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カテゴリ:本( 75 )
精神科の薬がわかる本
「精神科の薬がわかる本」 姫井昭男著

最近医療系の勉強が全然追いついていないと感じていた矢先、先日(12月7、8日)に開催された日本心療内科学会学術大会会場の書籍コーナーにタイムリーな本がいろいろと並んでおり、購入した数冊のうちの一冊がこちらの本。
買った日の晩ホテルでなかなか寝付けなかったので、一気に読み終えてしまいました。

色々な学会にて症例発表を聞いていると感じるのですが、やはりどうしても、“自分の専門”という色メガネを通して患者さんを見てしまうということが、あるような気がしています。
例えば、私たちのような人の心理に焦点を当てるようなことをやっていると、患者さんが良くなると、「それは精神的に安定したから良くなったのだ」と、短絡的に捉えてしまう危険性があります。
実は、その患者さんの変化は、服薬内容の変化が大きく影響していたのかもしれません。
しかし、これは意外とよくあることなのだと思うのです。

その意味では、治療や療法の効果というのを、ニュートラルな視点から見る、ということは、実はとても難しいことだとも、思うのです。
個人に起こってくる問題の原因を、心理学者は心理的要因に、社会学者は社会的要因に、科学者は器質的要因に求めようと、やはりしてしまいがちだと思います。

そのような状況の中でとかく心理の専門職は、患者さんが何の薬を服薬し、それにはどのような効果があってどのような副作用があるのかを、ともすれば軽く見てしまう危険性が無きにしもあらず(自分への戒めをこめて)。

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この本は、精神科の薬について、専門外の人が読んでも分かるように、とても丁寧に書かれています。
読んで改めて感じたことは、薬というのはやはり副作用がとても多いのだなということ。
そして、作用機序が明らかになっているお薬の方がむしろ稀で、出されたものを何の疑問も無くホイホイ飲むという危機感の無い受動的な姿勢は、少し危険だとも思いました。
・・・ということも含め、非常に勉強になりました。






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by ramram-yoga | 2013-12-14 16:41 | | Comments(0)
風邪の効用
「風邪の効用」 野口晴哉著

週末はちょっとしたイベントが連続し、また先週病気をした息子の看病の寝不足もあったのでしょう、帰宅した翌日の昨日、待ってましたとばかりに38℃近くの熱が出て、昨日は1日寝込んでいました。
今朝は熱も下がり、すっきりと回復しました。

それにしても身体って、面白い。
病気になる時とは、よく考えてみると決まって、何か心身にストレスがかかった後その緊張が少しゆるんで、「ホッ」としたタイミングであることが、多いような気がします。
ということは、熱や疲労に関連する身体症状は、ある程度身体が緩んでいないと、出てこないものなのかもしれません。

これは、今年受け始めた鍼灸治療を受けていても、感じることです。
鍼灸治療では、いつも身体全体のバランスを整えるような施術をしていただくのですが、終わった後すぐスッキリと元気になるというよりは、まずは疲れやだるさのようなものが、どんどん出ていきます。
そして、ひとしきりそれらが出た後、すっきりとした爽やかな身体感覚がやってきます。

このような経験から、思うのです。
疲れや熱が出るような身体というのは、優秀な身体なんだと・・・。
逆に、緊張してキンキンに身体が張り詰めていると、疲れを出す余裕さえも無くなってしまいます。

よく、ストレスフルな心身状態の方の特徴として、身体の感覚に鈍感である「失体感」が挙げられます。
確かに、鈍感さもあるのだと思います。
しかし、それだけではなく、実際に出てくるはずの症状が出る隙もないほど、身体が柔軟性を失ってしまっている状態だと考えることもできるのではないかと思います。
例えば、もっと疲れていてもいいはずなのに、疲れが出てきていない。
もっと痛んでいいはずなのに、痛みが出てきていない。

これは、感情にも同じことが言えるのではないかと思います。
悲しいはずなのに、あまり悲しくない、涙が出ない。
もっともっと、しんどいはずなのに、あまり感じられない。

