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カテゴリ:最近のいろんなこと( 47 )
世界に対する応答者としてのわたし
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思いの持つ力がどれだけ大きいか、そしてヨーガでいうところのサムスカーラが、その思いにどれだけ大きく影響しているかを感じている今日この頃です。
サムスカーラとは、日本語では”行”とか、”残存印象”と言う風に訳されます。
それは何かを経験した時に、意識の深い部分(ヨーガでいうところの”チッタ”)に刻み込まれる心の印象であると、ヨーゲシヴァラナンダ著『魂の科学』には説明されています。
その人の持って生まれた天性、体質、遭遇する出来事、運命、その総てが結果とした場合、その因となるもの。
本当にそうなのだと、改めて実感しています。
この世界のあらゆる現象は、このサムスカーラによって生じている。

そういうことでいえば、この世界は、まさに自分の心が創り出しているのです。
誰にとっても共通の世界を生きているようでいて、実は一人一人、見えている風景や経験している事が、全く違うのですね。
これはとても面白いのですが、光や愛にフォーカスをすると、それまで意識していなかった自分のこの”残存印象”というものの根深さを感じています。
純粋さに意識を向けることで、自分が如何に多くのものを色眼鏡を通してみているのか、ということに、気づかされるのですね。


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土曜日は京都の明覚時にて、東洋医学治療院すばるα の藤原先生のワークショップがあったので参加させていただきました。
藤原先生とは、「いのちの医療哲学実践会」や「いのちを元気にする会」というプロジェクトでご一緒させていただいている先生です。
詳しくはHPを見ていただければお分かりいただけますが、心理畑ご出身ですが、気診や祈祷、整体、鍼灸など、幅広い治療を行っていらっしゃいます。
心理を専門とする私にとって、先行く先輩として、たくさんの可能性を見せてくださる先生です。

その先生のワークショップを繰り返し受ける中で、私がこれまで感じていた以上に大きな力を持っているものに気づきました。
それは、思いの持つ力と、同じ思いを持つ人が集まった”場”で働く力の威力です。
「○○には効果がある」「この手法で結果が出せる」と施術側が確信していること、そしてそのことで実際に功を奏した経験をしていること、これらの手法・治療法には非常に大きい治療効果が出てくる。
そして、施術者が相手に「この人は治る」という思いを持っていると、実際に治癒の方向に向かう。
怖いことに、逆もまた然り。
つまり施術者が「この人は無理だ」「治る見込みはない」と感じながら施術することは、クライアントにとっていい効果をもたらさないばかりか場合によっては不利益をもたらす可能性すらあります。

そして、もう一つ。
普段、主に五感を使って生活している現代では感じ取りにくい、五感以外の感覚。
例えば気感、目の前の相手のどこが悪い、なんかここが気になるといったような直感的感覚。
それらの感覚をしっかり持っている人と場を共有することで、はっきりと「ここだろうな」と、分かる。


昨日は、鹿児島で神経内科をやっていらっしゃる山野医院の山野先生に「チ楽」という次世代の医療・セルフケアの養成講座を受講していたのですが、そこでも同じことを感じました。
その場に集まった人たちと場を共有し、山野先生のファシリテートの元、思考を停止し、感覚をゼロにする。
その中で、数人が、自分に合った生薬(漢方薬)を飲んで、身体状態が良くなった時のことをイメージをする。
すると、その瞬間に、そばにいる私の身体状態がはっきりと変わったのです。
肩が驚くほど軽くなり、その鮮明な変化に驚きました。

人の思い、そして印象の持つ力が、こんなにもはっきりと、周りの人にまで大きな影響を及ぼすとは。
事実がどうであるかは、この際あまり重要ではありません。
重要なのは、その事実に対してどのような印象を持つのかということです。
どのような意識状態で日々を過ごすか。
それは最近の私の大きなテーマでもあります。
自分の意識状態によって、目に映る世界、出会う人、起きてくる事が、全く違ってくるからです。


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本当に、毎日が面白い。
挑戦する、そして新たな世界がパッと拓ける。
その拓けた世界で新たな課題が見えてきて、また挑戦。
まるで神様になぞなぞを出され、それに対する答案を書いているようです。
自分の持っているものをフル回転させながら、楽しみながら。
毎回、なんとも奥深いなぞなぞを、神様はくださるものです。

以前このブログに書いた、「問いを発すれば応答あり」という記事を書いた頃は、”問う側”としての自分をよく意識していましたが、今日ここに書いたことでいうと、私たちは世界に問いを発する存在であると同時に、世界に対する”応答者”でもあるわけです。

