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カテゴリ:ことば・メッセージ( 65 )
自分を助けている
私は、思い違いをしていたようです。
しばらくの間、忘れてしまっていました。
私がヨーガを教えることによって助けていたのは、習いに来てくださる人たちではなく、私自身だったのだということに。

来春の大学院進学で、現在行なっているクラスが継続できなくなり、他のインストラクターに引き継いでもらう旨を、会員の皆様にお伝えしました。
お伝えしてはじめて、クラスを去ることをとってもさびしく思っている自分に、気づきました。
そして、必要とされることで、どれだけ自分が救われていたか、にも。
来春からも、今のように毎週はできないかもしれませんが、一般の方に通っていただけるクラスを、どうにかして継続していきたいと思います。

ヨーガをする場には、現在生きてその場に集っている人だけでなく、今は亡き歴代のヨーガ行者の方々の魂が息づいているのを、感じます。
自分の力量や意思とは無関係の力が、ヨーガをしている場には働きます。
そして、現在の生徒さんたちとのご縁も、歴代のヨーガ行者の方々に頂いたものだったのでした。
大切に大切に、つないでいきたいと思います。


あぁ、しばらくの間、本当に忘れてしまっていました・・・!
奉仕とは、他人を助けているのではなく、自分自身を助けているのだということを。


大好きな「カルマ・ヨーガ(働きのヨーガ)」を読み返しました。


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『われわれは、自分を助けているのであって 世間を助けているのではない』

・・・しかしよく考えてみると、この世は決してわれわれの助けなどを必要とはしていない、ということがよくわかります。
この世界は、みなさんが私が来て助けなければならないように、できてはいないのです。

長い間には、他者を助けるのは自分自身を助けているにすぎないのだ、ということが分かってくるでしょう。
高い台にのって手に5セントを持ち、「これ、貧しい人よ」と呼びかけるようなことはなさるな。
貧しい人がそこにいるおかげで、彼にものを与えることによって私は自分を救うことができるのだ、と思って感謝なさい。
恵まれているのは貰う人ではなくて与える人なのです。
自分がこの世で慈悲の力を行使することを許され、それによって、純粋に完全になることができるのを、有難く思いなさい・・・

                                         スワミ・ヴィヴェーカナンダ 『カルマ・ヨーガ』 より



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by ramram-yoga | 2013-12-26 23:09 | ことば・メッセージ | Comments(0)
大地性




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天日(てんじつ)は有難いに相違ない。
またこれなくては生命はない。
生命はみな天をさしている。
が、根はどうしても大地におろさねばならぬ。
大地に係わりのない生命は、本当の意味で生きていない。
天は畏るべきだが、大地は親しむべく愛すべきである。
大地はいくら踏んでも怒らぬ。
生れるも大地からだ。
死ねば固よりそこに帰る。
天はどうしても仰がねばならぬ。
自分を引取ってはくれぬ。
天は遠い、地は近い。
大地はどうしても母である、愛の大地である。
これほど具体的なものはない。
宗教は実にこの具体的なものからでないと発生しない。
霊性の奥の院は、実に大地の座に在る。

大地は詐(いつわ)らぬ、欺かぬ、またごまかされぬ。
人間の心を正直に映しかえす鏡の人面を照らすが如くである。
大地はまた急がぬ。
春の次でなければ夏の来ぬことを知っている。

人間は、天に対しては絶対的に受動的である。
天は畏るべきほどに、愛せられぬ。
人間は、天に対して懾服(しょうふく)を知るのみである。
もし天の愛に親しみ得られることがあるとすれば、それは大地を通してである。
大地と共にその恵を受ける時に、天日はこの身、この一個の人間の外に出て、その愛の平等性を肯定する。
本当の愛は、個人的なる者の奥に、我も人もというところがなくてはいけない。
ここに宗教がある、霊性の生活がある。
天日だけでは、宗教意識は呼びさまされぬ、大地を通さねばならぬ。

霊性と言うといかにも観念的な影の薄い化物のようなものに考えられるかも知れぬが、これほど大地に深く根をおろしているものはない、霊性は生命だからである。
大地と自分とは一つのものである。
大地の底は、自分の存在の底である。


