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カテゴリ:本( 77 )
心的トラウマの理解とケア
臨床心理士の資格試験に向けて、引き続き関連書物を読んでいます。

今日読み終わったのはこちら。

心的トラウマの理解とケア

金 吉晴 / じほう



PTSDという言葉が広く知れ渡るようになって久しいですが、このような病気の発症の原因となる心的トラウマ(外傷)を受けた方に対する専門化向けのガイドラインです。

心的トラウマと一言に言っても、今回の熊本地震のような自然災害や、地下鉄サリン事件などの集団毒物汚染事件、JR福知山線脱線事故のような過失災などの中~大規模なものから、虐待、性暴力被害、DV、いじめ等の個人レベルでのものまで多岐にわたり、それぞれに症状の出方の特徴や介入の仕方が少しずつ違ってきます。

そのあたりのことがよく分かると同時に、執筆された先生方の熱意が伝わってきて読み終わった後にある種の感慨が残りました。



心的トラウマを受け、外傷後ストレス障害(PTSD)を発症する人にはいくつかの共通する特徴があります。

●侵入症状(再体験)
 その出来事が自分の意思とは関係なく繰り返し思い出される
 出来事についての苦痛な夢を繰り返し見る
 当時感じた強い心理的苦痛を反復して体験する

●回避・麻痺症状
 その出来事と関連した思考・感情および場所・活動・人物を避けようとする努力
 出来事の重要な場面を思い出すことができない
 生活における重要な活動への無関心
 感情が乏しくなる
 未来に希望が持てない

●過覚醒症状
 入眠できない、夜中に目が覚める
 怒りっぽくなる
 集中力の低下
 過度の警戒心を持ち、過度に驚いてしまう



心的トラウマを受けた後に生じるパニックや悲嘆反応は、“異常な事態に対する正常な反応”であり、おかしいことではありません。
しかし、上記のようなPTSD症状が出ている場合には、やはり何らかの形で専門家の助けを借りる必要が出てくることになります。
PTSDの治療体制は、わが国では地下鉄オウムサリン事件があった頃から少しずつ確立されてきているようです。
また、関西では阪神淡路大震災があった関係で、トラウマケアに関する専門家が多い地域でもあります。
私の通っていた兵庫教育大学大学院でも、児童虐待、大規模災害、大規模事故、DV被害など様々なトラウマに対して専門的に研究・実践されている先生方がおられ、トラウマ・ケアについて学ぶことができました。


心的トラウマを受けた人が、どの専門機関にアクセスするかはとても重要なことだと思います。
それぞれの医師の、言ってみれば得意・不得意がやはりどうしてもありますので、例えばあまりにトラウマに関する知識や治療経験のない医療機関にアクセスすると、なかなかニーズにあった治療を受けることができないのも、また事実だと思います。


兵庫県では、兵庫県こころのケアセンターでしたらトラウマ・ケアを専門とする先生方がいらっしゃいます。
こちらで実際に治療を受けるかどうかは別としても、相談することで何か有益な情報が得られるのではないかと思います。
心的トラウマを受けている人たちが、少しでも適切なケアを受けることができますように。
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by ramram-yoga | 2016-07-26 01:12 | | Comments(0)
仏教思想のゼロポイント
とても面白い本でした。

『仏教思想のゼロポイント -「悟り」とは何かー』

仏教思想のゼロポイント: 「悟り」とは何か

魚川 祐司 / 新潮社



東京大学で西洋哲学を、同大学院でインド哲学・仏教学を専攻、その後ミャンマーに渡航し、テーラワーダ仏教の修行も経験するという、研究者であり実践者の著作です。

仏教の研究者・実践者が、いわば“内側”から仏教を解説することはよくあると思います。
しかし、この本の著者の魚川氏は自身が仏教の研究者・実践者という当事者性をおびながらも、あくまで“外側”の第三者的な立場から客観的に(時折批判的に)仏教というものを眺め、鋭く切り込んでいくところに新鮮さを感じました。

