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カテゴリ:心理学とヨーガ( 18 )
TFTアルゴリズム

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この三連休のうち16・17日の2日間は、今月2回目となる東京へ。
代々木のオリンピックセンターで、日本TFT協会主催のTFTアルゴリズム(初級)の専門家向けトレーニング・コースを受講してきました。
TFTとは、「思考場療法」という、心理療法の一つで、”エネルギー心理学”という分野に入ります。
前々から、心理の師匠に是非受講するようにと勧められていたのですが、今回やっと受講することができました。

TFTの方法はとってもユニーク。
ネガティブな感情にフォーカスをしながら、東洋医学でいうところの”ツボ”をトントンするのです。
すると、あら不思議。
それまで感じていた不安等のネガティブな感情が、スーッと低減していくのです。
パニック障害やトラウマの治療にも有効であるとのこと。

講師の森川綾女先生もとっても素敵で、懇親会時にはちゃっかりお隣の席に座らせてもらい、いろいろとお話をお伺いしました。
すっかり、ファンになってしまいました。

さて。
これからしっかり臨床でも使用していきたいと思います。
目の前の方に少しでも役立つことがお伝えできるような、新たな道が開けてくることは、とってもありがたく嬉しいことです。


たちまち今、不安や疲れなど感じている方。
こちらの動画で、試してみてくださいね。
結構、効果がありますよ^^





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by ramram-yoga | 2017-07-17 20:09 | 心理学とヨーガ
聴くということ
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相手の人に見えるイメージを題材にして相手の人とやりとりをすると、やりとりというものが普段の会話と質が違ってくる、というようなことを、最近鍼灸でお世話になっているくつろかの院長さんに話したら、「それって、本来の意味の会話なんちゃう?」と言われました。
「会話」はもともと「会和」という漢字だったらしく、ただ言葉でのやりとりというより、”和”のための交流のような意味合いが、会話にはあったのだということでした。

確かに、イメージというものは相手側に固定しているものではなく、必ず見る側の存在があって成立していて、相手だけでも私だけでも成り立たつことのない、まさに関係性の中で生じてくる現象であるわけです。
そして、そのイメージは驚くほど、その時のその人との間で、溶け込むようにマッチしているのですね。
もうちょっと、この自分と相手との間に立ち現れてくる光景(イメージ)と、じっくり付き合ってみたいと思っています。

昨日は釈撤宗著「死では終わらない物語について書こうと思う」という本を読んでいました。
そこには、過去に様々な信仰修行を行ってきた人がどのように死に、死の前にどのような言葉を口にしたか、ということについて、バラエティ豊かに記されていて、とても面白かったです。

その中で著者が最後に書いていてことが、印象に残りました。
死に対する問いや、恐怖に対して対応できるのは、物語(ナラティブ)なのである、と。
なぜなら、「なぜ生きているのか」「死んだらどうなるのか」という問い自体が事実そのものではなく、生きて死ぬという事実に意味づけを加えようとする物語の中で生まれてくるものなのですから。

そのようなことを前提として、人の苦しみとは何なのか、ということをもう一度考えてみると、これはもう、疑いようもなく、物語の中で生じてきているものなのだ、ということが分かります。
その意味では、肉体上の健康とか病気等と、苦しみとは、あまり関係していないのではないでしょうか。
たとえ病気でも、その人の苦悩を、究極的に受け入れ、寄り添ってくれる存在がいるとすれば、それはその人は、もう苦しみの中にいないのではないでしょうか。
反対に、健康であっても、孤独感にさいなまれ、絶望している状態は、苦しみそのものです。

それでは、苦しんでいる人の前で、私に何ができるのか。
それは、聴くことなのだと思います。
ただ、言葉を耳でとらえるのではなく、その人全身から発せられるものを、こちらも全身で聴く。
その人と私との間に、一回限りで立ち現れてくる言葉は、まさに一期一会です。

