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経験からの解放
先日、インドの聖典であるヨーガ・スートラの勉強会がありました。
今回勉強した第Ⅱ章-20節には、下記のように記されています。

被観照者の本質は、観照者のための性質に他ならない。

a0118928_2216241.jpgこれはつまり、普段目に見えている世界(=被観照者)は、本当の自分(=観照者)を見出すためにあるのだ、ということ。

普段私たちがどんなものを見聞きしているのか、それによって自分の心のあり方に気づき、本当の自分を見出す手がかりとします。


この教えを題材として、今日は「自分は何に対して存在感を大きくしているか」について瞑想をほどこしました。

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例えば、テーブルの上にケーキが置いてあるとすると、甘党の人はそのケーキが気になって仕方がありません。
その人にとって、ケーキの存在はすごく大きい、ということになります。
しかし、甘いものに全く興味の無い人にとっては、目の前にケーキがあってとしても、ケーキの存在を大きく感じることはありません。

また、自分の体型が気になる人は、他の人の体型についてもとても気になります。
その人にとって、“体型”の存在感が大きい、ということになります。

他にも、学歴やルックス、収入、その他のステータスもそうです。

存在を大きく感じるものが多ければ多いほど、時には苦しみの原因ともなり得る「捉われ」が多い、ということになります。


そしてその存在感の大きなものとは、自分のコンプレックスや劣等感、執着と密接につながっているといことに、気づかされるのです。


私は瞑想の中で、小さい頃自分の鼻の形にコンプレックスを持っていたことを思い出しました。
すっかり忘れていましたが、その頃は人の鼻ばかり見ては、自分と比べていたと思います。
何かの劣等感を持っていたのでしょうか、不思議ですが、その頃の私にとっては、「鼻」の存在感がとても大きかった。
しかし、いつ頃からか人の鼻も自分の鼻も、全く気にならなくなりました。
自分にとって鼻の存在感が、小さくなって今は無いに等しいと言っていいと思います。


ヨーガでは、このように何かに対する存在感が小さくなる時、「経験からの解放」という表現が使われます。
このように過去の捉われから少しずつ解放され、全ての経験から解放されたとき、真の自分に到達する、という教えです。


      ヨーガを行ずると 見えなかったものが 見えてくる

                 聴こえなかったものが 聴こえてくる



対象に投影されている自分の心を見つける、という自己探求の方法が、すでに2000年前に確立されていたということに、感動と驚きを覚えます。



sachie
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by ramram-yoga | 2010-02-16 22:46 | YOGA
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