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カテゴリ:出産・子育て( 29 )
私は人々の役に立っている
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新年度が、始まりましたね。

息子はこの春から年長さんです。
通っている保育園では、年長さんは一目置かれる存在。
年中以下の子どもたちは年長さんを慕い、年長さんは下の子の面倒をよく見ます。
毎年、年長さんに上がった子供たちをみていますが、顔つきがどんどんお兄さん・お姉さんらしく変わっていきます。
自分は必要とされている、責任があるという感覚が出てくるからなのだと思います。
息子も年長さんになることをずっと楽しみにしていて、4月からはりきって登所しています。
それと同時に、自分からゴミ捨てをしたり植木に水やりをしたりと、家の手伝いもしてくれるようになりました。

そういえば先日、私が体調を崩した時、ホッカイロを引っ張り出してきて「これをお腹に当てれば?」と持ってきてくれた息子。
それが本当に気持ちよく、体調を楽にしてくれました。
息子は、自分の行動が役立ったのかどうか知りたくて、「どう?」と何度も私の顔を覗き込んできます。
そして、私が気持ちよさそうにしているのを確認すると、なんとも満足そうな笑みを浮かべました。
その笑顔が、とびっきり好きな食べ物をほおばる時や、欲しかったおもちゃを買ってもらった時にさえも見られないほど、満足感にあふれていました。

その時に思いました。
あぁ、子どもだって、本当に嬉しいのは、与えてもらう時ではなく、誰かに必要とされ役立っていると感じる時なんだなぁ、と。


アドラー心理学での、子育ての目標は、子どもに以下の3つの感覚を育てていくこと。
 「私には能力がある」
 「人々は仲間だ」
 「私は人々の役に立っている」


そして、改めてはっと気づいたのです。
子育ては、親が子供を満たすために与えて与えて与えて・・、としているようで、実はそうではないのですよね。
本当は与える、つまり必要とされ役立っていると感じることで、他の誰でもない与える側の私が満たされていたのでした。
今まで、ずっと^^






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by ramram-yoga | 2017-04-07 05:23 | 出産・子育て | Comments(0)
生と死の自覚

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もうすぐ6歳になろうとする息子が、最近毎晩のように、私に死についての話をしてきます。
どこかの誰かの死といった”三人称の死”ではなく、身近な人の”二人称の死”や、そして自分自身の死という”一人称の死”について、です。
自分はやがて死ぬ存在なのだという自覚が、ある日突然彼に訪れたのです。

「僕は死んだらどうなるの?」
「お父さんとお母さんが死んだら、世界は終わっちゃうの?」
「死にたくないよ!ずっと生きていたいよ!」

死のことについて語り始めた同じ頃、息子は胎内記憶と、胎内に入る前の記憶(いわゆる中間生記憶)を、急に話し始めました。
私と息子との今後の関係において、大きな転機となりそうなインパクトがありました。
またの機会に、記事にしてみたいと思います。

このように、自分の生や死を言語を通して話し始めたということは、息子の中で、他の誰でもない我であるという認識、すなわち自我がある程度確立してきたと言えるのだと思います。
興味深いと思ったのは、”自分”という認識が出来てきたのと同時に、自分が死すべき存在であるという認識、そして時間の概念が確立されていったことでした。
これから息子は、生や死について、どのようにとらえていくのでしょう。
苦しむのを代わってあげたり、回答を与えたりすることはできないけれど、寄り添い見守っていける親でありたいと思います。

***

それにしても、死とはいったい何なのでしょうか。
私たちはなぜ生まれ、なぜ生きているのでしょうか。
このような問いに対し、求めればこの世界に沢山の答えがあふれています。
でも、教えられて頭で理解した回答では、やはり納得できないのです。
そのような意味では、私はやはりまだ探し求めています。

夜中、寝ている時は、自我の殻が少し緩むのでしょうか。
よく、ハッとするような驚きと共に、目が覚めます。
そして、自分は死ぬ存在なのだという強烈な自覚に圧倒されそうになります。
「我に返る」というのは、このことを言うのでしょうか。
小学生の頃からずっと、続いているのに、この驚きの鮮度は全く褪せることがありません。

ただ、少しずつ、実感していることもあります。
生きることと考えることとは、違うということ。
自他の区別や空間・時間とは、絶対的なものではないということ。
これらは自我によって作り出している概念であり、そこ枠組みから外れた時、生と死や分離といったものは意味をなさなくなってしまうのではないか、ということ。