本当の意味で”聴く”ことができた時、セラピスト側にクライアントを治そうとする意識が生じなくなり、セラピストはクライアントの中に完全性を見ることができるようになるのではないかと思います。
そしてその時に初めて、クライアントはセラピストを鏡のようにして自分自身を見ることができ、本当の意味で自立していくことができるのではないか。
そんな風に感じている、今日このごろです。






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by ramram-yoga | 2017-07-10 15:53 | 心理学とヨーガ
エネルギー医学の講座へ
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昨日は京都で、すばる治療院 院長の藤原先生による「エネルギー医学とヒーリングや日常生活への応用」 という講座にお誘いいただき、受講してきました。
「エネルギー医学」や「エネルギー療法」という言葉も、だんだんと巷でも聞かれる言葉になってきましたが、電気療法、磁気療法、 手当て療法、遠隔ヒーリングなど、エネルギーを用いた補完・代替医療の一分野のことをいいます。

”気”は、ヨーガでいえば”プラーナ(PRANA)”。
目には見えないけれども、いたるところに満ち、そして私たちを生命たらしめているもの。
エネルギー療法で全面に出てくるキーワードです。

藤原先生は臨床心理士でありながら鍼灸師でもあり、整体や気功、易など東洋的な幅広い観点も持ち合わせ、全人的に療法を実践されている先生です。
ご自身での体験・臨床経験ともに非常に豊富で、どのような質問にも理解が深まる形でお答えくださいました。
講義は、量子力学における観察者効果など、人の持つ想いについての数々の実証研究の紹介からはじまりました。
いかに自分の心の状態が対象者(物)に影響を及ぼしているかを学んだ後、実際に気を送る・感じるなどのワークを行いました。

最近のテーマだった
・集団における気について
・エネルギー的につながる、切り離すことの効能と弊害
・イメージすることがどのように重要なのか
について、自分なりに理解が深まる内容で、多くの収穫をいただきました。

集団における気については、特に段上公民館で行っているヨーガの場で感じます。
集団がひとつの生命体のようになり、それがどんどん成長しているように感じるのです。
人数も増えたことで、会員さんが全員来られるとぎゅうぎゅうでゆったりとしたスペースが取れないのが、最近のちょっとした悩みでもあるのですが…。
でも、だからといってパッと他のクラスを増やし、グループを2分割してしまうのは、ちょっと雑な気もするのです。
今、クラスに来ようという意志を持ってきている方お一人お一人で構成されているひとつの大きい生命体なのですから。

レッスンでは、来ていただいた方とエネルギー的につながった状態でヨーガを行います。
ヨーガは”個の意識”を弱めてくれるので、来てくださっている方とスーッと一体になっていくことができます。
すると、私の中に、普段自分一人でヨーガをしているときとは違う身体感覚が出てきます。
私の中に立ち現れてくる、集団としての身体感覚、とでもいうものでしょうか。
最近は、それに従ってポーズをとっていく、というようなやり方をしています。

今回の講義で、自分が気(プラーナ)に対してもっと理解を深め、感性をひらいていくことの大切さを感じました。
臨床心理士の方が、このような研究・実践に携わっておられるという事にも、大きな勇気をいただきました。




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by ramram-yoga | 2017-04-03 13:53 | 心理学とヨーガ
相手を知ることは、自分を知ること
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昨年の春に大学院を卒業し、本格的にカウンセリングの勉強を始めています。
カウンセリングをしていてつくづく思うのは、自分が達していない境地には相手を導くことができないということ。
自分にとって大きな気づきがあった時に、患者さんにも同じ気づきが起こるということもあります。
理性よりもっと深いいのちの部分で、共鳴のような現象が起きる。
そういう意味では、ごまかしのきかない世界だと思います。

思い返してみると、私はずっと以前からこの仕事をしたいと思っていたのだと思います。
ただ、高校・大学時代に進路を決めようとするときには、まだ私には覚悟ができていませんでした。
人の心と真剣に対峙していき、そうすることで自分自身の運命までも変わっていく、ということに対しての覚悟です。