”私”という限定された個の意識が生まれた時、その”私”に対して世界(超越者)が対象化されます。
その時に、世界と私との間で、やり取りが生じます。
私からは、世界に投入する”問い”が発せられ、それは同時に応答でもあるわけです。
世界からも絶えず”問い”と”応答”が返ってくる。
すなわち、世界と私は、絶えず応答し合っている。
私たちが今ここに存在している秘密があるとすれば、そのあたりに隠れているような気がします。
もし私が存在しなくなれば、世界も存在しないのではないでしょうか。

そういうことでいうと、世界は私を必要しています。
お互いがお互いを必要としているのです。
私が死んでも世界は世界だけ残って存在していて、永久に流転するという考えは、時間と空間を前提として人間の脳や自我意識が創り出した幻想なのではないかと思うのです。
私とは、そんなちっぽけな存在ではないのではないでしょうか。

今日の結論。
私たちが今ここに存在している目的とは何か。
それは、世界に応答するため。
私たちが存在してはじめて、世界は世界として存在することができる。
十全にいのちを生き切るとは、その世界に全身全霊で応答していくこと。



愛と感謝を込めて











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by ramram-yoga | 2017-11-20 13:47 | 最近のいろんなこと
お金も愛のあらわれ
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昨日は、いきなり常識が覆るような価格の講座をご紹介したので、びっくりした方も、いるかもしれません^^

今、私がお金に対して抱いている感覚で一番しっくりくるのは、お金とは、ひとつのエネルギーの流れのようなものだということです。
”ドドドド~!!!”と、大きな音を立てながら勢いよく流れ、この世界を循環しているように、感じられます。

そういうことでいうと、お金は本当の意味では、所有することはできないのではないでしょうか。
貯金やなんかで所有している感覚がありますが、それは、そういう感覚を持っているだけ。
実は、お金はただ、流れている。
問題は、その人において、勢いよく流れているか、小川のようにちょろちょろ流れているか、もしくは滞っているのか、等の違いなのではないかと、思っています。


そして、お金も、愛のあらわれです。
お金があまり全面に出てくると、あまりいい気がしなかったり、汚いと感じることも多いかもしれません。
でも、本来、お金はきれいも汚いもない。
ただ、私たちの心の内にあるイメージを、お金に投影しているだけなのではないかと思うのです。

お金にも、愛の側面があり、そこに目を向け付き合うようにしたら、もっともっと私たちは幸せになれるのではないかと思っています。
今世の中を見ていると、お金が人々の恐れや不安から動いていることがとても多いと感じています。
恐れや不安は、貪りの意識と行為を生じさせます。
貯金も、節約も、大切なことですけれど、それが大きな不安や恐れから出ている行為だとすれば、そのお金は出ていくときも苦しみに結びついてしまうように感じています。
私の過去の経験からも、周りを見ていても。

歓びから使う、愛を持って使う。
例えば、スーパーで買い物をする時、頭の中が家計簿の数字や支払いのことでいっぱいになっているか。
それとも、家族の笑顔や幸せが、浮かんでいるか。
別に構える必要は何もなく、日々の小さな行為や選択が、何を出発点としているか。
すべては、ここにかかっていると思います。

自分から愛や歓びをともなって出ていくお金は、きっと出ていった先でも歓びや幸せのために使われます。
そして、愛や歓びをともなって、また自分のところに入っていきます。
私たちは、そのお金という愛の流れの通り道です。
そして、私たちの本質である愛を体現していくことが、お金を受け取る、使うといった行為によっても可能だと、感じています。

すべては、どこを出発点として動くか。
どういった意識状態で、判断や行為を行うか。
私は、いつも、愛から出発したいと思っています。


  感謝と愛をこめて






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by ramram-yoga | 2017-11-13 09:44 | 最近のいろんなこと
光と紅葉
もう、11月も10日ですね。
なんやかんやとあって、最近ゆっくりブログを書く時間がとれていませんでした。
Ram-Ram's Roomの窓から見える木々も、紅葉してきました。

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最近新サイトへの移行作業を行っています。
セッションメニューやスケジュールをご覧になりたい方、こちら の新サイトからご確認くださいね^^
ヨーガのグループレッスンの料金体系に、お月謝制と体験レッスンが新たに加わりました。




こちらは、毎朝お参りしている椎尾神社の境内にて。
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神社に入る手前のサントリー正門にたたずむ、メタセコイアの木々。