ここで一曲、ご紹介。
バッハのブランデンブルグ協奏曲第5番。

中学校1年生の時、清掃の時間に毎日流れていました。
入学してすぐ別の学校に引っ越したので、3か月も聴いていないのですが、やけに覚えています。
その時流されていたのは原曲ではなくもうちょっと軽快なポップ調にアレンジしてありました。
当時、自分は死ぬのだという事実に気が遠くなるような毎日を過ごしていたのですが、先生も友人も、まるで死のことなど忘れてしまっているように思えて仕方なく、孤独感ばかり増していきました。
おまけに、軽快にアレンジされたこの曲が、当時の心情を逆なでするような明るさでもって、私の孤独感をますます助長させていたのでした・・・。
バッハのブランデンブルグ協奏曲シリーズは好きですが、この曲だけは今聴いていても当時の憂鬱な気分を思い起こさせます。






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by ramram-yoga | 2017-03-28 20:32 | 出産・子育て | Comments(0)
お母さん、笑って
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今朝、いつものように台所仕事をしていると、傍で朝ごはんを食べていた息子が笑顔で私の顔を見ていることに気づきました。
控え目な声で何か言っているのでよく聞いてみると、「お母さん、笑って」と言っていました。

この息子の言葉を聞いて、驚きました。
なぜならこの言葉は、私が小さい頃よく母親に言っていた言葉だったからです。

小さい頃の私にとって、母がニコニコと笑って自分の方を見てくれていることが一番幸せだったこと。
暗い顔をしたり、イライラしたりしていると、とても悲しく自分を責めたこと。
忙しそうに台所仕事をしている母に、いつ声をかけようかと、ずっと背中を見ていたこと。
・・・そんなことを、思い出していました。

今、私はあの時の母親の立場になり、そして息子があの時の私の立場になっていることになります。
子どもの頃見ていた、独創的で、そしてあんなにリアリティのあった世界。
ぬいぐるみや物にも人格が宿り、自然科学とは全く別の法則で、身の回りの現象が秩序付けられていました。
そして母親は自分にとって否定のしようがない完璧な存在で、自分の全てであったこと。
そんな世界観が今、少し遠くなっていると感じました。
時間が経ったからでしょうか、それとも、それらの世界に没頭するには少し忙しすぎるのでしょうか。

笑顔で傍に行くと、息子ははにかみながら私に抱きつき、私の膝の上に座ってごはんを食べ終え、機嫌よく保育園に行きました。
いつも息子がどんな世界で生き、どんな想いで私を見ているのか、改めて考えていました。


******


今朝子どもを保育園に送って家に帰ると、なぜか家の中がとてもあたたかいもので満たされていることに気づきました。
なんだろうと思ってしばらくそのあたたかさを感じていると、母の私に対する愛情だと分かりました。
先週末に仕事が入っていたので、母に来て家事や息子の面倒を頼んでいたのですが、きっとその時の気配が残っていたのだと思います。
人の想いというのは、こんな風にリアリティをもって漂っているのだなと驚くと同時に、愛情や祈りというものはとても強い力を持っていると感じます。
大切なのは、どれだけそれに気づく感性を持ち、育てていくかということなのだと思います。

日々の雑事に追われて見失いそうになっても、繰り返し立ち戻ってこれますように。
身近な人の想いに気づき、それを大切にするということ。
今ここに生きているということは、愛されているということ。
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by ramram-yoga | 2014-06-18 09:02 | 出産・子育て | Comments(0)
クッキー作り
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a0118928_13155060.jpg昨日は2歳6ヶ月になる息子と一緒に、クッキーを焼きました。

最近写真を撮るときはこの、「にこにこポーズ」が、お気に入り。

粉をまぜまぜして・・・

生地を丸め、手のひらで平らにして・・・

アーモンドを、むぎゅっ。

単なる食いしん坊かと思いきや、作る方もなかなかの腕前ではないですか。


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重曹入りの、ふんわりアーモンドクッキーのできあがり。

できたてクッキーを、お父さんと3人で食べました。

よっぽど楽しかったのか、今朝も私の顔を覗き込んでは「クッキー、つくる?」と言っている息子です。
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by ramram-yoga | 2013-12-29 13:22 | 出産・子育て | Comments(0)
神様がくれた夏休み
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この夏は、今年に懸けていた試験の勉強に、それこそ1分1秒を惜しんで没頭していました。
9月初めにその試験の結果が分かり、それから気が抜けてしまったのか、少し体調を崩していました。
体調が回復し、気持ちにも時間にも余裕が出来た状態になった頃にタイミングよく、普段は“超”がつくほど多忙な夫に奇跡の10連休がもらえました。