カウンセリングの実際の指導を受けるようになってから半年あまりが経とうとしていますが、カウンセリングでどうしても躓いてしまう私独特のパターンが、見えてきました。
誰に対するカウンセリングでも、ある地点から深まっていかないのです。
周辺ばかりに話が広がって、問題の核心に突っ込んでいくことができない。
私自身にはその自覚が無く、まるでベールに阻まれてその奥に何があるのかがよく見えないという感覚がありました。
でも、指導を受けながらその問題を少しずつ掘り下げていくと、自分自身の問題が見えてきた瞬間がありました。
それは、核心に触れることで、相手が傷つき苦しむことへの恐れでした。

その恐れにはっきりと気づいた時、同時に、自分自身が傷つくことを恐れていることに気付きました。
傷つけることへの恐れは結果としての現れであって、その根本に傷つくことを回避し、自己保身しようとしている自分がいたのです。
これに気付いた時は、愕然としました。
結局私は、自分のことしか考えていないじゃないか、と。
心理士には専門職として自己理解を深めていく“教育分析”を受けるシステムがあるのですが、その教育分析の当面のテーマとなりそうです。

指導を受けている先生から言われた言葉が、胸深くに響きました。
「相手が自分の目の前で苦しんでいるのを、ちゃんと見ていられるか?」

そして、この言葉も。
「どんどん傷つけばいい。
 本当は何も傷ついていないんだから。」
傷ついていると思っているのは私のちいさな我であって、本当の自分(真我)は誰にも傷つけることができない。

相手を知ることは、自分を知ること。
自己理解が深まるほど、相手への理解が深まる。
相手に対して、自分に対して、今年も真摯に向き合っていきたいと思わせてくれた気づきでした。



(写真は先日、息子のボーイスカウト活動で中山寺奥の院へ初詣に行った時の道中です)







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by ramram-yoga | 2017-01-24 09:17 | 心理学とヨーガ
アドラー心理学基礎講座理論編(後半)印象記
前回に引き続き、11月30日(土)・12月1日(日)の2日間は、アドラー心理学基礎講座理論編の後半を受講しました。
復習がてら、まとめてみたいと思います。
アドラー心理学は以下の図のように、理論・思想・技法の3本柱から成り立っており、理論については基礎理論・人格理論という下位項目から成り立っています。

***************
【アドラー心理学】
1.理論
   基礎理論(
前回学習した部分)
   人格理論
     ・ライフスタイルの概念★1
     ・ライフスタイルの発達★2
     ・ライフスタイルの診断
2.思想★3
3.技法
↑★マークのついている部分が、今回の後半で学んだ項目。
***************

【★1:ライフスタイル(LIFE STYLE)の概念】
ライフスタイルとは、普段私たちが使っている“生活様式”といったような意味合いではなく、アドラー心理学独自の学術用語。
ライフスタイルとは・・・
『個人が主体性のもとに毎日を暮らしている中に表れ出ている冗長性(その人特有の傾向)』
また、『人生全体の相対的マイナスから相対的プラスへ向かうための論理』である。
つまり、人にはそれぞれ決まった思考パターンというものがあり、普段は省エネのために無意識的にその思考過程を選択し、判断→行為を行なっている。
そのパターンがライフスタイルである、ということ。
分かりやすく言えば金太郎飴みたいなもの(笑)。
金太郎飴のどこを切っても同じ絵が出てくるように、その人が対処行動を起こすとき、時と場合が違っても思考・行動にはある一定のパターンがある。
“性格”とも“人格”とも似ているが、前者は遺伝によるもの、後者は環境によるものというイメージが強いため、アドラーは“ライフスタイル”という言葉を使ったのだそう。

【★2:ライフスタイルの発達】
アドラー心理学における発達理論で、一番ポイントであるのが“劣等性”そしてその劣等性から生じる“劣等感”である。
『劣等性』とは、客観的に見て不利な状態のことを言う。
例えば、“器官劣等性”とは、肢体不自由や大きな病気など、子どもの精神発達上影響を及ぼす要因のことである。
また、アドラーの時代は女性に社会的な権利が与えられていなかったことから、女性であることも社会的な劣等性があった。
『劣等感』とは、劣等性から生じる主観的な感情。
そして、人間は誰でもなんらかの劣等感を持ち、その劣等感を補償するための対処行動をする。
その対処行動には大きくわけて2種類ある。
ひとつは劣等感の元となっている“劣等性”そのものを強化しようとすること(例:走るのが遅いので、速く走れるような練習をする)、二つ目は劣等性以外の部分を強化しようとすること(例:手が不器用なので、その代わりに知識を豊富に蓄え、博識さで不器用さをカバーしようとする)。