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こちらは、水無瀬神社。
息子の通う保育所の近くにあるので、送った後に立ち寄り、ご神水をいただきます。
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先月叔母からたくさんの無農薬りんごをいただいたので、酵素シロップを作りました。
それにレモン汁を加えて水無瀬神宮のご神水で割った「無農薬りんごの酵素ジュース」、お庭のアップルミントを添えて。
Ram-Ram's Room にいらした方への、ウェルカムドリンクにしています。
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水曜日は、神戸のヨガスタジオ spaceわに にて開催された、アンドレ・ラム先生のヨガWSに参加してきました。
2日間にわたり、いろいろなWSがありましたが、私が受講したのは、チャクラにフォーカスしながら行うプラナニドラとクリヤ(浄化)の瞑想のクラスです。

平日の夜にもかかわらず、会場は超満員。
チャクラへの理解とアプローチについてもう少し深めてみたいと思っていたところだった私には、とてもタイムリーでした。

各チャクラを意識しながら呼吸を行い、入っていく瞑想状態は、とても深かった。
意識という湖の底まで下りて、ほとんど動きのない寂静を、体験できました。

終了後、アンドレ先生と。

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感謝と愛をこめて


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by ramram-yoga | 2017-11-10 11:46 | 最近のいろんなこと
世界は”わたし”
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今朝、光の中を自転車で走っていました。

そして、目に映る風景が一気に ”バーン!” と、私に迫ってくるような体験をしました。

その瞬間、ハッと気づきました。

今目に映る世界はすべて、”わたし”に対する応答として在るのだということに。

意識が変わると世界が変わる。

まさに、即時・即応。

それは、世界が、”わたし”そのものだから。

・・・

これから出かけるので、また機会があればじっくり言葉に落とし込んでみたいと思います。



愛と感謝をこめて






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by ramram-yoga | 2017-10-25 11:08 | 最近のいろんなこと
幸せな神様
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この土日は、上智大学で人体科学会第27回大会が行われ、参加・発表してきました。
この学会は尊敬する素敵な先生方がたくさん集まる大好きな学会で、今回も本当に収穫の大きな会でした。
台風が心配だったのでお昼すぎ早々に東京を出ましたが、京都まで帰ったちょうどその時に在来線が全線ストップ。
家族が駅に迎えに来てくれて、無事に帰宅することができました。


********

さて、今日は早く寝たいところですが、最近思っていることを言葉にしたくって、パソコンに向かっています。

この一週間余り、ほとんど動き回っていて息をつく間もなかったのですが、不思議としんどくなりません。
やる事が山積み、でもそれをする時間がない・・。
でも、憂鬱になったり、混乱したりはしないのです。
何が違うのかな…と考えましたが、思い当たるのはひとつ。
自分の心の状態です。

私は今、毎日が幸せで満ちたりています。
そして、1日1日と、その幸せ感が増していくのです。
人の思いやりに対する感度が、何十倍も上がったと思います。
それまで何気なく感じていた、例えばコンビニでスーパーで店員さんが丁寧に接客をしてくれた、エレベーターでドアを開けて待っていてくれた、等の人の親切を受ける度に、胸がいっぱいになります。
歩いているだけで、幸せがいっぱいになって、涙が出てくることもあります。

私は今まで、人の心は放っておくと、自然とネガティブな方向にいってしまうのだと思っていました。
だから、繰り返し繰り返し自分の心を客観視して、ネガティブな思考回路の軌道修正をしていかなければならない、と。
確かにそれも、一理あるでしょう。
でも、本当はそうではない。
むしろ、正反対です。
きっと、人というのは放っておくと、幸せにしかなりようがないのです。
そして、満たされているのです、すでに。
並大抵の満たされ具合では、ありません。
充満して満ち満ちて、溢れて止まらなくなるくらいの、満ち足り方です。
今、幸せでないとしたら、満ち足りていないとしたら、それは自分が閉ざしているからです。

もう一つ。
生きているということは、何かを失っていくことではない、ということ。
生まれた時から死に向かっていると憂いたり、大切な人やものを無くしたと絶望したりする必要もないのだと思います。
なぜなら、それは、人間の限定された理性で現象を捉え、そして、固定化した視点で物事を捉えているからです。
私自身は小さい頃からずっと、諸行無常のこの世界に対する”憂い”のような感情を持っていました。
今はそのような情感はありません。
ある時を境に、無くなってしまいました。
情感というのは、変化します。
ある現象に対してその人が付け加えた意味づけの世界に生じてくるものですから。
そして情感は主体ではありません、客体です。