扱う内容も大胆かつ、興味をひくものでした。
まず、第一章では、ゴータマ・ブッダの教えは現代日本人である私たちにとって、果たして「人間として正しく生きる道」であり得るのかどうか、という問題提起から始まります。
そして、ブッダの解いた「無我論」の真意に迫り、諸行無常の背後に絶対的な真実在があるかどうかについてブッダが当時の弟子たちにどのような態度をとっていたのか、等いくつかの考察を経て、本書の主題である仏教のゼロポイント、すなわち“涅槃”とは何かについてストレートに迫っていきます。

私自身は、今まで仏教の無我論というものをよく理解できていなかったようで、ブッダはヨーガにおける真実在である“真我(アートマン)”に対する反論として無我論を提唱したものとばかり思っていました。
しかし、本書を読む限り、そうでないことが分かります。
ブッダは、人が色(しき)、すなわち変わりゆくものに自己のアイデンティティを重ねている状態に対して「その変わりゆくものの中にはありませんよ」という意味で、「無我」という言葉を用いたようです。
こうして理解してみると、仏教における「無我」 はヨーガの変化するものには自己のアイデンティティを見出さないという考え方と相違ないと思いました。
ただ、真我を積極的に肯定するかどうかの見解に、やはり両者の違いがあります。
ヨーガでははっきりと、真我(アートマン)こそが真実在であるとしています。
一方ブッダは、そのあたりの究極的な部分に関しては沈黙を守っていたということですが、もはや涅槃の境地においてはそのような質の問題は意味をなさないのでしょうね。
真我(アートマン)の実在の有無は色(しき)の世界においてのみ問われるような質のもの、ですから。
本書でも、涅槃の境地においては「存在・非存在といった、分別や判断の作用自体が、停止してしまっている」と記されています。

私自身、その無分別の境地に意識をシフトしていきたいと思った時に初めて、現象世界に対して非常に強い愛着を持っているために大きな抵抗を起こしていることに気付きました。
同時に愛着の対象を失うことへの恐れの感情をたくさんもっていることにも気づきました。
しかし、その状態こそが本書で言われている“苦”の状態であり、そこから脱すると、いかに現象世界に愛着を持っている状態が苦であるのかが、分かるのだろうと思います。
また、そこ(涅槃の境地)へ至る道は、決して苦しみや恐怖を伴うものとは限らないのだろう、とも思います。
執着の対象物を手放すべく血を滲ませながら頑張る、というよりは、より崇高な境地に行くことで、それまでしがみついていた愛着の対象からごく自然に離れていく、ということが起こってくるのではないかと思います。
スワミ・ヴィヴェーカナンダが「バクティ・ヨーガ」の中において言及しているように、その移行は”なめらかに”行われるのかもしれません。

あとがきに紹介されていた「アップデートする仏教」も、面白そうだったので早速注文してみました。
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by ramram-yoga | 2016-07-21 22:01 | | Comments(0)
フロイトの精神分析
臨床心理士の資格試験を10月に控え、そろそろ本格的に試験勉強をスタートさせています。

参考図書の一つとして挙げられていたこの本を、読んでみました。

面白いほどよくわかるフロイトの精神分析―思想界の巨人が遺した20世紀最大の「難解な理論」がスラスラ頭に入る (学校で教えない教科書)

日本文芸社


心理学の世界では耳にタコができるくらい聞いている“フロイト”ですが、意外と知らないことも多く、とても面白かったです。

フロイトの創始した精神分析では自分自身では意識化し得ない“無意識”を想定し、転移や防衛機制といった心理的反応の奥に潜む潜在的な欲望や、意識の外に押しやってしまったトラウマティックな記憶を蘇らせることによって、症状からの解放を目指していきます。

フロイトは、人間の活動源となる心的エネルギー「リビドー」は性的欲動のエネルギーであるとしましたが、これに関する考えの違いが後に、かの有名なユングやアドラーがフロイトの元を去っていく要因になったことはよく知られている話です。
また、今や心理学の世界でフロイトが語られる時には、上記の性的リビドーや対する批判的な意味合いが含まれていることが多いように思います。

