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2017年 05月 12日 ( 1 )
社会経済のパラダイム・シフトと日本人の感性
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一昨日は先々週に引き続き、広井良典先生の授業を聴講させていただくため、先生が教鞭をとられる京都大学へ。
ここで、死生観を社会経済の枠組みから包括的に捉えなおすという今まで持たなかった視点をいただき、新たな世界が開けてきています。

今回のテーマは、AI(人工知能)すなわちテクノロジーが、今後どのように人間に影響を及ぼしているのかについて、『人類の未来』という書籍の「シンギュラリティは本当に近いのか?」という章を題材にして検討していきました。
この章の著者はレニー・カーツワイルという人工知能研究の世界的権威ですが、カーツワイルによるとAIは、映画『ターミネーター』のような人間と敵対する関係性の中で発展していくのではなく、AIが人間の中に組み込まれていき、人間はAIすなわちテクノロジーと一体化していくというのです。

テクノロジーと人間が一体化した先には何があるのか、という論点については、カーツワイルははっきりと「進化には目的がある」と述べています。
そしてそれは、「超越性(transcendence)を高めて、情報の中から何か超越的なものを生み出す、昇華するということです」と。
私自身はそれを読んだ時、何でも情報という枠組みでとらえようとするカーツワイルが、価値観とか指向性といったような範疇に収まるであろう”超越性”という言葉を使ったことを不思議に感じました。
後で広井先生の説明を聞いて納得したのですが、カーツワイルはイスラエル生まれのユダヤ系で、自然に対する超越や支配といった態度に親和性があるということでした。
ということはつまり、AIが今後発展していくとしても、その方向性には、AIを開発している人の指向や価値観がどうしても反映されてしまうわけであり、その意味でどうしても、進化の範囲は限定的にならざるを得ないのではないかと思いました。

また、物質(17世紀)→エネルギー(19世紀)→情報(現代)と世界経済のパラダイム・シフトが起こってきた中で、これからの時代はどのようなパラダイムなのか。
カーツワイルのように、”有”をどんどん拡大していく指向性に対し、”無”をどのように捉えるのか。
際限なく発展していくという発想は、地球の資源が有限であるという前提を忘れてしまってはいないか。
またそこには、適度に・調和をはかりながら、という感覚が欠如していないか。
これらの議論は、”無”とか”和”といった、日本人独特の感性(これも指向性でしょうか)であるからこそ持てる視点から出てくるのだということは、新たな発見でした。

授業に参加し始めて、今までの自分が見ていた世界は限定的だったことに気づかされます。
いつも新しい視点や価値観に心を開いておくことの大切さと、それこそが何かを追求していく上での真摯な態度であるということを感じています。






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by ramram-yoga | 2017-05-12 10:12 | 社会的視点