【★3:思想】
ほとんどの臨床心理学の体系には価値観がないが、アドラー心理学は『共同体感覚』という価値観(=思想)を持ち合わせている。
『共同体感覚』とは、“自分はある共同体に属していて、その共同体に対して貢献しているという感覚(貢献感)を持っている状態。
“自分だけがよければいい”のではなく、みんなの幸せを考え、行動していくという方向性を打ち出し、そういった共同体感覚を持った人が精神的に健康であり、そのような状態を目指してべきであるとアドラーは考えた。


さて、以上、少々消化不良気味の内容を、現在自分の理解したようにまとめてみました。
それぞれの概念は、その概念が出来た時代背景もあり、アドラーが当時どのような考えのもとにこれらの理論を作っていったのかを丁寧に学ぶことができたのは、とてもいい勉強になりました。

最後に、印象に残ったのは、「生きていくのにアドラー心理学はだけでは絶対に足りません。宗教が必要です。」という先生のお言葉でした。
日々の生活を送る上で、周囲の人たちと調和して幸せに過ごしていくための具体的な方法論を教えてくれるアドラー心理学。
それプラス、人知を超えた大いなる存在を感じ、畏敬の念を持つといった宗教的な感覚が必要だということです(「どの宗教がいい」といった問題ではなく)。

密度の濃い、非常に学びの多い4日間でした。
頭が・・・パンパンです・・・。




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by ramram-yoga | 2013-12-04 12:13 | 心理学とヨーガ
アドラー心理学基礎講座理論編(前半)印象記
11月16(土)・17(日)は、アドラーギルド主催の、「アドラー心理学基礎講座理論編」の全日程4日のうちの前半2日間を受講してきました。
昨年、基礎講座応用編を受講しとても面白かったので、この理論編に参加できることをとても楽しみにしていました(その時の印象記はこちら→応用編【前半】応用編【後半】)。
実際に受講してみて、期待を大幅に上回る充実した内容で、今までアドラー心理学の基礎講座応用編や子育てプログラム「パセージ」を受講し、心理学の現在の師匠に教わり、アドラー関連の本を読んだり等して蓄積されてきた自分の知識に一本筋が通り、とても見通しよくスッキリと整理されていきました。
今回は、“基礎講座理論編”の名の通り、アドラー心理学の根幹となる基本的理論を、講師の野田先生のとても分かりやすい説明で学ぶことができました。

1870年にオーストリアに生まれたアドラー(ALFRED ADLER)は、1914年「治療と教育」という論文集を出版し、それが契機となってこの世に誕生したアドラー心理学。

その理論は、野田先生によると、以下の5つの基本前提(Basic Assumptions)によって成り立っています。

**************

1.個人の主体性(vs 客体性)
例えば、「勉強しようと思ってたけど、ゲームしちゃった」という場合、“勉強しようと思った”というのは周りや自分を納得させるための口実でしかなく、個人はゲームを主体的に行なっている。
アドラー曰く、「その人の言動を見るのではなく、結論を見よ」。

2.目的論(vs 原因論)
個人の行動には必ず目的がある、とアドラー心理学では考える。
アドラー心理学では原因追求はしない。
例えば、不登校の子どの場合、不登校の原因を過去にさかのぼって追究するのではなく、「不登校」をすることで何を得ようとしているかに焦点を当てる。

3.全体論(vs 要素論)
人間の脳の中に「イド(本能)」「エゴ(自我)」「スーパーエゴ(超自我)」があるという“局所論”を唱えたフロイトとは対照的に、アドラー心理学での個人とは、心も身体も含めたその人全体である。
従って「分かっちゃいるけどやめられない」といったような、個人の内的葛藤は、アドラー心理学では認めない。