身体感覚も感情も、心身にある程度のしなやかな柔軟さがないと、受け止めることができないからだと思います。
余裕の無い心身においては、「感じないようにする」という状態さえも、生命を維持するための身体の防衛反応なのでしょう。

従って、身体に生じることはすべて、一個の生命としてバランスが整うために起こってくるのだ、と感じます。
だから、たちまちには「不快」と感じる身体症状も、きっと、身体を助けてくれているのだと。
そう思うようになると、身体がとても愛おしく思える今日このごろです。

疲れが出るからだは、優秀なからだ。
不快症状を感じ取ることができるからだは、素直なからだ。



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前置きがとてつもなく長くなってしまいましたが、この本の著者の野口先生とは、あの有名な野口整体の創始者です。
野口先生によると、風邪は偏り運行修正や潜在的偏り疲労の調整を行なう、自然の整体法なのだそうです。
風邪を引かない人とは、本当に丈夫でその生活が身体に適っているか、それとも適応感受性が相当鈍っているかのどちらかなのだそう。

病気の中で、私たちにとって一番身近で当たり前だと思われている風邪。
しかし、野口先生の仰るには、一番分からないのもまた、風邪なのだそうです。
風邪の奥深さ、そして、生命の働きの巧妙さにうーんと唸らされてしまう一冊です。



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by ramram-yoga | 2013-12-10 14:08 | | Comments(0)
11月の読書本
今月読んだ本を、記録がてら。
本当は一冊一冊、ゆっくり感想を書きたいところですが。

1.『私と出会うための西田幾多郎』中岡成文著
2.『片翼の天使』小阪佐知子著
3.『この世とあの世をつなぐお別れの作法』矢作直樹著
4.『<回復>の臨床社会学』中村英代著
5.『性の商品化』江原由美子著
6.『人はなぜ「いじめ」るのか』山折哲雄・柳美里著
7.『続アドラー心理学トーキングセミナー』野田俊作著
8.『脳内汚染』岡田尊司著

なんと1~4、7の本の著者の方々とは、幸運にも今年実際にお目にかかることができました。

あとは、院試と卒論が終わったら読もうと心待ちにしていた『森信三全集』を、少しずつ読み始めています。
全8巻ありますが、来春大学院に入学するまでに、読み終えるのが目標です。
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by ramram-yoga | 2013-12-02 12:09 | | Comments(0)
対人援助学の可能性
『対人援助学の可能性』
―「助ける科学」の創造と展開―
望月昭・サトウツタヤ・中村正・武藤崇 編

“対人援助”という言葉は知っていましたが、「対人援助学」という一つの学問として、ここまで考察が深められていたとは、知りませんでした。


(本文より)
対人援助学は、個別の直接的支援作業に始まり、その課題解決について、いわゆる医療モデル的に当事者の属性に帰したり、また社会体制や制度を“漠然と”批評するような社会モデルでもない。
個別の支援の作業過程についての作業事実の積み重ねから、その当事者に寄り添う形で、必要な環境設定を社会に向けて要請する「援護」(アドボカシー)を念頭においた新しい表現形式の追求なのである。


つまり、対人援助学には、臨床心理学でいうところの各学派や各種法のような具体的な援助理論や援助手法が提示される種類のものではなく、医療臨床・心理臨床・社会臨床において生じる援助のあり方や援助する側の姿勢について包括的な視点から論じられる学問であるということです。

対人援助学においては、“援助される側”が「客観的に」「外側から」眺められる対象なのではなく、絶えず“援助する側”と相互的に影響を及ぼし、時に“援助する側”と“される側”が入れ替わってしまうような状態をも範疇に入れられています。

でも、本当にそうだなぁと思います。
心という実態の捉えにくいものを扱う心理臨床の現場においても、最近は実証科学的な視点が求められますが、どこまでいっても自然科学で得られるような客観性を貫くことは、難しい。
人の心の変容は、セラピストとクライアントの関係性の中でなされるものであるし、そこには当然、きっと過去に多少の傷ついた経験をもち、よりよく生きようとする生身の人間としてのセラピストがいるのだから。

