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カテゴリ:ことば・メッセージ( 49 )
かみそりの刃の上を渡るが如く
今日はのヨーガ療法の研修に行ってきました。
以下、講話より。

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辛いときやしんどいとさは必ず、自分が何かに対して意味づけをしているところから生まれる。
その意味付けは、「~~であるべき」「○○ねばならない」といった執着・こだわりから生まれる。
ヨーガのアーサナによる「今ここ」に集中する状態(マインドフルネス)では、放っておけばどんどん膨らんでいく自分の考えを断ち切り、意識をコントロールすることができる。


**********

本当に心って、ちょっと油断するとすぐにあちこちに動き回ります。
改めて自分のそんな心の状態に気付かされ、驚いてしまった今日の研修でした。
それにしても、感覚器官の対象物や迷妄の力の大きいこと。
ともすればすぐに引きずり込まれて身動きがとれなくなってしまいます。

それらに屈せず自己制御の道を進むことは「かみそりの刃の上を渡るが如く」難しい。
日々の練習の積み重ねなくしては前進できないのですね。


常に心に制御が効かず、識別を持たぬ者は、御者の荒馬に似た自らの感覚を統御できない。
然るに心が常に制御され、正しく識別する者は、御者の両馬に似て自らの感覚を統御できる。
正しい識別を失い、思慮に欠け、常に不浄な者は決して目的に至ることがなく、生死の輪廻に巻き込まれていく。
しかし識別の知性を持ち、常に清らかで制御された心をもつ者は目的の地へと到達し、再び生まれ変わることはない。
識別の知性を御者とし、よく統御された心を手綱とする者は、旅路の終わり-偏在する霊の至高体験-に至る。

          スワミ・ヤティシュワラーナンダ「瞑想と霊性の生活1」より

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by ramram-yoga | 2012-09-14 21:51 | ことば・メッセージ | Comments(0)
こどもの日に
 一、父母はその子供のおのずからなる敬愛の的であることを本義とする。

 二、家庭は人間教育の素地である。
   子供の正しい徳性とよい習慣を養うことが、学校に入れる前の大切な問題である。

 三、父母はその子供の為に、学校に限らず、良き師・良き友を択(えら)んで、これに就けることを心掛けねばならぬ。

 四、父母は随時祖宗(そそう)の祭を行い、子供に永遠の生命に参ずることを知らせる心掛けが大切である。

 五、父母は物質的・功利的な欲望や成功の話に過度の関心を示さず、親戚交友の陰口を慎み、淡々(たんたん)として、専(もっぱ)ら平和と勤勉の家風を作らねばならぬ。

 六、父母は子供の持つ諸種の能力に注意し、特にその隠れた特質を発見し、啓発(けいはつ)することに努めねばならぬ。
 

 七、人生万事、喜怒哀楽の中に存する。
   父母は常に家庭に在って最も感情の陶冶(とうや)を重んぜねばならぬ。

 
        『安岡正篤一日一言』より(致知出版社刊)  



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a0118928_2158897.jpg息子は初節句を迎えました。

親としての自分について考えた時に、本当に足りないところだらけだなぁと、つくづく思います。

先日受講したアドラー心理学の講座で、先生がおっしゃっていました。

「人には皆、幸せになるポテンシャルがあります。
 だから、別に完璧な親じゃなくていいんですよ。
 そこそこの親の元で、子どもは幸せに育っていくんです。」


これを聞いて、少し肩の荷が下りたような気がしました。


ただ、精一杯親としての努力はしていこう。
小さい子どもにとって親は世界であり、すべてなのだから・・・。

安岡先生の言葉、特に五番と七番が心に響きました。




sachie
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by ramram-yoga | 2012-05-05 22:04 | ことば・メッセージ | Comments(0)
意識あるもの、意識なきもの
最近毎日音読している「真理への解放」(スワミ・チダナンダ著)に、特に印象に残った部分があったので要約して書き留めておきます。


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意識があるということは力を持つということであり、意識がないとは力がないことを意味する。
例えばわたし達は山というものを知覚するが、山はというとわたし達をそのようには知覚することはできない。