4.社会統合論(vs 精神内界論)
人間は、社会に組み込まれていないと種の保存ができない(社会的存在)ため、コミュニティにおける“所属”を、アドラー心理学では人間の社会学的レベルでの人生目標としている。
従って、人間の行動は全て、対人関係上の目的に基づいているとされている。

5.仮想論(vs 実在論)
人は、意味づけの世界に生きている。
どんなに客観的に物事を把握しようとしても、人間はそれぞれの感覚器官の機能の程度、興味・関心の対象、価値観や文化といったフィルターを通してしか現実を理解することができない。
すなわち、人はそれぞれ、自分のフィクションの中を生きている、ということである。
例えば「あの人がいじわるする」と言った人がいる場合、アドラー心理学では実際にいじわるされているかどうかは分からない、と捉える一方、本人が“いじわるされている”と感じているのは現実であり、そのいわば「仮想的現実」に注目する。

*****************



以上、私が理解した範囲でアドラー心理学の5つの基本前提をまとめてみましたが、アドラー心理学の好きなところはなんと言っても、実用的というところでしょうか。
「真理より便利」という言葉の通り、その意味ではアドラー心理学の理論は仮説であるわけです。
しかし、その仮説理論を元にして実際に活かしてみると、上手くいくことが増えてきた。
それが、私が少しずつアドラー心理学を日常生活で使っていく中で実感していることです。

そして、もう一つ。
アドラー心理学は「共同体感覚(common sence)」という一つの価値観を持っているのですが、このように方向性を持っている心理学体系は、とても珍しいのですね。
共同体感覚には賛否両論あるそうなのですが、これは、アドラー心理学がアドラー心理学たる所以でもあると感じました。

再来週、後半があるのでとても楽しみです。
また、こちらでも報告できればと思います。
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by ramram-yoga | 2013-11-18 11:50 | 心理学とヨーガ
卒業研究
放送大学の卒業研究が何とか形となり、無事に提出できそうです。

私が放送大学で学ぼうと決めた大きな理由の一つとして、論文を書きたかったというのがあります。
学問的であり、洗練された表現で文章を書きたいと、強くあこがれていました。

私の卒業研究を担当してくださったのは、元神戸大学の心理学の先生。
研究の方向性や手法といった内容に関してに加え、表現の仕方や文献検索の意義や方法についてなどのテクニカルな事柄についても、とても丁寧に教えてくださいました。
執筆し始めた当初はよく褒めてくださっていたのですが、大学院への進学が決まった途端辛口となり(笑)、そのことも含めて本当に親身になってご指導いただいたな、と感じます。

そして、論文のような長い文章を筋を通して書き上げることの難しさを、思い知りました。
文献の山に埋もれてしまい、どれをどう引用しようかと苦戦したり。
自分の専門であるヨーガ療法を、どのようにしたら分かりやすく伝えられるか模索したり。
英語の文献にチャレンジし、和訳に苦戦したり。
独自性をどのように出していくか、悩んだり。
本筋とは違うところで話を大きく展開しすぎて袋小路に入ってしまったり。
論文という膨大なスケールに圧倒され、「本当に出来上がるのか」と途方に暮れたり。
いろいろ試行錯誤の連続でしたが、それがとても楽しくもありました。
改善の余地が多々ある仕上がりになりましたので、修士論文でリベンジしたいと思います。

ということで、来春からは大学院へ進学し、臨床心理学を学ぶことになりました。
子どもが生まれてすぐ放送大学に入学し、2年がたちますが、来春には卒業です。
入学した時は、卒業することはあまり考えていなかったし、大学院にも40歳くらいまでに入れたらいいなぁぐらいにしか考えていなかったのですけれども。
そもそも、大学院がどういうことをするところなのかも、2年前はまだ全く知りませんでした。
いろいろな状況が、私をそのようにさせました。
そして、家族の深い理解と協力と、心理の師から惜しみなくいただくご指導等、周囲から計り知れない応援を頂いているからこそ、です。