セラピーの過程において変容していくのは、クライアントだけではない。
セラピストもクライアントからの影響を大きく受け、変容していく。
願わくば、成長の方向へ。


もうひとつ、印象に残った言葉を。

・・・専門性を否定するものではないが、極度の細分化された専門性は、生きている人を切り刻み、サービスの対象とする部分を肥大化して見せる危険性がある。・・・


ドキッとしました。
視野の狭さというのは、目の前のケアを必要としている人を見失い、もしかして自己の保身や満足の方向へ向かっていくときに生じてくるものなのかもしれません。
常に心を柔軟に、視野を広く、目覚めた状態でいたいと思います。
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by ramram-yoga | 2013-08-27 20:13 | | Comments(0)
物語としてのケア
『物語としてのケア ナラティヴ・アプローチの世界へ』
野口裕二 著

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「ナラティヴ」とか「ナラティヴ・セラピー」という言葉が使われるようになって久しいですが、ナラティヴが意味するものとは単に“語り”というよりは、その“語り”の背後にある“物語”、あるいはその“物語”を構成していく基盤として存在する“語り”といった相互関連性を含んだ言葉と捉えたほうが的確であるようです。

ナラティヴは、まず初めに世界があって、私たちがそれを言葉にするのではなく、初めに生ずるのは言葉であり、その言葉が指し示すような形で世界が経験されるという「社会構成主義」の立場に立っています。
つまりそれは、一般性・普遍性を求める科学的立場とは対極の、一人ひとりが目の前のできごとや過去の経験に関してそれぞれ独自の意味づけをし、現在に至るまでのストーリーを作り上げている、それこそが語りであり、ナラティブであるということ。

ナラティヴ・アプローチについて、心理臨床・社会臨床の立場から細やかに考察されていて、いろいろと考えさせられた一冊でした。
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by ramram-yoga | 2013-08-26 16:47 | | Comments(0)
まず歩きだそう
『まず歩き出そう』
―女性物理学者として生きる―
米沢富美子 著

NHKの『クローズアップ現代』では、昨日・今日と立て続けに女性の生き方に焦点があてられた放送がされました。
昨日は、世界最大のSNS・フェイスブックの、シェリル・サンドバーグCOO
そして今日は、今年5月、ヒマラヤ山脈の8000メートル級のダウラギリ1峰で遭難し、亡くなられた河野千鶴子さん
どちらも、結婚・出産・育児に加え、仕事や登山といったそれ以外のライフワークをしっかりと持って生きている点で、非常に共感し勇気をもらえました。

勇気をもらったと言えば、出産後から私の女性の行き方としてのモデルであり、ちょっとめげそうになるときに希望を与えてくれるのが、女性物理学者であり日本物理学会で最初の女性会長を勤められた米沢富美子さん。
この方、すごいです。
子どもを3人抱え育児をしながら、国際的に名が知られるほどの研究をされたのですから。
もともと頭脳明晰、天才肌だったということもありますが、著書『まず歩き出そう』にある、育児をしながら研究に没頭し、次々と論文を書き上げていくあたりの記述には、ただただ圧倒されます。
人間、やろうと決めたらここまで出来るのかと。
それと同時に、育児をしているからって、何か自分のやりたいことをあきらめる必要はないのだと、背中をポンと押してもらいました。

子どもを産んでしばらくは、子どもを持つ女性が思うように社会の中で働けないことに対して、少し理不尽に思っていたこともありました。
結婚・出産つまり女としての人生を取るか、仕事人生を取るのかと、あたかも究極の選択を迫られるかのように、現代を生きる女性にとってこの問題は、時にとても大きいプレッシャーとなってのしかかってきます。
でも、今はそのようにはあまり考えなくなりました。
逆に、その難しい状態を逆手にとって、自己実現していくべくどのように攻略していくかということにエキサイトするようになってきました。
米沢富美子さんの言葉を使えば、「欲しければ両方選ぶ」ことも可能であり、制約があればあるなりの、能力の発揮の仕方があるような気がしてきました。
逆に、その方がむしろ効率が上がることもあると思うのです。
実際私も育児中の今の方が、出産前よりも仕事や勉強内容の質・量が上がったと感じています。