わたし達は、考える力、推理する力、識別し、探求し、比較し、対比し、分析し、理解し、選択し、拒否する力も持ち合わせている。
わたし達はまた、「何が自分を束縛し、何が自分を自由にさせるか、何が自分にとって有害で、何が自分にとって有益か」ということを理解する力も持ち合わせているる。
これらの力を持てるのも、わたし達が意識あるものだからである。

a0118928_1773990.jpgだから、わたし達の方が意識なきものに力を与えているのだ。

例えば、タバコというものは意識なきものである。

それは植物の葉であり、タバコの葉自体は何事かを成すわけではない。

わたし達こそが自分とそのタバコの葉との間で、あまり賢くない仕方で、誤った仕方で、屈服するような仕方で、そのタバコの葉に関係し始めてしまう。

こうなるとそのタバコの葉は、わたし達にとってやっかいなものとなり、束縛となり、脅かしとなり、危険で、破壊的なものとなってくる。

だから、わたし達がこれらの事物と、どれほど智慧を欠き、又は、どれほど愚かに関係を持つか、その程度によって、それらの事物がわたし達に危害を及ぼしてくる程度が決まってくるのだ。
そうした外界の事物は、それ自体では何もできかねるもの。
タバコ、酒、賭博、麻薬、金銭、悪友、その他わたし達の身の回りにある全てが、わたし達に襲いかかるわけではなく、わたし達につきまとったり、わたし達に対して悪意のある意図を持っているわけではない。
わたし達こそが、そうした事物に力を与えてしまっているのだ。

ですから、賢くありなさい。
そして、あなた方とまわりのすべての事物を、あなた方自身とまわりの大宇宙とに関しての核心となる事実を、よく理解しておきなさい。




(写真は、チベット・パルヤンにて)


sachie
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by ramram-yoga | 2011-09-04 17:09 | ことば・メッセージ | Comments(2)
光の道へ
『知覚されるものが何であれ、それはまさしく滅びゆく。

 それゆえにこそ永遠なるものを求めなさい。

 斯くなる永遠なるものを求める者は、

 まばゆく輝く太陽の如くに光り輝き、

 あらゆる闇を乗り越え、

 
 その大いなる永遠存在の境地である不死の境地にたどり着く。』


                           (スワミ・チダナンダ「真理への解放」より)


a0118928_18564710.jpg



私たちの内にあって真理を求める探究心が、

感覚器官のからのどよめきや、低次元の性質や、

感覚器官が求める粗暴で不快な要求の数々にかき消されることなく

心にともり続けますように。

どうぞこの努力が、導かれますように。


AUM



sachie
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by ramram-yoga | 2011-08-30 19:10 | ことば・メッセージ | Comments(0)
なつひさお
前回の記事でご紹介した「治りませんように」という本の中でもうひとつ、とても面白いと思ったのが「なつひさお」という考え方です。

「なつひさお」というのは、べてるの家の当事者の方が作った言葉です。

これは何を意味している言葉なのかというと、たとえば幻聴がひどいとか、自殺願望がムクムクとわいてきたときとか、破壊行為や自傷行為の衝動がやってくる、そんな時、その人は以下のような「なつひさお」の状態がきっかけになっていることが実は多いのではないかということ。


a0118928_932864.jpg

な・・・悩みがあるとき

つ・・・疲れてるとき

ひ・・・暇なとき

さ・・・寂しいとき

お・・・お腹がすいてるとき

  お薬を飲んでないとき

  お金が無いとき







なんだかとってもささいなことなんだけれど、「お腹が空いた」という体の状態を意識できなかったり、寂しさを口に出せなかったりと、要するに自分の体や感情の変化をしっかり認識できていなかったり言葉で表現できなかったりした時に、その代替としてアルコールに手が伸びたり破壊的な行為をしてしまったり「行動化」する、ということだそうです。


ヨーガ療法でも、心身症の特徴である、自分の身体感覚に鈍い「失体感」自分の気持ちがわからない「失感情・失言語化」へのアプローチを行なっていくわけですが、本当に自分のことって案外ぜんぜんわかってない。

なんか、やけ食いしたい気分・・・とか
イライラする、なぜか嫌なことばっかり考えてしまう時って、ただ単に疲れている時だったり、単に暇だったりとか。
私もよくあります。

でも、やけ食いしたって、イライラして人に当たったって、一時的には発散になるのかもしれないけれど、またストレスを溜め込んでしまう発散の仕方なので、やっぱりもうちょっと前向きな対処法をしていきたいなぁと思う今日このごろ。

そんな時にこの「なつひさお」の考え方はタイムリーでした。



(写真は昨日行った倉敷の酒津公園にて。
 アヒルさん2匹が座っておしゃべりしていました。
 カップルかなとも思いましたが、雰囲気が井戸端会議をしているおばちゃん同士って感じで、
 しばらくすると連れ立っておしゃべりしながら行ってしまいました。)