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                          鈴木大拙著「日本的霊性」より







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by ramram-yoga | 2013-12-20 22:39 | ことば・メッセージ | Comments(0)
本日ただいま誕生
終戦後のシベリアで凍傷にかかり両足を切断し、絶望のどん底から義足で托鉢行脚を始めた「足無し禅師」、小澤道雄師。
師のご著書である「本日ただいま誕生」を読み、こんな人生を送る人がいるのだと、そのあまりにも壮絶な内容にただただ驚き、運命の不思議さと宿命の厳しさというものを感じました。

27歳で人生のどん底を体験し、自分は仏に見捨てられた、もう祈るのはやめようと決意した時、心の底からひらめきに似た思いがわきあがってきたのだそうです。


 ****

 苦しみの原因は比べることにある。
 比べる心のもとは27年前に生まれたということだ。
 27年前に生まれたということをやめにして、今日生まれたことにするのだ。
 両足切断したまま今日生まれたのだ。
 今日生まれたものには一切がまっさらなのだ。

 ****


そんな師は、後に妻となった小澤道仙さんによると、まるで達磨(だるま)さんか布袋さんのような風貌をし、いつも穏やかな微笑みを絶やさず、縁ある人たちのために尽くした方だったそうです。
そして、以下のような信条を心にとめておられたとのこと。


 1.微笑を絶やさない
 2.人の話を素直に聞こう
 3.親切にしよう
 4.絶対、怒らない


とてもシンプルなように見えて、これを徹底するのはきっと、相当大変なこと。
中でも、怒らないということ。
私の最近のテーマでもあります。
今年の締めくくりにふさわしい本に、出合わせていただきました。

この本を読んでから、「本日ただいま誕生」という言葉、私も時々朝に声に出して言います。
よし、自分はこういう風に生きていこうと決めた瞬間から、新たに生まれ変わることができるのだと思います。
「どうせ自分は○○だから」とか、「~~と言われたからダメだ」と、知らず知らずのうちに、自己イメージで自分を縛り付けてしまいがちですが、本来の自分はきっと、そのようなイメージから全く自由になることができる。
大好きな言葉のひとつになりました。

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by ramram-yoga | 2013-12-13 23:41 | ことば・メッセージ | Comments(0)
美しいものを通して真理に至る
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真理との関係において美を語りますと、美は一面において真理の結果であるとともに他面、それは真理への道でもあります。
美が真理への道であるとは、私達は「美しいものを通して真理に至る」ということです。


では、「美は真理の結果である」とは、どういうことなのか。
それは、真理こそ、何ものにも優って美しいものであると言うことです。
美は真理の上に咲く花です。
真理が深まるほど、美も一層美しさを増します。


a0118928_20213714.jpg美というものは、単に対象の事物にあるのではなく、それを眺める人の心にあるのです。

魂の深さが、普通の人には平凡と見えるものにも美を見出させるのです。

一つのものを美しいと感じるか、否かは、それを見る人がどれだけ深く人生を眺め、どれだけ深く存在に触れているかにかかっています。



真理は非合理性をも含むものであるように、深い美は醜いものの奥にも見出されます。

すべては、見る人の魂の問題であり、その人がどれだけ深く存在の根源に触れているかにあります。
ほんとうの存在をとらえることは、最高の美を発見することです。

その意味において、真理への意志は同時に美しいものへの憧憬(あこがれ)でもあると考えられるのであります。


                      澤瀉久敬著「哲学と科学」より

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by ramram-yoga | 2013-04-04 20:13 | ことば・メッセージ | Comments(0)
霊性の修行
一昨日、車を買い替えました。
学生時代から約10年ずっとお世話になっていたマーチの“マチ子ちゃん”と別れを惜しみました。
そして、思いました。
形あるものはすべて変化していくし、物事にはいつか必ず終わりが来るんだな、と。

ヨーガの言葉でいうと、この世界はすべてマーヤー(まぼろし)。
諸行無常であり、本質ではない。
でも、その真実はとても巧妙に隠されている。
あたかもリアルなものがリアルでなく、リアルでないものがあたかもリアルであるかのような錯覚に陥ってしまう。

