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2017年 09月 03日 ( 1 )
瞑想と霊性の生活へ
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今日は、家族3人で大阪府三島郡の新居を見に行ってきました。
今年の春、他の用事でたまたまこの地を訪れた時、「ここに住みたい!」と、思いました。
その時は、それが現実になるとは、思ってもいませんでしたけれど。
その土地に身を置くと、とても静かな気持ちになるのです。

今住んでいる西宮は、とても気に入っていました。
日当たりが良く、落ち着いていて、窓を開けると上の写真の風景が広がり、向こうに見える六甲山からさわやかな風が吹き抜けていきます。
陰陽で言うと、陽を強く感じる土地でした。

しかし、これからの私にとっては、少し陽が強すぎる場所となったようです。
これから、前に前にと表立った活動をしていくことが、減っていくように感じています。
不思議ですが、そんな気がしています。

一昨日お話させていただいたイベント「常識のカベ」で、メインとなった内容は、役割について、でした。
自然界では、誰が一番ということは無く、それぞれがそれぞれの立場において、その存在にしかできないことをすることで、完全な調和と循環が成り立っています。
これは、人間界でも、同じことが言えるのではないでしょうか。
人間は一人一人分離しているように見えて、実は誰一人として独立して存在することはできません。
ある人が、ある意識状態にある時、それは必ず、周囲に影響を及ぼしています。
その意味で、人間は孤独な存在ではありえないのです。

今、私に起こっていることは、ひとつは思考がどんどん減って、とても静かである、ということです。
実際的な生産性は、減ってきているように感じています。
この、私の静けさの深まりは、他の誰かに影響し、その人の強力な活動力と推進力となって顕れているのだと思います。
そして、その人が強烈に活動すればするほど、私はますます静かになっていき、意識の奥底に沈殿していくような気がしています。



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誰の生涯にもやがては、霊的理想の呼びかけを感じるときが必ずやって来る。
こうした呼びかけが来たときには、耳を傾けずにはいられない。
そうなればこの世の何ものも、満足を与えてくれはしない。
その崇高な呼びかけの命令に従うまで、平安を見出すことはできない。
この内なる目覚めと、より高い理想に従おうとする止まれぬ衝動が、霊性の生活の始まりのしるしである。
それからは生涯を通じて、霊性の理想が彼を魅了し、絶えず心に去来する。
このように世俗の理想の追求から霊性に追求に変わることは、「回心」と呼ばれる。
霊性の生活はそこから始まる。
この回心はある人の場合には突然に起こり、またある人の場合には緩やかに展開する。

スワミ・ヤティシュワラーナンダ著『瞑想と霊性の生活1』より






愛と感謝をこめて






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by ramram-yoga | 2017-09-03 18:45 | ことば・メッセージ