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by ramram-yoga | 2011-08-18 09:53 | ことば・メッセージ | Comments(0)
祈りとは
新約聖書を日本人に分かりやすいように岩手県気仙地方の方言で翻訳された「ケセン語訳新約聖書」の執筆者である山浦玄嗣(やまうらはるつぐ)さんが、先日NHKのこころの時代に出演され、東日本大震災の体験を踏まえてイエス・キリストの教えをお話されていました。


a0118928_17451061.jpg*****************

聖書に用いられる“祈り”には、“神様の声を聞く”という意味がある。

どのようにすれば神様の意思に添うことができるのか神様に耳を傾け聞こうとすること、それが祈りである。

では、神様の声とはどのような形で顕れているのかというと、わたし達の身の回りの環境として顕れている。

神様がわたし達に何を求めているのかというのは、自分の身の回りの環境を見れば分かる。

******************

というようなことを言われていました。

そして東北関東大震災が起こり、医師でもある山浦さんが神様の声に耳を傾けて行った行動とは、「寒さに震えながら処方箋を書くこと」。
つまり、その時医師として尽くすべきつとめをただただ行ったのだそうです。


とても印象に残ったお話でした。

ヨーガでも行為の仕方として、今与えられた環境の中で最善を尽くすこと、今いる場所で必要とされる人になること、という風に教えているので、重なるものを感じました。


私の今やるべきことは、赤ちゃんのお世話。
毎日毎日、オムツを替えて、沐浴をして、おっぱいをあげる。
家族が気持ちよく過ごせるように、家の中を綺麗にして、洗濯をして、食事を作って、そして明るい気持ちでいること。
そんな日々のことを心をこめてやっていきたいなぁと、改めて思わせてくれました。



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by ramram-yoga | 2011-07-31 17:48 | ことば・メッセージ | Comments(2)
ram-ram 2周年
2年前の今日、ram-ramのヨーガクラスが始まりました。
そして偶然にも私の誕生日、思いがけぬプレゼントとなりました。

1人の生徒さんから、始まりました。
その生徒さんは、2年経った今も、クラスに通い続けてくださっています。
レッスンに通ってくださっている方とは、深いご縁を感じています。

それまで大した経験も無く、1からのスタートで不安と緊張で胸がいっぱいだった当初、いつも下の言葉をお祈りをしていました。


a0118928_2156698.jpg********

神様、
私は成功も失敗も欲しません
成功や失敗は
全てあなたのものですから
私はこの行為を
あなたへの奉仕として捧げます
しかし私はこの行為を精一杯行い
最善を尽くしてやり遂げます
どうか私を正しい方向へと導き
全ての束縛から解放してください

 スワミ・ヴィラジェシュワラ著
 『科学で解くバガヴァッドギーター』より

********


それまで全てを自分の力でなんとかしようと思っていた私が、
自分をあけわたして委ねることの大切さ、たくさんの人たちに支えられて自分がいることを学んだ2年間でもありました。

4月からは順次、出産に向けてクラスをお休みすることになりますが、これからも長い目で活動を続けていきたいと思います。



(お誕生日プレゼントにいただいたろうそくをともして)


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by ramram-yoga | 2011-03-17 22:24 | ことば・メッセージ | Comments(2)
自分に光を与えてくれる人
前回の記事に続きますが、ヨーガにおける苦行が教えているのは、一見自分にとって不都合な出来事や障害と思えることでも、後になってみれば自分を成長させてくれる貴重なチャンスだったりすることもある、ということでもあると思います。

 起こってくることは、全てニュートラルである  

これは、文学博士でもありクリスチャンでもある鈴木秀子さんの言葉ですが、よく思い出す好きな言葉です。

起こってくる出来事に対して、「いい・悪い」とか、「好き・嫌い」とかいうのは、その人の置かれている立場によって違うし、時間が経過するとまた違ってきたりします。

例えば、誰かに耳の痛い、いや~なことを言われたとしても、それが後になってみれば自分の役に立っていたり・・。

a0118928_2241437.jpg私は先日、ある人からキツーい一言を言われて丸2日間落ち込んでいました。

自分が一番言われたくないような種類のことを、鋭く見抜かれてバサっと言われてしまいました。

その後もしばらくの間、その人から言われた言葉を思い出しては暗い気持ちになっていたのですが、その時同時に思ったのは、「自分は欲張りだなぁ」ということでした。

相手の人からこう見られたい、とか、自分はこうであるはずだとか、そういう思いが強いから何か言われると傷ついたり反発心がわいたりするんですよね。

誰かから嫌なことを言われたり、文句を言われたりすると、いつも思い出すお師匠様(スワミ・ヨーゲシヴァラナンダ大師)の教えがあります。

自分の悪口を言う人がいたら、自分の家の敷地内に家を建てて、そこに住まわせなさい。
なぜなら、その人は自分の欠点を教えてくれる、いわば自分に光を与えてくれる人だからです。
  