これから子どもが大きくなるまでの間に、何を実現させていきたいか。
そんなことを考えるとき、やはり人生の先を行くモデルの存在はとても貴重だと思いました。
男性ではなく、女性のモデルが。


そんな私の憧れ・米沢富美子さんのモットーは次の5つ。

1、自分の能力に限界を引かない
2、まず歩きだす
3、めげない
4、優先順位をつける
5、集中力で勝負する



ただ今、このモットーは我が家のトイレに貼り出されています^^


他にも、

・『待ち』を排して『攻め』に徹する
・自分で環境づくりをする
・人間、40歳までに人生が決まる
・若いときは借金してでも勉強せよ


など、勇気をもらえる言葉が沢山でてきます。
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by ramram-yoga | 2013-07-10 22:45 | | Comments(0)
弓と禅
「弓と禅」オイゲン・へリゲル著

数年前購入しようとしたら在庫切れだったのですが、今年の2月に改版(なんと第36版!)が出たようで、嬉々として購入しました。
帯に書いてある通り、まさに「不朽のロングセラー」ですね。

この本を最初に読んだのは、何年前だったかな?
当時はヨーガの師匠に推薦していただき読んだのですが、今一度また別のあるお方から改めて紹介していただき、この本との再会を果たしました。
読み直すとその内容の深さに驚き、数年前に読んだ時とは味わいの深さが全く違っていました。

というのは、初めて読んだ時は、私は、ドイツ人である著者のオイゲン・へリゲル氏が、日本の伝統の素晴らしさを “外側から” 眺めて感嘆し、それを記述したものだと捉えて読んだからだと思います。
そう勘違いしてしまうほどに、この本の文章は、ヘリゲル氏自身の感情の抑揚の一切は排除され、ただ事実が淡々と語られています。

しかし、改めて読み直してみると、洗練された文章表現もさることながら(もちろん訳も素晴らしい)、実際にその境地に達した人にしか語ることのできないであろう内容の数々が、 “内側から” 語られてるのだということが分かりました。

5年という年月の間日本に滞在し、師の元で弓道の修練を積んだ後、ドイツに帰国したヘリゲル氏は質素な隠棲の家にて瞑想的に献身的に暮らし、71歳で “花びらが木から散るように、静かに、落ち着いて” この世を去ったのだそうです。
帰国後、幾重もの困難がふりかかった人生だったにもかかわらず。
また、氏が生前どのような境地まで到達されたかについては、この他にも文中の下記の部分から推し量ることができるように感じました。


*************

死の恐怖から自由であるとは、何時いかなる時でも、人は死を前にして震えてはならぬと思い違いしていることや、また死の試練に堪えうることを恃(たの)みとしているようなことを意味するのではない。
むしろ生死を達観した人は、恐怖とはどんな感じのものかもはや全然追体験することができないほどに、どんな種類の恐怖からも自由なのである。
真剣で持続的な瞑想の力を体験によって知るのでない限り、人はどんな超克をそれが可能とするかを測り知ることができない。


*************


魂が震え、心が目覚め奮い立たせられるということが、人物によってだけでなく、上質な本によってもなされるのだということを、最近知りました。
文中にあるように、まさに、 “燃えている蝋燭(ろうそく)で他の蝋燭に点火するように” 精神というのは本を通しても伝達されていくのでしょうね。

この本を読み終えてから数日間は、あたりにその本の残り香が漂っているようでした。
本が香ると感じたことは今まで無かったのですが、余韻(音)でもなく、雰囲気でもなく、香りというのがぴったりでした。
本が香ると感じる人って他にもいるのかなぁと、インターネットで検索してみたら少ないなりにもいらっしゃるようで、ちょっと嬉しく思いました。
そして、本との出合いも、一期一会だなと思いました。
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by ramram-yoga | 2013-07-01 23:00 | | Comments(0)
論文・レポートの文章作法
大学の卒業論文を執筆するにあたり、放送大学から論文の書き方についていくつかの推薦図書が紹介されているので、数冊購入して読んでいるところです。

今回読んだのは
「論文・レポートの文章作法」 古郡廷治著

単に論文の執筆方法だけでなく、タイトル通り、文章を書く際の「お作法」とでも言うべき内容が充実していて、とても為になりました。
普段、無批判的に文章を読んだり、あまり気にもせず文章を書いたりしていますが、意識的にならずにはいられなくなってしまいそうです。

