Ram-Ramのホームページはこちらをクリックして下さい
カテゴリ:仏教( 1 )
仏教について
ヨーガがどのように日常生活や医療・心理の臨床に応用されるのかについて、自分なりに試行錯誤をしてきた約10年間でしたが、そのような視点を持ってみると、仏教というものは一般の人に対してわかりやすくなじみやすい形で日本文化に根付いてきているのだということが、いまさらながら分かってきました。

例えば、今や大ブームの、「マインドフルネス」。
これはご存知の通り、仏教の“ヴィパッサナー”という瞑想法が元となっています。
また、時々見るNHKこころの時代に登場する僧侶の方の説法。
身近な例を使って説かれていて、分かりやすい。

もちろん、仏教にはいまや形骸化したスタイルや現世利益的な考え方も入り込んでいて、そこにフォーカスしてしまうとあまりいいものであるとは言えないのかもしれないのですが、仏教とは元々、どのような世界観を持っていたのか、ということを知りたいと思うようになりました。

仏教哲学・インド哲学については世界的権威である中村元先生の著書に挑戦してみたいと考えていたところ、ちょうど中村先生の仏教解説書『バウッダ』の勉強会が通照院で行われていることを知り、今年は毎月学びに行ってみようと思っています。

仏教の源流は、言うまでもなくヨーガなのですが、両者には決定的な違いがあるわけです。
ヨーガは真我(アートマン)という、人間の本質的な生命原理を想定しています。
想定しているというより、これはある面で真実なのだと思います。
伝統的なヨーガの修行法では、瞑想中に三昧という特殊な意識状態に入り、自己の本質と最終的に合一していくという、極めて緻密な方法論が現代にまで残されています。

一方、仏教ではアートマンは否定され、究極的には“無”なのだ、とされています。
私はこの“無”というものを、感覚的にどうしてもつかむことができませんでした。
それは、当たり前といえば当たり前なのかもしれません。
人間の知性は、無いものを捉えることはできないのですから。
無というのはいつでも、有に対して相対的なものとしてしか理解できないのです。
しかし、西田幾多郎が“絶対無”と呼んだように、仏教でいう無というのは、そのような相対的なものとは質が違うのでしょう。

私が先に、ヨーガ哲学におけるアートマンについて“ある面で真実”という表現をしたのは、最近、「真実というのはただひとつ」、という感覚のものではなく、パラドックスを孕んだものなのではないか、と感じているからです。
この目線から見るとこれが真実だけれども、別の次元から見るとまったく別の景色が広がっていく、そんな世界なのではないだろうか、と、考えています。

そのように考えてみると、ヨーガも仏教もどっちかが正しくてどっちかが間違っているというよりは、視点の移動によってどちらも真実である、というスタンスで捉えることはできないのでしょうか。
まだまだよく分からない世界ではありますが、そしてこの限定された人間の知性をもってどこまで理解することができるのかは疑問ですが、もっと理解を深めてみたいと思います。


生前の中村元先生の映像を、みつけました。




『バウッダ』のもう一人の著者である三枝充悳先生は、去年比較思想学を少しだけ勉強した際、こんなすごいお方がいたんだと、その存在を知ったところだったので、それもまた嬉しいめぐり合わせとなりました。
[PR]
by ramram-yoga | 2016-01-21 20:09 | 仏教 | Comments(0)