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カテゴリ:ことば・メッセージ( 65 )
なつひさお
前回の記事でご紹介した「治りませんように」という本の中でもうひとつ、とても面白いと思ったのが「なつひさお」という考え方です。

「なつひさお」というのは、べてるの家の当事者の方が作った言葉です。

これは何を意味している言葉なのかというと、たとえば幻聴がひどいとか、自殺願望がムクムクとわいてきたときとか、破壊行為や自傷行為の衝動がやってくる、そんな時、その人は以下のような「なつひさお」の状態がきっかけになっていることが実は多いのではないかということ。


a0118928_932864.jpg

な・・・悩みがあるとき

つ・・・疲れてるとき

ひ・・・暇なとき

さ・・・寂しいとき

お・・・お腹がすいてるとき

  お薬を飲んでないとき

  お金が無いとき







なんだかとってもささいなことなんだけれど、「お腹が空いた」という体の状態を意識できなかったり、寂しさを口に出せなかったりと、要するに自分の体や感情の変化をしっかり認識できていなかったり言葉で表現できなかったりした時に、その代替としてアルコールに手が伸びたり破壊的な行為をしてしまったり「行動化」する、ということだそうです。


ヨーガ療法でも、心身症の特徴である、自分の身体感覚に鈍い「失体感」自分の気持ちがわからない「失感情・失言語化」へのアプローチを行なっていくわけですが、本当に自分のことって案外ぜんぜんわかってない。

なんか、やけ食いしたい気分・・・とか
イライラする、なぜか嫌なことばっかり考えてしまう時って、ただ単に疲れている時だったり、単に暇だったりとか。
私もよくあります。

でも、やけ食いしたって、イライラして人に当たったって、一時的には発散になるのかもしれないけれど、またストレスを溜め込んでしまう発散の仕方なので、やっぱりもうちょっと前向きな対処法をしていきたいなぁと思う今日このごろ。

そんな時にこの「なつひさお」の考え方はタイムリーでした。



(写真は昨日行った倉敷の酒津公園にて。
 アヒルさん2匹が座っておしゃべりしていました。
 カップルかなとも思いましたが、雰囲気が井戸端会議をしているおばちゃん同士って感じで、
 しばらくすると連れ立っておしゃべりしながら行ってしまいました。)



sachie
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by ramram-yoga | 2011-08-18 09:53 | ことば・メッセージ | Comments(0)
祈りとは
新約聖書を日本人に分かりやすいように岩手県気仙地方の方言で翻訳された「ケセン語訳新約聖書」の執筆者である山浦玄嗣(やまうらはるつぐ)さんが、先日NHKのこころの時代に出演され、東日本大震災の体験を踏まえてイエス・キリストの教えをお話されていました。


a0118928_17451061.jpg*****************

聖書に用いられる“祈り”には、“神様の声を聞く”という意味がある。

どのようにすれば神様の意思に添うことができるのか神様に耳を傾け聞こうとすること、それが祈りである。

では、神様の声とはどのような形で顕れているのかというと、わたし達の身の回りの環境として顕れている。

神様がわたし達に何を求めているのかというのは、自分の身の回りの環境を見れば分かる。

******************

というようなことを言われていました。

そして東北関東大震災が起こり、医師でもある山浦さんが神様の声に耳を傾けて行った行動とは、「寒さに震えながら処方箋を書くこと」。
つまり、その時医師として尽くすべきつとめをただただ行ったのだそうです。


とても印象に残ったお話でした。

ヨーガでも行為の仕方として、今与えられた環境の中で最善を尽くすこと、今いる場所で必要とされる人になること、という風に教えているので、重なるものを感じました。


私の今やるべきことは、赤ちゃんのお世話。
毎日毎日、オムツを替えて、沐浴をして、おっぱいをあげる。
家族が気持ちよく過ごせるように、家の中を綺麗にして、洗濯をして、食事を作って、そして明るい気持ちでいること。
そんな日々のことを心をこめてやっていきたいなぁと、改めて思わせてくれました。



sachie
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by ramram-yoga | 2011-07-31 17:48 | ことば・メッセージ | Comments(2)
ram-ram 2周年
2年前の今日、ram-ramのヨーガクラスが始まりました。
そして偶然にも私の誕生日、思いがけぬプレゼントとなりました。

1人の生徒さんから、始まりました。
その生徒さんは、2年経った今も、クラスに通い続けてくださっています。
レッスンに通ってくださっている方とは、深いご縁を感じています。

それまで大した経験も無く、1からのスタートで不安と緊張で胸がいっぱいだった当初、いつも下の言葉をお祈りをしていました。


a0118928_2156698.jpg********

神様、
私は成功も失敗も欲しません
成功や失敗は
全てあなたのものですから
私はこの行為を
あなたへの奉仕として捧げます
しかし私はこの行為を精一杯行い
最善を尽くしてやり遂げます
どうか私を正しい方向へと導き
全ての束縛から解放してください