その状態から、目覚めていたい。
と、強く思います。

先日ある人からもらったメッセージを。


***********

a0118928_2148786.jpg私たちは何のために生きているのか。
その問いを毎日自分に問いかけること。
人間はすぐに、本当にすぐに、忘れてしまうから。

この体も、家族も、与えられた仕事も、
人からの賞賛も、
何もかもすべておいて、
たった一人で、
この世から旅立っていかなければならない。

その時に持っていけるものは、
この魂だけ。

どんな風に磨いて、
どれほど高めて持っていけるか。

ただそれだけが日々問われているのではないか。

大きな私が、私の中にはっきりと存在している。
そこに向けて瞑想しよう。
繰り返し繰り返し。
そうしないと、すぐに足元をすくわれてしまう。
それほどに、目に映るこの世界の引力は強いから。

何度つまづいても、
どこまでも、やっていこう。

霊性の修行を。

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by ramram-yoga | 2012-10-01 22:03 | ことば・メッセージ | Comments(0)
すべてのことは
a0118928_22204295.jpg自分にはすべてが与えられている、

すべてのことは自分が何かを学び、

深まるために起こると自覚して、

いまを尊く生きる

   作家・臨済宗僧侶 玄侑宗久
   致知出版社「明日をひらく言葉」より



トイレに置いてある日めくりカレンダーの、今日の言葉です。
とっても好きな言葉です。
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by ramram-yoga | 2012-09-18 21:08 | ことば・メッセージ | Comments(0)
かみそりの刃の上を渡るが如く
今日はのヨーガ療法の研修に行ってきました。
以下、講話より。

**********

辛いときやしんどいとさは必ず、自分が何かに対して意味づけをしているところから生まれる。
その意味付けは、「~~であるべき」「○○ねばならない」といった執着・こだわりから生まれる。
ヨーガのアーサナによる「今ここ」に集中する状態(マインドフルネス)では、放っておけばどんどん膨らんでいく自分の考えを断ち切り、意識をコントロールすることができる。


**********

本当に心って、ちょっと油断するとすぐにあちこちに動き回ります。
改めて自分のそんな心の状態に気付かされ、驚いてしまった今日の研修でした。
それにしても、感覚器官の対象物や迷妄の力の大きいこと。
ともすればすぐに引きずり込まれて身動きがとれなくなってしまいます。

それらに屈せず自己制御の道を進むことは「かみそりの刃の上を渡るが如く」難しい。
日々の練習の積み重ねなくしては前進できないのですね。


常に心に制御が効かず、識別を持たぬ者は、御者の荒馬に似た自らの感覚を統御できない。
然るに心が常に制御され、正しく識別する者は、御者の両馬に似て自らの感覚を統御できる。
正しい識別を失い、思慮に欠け、常に不浄な者は決して目的に至ることがなく、生死の輪廻に巻き込まれていく。
しかし識別の知性を持ち、常に清らかで制御された心をもつ者は目的の地へと到達し、再び生まれ変わることはない。
識別の知性を御者とし、よく統御された心を手綱とする者は、旅路の終わり-偏在する霊の至高体験-に至る。

          スワミ・ヤティシュワラーナンダ「瞑想と霊性の生活1」より

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by ramram-yoga | 2012-09-14 21:51 | ことば・メッセージ | Comments(0)
こどもの日に
 一、父母はその子供のおのずからなる敬愛の的であることを本義とする。

 二、家庭は人間教育の素地である。
   子供の正しい徳性とよい習慣を養うことが、学校に入れる前の大切な問題である。

 三、父母はその子供の為に、学校に限らず、良き師・良き友を択(えら)んで、これに就けることを心掛けねばならぬ。

 四、父母は随時祖宗(そそう)の祭を行い、子供に永遠の生命に参ずることを知らせる心掛けが大切である。

 五、父母は物質的・功利的な欲望や成功の話に過度の関心を示さず、親戚交友の陰口を慎み、淡々(たんたん)として、専(もっぱ)ら平和と勤勉の家風を作らねばならぬ。

 六、父母は子供の持つ諸種の能力に注意し、特にその隠れた特質を発見し、啓発(けいはつ)することに努めねばならぬ。
 

 七、人生万事、喜怒哀楽の中に存する。
   父母は常に家庭に在って最も感情の陶冶(とうや)を重んぜねばならぬ。

 
        『安岡正篤一日一言』より(致知出版社刊)  