というような教えです。
誰かに何かを指摘されて落ち込んだとき、いつもこの教えを思い出します。
思い出すたび、前向きな、優しい気持ちになります。
もちろん、すぐにそうは思えないことも、よくありますけどね・・・。


sachie
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by ramram-yoga | 2011-02-11 22:42 | ことば・メッセージ | Comments(2)
もう眠るな 心よ

迷妄(マーヤー)の暗黒(くらみ)にいつまで眠っているのか

a0118928_103871.jpgお前は誰で なぜこの世に来たのか

真実(ほんと)の自分を忘れているね

さあ、目をはっきり開けて

悪い夢から覚めなさい

矢のように流れ去るはかないものにしがみつかずに

永遠のいのちの喜びを味わいなさい

悲苦の闇夜(やみよ)からぬけだして

輝く太陽を仰ぎなさい


            ラーマクリシュナ 
              「不滅の言葉(コタムリト)」より





今日、ある人からプレゼントしてもらった素敵な言葉です。



sachie
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by ramram-yoga | 2011-01-12 23:59 | ことば・メッセージ | Comments(4)
私たちの人生はすべて行である
a0118928_0331599.jpg昨日の深夜TVの、塩沼亮潤さんと堂本剛さんの対談、よかったです。

堂本さんの等身大の、本心の言葉も、初めて聞いたような気がします。

それにしても塩沼さん、行に没頭するあまり気がついたら厄年を過ぎていて、恋なんてものを一度もしたこともしたいと思ったこともないそうです・・・。


それほどまでに、求める心をお持ちだったんですね。
すごいなぁ・・・。
でもお話を聞いていると、一般の人々の心のひだの隅々に行き届くような、人間理解の深さ。
そして優しい方だなぁと思いました。



私はといえば最近、内観の本(吉本伊信著「内観への招待」)を読んでいるのも手伝って、自分の欲深さがこれでもかというほど見えて少々うんざりしているところです(笑)

ただ、あれこれ理由付けしてごまかすことが少なくなったので、それはちょっと成長したかな?

目をそらさないで、誰かのせいにしないで、ただ、ありのままの自分を「みる」「受け止める」ことは、しんどい時でもやっていきたいなぁと思う今日このごろ。
いや、しんどいからこそ見つめることが必要、なのかな。

さて、最後に大阿闍梨・塩沼さんの言葉をご紹介します。
それと、塩沼さんのご著書「人生生涯小僧のこころ」も、とても読みやすくておすすめです。
       



(以下、致知出版社の「人間力メルマガ」【2010/9/25】より)
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           塩沼亮潤(慈眼寺住職)
        『致知』2007年6月号 特集「切に生きる」より
       


行とは何かと考えた時、もちろん、ある一定期間の厳しい修行をすることも行ですが、
「私たちの人生はすべて行である」
ということもできると思うんです。

我々は坐っている時(坐禅)は呼吸をとても大切にしますが、人生すべてが行だとすると、お茶を飲んでいる時でも、ご飯をつくっている時でも、その一呼吸一呼吸を大切にできるんです。

ですから最近は、一瞬一瞬を大切に真剣に生きていきたいという方向に少しずつ変わってまいりました。


  * * * 

人間は雨を降らすこともできなければ、風を吹かせることもできない。

与えられた環境の中で辛いこと、苦しいこと、寂しいこと、いろいろありますが、それに共感しながら生きていくことが大切なのだと思いました。

また、若い時には人間はなんて不平等なんだと思ったこともありました。

幸せな人もいれば、不幸せな人もいる。

そういう悩みを抱きながら山を歩いていた時、目の前でタンポポの穂種が突風に吹かれて飛んでいったのです。

ああ、そうか! 山に落ちる種もあれば、アスファルトに落ちる種もある。
水溜まりに落ちる種もあります。

人間もそうだ、タンポポと同じなんだなと思いました。

自分の生まれたところがどんな場所であっても、いまいる場所がどんな環境であっても、そこで精いっぱい花を咲かせることが人生なのですね。

与えられた環境の中で精いっぱい生かさせていただく。

そして朝「きょうもよろしくお願いします」と手を合わせ、一日何事もなかったら「ありがとうございました」と感謝して生きることが大事だと感じました。

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おっと!
今日は夜更かしをしてしまいました。

それでは、おやすみなさい。


sachie
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by ramram-yoga | 2010-09-26 00:26 | ことば・メッセージ | Comments(4)