの迫力で、1時間半の演奏中ずっと泣きっぱなしで、最後には涙と鼻水で顔がぐしょぐしょになってしまいました。
隣の人の邪魔にならないように、できるだけ静かに泣くのって、意外と難しいです(笑)

ベートーヴェンは耳が聞こえない状態で、どうしてあのような重厚で緻密な楽曲を作ることができたのでしょうか。
人生の底で絶望や苦悩を舐め、底辺から湧き上がってくるような響き。
でも、絶望や苦悩が決して否定されているわけではなく、そこに一貫して美しさがある。
苦しみが、一点の妥協もなく、気高い洗練された音の重なりによって表現され、そして最後には、宗教的とも言えるような高みに昇りつめていく。

こちらの動画は、佐渡裕さん指揮の一万人の第九(四楽章)。
すごい迫力です。









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by ramram-yoga | 2013-12-16 11:20 | music | Comments(0)
日中の暴風雨の後、夕方は雲の合間からキラキラと陽光が輝きました。

そしてそこに、素晴らしく大きな、くっきりとした虹が現れました。



虹の美しさも去ることながら、道端を行きかう人が皆、虹に見とれているその横顔。

自然の偉大さに、なぜここまで一様に、深く感動できるのでしょうね。

そこには理由はありません。



自然の不思議さ、生命の不思議さを感じる今日このごろです。

生きているということ、それは自分が望む望まざるに全く関わらず、どうしようもなく“在る”ということ。

生まれたばかりの小さな赤ちゃんでさえ、その存在のなんと大きなこと。

生命を宿し、意識を持つ存在は、周囲に影響を与えずにはいられない。

ただそこに“在る”だけで、唯一無二の個性を持つという、それはなんという奇跡。

生命という存在の、すさまじいまでの迫力に、ただただ、圧倒されます。

そして、“絶対的有” という根源的な真理に気づき、驚くのです。








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by ramram-yoga | 2013-09-05 00:08 | music | Comments(2)
月光
ここ数日の月夜の美しさ。

息を飲むほどです。



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by ramram-yoga | 2013-05-26 23:48 | music | Comments(0)