 スワミ・ヴィラジェシュワラ著
 『科学で解くバガヴァッドギーター』より

********


それまで全てを自分の力でなんとかしようと思っていた私が、
自分をあけわたして委ねることの大切さ、たくさんの人たちに支えられて自分がいることを学んだ2年間でもありました。

4月からは順次、出産に向けてクラスをお休みすることになりますが、これからも長い目で活動を続けていきたいと思います。



(お誕生日プレゼントにいただいたろうそくをともして)


sachie
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by ramram-yoga | 2011-03-17 22:24 | ことば・メッセージ | Comments(2)
自分に光を与えてくれる人
前回の記事に続きますが、ヨーガにおける苦行が教えているのは、一見自分にとって不都合な出来事や障害と思えることでも、後になってみれば自分を成長させてくれる貴重なチャンスだったりすることもある、ということでもあると思います。

 起こってくることは、全てニュートラルである  

これは、文学博士でもありクリスチャンでもある鈴木秀子さんの言葉ですが、よく思い出す好きな言葉です。

起こってくる出来事に対して、「いい・悪い」とか、「好き・嫌い」とかいうのは、その人の置かれている立場によって違うし、時間が経過するとまた違ってきたりします。

例えば、誰かに耳の痛い、いや~なことを言われたとしても、それが後になってみれば自分の役に立っていたり・・。

a0118928_2241437.jpg私は先日、ある人からキツーい一言を言われて丸2日間落ち込んでいました。

自分が一番言われたくないような種類のことを、鋭く見抜かれてバサっと言われてしまいました。

その後もしばらくの間、その人から言われた言葉を思い出しては暗い気持ちになっていたのですが、その時同時に思ったのは、「自分は欲張りだなぁ」ということでした。

相手の人からこう見られたい、とか、自分はこうであるはずだとか、そういう思いが強いから何か言われると傷ついたり反発心がわいたりするんですよね。

誰かから嫌なことを言われたり、文句を言われたりすると、いつも思い出すお師匠様(スワミ・ヨーゲシヴァラナンダ大師)の教えがあります。

自分の悪口を言う人がいたら、自分の家の敷地内に家を建てて、そこに住まわせなさい。
なぜなら、その人は自分の欠点を教えてくれる、いわば自分に光を与えてくれる人だからです。
  


というような教えです。
誰かに何かを指摘されて落ち込んだとき、いつもこの教えを思い出します。
思い出すたび、前向きな、優しい気持ちになります。
もちろん、すぐにそうは思えないことも、よくありますけどね・・・。


sachie
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by ramram-yoga | 2011-02-11 22:42 | ことば・メッセージ | Comments(2)
もう眠るな 心よ

迷妄(マーヤー)の暗黒(くらみ)にいつまで眠っているのか

a0118928_103871.jpgお前は誰で なぜこの世に来たのか

真実(ほんと)の自分を忘れているね

さあ、目をはっきり開けて

悪い夢から覚めなさい

矢のように流れ去るはかないものにしがみつかずに

永遠のいのちの喜びを味わいなさい

悲苦の闇夜(やみよ)からぬけだして

輝く太陽を仰ぎなさい


            ラーマクリシュナ 
              「不滅の言葉(コタムリト)」より





今日、ある人からプレゼントしてもらった素敵な言葉です。



sachie
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by ramram-yoga | 2011-01-12 23:59 | ことば・メッセージ | Comments(4)
私たちの人生はすべて行である
a0118928_0331599.jpg昨日の深夜TVの、塩沼亮潤さんと堂本剛さんの対談、よかったです。

堂本さんの等身大の、本心の言葉も、初めて聞いたような気がします。

それにしても塩沼さん、行に没頭するあまり気がついたら厄年を過ぎていて、恋なんてものを一度もしたこともしたいと思ったこともないそうです・・・。


それほどまでに、求める心をお持ちだったんですね。
すごいなぁ・・・。
でもお話を聞いていると、一般の人々の心のひだの隅々に行き届くような、人間理解の深さ。
そして優しい方だなぁと思いました。



私はといえば最近、内観の本(吉本伊信著「内観への招待」)を読んでいるのも手伝って、自分の欲深さがこれでもかというほど見えて少々うんざりしているところです(笑)

ただ、あれこれ理由付けしてごまかすことが少なくなったので、それはちょっと成長したかな?