ということで、ひとまずほっと出来そうですが、今期の単位を落としたら場合によっては卒業できないので、まだまだ気は抜けません。
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by ramram-yoga | 2013-10-29 23:39 | 心理学とヨーガ
マインドフルネスとヨーガ療法第2講
前回に引き続き、認定ヨーガ療法士を対象とした「マインドフルネスとヨーガ療法」の連続講座の第2回目が、昨日ヨーガニケタン関西支部にて行われました。

熊野宏明先生の著書「マインドフルネスそしてACTへ」をテキストとし、今回も非常に密度の濃い内容となっていました。
以下、復習がてら簡単にまとめてみました。

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【心理療法としてのマインドフルネスが目的としているもの】
自己には3つの種類が考えられる。

1.概念としての自己 ・・・言葉の働きによって概念化された自己(アイデンティティ)
2.プロセスとしての自己 ・・・時々刻々と変化している自己
3.場としての自己 ・・・観察者としての自己・文脈としての自己であり、一貫性がある

マインドフルネス瞑想とは、自分の心の動きを他人事のように眺める練習を繰り返すことで、プロセスとしての自己を鍛える方法である。
それは、「することモード」から「あることモード」への切り替えでもあり、「あることモード」は、怒り・欲・迷いから離れた心の状態である。
マインドフルネス瞑想は、感受を感受の状態にとどめて、思考を外にも内にも広げない、そして自分(概念としての自分)を作り出さない、ということである。
                熊野宏明著「マインドフルネスそしてACTへ」より部分的に抜粋


【マインドフルネスが脳に及ぼす影響について】
マインドフルネスの意識状態では、以下の脳部位の血流が増加し、活性化する。

・DLPFC(背外側部前頭前野)・・・判断と意欲に関わり、扁桃体を制御する
・vmPFC(背内側部前頭前野)・・・扁桃体が発信する危険予知(不安、心配、恐怖)を監視する

アメリカにおいてはDLPFCへの磁気治療が効果をあげているケースもあるが、マインドフルネスでも同様の効果が期待される。


【マインドフルネスから発展したACT(アクセプタンス&コミットメントセラピー)について】
マインドフルネスはもともと、仏教のヴィパッサナー瞑想における「サティ(気づき)」を行う活動である。
その、マインドフルネスを行いつつ、それをアクセプタンス(受容)し、コミットメント(方向性を持つ)していく、つまり、硬直化したルール支配行動から抜け出して、社会に適応した行動パターンを身につけていくことが、ACTの大きな目標である。


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ACTの本を以前読んだときに、あまり新鮮な感じを受けなかったのですが、それはヨーガ療法とACTには結構共通点があるからなのかもしれません。
いずれにしても、ヨーガ療法が心理臨床の場で活躍していくようになるにも、このように外の視点からヨーガ療法をみつめなおす必要性を改めて感じた今回の講義でした。
とても充実した内容だったので、帰宅時には頭がパンパンになっていました。
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by ramram-yoga | 2013-04-28 07:10 | 心理学とヨーガ
米国のトラウマ患者に対する心理療法としてのヨーガ療法の実態
先日ヨーガ療法学会宮崎大会にて、トラウマケアの第一人者でいらっしゃるベッセル・ヴァンデル・コーク先生が、「米国のトラウマ患者に対する心理療法としてのヨーガ療法の実態」というタイトルでご講演されました。
その内容をここに少しご紹介させていただきたいと思います。

※講演中にメモをとったものをまとめたものですので、厳密には正確でない箇所があるかもしれませんが、ご了承ください。


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●脅威に直面したときの人間の生態反応と、東日本大震災
東日本大震災後、被災した東北の人たちが静かで受身的であることに驚き、心配した。
なぜかというと、脅威に直面したとき人体内部ではストレスホルモンが分泌され、そのストレスホルモンは人間を動かし、何か行動を起こすように促していくからである。
例えば逃げるとか闘うなど、ストレスホルモンは人間がなんらかの形で外界に働きかけるようなはたらきを有している。
しかし、ストレスホルモンが出ているにもかかわらず、行動を起こさないでいると、そのストレスホルモンは≪内側へ≫働き始める。
それは、ストレスが長年続くことになるということを意味している。