しかし、フロイトが、ヒステリーの病理は心理的なところにあるとする以前は、ヒステリーといえば女性特有の子宮に関連する疾患だと捉えられていた時代です。
また、それ以前、病気は神の怒りによって生じると信じられ、シャーマンや魔女の祈りによって治癒させようとしていた時代。
そのような精神疾患に対する間違った解釈が横行していた時代に、神経症のメカニズムを解明していこうとしたフロイトには、非常に鋭い洞察力と、患者への観察力、当時痛烈に彼を批判した医師達にも負けることなく自分の見解を主張し続けた強さがあったのだと思います。

また、本書の著者である立木康介氏はフロイトのことを“蒸気機関車”に例えています。
朝から晩まで患者を診察し、恐ろしく中身の濃い論文や著作を数多く残し、その合間におびただしい数の手紙を書き残していたのだとか。
また、社交的なことはあまり好まず学究に明け暮れ、文章が非常に洗練されたものであったため、彼が作家として小説を残さなかったことを惜しむ声もあるのだそうです。
そして、大の家族想いだったとのこと。
なんとなくこれまでフロイトに対しては気難しいイメージを持っていたのですが、非常に魅力的な人物に思えてきました。
そして、現在私も少なからず、フロイトの恩恵を受けているわけであり、その偉大さを感じずにいられません。

…臨床心理士の資格試験、なかなか問題が難しい。
大学院の入学試験より格段にレベルが高いです(それは、当たり前ですね^^;)。
院に入る前に放送大学の心理と教育コースを修了していましたが、そこで心理学の基礎的な知識をある程度網羅できていたのはよかったと思います。
さて。
しっかり勉強しなければと思いますが、このようにいろいろと学び直せる事は愉しく、ありがたくも感じています。
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by ramram-yoga | 2016-07-20 16:23 | | Comments(0)
看護の力
先日、看護学部の学生さんに授業をさせていただいたのがきっかけで、今まで自分が知っていると思っていた「看護」というものを、実はあまり理解できていないのではないかという思いを大きくしました。

また、今回の講師として私にお声がけくださった小山敦代先生の実践されている「ホリスティック・ナーシング」では、人間存在を肉体だけでなく、精神、そして魂(spirit)までをも包括したホリスティックな存在としてとらえ、アプローチしていく、ということを知りました。
ホリスティックナーシング研究会という会もあります。)

そして何より、看護師として長年経験を積まれてきた小山先生のお人柄に惹かれたということがありました。
にじみ出るあたたかな母性、そこにある種の神聖ささえ感じられました。
この方の魅力の源泉は、どこにあるのだろう?

そんな小山先生が看護学生さんにおすすめの一冊として紹介されていたのが、この本です。

看護の力 (岩波新書)

川嶋 みどり / 岩波書店



川島みどり先生は、以前所属していた日本統合医療学会でお見掛けしたことはあるのですが、実際に著書を読むのは初めてでした。
「看護」という仕事の何たるかが、やさしくきれいな日本語で書かれています。

「看護の力」は、注射や薬のような外部からの力ではなく、その人に本来備わっている治る力を上手に引き出すことにあります。

と文中にもありますが、本の中で、いくら西洋医学的な処置や投薬を行っても改善しなかった患者さんが、看護師による清拭や食べ物の工夫、触れることやあたたかな雰囲気の中での会話などによって、目を見張るような体調の改善を果たす様子が記されていました。

専門的な知識や技術はもちろんなのですが、「看護」の本質は、母親が病気になったわが子のおでこに額を当て、表情を含めて様子をよく観察し、心地よく休むことができるように環境を整える、そんな母性的な愛の延長線上にあるような気がしました。

***********

もう少し、看護について、いろいろ本を読んでみようと思っています。

次は、看護学生さんならだれでも教本として親しむという、ナイチンゲールの「看護覚書き」という本。
何しろ、ナイチンゲールは非常に深く、独自の自然観・哲学をその活動の根底に持っていたようです。
カルマ・ヨーガ(行為のヨーガ)の経典であるバガヴァッド・ギーターも愛読していたのだとか(これには驚きました)。
そろそろ、届くころです。
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by ramram-yoga | 2016-07-13 09:25 | | Comments(0)
アーユルヴェーダ健康法
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『アーユルヴェーダ健康法』
ウパディヤ・カリンジェ・クリシュナ著