目をそらさないで、誰かのせいにしないで、ただ、ありのままの自分を「みる」「受け止める」ことは、しんどい時でもやっていきたいなぁと思う今日このごろ。
いや、しんどいからこそ見つめることが必要、なのかな。

さて、最後に大阿闍梨・塩沼さんの言葉をご紹介します。
それと、塩沼さんのご著書「人生生涯小僧のこころ」も、とても読みやすくておすすめです。
       



(以下、致知出版社の「人間力メルマガ」【2010/9/25】より)
────────────────────────────────────
 

           塩沼亮潤(慈眼寺住職)
        『致知』2007年6月号 特集「切に生きる」より
       


行とは何かと考えた時、もちろん、ある一定期間の厳しい修行をすることも行ですが、
「私たちの人生はすべて行である」
ということもできると思うんです。

我々は坐っている時(坐禅)は呼吸をとても大切にしますが、人生すべてが行だとすると、お茶を飲んでいる時でも、ご飯をつくっている時でも、その一呼吸一呼吸を大切にできるんです。

ですから最近は、一瞬一瞬を大切に真剣に生きていきたいという方向に少しずつ変わってまいりました。


  * * * 

人間は雨を降らすこともできなければ、風を吹かせることもできない。

与えられた環境の中で辛いこと、苦しいこと、寂しいこと、いろいろありますが、それに共感しながら生きていくことが大切なのだと思いました。

また、若い時には人間はなんて不平等なんだと思ったこともありました。

幸せな人もいれば、不幸せな人もいる。

そういう悩みを抱きながら山を歩いていた時、目の前でタンポポの穂種が突風に吹かれて飛んでいったのです。

ああ、そうか! 山に落ちる種もあれば、アスファルトに落ちる種もある。
水溜まりに落ちる種もあります。

人間もそうだ、タンポポと同じなんだなと思いました。

自分の生まれたところがどんな場所であっても、いまいる場所がどんな環境であっても、そこで精いっぱい花を咲かせることが人生なのですね。

与えられた環境の中で精いっぱい生かさせていただく。

そして朝「きょうもよろしくお願いします」と手を合わせ、一日何事もなかったら「ありがとうございました」と感謝して生きることが大事だと感じました。

──────────────────────────────────── 

おっと!
今日は夜更かしをしてしまいました。

それでは、おやすみなさい。


sachie
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by ramram-yoga | 2010-09-26 00:26 | ことば・メッセージ | Comments(4)
お盆に、祖母を偲んで
a0118928_19205049.jpg大好きだった祖母が亡くなってから、1年半が経ちました。

お盆のせいか、最近祖母のことをよく思い出します。

優しくて温かくて、いつも「さっちゃん」と、にこにこと笑顔で抱きしめてくれていた祖母が、晩年には意識障害のために、私の顔を見ても以前のような笑顔を見せてくれることは無くなりました。

ほっそりと痩せて小さくなった祖母が、苦しそうな息をしながらベットに横たわっている映像がふと、蘇えりました。

目の前にいる、以前とまったく変わってしまった祖母を、今思えば受け入れられずにいたような気がします。

私の中の祖母は長いこと、元気だった頃のままでした。
でも、今は、晩年の苦しそうだった祖母の姿を思い出しても、悲しくはなりません。

祖母の亡くなった後は、どうしようもない悲しみに耐えられそうにありませんでした。
でも、今は、悲しくはありません。

祖母の本質は、あの肉体ではなかったのだ、と思うようになりました。

いつでも、祖母は私のそばにいてくれている。
私がそちらにこころを開きさえすれば・・・。
そんな風に感じています。


先日学んだ、ヴェーダンタの講義の中で、講師の村井さんが宇宙に偏在するブラフマンの概念について、分かりやすい詩を見せてくださいました。


私は、いつも、あなたのそばにいます。

あなたは、私を必要としていますか?
私は、そこにいます。

あなたに私がみえなくとも、私は、あなたが見ている光そのものです。

あなたに、私の声が聞こえなくとも、私は、あなたの言葉を通して、話しています。

あなたは、私に触れることができなくとも、私は、あなたの手を動かす力なのです。

私は、常に働いていますが、あなたは、私の行為を知らないでしょう。

私は、美しい姿、素晴らしい形をしているわけでもなく、いかなる秘密めいたものでもありません。

完全なる静けさの中、あなたが、自分自身を忘れる時、私の存在がはっきりと解るでしょう。

でも、それは、信仰と信頼によってのみ可能となります。

私は、そこにいます。
あなたが、私を必要とするところに。

あなたは、私なんてそこにいないと言うかもしれません。
でも、私は、そこにいます。

あなたが、よそよそしい態度でいても、私は、必ずそこにいます。

あなたが恐怖の中にあるとき、私は、あなたの友として見守っています。

あなたが、痛みで苦しんでいるとき、私は、決してあなたの手を離したりはしません。

あなたが、私に祈っても、祈らなくても、私はいつもそばにいます。

あなたには、私への確信がないかも知れません。

でも、私のあなたへの信頼はゆるぎません。

なぜなら私は、あなたをとてもよく知っているからです。

私はあなたを一番大切に思っています。

ああ!最愛の人よ、私は、ずっと、あなたと一緒です。





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by ramram-yoga | 2010-08-16 19:12 | ことば・メッセージ | Comments(2)
“宗教的であること” と “実際の生活”
先日、NHK「こころの時代」に宋吉寺前住職の西川玄苔さんが出演され、お話しされていた内容がとても心に残りました。

