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2017年 05月 16日 ( 1 )
禅病
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生まれた時からずっと、”私”という自我意識を主体として世界観を組み立ててきて、それを疑いもしていませんでした。
以前からヨーガでahamkara(自我意識)は被観照者、つまり客体だと学んでいましたが、それが体験として分かったのはつい最近のことです。
それがひっくり返ってしまった今、毎日のように、新鮮な驚きの毎日を送っています。

ここ数日間、考えれば考えるほど、この生きている世界が虚栄に満ちて見えてきて、日に日に空虚な感じに襲われるようになってきていました。
自我意識を前提とした世界観がガラガラと崩壊し、何もかもが頼りどころのないように思えてきて、途方に暮れてしまいました。
その感覚がピークに達した一昨日、非二元(ノンデュアリティ)に詳しい 親友のお母さま に相談したところ、それは禅病の一種ではないか、とのこと。

※非二元…直訳は「2つではない」。非二元によれば、主体と客体を前提とする二元論的な世界は幻想である。

一瞥体験(すべては一つの表れという体験)をした後、自我意識に戻り、その自我意識で世界を見るとそのような捉え方になってしまう、とのこと。
「途方に暮れ、無力感に襲われているのは誰ですか」と問われ、はっとしましたが、それも自我意識なのですよね。
観念的に頭で考えすぎると、このような状態に陥ってしまうようです。
あぁ難しい。
こういう事の追求は、一人でやっていると袋小路に入ってしまうので、先行く導き手が必要だと感じました。

この、理性で何もかもを理解してしまおうとする傾向自体を、見直す必要がありそうです。
理性は理性自体を、本当の意味で客体化することはできないし、理性を包含し超越しているものを理解することもできないのですから。
ならば、もっと別の”何か”で、真実を悟る必要があります。
それは何か。
分かったつもりをやめて、求め続けていきたいと思います。

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ここ数日バタバタとしていましたが、今朝は少しゆっくりできたので、布団を干して部屋を片付けて掃除をしていました。
そうすると、自分自身も整っていく。
ちょうど自然農をしている知り合いから野菜が届き、水で丁寧に泥を落として料理をする。
生命力いっぱいの青々とした野菜に触れ、淡々と手を動かして生きるための動作をする。
観念から離れ、動作に集中している時、”私”という意識も薄れ、心が静かになっていく。

「真実は、生活の只中にあり」 森信三



(写真は、先日息子のボーイスカウトの活動に同行し、武田尾廃線を歩いた時に撮ったものです。)


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by ramram-yoga | 2017-05-16 10:49 | ことば・メッセージ | Comments(0)