失っていくという気がしないのです。
特に、死ぬことに対しての憂いの感情というのには、強烈なものがありました。
でも、もうそれも、あまり感じることはありません。
自分が無くなる、という気がしないのです。
もちろん、個としての”私”は、いずれ死ぬでしょう。
でも、そんなこと言うのなら、”私”はたった35年前にはいなかったではないですか。
そんなちっぽけな限定された”私”が、私の本質なのでしょうか。
それは、違うはずです。
むしろ、どんどん得て満たされていく…というか、私はいつもすでに満たされていて、完全なのだということを、思い出していく過程にいることに気づくのです。


そんな実感が深まっていくと共に、夫がとても神々しく思えてくるということがありました。
これらは、同時でした。
夫は、私がこんなに休みの日に家を空けまくっても、嫌な顔をたったの一度もしたことがありません。
いつも「いいよ」と機嫌よく送り出してくれ、子どもの面倒を見てくれ、家事もすべてやってくれます。
出会った頃、「一途にひとりの人を思い続けることと、思いやりを絶やさないことには自信があります」と言っていて、その時にはそんなに気にも留めず、へぇそんな人がいるんだなと思っていたのですが、本当にその通りのことをしてくれています。
夫があまりに私に対していろいろなことをしてくれることに、以前は「悪いなぁ」負い目を感じていました。
でも、今はその好意を存分に受け取って、喜んで、幸せでいることにしています。
遠慮するよりそうした方が、お互いがとっても幸せなのです。
そしてつくづく、あぁ、夫って、私の神様だなぁと思いました。
そんなことをはっきりと意識した今日、6歳の息子が突然、私にびっくりするようなことを言いだしました。



 息子「ねぇねぇ、僕が神様だって、知ってる?」

 私「?!」


突然の発言に少し驚きながらも、本当にそうだなと思ったので同意しました。



 私「うん。知ってるよ。」

 息子「神様がもう一人いるって、知ってる?それはねお父さんなんだよ。」

 私「うん、そうだね。知ってるよ。」

 息子「この家にもう一人神様がいるよ。それはね、お母さんだよ。」

 私「そうだね。この家には、神様が3人いるね。」

 息子「うん、そうだよ。」



…そうか。
人の内に神性を見出すということは、そういうことなのか。
で、思いました。

ちょっと、まてよ。
神様って、本当は一体、何者⁈
”わたし”って一体、誰?

このような死生観やアイデンティティに関する問いには直接の回答はありません。
なぜなら、問いに答える術がないのです。
問いというのは、分離や限定を前提にした世界からしか、出てこないのですから。
でも、求めている人には、問いへの直接の答えがもたらされない代わりに、世界観の広がりがもたらされます。
視点が変わり、価値観が変わります。
そして、問いそのものが変容していきます。
終着点があるとするなら、そこにはきっと問いへの回答はありません。
問いそのものが生じないのです、きっと。
そこは完全に満ちたりているのですから。


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今晩は、京都駅まで雨の中迎えに来てくれた夫と息子と3人で、回転寿司へ。
写真は最後にチョコレートケーキを幸せそうにほおばる小さな神様です^^
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愛と感謝をこめて



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by ramram-yoga | 2017-10-23 00:41 | 最近のいろんなこと
instagramをはじめました
今さらですが、始めてみました。

なかなかブログを更新する余裕がありませんが、感じること経験すること、情報発信したいことは日々あります。

そんな時、写真プラス一言ふた言というinstagramのスタンスはとてもいいです。

いつまでするか分かりませんが、しばらくこちらでも更新しようかな、と思っています。
愛と感謝をこめて

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by ramram-yoga | 2017-10-12 20:54 | 最近のいろんなこと
新居地へ
無事に引っ越しを終え、9月30日から三島郡島本町で暮らしています。
まだまだ、片付いておりません。

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9年近く住んだ西宮を出る時は、寂しさは全く感じませんでした。
しかし、引っ越した晩、暗くて静かな家の中で段ボール箱に囲まれていると、ふと西宮が恋しくなりました。
そうそう、西宮に引っ越してきた晩も、そうでした。
新しい場所や人の中に身を置くと、それまでの環境や周りの人達が、恋しくなるものですよね。

そんな思いも、つかの間。
引っ越しのサカイさんが、終始愛のある作業をしてくださり、それに助けられました。
荷ほどきをしていると、家のものをひとつひとつが本当に丁寧に梱包されていることに、感激しました。
クタクタに疲れているはずなのに、開けるたびに元気になっていくのです。
開ける時に損傷のないように、また危なく無いように、考えて包んでくれるのが伝わってきました。
搬入作業も、重いものをたくさん運んでしんどいだろうに、笑顔で配置を一緒に考えてくれたり、仕事以外の事までしてくれたり、本当に助かり、胸がいっぱいになりました。
愛は、こんな風にして、伝わるのですね。