●ヨーガは「自分の身体が安全だ」ということを体験させる手段である
PTSDは、過去に自分が直面した脅威が、今もなお継続していて、今でも自分は危険にさらされていると感じている状態である。
過去のものとなったはずの脅威なのに、PTSDの人たちの≪脳≫は「その脅威はまだ続いている」と理解している。
それに対しヨーガは、「自分の身体は安全である」ということを体験させる効果的な手段である。
なぜなら、トラウマは≪身体に≫深い印象を残すからである。
心の状態と身体の状態は、深く関連している。
また、感情は身体で体験し、理性はそこに及ばない。

●PTSDからの回復に必要なのは「安全」と「自己コントロールの回復」
ヨーガ療法の技法は、プラーナーヤーマ・瞑想・アーサナの3本柱で成り立っている。
アーサナでは、自分の身体は自分のものなんだと感じることができる。
また、マインドフルネスは、脳の“島(トウ)”という部分に働きかけ、変化させることが可能である。
島は、意識と身体をつなげる働きをする部分でもある。
脳幹は、自己制御の核であり、副交感神経と交感神経の2つのシステムから成り立っている。
PTSDは脳幹の状態が悪く、脳幹の状態をコントロールできるようになることは、PTSDからの回復を意味している。
自律神経系の範疇である心拍のコントロールについては、ヨーガが最適であると考えている。
過去に行った実験では、DBT(弁証法的認知行動療法)の群に比べ、ヨーガ療法の群が格段に心拍変動が低下・安定した。

●PTSD回復における心身の意識化の重要性
感情コントロール向上の唯一の手段は、感情の意識化(内受容)である。
また、トラウマには≪肉体的な≫印象付けがあり、クライアントがパニックを起こさずに身体の感覚を感じられるようになることは、とても重要である。
人の気持ちを癒すのに、ヨーガほどすばらしい方法は、ない。



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ヨーガ療法士にとって勇気付けとなる内容であったと同時に、コーク博士の慈愛に満ちたお人柄も垣間見ることができ、本当に聴けてよかったと思っています。
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by ramram-yoga | 2013-04-22 11:40 | 心理学とヨーガ
放送大学の学習センターへ
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今日は文献検索のため、神戸大学内にある放送大学兵庫学習センターへ。
自然いっぱいの学内は、春爛漫です。

放送大学には一昨年に3年次編入して心理学を学んでいますが、今年度は卒業研究を執筆し無事に卒業できそうです。
通信制でどこまで本格的に学べるのか・・・最初は半信半疑でした。
しかし、通信制をあなどるなかれ。
放送大学では、とても質が高い学びができると感じています。
出席率も成績に加味される通学生と違い、本当に勉強しないと単位が取れません。
逆に言うと、勉強すると単位がとれるので、身になります。
先日、予備校で今後の進路についてアドバイザーの方にいろいろと相談をしていたのですが、放送大学は偏りの無い学びができると定評があるそうです。

また、学びを進めると共に痛感することは、自分の教養の浅はかさ。
わかっていたつもりになり、狭い視野で世界を見ていたのだなぁと感じました。

なぜ、分かったつもりになり、そこで立ち止まってしまうのでしょうか。
それはきっと、その方が楽だし安心できるからなのだと思います。

一方で、新たに前進しようとするときには必ず現在の自分への否定が伴うもの。
自分の価値観を一度壊し、変化していくには勇気とエネルギーが必要です。
しかし、それを恐れず、オープンな自分でいたいと思います。

今年に入ってから、いろいろと大いに揺さぶりをかけられていますが、無理に自分の今までの価値観を押し通すのでもなく、かといって全て染められるわけでもなく、しばらくは揺れておこうと思っています。

全て、自分に必要なことが、ベストなタイミングで起こってくるのであるなら・・・。
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by ramram-yoga | 2013-04-16 18:22 | 心理学とヨーガ