アーユルヴェーダを勉強してみたいと思った時、この本はとても分かりやすく書かれているので、初心者の方にもおすすめです。
私も今まで何度かアーユルヴェーダの講義を受けてきましたが、正直、分かるような分からないような印象を受け、アーユルヴェーダは難しいものだと、少し距離を感じていました。
しかし、この本はそのような距離感を感じさせませんでした。

しかも、決してやさしいだけでなく、アーユルヴェーダの根底を貫いている哲学等、本質的なところも外されていません。
著者は、日本のアーユルヴェーダ界ではとても有名なクリシュナ U.K. 先生です。

本は、このような出だしからはじまります。

 人生の目的は、義務(ダルマ Dharma)を遂行し、利益(アルタ Artha)を十分に手に入れ、さまざまな欲望(カーマ Karma)をかなえ、至福(モークシャ Moksa)とよばれる境地を体得することです。
 道徳や社会のルール、法律に従い、正当に利潤を得て、物質欲、名誉欲、知識欲、性欲など、さまざまな欲望を満たし、さらに、至高の幸福の境地へと至るのが人生の真の目的だというのです。
・・・・



このように、健康法について述べる本の初頭に、まず人生における目的について書かれているところは、アーユルヴェーダが単に心身の健康だけでなく、生命観や生き方をも範疇に入れる「生命の科学」である所以ですね。
真の健康とはどういうことかについて、アーユルヴェーダにははっきりとした見解があるわけです。


アーユルヴェーダを特徴づけているのは「トリ・ドーシャ説」です。
これは人間がヴァータ(風)・ピッタ(火)・カパ(火)という3種類の生理機能を軸として生命の維持をしているととらえる考え方であり、これら3つの“ドーシャ(病素)”がバランスをとり、正常に機能している状態が健康であり、バランスを崩して異常をきたしてしまった状態が病気の状態であるということになります。

さらに、生まれつきの体質として、ヴァータ体質・ピッタ体質・カパ体質、またはそれらの混合の体質に分類され、それぞれの体質の身体的性格的特徴について詳細に記されている部分はとても面白いです。

ちなみに私の体質はピッタとカパの混合体質、つまり「ピッタ・カパ」です。
ですがもともとはカパの要素が多く、性質として安定感、ゆっくり、停滞といったものがあるようです。
骨格がしっかりしていて水分をため込みやすく、反応が鈍い、髪が黒くしっとりしている、目や鼻や耳が大きい、これらもカパの体質として特徴的です。
先日アーユルヴェーダを専門としているセラピストさんに状態を見てもらったところ、「ピッタが強くなっていますよ」と言われました。
元々はゆっくりしている性質なのに、ストレスフルになるとどんどん活動的になり、緊張が強まっていくのが私の体調を崩すパターンのようです。

このようにアーユルヴェーダの見方で自分を見てみると、本当にそうだなと思います。
特に大学院生活ではとても忙しく息をつく間もなくて、最後の方には少々燃え尽きのようになってしまっていたのですが、私にとっては許容範囲をオーバーしていたのでしょうね。
現在は仕事の他やることの量を減らし、体調も安定してきたのですが、自分自身とも周囲の人とも調和がとれるちょうどいいペースを少しずつ掴んでいきたいな、と思っているところです。
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by ramram-yoga | 2016-07-06 09:30 | | Comments(0)
反省させると犯罪者になります
今年最初のブログ更新となります。
皆様の年初めは、いかがでしたでしょうか。
私は、年末ぎりぎりまで修士論文の執筆や研修会への参加で忙しく、年始にやっと大掃除や年賀状書きをすることができ、今になって一息ついているところです。