きっとこのお休みは、私たちに神様がプレゼントしてくれたのだと思い、普段は一緒に食事をするのもままならない夫と、親子3人の時間を存分に過ごしました。

a0118928_2330143.jpg水族館やお弁当を持ってピクニックなどいろんなところに出かけ、最近の激務で10kg近く痩せた夫に、彼の好きな料理を心ゆくまで作り、3人で一緒にごろごろ昼寝したり。

何気ない生活を家族で一緒に共有することが、こんなに楽しいなんて。
普段息子と2人きりでいると余裕が無くなって感情的になってしまうこともありますが、家の中にもう1人いるだけで、こんなにも気持ちに余裕ができるのかとも思いました。

夫と私のことを「とーしゃん」「かーしゃん」と言うようになった息子も、家族3人でいることがとっても嬉しかったようです。

a0118928_001615.jpgそれと、きっと私に余裕ができたからでしょうね、なんだか甘えたさんになりました。
最近は、私の膝の上でしか食事をしたがりません。

子どもは親の心情に、本当に敏感。
今子どもが出してくる要求にしっかりと応えていこうと、思います。


私は家族によって支えられているのだと、こんなに感じさせられたのは初めてかもしれません。



(写真は上から、万博公園散策の風景、息子の大好きな“にーにー(おにぎり)”のお弁当、六甲山牧場の羊さんを触りたくて追いかける息子)
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by ramram-yoga | 2013-09-26 23:26 | 出産・子育て | Comments(0)
2歳になりました
a0118928_18563799.jpgこの時期、家の窓から見えるこの風景が好きです。

田んぼに豊かにたたえられた水が、あたりに不思議な静けさを漂わせています。

2年前のこの時期に、息子は生まれました。

生まれたばかりの息子と、帰省するまでの1週間、この風景を見ながら毎日を過ごしました。

なんとも静かな、2人だけの時間でした。

今日田んぼを見て、そのことをふと思い出しました。


**************


今日は息子は熱を出し、家の中で2人で過ごしました。

いつもは元気いっぱいの息子ですが、時々絶妙なタイミングで熱を出します。

久しぶりに2人っきりで過ごした1日でした。
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by ramram-yoga | 2013-06-04 19:12 | 出産・子育て | Comments(0)
お母さんは、あなたの味方です
アドラー心理学の親教育プログラム“パセージ”を終了して2週間が経ちました。
学んだいろいろなことを思い出しては少し実践してみたり、噛み砕いて味わったりしている日々です。

中でも最後の章で学んだことが、強く心に残っています。
それは、「子どもの味方でいる」ということです。

…どんなときでも子どもの味方でいる決心をしましょう。
 特に、子どもが学校や世間から責められているときに、味方でいる決心をしましょう。
 親まで敵に回ってしまっては、子どもにはこの世に居場所がなくなってしまいます…
                         (アドラーギルド"passage"より抜粋)


大人の誰もが、かつて経験した子どもの世界。
純粋で感性が豊かで、また傷つきやすくとてもナイーブで、何よりも親の自分への注目関心を切望している子どもの心を痛いほど知っているはずなのに・・。
いざ親になってみると、自分の事や日々の雑事に終われ、子どもの心が時々見えなくなってしまうことがあります。

忙しく動き回るのをやめ、忙しく考えるのをやめ、ゆったりした気持ちで子どもに向き合うと、息子はそれこそ言葉通りむさぼるようにして私にしがみつき、ぴったりと離れません。

「お母さんは、どんなときでもあなたの味方です」

と、子どもに伝える練習をパセージでやりました。
それを毎日、息子に言っています。

1歳半の息子はまだ、「みかた」って何なのか、分からないはずなのに、私がそう言うたびに大ニコニコで、ぴょんぴょん飛び跳ねて喜びます。
何かが、伝わっているんだろうな。
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by ramram-yoga | 2012-12-04 22:53 | 出産・子育て | Comments(0)
passage終了
アドラー心理学にもとづく教育学習コース“パセージ”、今日か最終日でした。
受講して、本当によかったと思います。

パセージでは、子どもが
「自分は能力がある」
「親は自分の仲間だ」
と思えるような関わりを行っていくことを目標にしています。

パセージのすごさは、それが誰でもできるようにやさしく具体的な方法で導かれるところにあるのだと思います。
その裏にこそ、緻密で洗練されたプロの技あり。
すごいです。