文中では、いくつかの実際に公に出回っている文章が取り上げられ、そこに著者の鋭い指摘が入るのですが、一見非の打ち所が無いように思える文章も、著者を前にしてはズタズタ、なんてこともあったり。
自分としてもズキっとくる箇所が何箇所かありました。

文章を書くということは、奥深い。

そういう著者の、本の中での文章表現は、淡々としていながらも、その端々に美しさがあり、その意味でも好きでした。

“文章には書いた人の思想(人格)が表れます。「文は人なり」です。”

と文中にもありましたが、書き手が思っている以上に、読み手はその文章からいろいろな書き手の人格を読み取るものなのでしょうね。

さらっと読めはするのですが、読み応えはしっかりある一冊でした。
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by ramram-yoga | 2013-06-12 19:14 | | Comments(0)
大往生したけりゃ医療とかかわるな
大往生したけりゃ医療とかかわるな ~「自然死」のすすめ~
中村仁一 著

このようなタイトルですが、なんと著者はお医者様です。
面白くって読むのが止まりませんでした。

タイトル通り、この本のテーマは「死」なのですが、死からイメージされがちな暗さや重さのような雰囲気は文中には全くなく、むしろ明るささえ感じられ、著者の中村先生のコミカルな言い回しに時々一人で爆笑してしまいました。

中村先生によると、実は医療が“穏やかな死を邪魔している”らしいのです。
なんと癌は、攻撃的な治療をしないでいれば痛みが全くない場合も多いと知り、これは衝撃的でした。

**************

先生の提唱される「治療の四原則」とは、以下の通り。

・自然治癒の過程を妨げぬこと
・自然治癒を妨げているものを除くこと
・自然治癒力が衰えている時は、それを賦活すること
・自然治癒力が過剰である時には、それを適度に弱めること



近いうちに、最近出版された日本統合医療学会の渥美名誉理事長のご著書「医者の世話にならない生き方」も、読みたいと思います。
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by ramram-yoga | 2013-06-06 05:22 | | Comments(0)
意識と本質
「意識と本質」井筒俊彦著

ずっと挑戦したかったこの本、最近ある方より改めて推薦していただいたおかげで、読み終えることができました。

最近多大な影響を受けた澤瀉久敬先生のご著書「哲学と科学」「健康を考える」「医学概論」Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ部作を立て続けに読んだ後で読んだこの本ですが、どちらの先生も物事の本質について様々な思想の比較考察を突き詰めて行っているのは同じですが、澤瀉先生はそれを、主に哲学的思想を取り上げ、生命としての人間存在に迫り、生きていく上での姿勢についてのリアリティ溢れる示唆があったのに対し、井筒先生のご著書は、宗教的思想の観点から、人間存在を飛び越えて究極の本質論に迫っていく、という点で、非常に壮大で深遠でした。

本書のテーマとなっているのは、どの宗教哲学の中でも最終的なターゲットとなっている絶対者、あるいは仏教でいうところの「空」であり、これを本書では「絶対無分節」と呼ばれています。
この絶対無分節をどのように解釈し、到達に向かっていくかについて、様々な宗教哲学においての本質論がとりあげられ、それぞれを比較考察しながら展開していきます。
特に禅における無分節の説明の部分などは難解で、浅い理解しかできていないと思うのですが、浅いなりに非常に読みごたえがあり、いろいろと考えさせられた一冊でした。
また、著者の井筒先生はイスラーム学者でもいらっしゃいますので、イスラーム哲学における本質論についても触れられていますが、これがまた興味深いものでした。

絶対無分節を表層意識に取り込むことについて、このように文章化された書物があったのか、ということにまず驚きました。
また、東洋哲学とひとまとめにするにはあまりにも多種多様な宗教的・哲学的思想があり、その中で偶然か必然かヨーガと出会って今までやってきた自分の立ち位置について考えさせられた一冊でもありました。
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by ramram-yoga | 2013-06-02 07:31 | | Comments(0)