さて、ここ2年ほどは、本を読んだらほとんど読みっぱなしにしていました。
しかし振り返ってみて、やはり読んだ本は読み終わった時点で自分なりに文章にまとめて振り返る作業をした方が、後々自分の身になりやすいと感じました。
ということで、今年は沢山の本を次々読むというよりは、1冊1冊丁寧に読むことを意識して、読書をしてみようと思います。

今年やっと読み終えた第1冊目は、なかなかインパクトのあるタイトルでした。

  『反省させると犯罪者になります』 岡本茂樹 著

今通っている大学院の教授であり、精神科医の先生お勧めの一冊です。

殺人などの重篤な犯罪を犯した服役者の更生に長年携わってきた著者によれば、刑務所において行われている“反省させる”という更生教育は再犯防止に効果的ではないばかりか、むしろ服役者の再犯率を高める危険性があるというのです。

その不思議なメカニズムは、次の通りです。
まず、重篤な犯罪に関わらず、違反行為や迷惑行為をして相手に謝罪しなければならない場合、謝罪する側のほとんどは、心から「相手に悪かった」と考えてはいないのだということです。
例えば、自分の車を誤って相手の車にぶつけてしまった場合、相手に平謝りしながら心の中には相手に対して申し訳ないという思いはほとんど無い。
その代わり、心の中に充満しているのは自分が払わなければならない金額等、事後処理に関する不安であったり、「何でこんなことをしてしまったんだ」という後悔の感情、また、相手の人がいい人でよかったという安堵感など、要は自分のことしか考えていないのだということ。
そして、相手に対して本当に悪かったな、という謝罪の気持ち、少し状況が落ち着いた後になって初めてわいてくるのだそうです。

殺人などの重篤な犯罪もしかり。
殺人を犯した人たちの心境とは、被害者や被害者家族に対する「悪かった」という罪の意識ではなく、むしろ被害者に対する怒りや恨みさえ抱いている場合も少なくないのだそうです。
そのような心理状態にある受刑者に対し、無理に反省文を書かせるなど「反省させる」ことの危険性を、筆者は繰り返します。
なぜならその行為は、犯罪を犯すまでに至った受刑者の内に鬱屈している怒りや悲しみ、苦しみの感情を押し込めてしまうからです。
それよりも、まず、受刑者の気持ちをよく聞き、渦巻いているネガティブな感情や思いを吐き出させることが先決であり、そのために“ロールレタリング”という手法が用いられています。

このようにして受刑者が次第に自己理解を深め、少しずつ自分自身を大切にする感情が育っていった時、被害者に対する謝罪の気持ちが初めてわいてくる。
幸せと同時に苦しみも大きくなり、誰が強いることなく犯人は重篤な犯罪を犯したという重い事実を背負っていくようになるのだそうです。

本の後半は、反省だけでなく、「しつけ」という価値観の押し付けから生じてくる生き辛さについても触れられています。

 「我慢できること」という価値観を強く刷り込まれたものは、
 「我慢できない者」を見ると、その人の我慢できない態度が許せなくなります。
 「1人で頑張ること」が大切だとたたきこまれた者は、
 「1人で頑張れる途中であきらめてしまう人」や「他者にすぐに助けを求める人」を目にするとイライラします。
 「弱音を吐いてはいけないこと」が当たり前と思っている人は、
 「人に迷惑をかけられる人(=人に甘えられる人)」を見ると、腹が立ってくるのです。


人は知らず知らずのうちに、「○○であらねばならない」といった価値観に縛り付けられていて、にもかかわらずそのことに無自覚であるとき、それを人の中に見てしまうのですよね。

私はといえば、昨年の秋あたりから、これまで目をそらしていた部分を突きつけられるということが立て続けに起こっています。
最近も、2日続けて違う人から、今まで言われたことはないけれど、うすうす自分ではごまかしていると分かっている部分をストレートに指摘されて、かなり落ち込みました。
でもやはり、気づいていることは大切です。