最後に、パセージを受講してから自分がどのように変化したかのシェアリングをしましたが、私は夫とのやりとりにおいて「課題の分離」が少しずつできてきて楽になった部分がありました。
今まで、身近な人が失敗したり嫌な思いをするのを放っておけず、あれこれ首を突っ込んでしまうタチだったのですが、パセージで課題の分離を学んでからは“それはその人の問題”という風に、ある程度手放すことが出来るようになってきました。
今考えてみると、「この人のため」と思いやっているようで、実は自分の思い込みの世界で相手が自分の思い通りにならないと気がすまないところがあったのかもしれませんね。
そういう意味で、肩の力が少し抜けました。

家庭においても、仕事においても、本当に貴重な学びをいただいたパセージでした。
そして、相手を尊重し勇気付けることを学ぶことは、自分を尊重し勇気付けることにもなっていたようです。
こうして一人パソコンに向かっている今も、今日はなんだか温かくしあわせな気持ちです。
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by ramram-yoga | 2012-11-20 23:07 | 出産・子育て | Comments(0)
パセージ5章「目標の一致」
一昨日のパセージ(アドラー心理学にもとづく子育て学習プログラム)では、「目標の一致」を学びました。
前回までで学んだ、親は子どもの課題に干渉しないという「課題の分離」を行ったうえで、お互いが納得すれば2人でひとつの目標を“共同の目標”とすることができる、というもの。
たとえば、“子どもが夜9時に寝る”といった目標を、親子で共有するとすれば、子どもも9時に寝られるように努力するし、親がそのために何かできることがあれば協力していきます。

ここで、キーとなるのが、“意見”と“事実”を明確に分けること。
意見というのは、主観的。
事実というのは、誰の目から見ても明らかな客観的な事柄。

「夜更かしはよくない」「お行儀悪い」「怠けている」「いじわる」・・・
これらは、ぜ~んぶ、意見。
たとえ常識と呼ばれるような、多くの人に認められている価値判断でも、意見です。
でも親は、その“意見”を、あたかも“事実”であるかのように子どもに押し付けてしまいがち。
「夜更かしは駄目!」「お行儀直しなさい!」とかいったように。

パセージでは、親と子どもの人間関係は対等です。
対等であるとき、親は子どもに対して、意見は意見として伝え、提案するのです。

「私は○○と思うんだけど。」
「これは私の意見なんだけど・・・・。」

といったように。

このように、対等に相手を尊重した形で思いを伝えるときのコツを教わりました。

☆ヨコの関係に立つこと
☆ていねいな言葉遣いをすること
☆感情的にならないこと
☆合理的であること
☆妥協点を探すこと
☆子どもの断る権利を認めること

・・・・う~ん、難しい。
実践あるのみですね。

パセージのいいところは、実践型であるということです。
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by ramram-yoga | 2012-11-01 22:22 | 出産・子育て | Comments(0)
パセージ4章「共同の課題」
今日はアドラー心理学の育児学習コースに参加してきました。
今日は全8章あるうちの第4章「共同の課題」でした。

前回では子どもと親それぞれの課題を分けて考えることを学んだのですが、今回はそれらの課題を分けて考えた上で必要あらば両者の了解のもと「共同の課題」とすることができる、ということでした。

たとえば、子どもが勉強をするしないは“子どもの課題”ですが、子どもが親に「宿題がわからない。教えて」と頼めば、子どもの課題に対して親が協力するという形になり、宿題が親子にとっての“共同の課題”となるわけです。

ここでキーとなるのが、子どもに頼まれた場合にのみ、親はその宿題を“共同の課題”とすることができる、ということです。
「言葉で頼む」というのが、共同の課題にするための必須項目なのです。
たとえば子どもが「わかんない~!」とだけ言ってゴネていても、親は手伝わないのです。
かといって親は子どもが頼んでくるのまで放っておくわけでもなく、必要に応じて子どもに「何か手伝えることはありますか」とたずねたりもします。
要するにここで親は、子どもが「自分は能力がある。親は私の仲間だ。」と感じるような働きかけ(アドラーの子育ての目標)をしていきます。

今回出された宿題は、相手からお願いされたことに徹底的に応える、ということ。
うちの1歳4ヶ月の息子はまだまだ会話はできず、何かして欲しいときには「んー!んー!」と訴えます。
今週一週間は、徹底的にこの子の欲求に応じてみようと思います。
家事のときも抱きついてきたら、家事の手をとめて抱っこする。
忙しいときなんかは難しいですが、とにかくやってみよう。

a0118928_23314095.jpg今日はいっぱいいっぱい私に抱きついてきた息子を、いっぱいいっぱい抱っこしました。






(写真は動物園にてお友達と。)
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by ramram-yoga | 2012-10-23 23:33 | 出産・子育て | Comments(0)