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カテゴリ:非二元( 1 )
ただ、あらわれている
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ブログに新しく非二元(ノンデュアリティ)のカテゴリを作りました。
非二元とは直訳すると「二つではない」ということで、普段主体と客体を前提として世界を見ている視点からはなんとも理解しがたいものです。
決して新しいものではなく、インド哲学においてもアドヴァイダヴァーダ(advaitavāda:不二一元論)がシャンカラによって唱えられています。
私も今までノンデュアリティの本を何冊か本を読みましたが、わかるようなわからないような…実際の感覚としてどういった感じなのかは全く見当もつきませんでした。
しかし、すべての本質はひとつであり、それがこの現象世界に様々な様相で顕れているのだという感覚がやってきてから、やっと了解可能なものになってきつつあります。

今日の午後は、もう10年ほど非二元の世界を深めておられる Mさん のお宅へ。
これまで自我(”私”という感覚)を主体として作り上げてきた世界観がガラガラと崩壊し、途方に暮れている私を見かねてお招きくださいました。
まず「空虚を感じ、途方にくれているのは誰ですか?」と問われ、ハッとしました。
そう、それこそが、”私”という認識をする自我なのですよね。

2人でソファーに座り、2時間ほど、いろいろとお話をしました。
時間というのは人間が作り上げた概念であり、現実には常に”今ここ”しかないこと。
思考は常に欠乏感を感じ、満足しないこと。
知りたいと思うのも、恐怖を感じるのも、思考の働き。
そもそも、様々なことを、「”私”がしている」というのは錯覚で、実際に心臓の働きも呼吸も、消化・排泄機能も、すべて”起こって”きていること。

感覚として腑におちるような感じがする一方で、頭ではなかなか納得するのが難しい内容でした。
が、そんな中でも、恐怖感や虚無感、欠乏して答えを求めようとするのは思考の働きであり、それこそが相対化されていくような感覚を覚えていました。
…ということは、知りたい・納得したいと探求すること自体が、ナンセンスなのでしょうか。
これまでの自分の”何かを求め、それを得ていく”というスタンスそのものが、違うのでしょうか。
最後にMさんに、「深刻になる必要は全然ないんだからね」と言っていただいたのが、少し救いになりました。
これから少し、私も非二元について、深めてみたいと思っています。

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今日は素晴らしい五月晴れ。
緑や花が、キラキラ輝いていました。
この人生にどのような意味を見出し、どのように生きていくかは、その人の自由意志にゆだねられています。
何がどうであれ、私はこの世界が本当に好きです。
生命力にあふれた植物、自然。
日々触れ合う人、家族、子供の笑顔、ヨーガの生徒さん、患者さん、そして自分の身体。
いとおしさが、日々、増していきます。


(写真は、今日道端で出会ったお花です。)







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by ramram-yoga | 2017-05-18 19:43 | 非二元