そして、主人と息子も、夜遅くまでよく働いてくれ、本当に頼もしかった。
よく食べよく働き、そしていつでも親切な、我が家の愛すべき男子2人。
彼らに支えられていることを改めて感じた今回の引っ越しでした。

さて。
自宅のサロンは「in the Green」と名付けただけあって、木に囲まれています。
しかし、現実はそんな上品なものでなく、うっそうと生い茂っております。
草もボーボー。
生徒さんが来られるまでに、どこまで綺麗にできるでしょうか…💦
楽しみながら、準備します^^



********




開脚セッション、さっそくお申込みやお問合せをいただいています。
近日中に詳しいメニューをアップしますが、早く受けたい方は「 お問合せフォーム 」よりご連絡ください。
日程調整いたします(直近では8日(日)12時~20時の間でしたら、可能です)。




    愛と感謝をこめて



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by ramram-yoga | 2017-10-02 17:36 | 最近のいろんなこと
土地の神様にご挨拶
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今日も、美しい日ですね。


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先日、引っ越し先の山崎に用事があり、ついでに周辺を散策していたら、新居から徒歩数分のところに辻井米穀店というお米屋さんを発見。
店内でランチもやっていて、ちょうどお昼だったのでフラッと立ち寄りました。

お米屋さんの美味しい塩おむすびと、手作りの優しい味のランチ。
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また是非、ヨーガのレッスンにきてくださる生徒さんと一緒に行こう♪
と、楽しみは増えるばかりです。



それにしても不思議なのですが、なんともこの土地はしっくりきます。
帰りに、土地の神様が祭られている離宮八幡宮にお詣りしました。

参拝すると、すーっと風が吹いて、本堂の奥に気配を感じました。
この神社でまつられている神様は、大山津見神(オオヤマツミノカミ)という、山と海を司る神様のようです。
この土地に移り住むのを、歓迎してくださっているのが分かりました。
どうやら、今回の引っ越しは、この神様に招かれたようです。

そして、これから私のヨーガクラスにきてくださる方も、この大山津見神様とご縁があるようですよ。
あ、私かも?!と思ったそこのあなた。
きっと、ご縁があります^^
是非、あなたの思ったタイミングで、お越しくださいね。
「無理なく自然に」とか「引き寄せられるように」、こういった感覚を、大切にしてください。
この土地に人が集い、質の高いバイブレーションを発していくことが、とても意味のあることのようです。

そして、これからは、人と人とのつながりが、大切になってくると思っています。
一人でがんばるとか、人より抜きんでる、というのではなく、ひとりひとりそれぞれが、自分の持ち場でその人にしかできないことをやっていく。

また、進化や成長というのは、ひとりでがんばるより、2人、3人、そしてみんなで行っていくと、スピードが格段に増していきます。
しかも、義務感とか恐れからではなく、楽しくわくわくしながら、持ちつ持たれつしつつ、お互いに切磋琢磨しあっていく。

そんなことを、これからやっていきたいと思っています^^




10月から始まる新しいクラスのご案内は、こちら。






あなたの感性に合えば、こちらも読んでみてくださいね^^



愛をこめて







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by ramram-yoga | 2017-09-14 09:41 | 最近のいろんなこと
今日の午後は、いつになく波長が細かくなって、花や木々といつもより深く交流することができました。

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昨日道端でであったお花。
いかがでしょう、この麗しい横顔。
カメラ(携帯のです)を向けると、なんとポージングしてくれたのです…!


こちらのお花も。
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花は、その名の通り華があって、見られることに慣れています。
注目され、愛でられることが、彼女たちの歓びのようです。

こうやって、自分が波長を繊細にしていくと、声なき声が、いろいろと聞こえてくる。
もっとたくさんのものと、お話してみたいです。






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by ramram-yoga | 2017-08-30 20:43 | 最近のいろんなこと
意識の受動仮説
これは、面白いです。

意思決定や行動は、「私」がやっていると思い込んでしまっていますが、実はそれは違うのだというお話。

意思決定し、行動を起こす主体は、意識的な私ではなく、無意識領域である…。



*****

今日は1日、文献の山に埋もれながら論文を書いていました。

いつもなら途中から頭が重~くなるところですが…

この受動仮説のように、「私がやるんじゃなくて、頭の中の小人さんがやってくれる」という考えでやると、とても効率よくはかどりました^^






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by ramram-yoga | 2017-07-25 16:51 | 最近のいろんなこと