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a0118928_2158897.jpg息子は初節句を迎えました。

親としての自分について考えた時に、本当に足りないところだらけだなぁと、つくづく思います。

先日受講したアドラー心理学の講座で、先生がおっしゃっていました。

「人には皆、幸せになるポテンシャルがあります。
 だから、別に完璧な親じゃなくていいんですよ。
 そこそこの親の元で、子どもは幸せに育っていくんです。」


これを聞いて、少し肩の荷が下りたような気がしました。


ただ、精一杯親としての努力はしていこう。
小さい子どもにとって親は世界であり、すべてなのだから・・・。

安岡先生の言葉、特に五番と七番が心に響きました。




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by ramram-yoga | 2012-05-05 22:04 | ことば・メッセージ | Comments(0)
意識あるもの、意識なきもの
最近毎日音読している「真理への解放」(スワミ・チダナンダ著)に、特に印象に残った部分があったので要約して書き留めておきます。


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意識があるということは力を持つということであり、意識がないとは力がないことを意味する。
例えばわたし達は山というものを知覚するが、山はというとわたし達をそのようには知覚することはできない。

わたし達は、考える力、推理する力、識別し、探求し、比較し、対比し、分析し、理解し、選択し、拒否する力も持ち合わせている。
わたし達はまた、「何が自分を束縛し、何が自分を自由にさせるか、何が自分にとって有害で、何が自分にとって有益か」ということを理解する力も持ち合わせているる。
これらの力を持てるのも、わたし達が意識あるものだからである。

a0118928_1773990.jpgだから、わたし達の方が意識なきものに力を与えているのだ。

例えば、タバコというものは意識なきものである。

それは植物の葉であり、タバコの葉自体は何事かを成すわけではない。

わたし達こそが自分とそのタバコの葉との間で、あまり賢くない仕方で、誤った仕方で、屈服するような仕方で、そのタバコの葉に関係し始めてしまう。

こうなるとそのタバコの葉は、わたし達にとってやっかいなものとなり、束縛となり、脅かしとなり、危険で、破壊的なものとなってくる。

だから、わたし達がこれらの事物と、どれほど智慧を欠き、又は、どれほど愚かに関係を持つか、その程度によって、それらの事物がわたし達に危害を及ぼしてくる程度が決まってくるのだ。
そうした外界の事物は、それ自体では何もできかねるもの。
タバコ、酒、賭博、麻薬、金銭、悪友、その他わたし達の身の回りにある全てが、わたし達に襲いかかるわけではなく、わたし達につきまとったり、わたし達に対して悪意のある意図を持っているわけではない。
わたし達こそが、そうした事物に力を与えてしまっているのだ。

ですから、賢くありなさい。
そして、あなた方とまわりのすべての事物を、あなた方自身とまわりの大宇宙とに関しての核心となる事実を、よく理解しておきなさい。




(写真は、チベット・パルヤンにて)


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by ramram-yoga | 2011-09-04 17:09 | ことば・メッセージ | Comments(2)
光の道へ
『知覚されるものが何であれ、それはまさしく滅びゆく。

 それゆえにこそ永遠なるものを求めなさい。

 斯くなる永遠なるものを求める者は、

 まばゆく輝く太陽の如くに光り輝き、

 あらゆる闇を乗り越え、

 
 その大いなる永遠存在の境地である不死の境地にたどり着く。』


                           (スワミ・チダナンダ「真理への解放」より)


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私たちの内にあって真理を求める探究心が、

感覚器官のからのどよめきや、低次元の性質や、

感覚器官が求める粗暴で不快な要求の数々にかき消されることなく

心にともり続けますように。

どうぞこの努力が、導かれますように。


AUM



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by ramram-yoga | 2011-08-30 19:10 | ことば・メッセージ | Comments(0)