a0118928_2211597.jpg西川さんは、エゴ(我)をどうしたら無くすことができるのか、若い頃とても悩まれたのだそうです。

例えば戦時中で飢えていた時、目の前に出されたお米に思わず我先にと手を伸ばした自分に気づいたとき。
教師の頃、表向きは平等に接していたが、心の中では選り好みをしていた自分に気づいたとき。

どれだけ座禅で無我の境地に達しても、世俗的な生活に戻るとエゴが頭を出してくることに、愕然としたそうです。

そのことに気づいたときから、“宗教的であること”と“実際の生活”とを、どのようにしたら調和させて生きていくことができるのかを、考えるようになられたのだそうです。

そこでたどり着いたのは「大事なことはエゴを無くすことではない。エゴを自覚することだ」ということ。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

自分の中にあるエゴを取り去って、心を浄化したい。
尊い存在や清らかさに強く焦がれて、そこに心を合わせようとした時に初めて、それまで見えていなかった自分の身勝手さや浅ましさが見えてくるもの、なのだと思います。

しかし、そこで落胆して立ち止まってしまわず、エゴの発見を第一歩として、世俗的な世界と調和しながら心を清めていく。
そんな生き方が出来るのだと思わせてくれたのは、西川さんの言葉だけではなく、86歳でありながら少年のように輝いている瞳や、神々しささえ感じさせるようなお姿だったのだと思います。

一丁前に悩んだり問いを抱えているつもりの私なんて、まだまだひよっこなんだな~という気がしてきました・・・^^


(写真は、昨日登った剣尾山の山道で出逢ったお地蔵様です。)


sachie
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by ramram-yoga | 2010-02-08 22:11 | ことば・メッセージ | Comments(0)
今日のことば
a0118928_946456.jpg

生きていると

いうことは

愛されていると

いうことだ



    致知出版社
      日めくり小さな人生論カレンダーより




自宅においてあるカレンダーの、今日の言葉です。
日々生かされている、そんな当たり前のことに感謝しながら、今日も一日過ごしたいと思います^^


sachie
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by ramram-yoga | 2010-01-13 09:51 | ことば・メッセージ | Comments(0)
美しさの背後に
a0118928_23414092.jpg今日は神戸のインド料理屋さんで、ヨーガ仲間との忘年会がありました。
楽しい時間のあと、みんなで近くの神戸ルミナリエへ。
美しいイルミネーションに、時間を忘れて見入っていました。

光にはきっと、人を魅了する特別な何かがあるんですね。


‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

その他にも、たとえば花を見たとき。
空を見上げたとき。
月を見たとき。
それらを美しいと感じさせているものは何なのだろう、と思います。


すこしでもよろこびのあるところにはかならず、
たとえもっとも官能的なものの中であっても、
そこには主おんみずからであるところの、
かの不滅の至福のひらめきがある


これは、最近読んだ本の中に書いてあった言葉で、とても素敵だなと思いました。

何かを美しいと感じたり、魅了されたりしたとき、私たちを実際に惹きつけているのは、ある形に配列された一にぎりの物質分子、なのではない。
それらの物質分子の背後にある、何か大いなる計らい、それに魅了されひきつけられているのである。

ある時、美しい花を見て思わず我を忘れ、その花とこのままひとつになってしまいたい、と思ったことがありました。
そのことを先生に話すと、先生は私に、その気持ちをしっかりと客観視するように、とアドバイスをくださいました。
そして「またひとつになっていくんだよ」と、にこにこしながらおっしゃいました。

すべての、この世の小さな利己的なしがみつきから、自分をおはなしなさい。
人間を、あなたのすべての人間的およびもっと高い関心事の中心、と見てはいけません。
一人の目撃者として、まなぶものとして立ち、自然の現象を観察なさい。
単に目撃者として、またまなぶ者としてそれのそとがわにいるときには、そこに、神が愛としてみずからをあらわしておられる数百万の通路を、見ることができるでしょう。


スワミ・ヴィヴェーカナンダ「バクティ・ヨーガ」より


sachie
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by ramram-yoga | 2009-12-12 00:45 | ことば・メッセージ | Comments(4)