教師や警察官、私たちのような対人援助職に従事している人は、相応の人格が伴っていないにもかかわらず「先生」と呼ばれたり、模範的行動を暗に期待されているのを感じ、知らず知らずのうちにそのイメージにふさわしくない自分の側面をあたかも無いかのように葬ってしまうことがあります。
子育て中の親にも「親としてこうあらねば」という意識は少なからずありますから、当てはまると思います。
そうなると、本当は甘えたい自分や、だらしない自分、弱い自分を、許せていないことがあるのですよね。

しかし、自分のことを許せず、自分の弱さを認めることのできない人が、目の前の苦しんでいる人に心から共感し、その人が自分を許していくプロセスを後押しすることが、果たしてできるのか。
まずは、自分の弱さを知らなければいけない。
そんなことを感じさせられました。
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by ramram-yoga | 2016-01-16 20:57 | | Comments(0)
10月の読書本
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41.「顔面漂流記-アザをもつジャーナリスト」 石井政之 著


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10月下旬、息子がマイコプラズマ肺炎にかかり、入院しました。
保育園も2週間ほどお休みし、本人はしんどくはあったのですが、いつもよりゆったりと流れる時間を2人で過ごせた貴重な機会でもありました。

私はといえば、学業がとても忙しい時期だったにもかかわらず、やることを吟味してそぎ落としていくと、不思議と意外と時間は作ることができるのだということに気付きました。
入院中はほとんどずっと付き添い、夜は小児用の小さいベッドで2人一緒に寝ました。
食料、食器、生活用品を必要最低限病室に運び込み、それで数日生活していると、意外と生活に必要なものは、限られているのだなぁということに、ここでもまた気付きがありました。

ということは、いかにいつも、無くてもいいものに囲まれて暮しているか、ということなのだと思います。
「無くてもいいもの」それは、日常に彩りを与えてくれる素敵なものではあるのかもしれないけれど、それらを維持しようとかもっと欲しいという想いに囚われて、自分で自分を不自由にしていることも多いのかもしれません。

そんなことを思いながら、退院すると、たくさんのモノに囲まれて、それでなんとなく安心な生活に戻っていました。
入院中ずっと家に帰りたがっていた息子は、帰宅した途端見違えるように元気になりました。
我が家は狭い仮住まいですが、息子にとってはどこよりも落ち着く実家であり、帰る場所がある有難さというものも感じました。

さて、修士論文の提出は12月下旬。
いよいよラストスパートに入ります。
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by ramram-yoga | 2015-11-09 11:00 | | Comments(0)
9月の読書本
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38.「古代インドの思想-自然・文明・宗教」 山下博司 著
39.「無境界-自己成長のセラピー論-」 ケン・ウィルバー 著
40.「ぼくたちに、もうモノは必要ない。」 佐々木典士 著


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この3連休は、実家に帰省しています。
夫は一週間後にある大事な試験を控え、家に残って一人で勉強中。
私は、12月の修士論文提出に向け、息子を実家の両親に見てもらいながらデータ解析に励んでいます。
たくさんの方のご尽力によって、1000人余りの大学生の皆さんから貴重なデータを収集することができたので、それを無駄にしないよう有意義な研究にしなければと思っています。
統計解析については、全くチンプンカンプンだった私に、親切なクラスメイトが懇切丁寧に手取り足取り教えてくれたおかげで、少しずつ結果をまとめることができはじめています。

実家では、その昔同年代だった近所の友人の、同じく同年代の子どもたちが集結。
自分が幼い頃によく遊んだ幼馴染の友人の子どもとわが子が遊んでいるなんて、なんだか年月を感じてしまいます。
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by ramram-yoga | 2015-10-11 16:24 | | Comments(0)
8月の読書本
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33.「動きが身体を作る -身体心理学への招待-」 春木豊 著
34.「東洋に学ぶメンタルトレーニング ―トップアスリートが実践する心を静める10の秘訣」 白石豊 著
35.「あるヨギの自叙伝」 パラマハンサ・ヨガナンダ 著
36.「無我の体験」 バーナデット・ロバーツ 著
37.「ヨーガ禅道話」 佐保田鶴治 著


********

今年に入ってから自分に訪れた展開は、自分にとって意外な形で今月ひと段落がつきました。
新たな世界に踏み出すつもりでいたのですが、そうではなく、自分が勝手に作り上げていた殻を“その場で”脱いだ、そんな感覚でした。
つまり、世界は何も変わっていない。
そして、今までのことを何も否定する必要もない。
ただ、自分の視点が変わったから世界が違って見える。

自分を殻に閉じ込めていたのは“恐れ”だったことに、気がつきました。
人の目や失敗を恐れて萎縮している自分が、いました。
そんな自分に気づいた時、「いいじゃん、失敗しても」と思えました。
二度とない人生なんだから、失敗したとしても、やってみたい。
感性をいっぱいに開いて、これだ!と思うことに、どんどんチャレンジしてみようと思います。

一方で、開き方を限定していた時期も、自分にとっては必要だったと思っています。
この時期に、外界からの雑音から身を守り、自分の基本的な芯のようなものが出来上がっていったからです。
全てが、自分にとって必要なことだったんですね。



a0118928_21195727.jpg暑かった夏が、終わろうとしています。

息子とプールに行ったり虫取りしたり、たくさん遊んで夏を満喫しました。

少々、夏休みボケ。

頭が空っぽです(笑)


明日からは気を引き締めて、大学院生活に戻ります。

特にこれから修士論文執筆に向けて、大忙し。





今月の読書本は、それぞれ多方面からの示唆をもらうことができ、面白かったです。
11月にとある学会で「東洋的心理療法の特徴と身体性」というテーマで発表するのですが、その構想のための読書でした。
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by ramram-yoga | 2015-08-31 23:29 | | Comments(0)
7月の読書本
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25.「患者力のすすめ-自己治癒力を高める42の知恵-」 川嶋朗 著
26.「103歳になってわかったこと」 篠田桃紅 著
27.「前世療法」 ブライアン.L.ワイス 著
28.「前世療法②」 ブライアン.L.ワイス 著
29.「ソウルメイト」 ブライアン.L.ワイス 著
30.「共通感覚論」 中村雄二郎 著
31.「こころと体が軽くなる「ありがとう禅」」 町田宗鳳 著
32.「自分さがしの瞑想 ひとりで始めるプロセス・ワーク」 アーノルド・ミンデル 著


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『浄化・再生』
最近ある方から、この言葉をいただきました。

今年に入ってから、今まで疑うことなく素直に受け入れられていたことに急に疑問を感じだしたり、迷い無く情熱を傾けていたことに対して興味が薄れたりと、それまで考えもしなかったことが起こり始め、ずいぶん戸惑いました。
それらが自分のアイデンティティに深く関る部分だったので、自分の気持ちが変化していくことを、なかなか受け入れることができなかったのでしょう。
でも、アイデンティティと思い込んでいたのは実は幻想で、私はそれにしがみついていただけなのかもしれません。

今月は新鮮な出会いが訪れ、視界が広がるような体験をしました。
具体的に言うと、瞑想中や受けているセラピー中で深い意識状態になった時、自他の境界が薄れて全体とつながっていくような、そんな経験を何度かしました。
そして、自分という存在の大元にはいのちの大きな海原があり、私のアイデンティティはそこにこそあるのだと、実感を伴って感じるようになりました。

それからでしょうか。
だんだんと、“私は●●をする人”とか、“●●すべき”というような思いが薄れ、何があっても私は私であると安心して思えるようになり、力みがなくなった気がしています。
私にとっての『浄化・再生』は、今まで自分だと思っていた古いアイデンティティを脱ぎ捨て、ゆるぎないものに安住していく過程を表していたようです。

さて、明日から8月。
今年は、思いっきり遊びます。
昨年の夏は大学院、一昨年の夏は受験勉強でなかなかゆっくりできなかったのですが、今年はとことん息子と夏休みを満喫したいと思います。


次の展開を待つつもりでいたのですが、もうすでに、始まっていたようです。
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by ramram-yoga | 2015-07-31 20:27 | | Comments(0)